第26話 ドル=フランソワという方
※ミシャ=ユール視点のお話です。
「どうしてわたくしがこんな……」
納得がいかない、という様子でぶつぶつ言っているのは、フランソワ家のご令嬢であるクレア様だった。
独特の巻き髪を揺らしながら歩くその立ち居振る舞いには、顔に浮かんだ表情とは裏腹に隠しきれない気品がある。
その隣を、私の親友が歩いている。
「仕事ですよ、仕事」
「それは分かってますわ。でも、こんな誰にでも出来る仕事をわざわざ私が――」
「クレア様といえども、学院騎士団では新人の下っ端ですよ。雑用をするのは当たり前じゃないですか」
レイがからかうように言った。
あのクレア様相手に、よくもまあそんな率直な物言いが出来るものだ、と恐ろしく思う。
私たちは学院騎士団のお使いで、王都の市場に買い出しに来ていた。
景気の良い声が響き、辺りは人でごった返している。
「これだけ人が多いとはぐれそうですね。手でも繋ぎますか?」
「結構ですわ」
「結構なんですね。じゃあ繋ぎます」
「し ま せ ん わ !」
「えー」
貴族と平民という身分差を全く感じさせない二人に、私は少し羨ましい気がした。
「仲がいいわね……」
「本当ですね」
隣を歩くレーネに言うと、彼女もにっこりと頷いてくれた。
私ももちろん荷物を持つつもりだが、恐らくほとんどは彼女に持って貰うことになるだろう。
基礎体力が違う。
レイもあまり体力がある方ではないし、クレア様も……いや、クレア様の場合は身分的にそれ以前の問題だろう。
「で、何を買うんですの?」
「えーと、羊皮紙が十枚、パピルスが二十枚、インクが二壷、絵の具が一組、革紐が一くくり、釘が一組、あとはお茶っ葉とお茶菓子がいくつかですね」
「大体は事務用品ですわね」
「学院騎士団で一番多い仕事は事務仕事ですからねー」
レイの言う通りだ。
学院騎士団と呼ばれてはいても、その実態は学生たちの自治組織だ。
自然と書類仕事が多くなるのは仕方ない。
華やかな学院生活の裏を支えているのは、こういう地道な仕事だ。
私はそういうのが嫌いではない。
とはいえ、クレア様はそうもいかないようで、
「楽しめる買い物はお茶菓子くらいですわね」
「そうですね」
私は相づちを打つ。
お茶菓子という単語が分かるのか、レイの頭の上にいるレレアが嬉しそうに飛び跳ねた。
「ブルーメの新作菓子にしましょう」
「無理です、クレア様」
それには流石に首を振らざるを得なかった。
「どうしてですの」
「ブルーメの菓子は高すぎます。お買い上げになるなら、クレア様ご自身のお金でどうぞ」
「今日はいくら持ってますの、レーネ?」
「私的な買い物の予定はありませんでしたから、十万ゴールドほどです」
「それではさして買えませんわね……」
十万ゴールド。
平民である私からしたら目が飛び出るほどの大金だが、クレア様にとってはそうではないらしい。
つくづく、貴族と平民の差というものを感じる。
今は別に羨ましいとも思わないけれど。
「今日は仕事に徹しましょう? お茶菓子はまた今度ということで」
「仕方ありませんわね」
やれやれ、と肩をすくめたクレア様が、ふと道ばたに目をやって眉をひそめた。
「嫌ですわ……」
そう吐き捨てたクレア様の視線を追うと、そこにはボロを着た子どもが二人で物乞いをしていた。
一人は足に包帯を巻いている。
「ナー帝国との紛争が起きて以来、物乞いは増えましたね」
「物価が徐々に上がっていますから……」
物乞いをやるのは女性や子どもが多い。
その方がより同情を引けるからだ。
あの足に巻かれた包帯も、本当に怪我をしているかどうかは分からない。
物乞いには物乞いの生存戦略というものがある。
「物価は確かに上がっていますけれど、賃金も上がっているはずですわよ?」
「追いついていないんです。賃金は一度上げると下げづらいので、雇用者は上げるにしても小幅にとどめる傾向があります」
クレア様の疑問に、レーネが丁寧に答えた。
「なら責任の所在は雇用主じゃありませんの」
「雇用者も平民ですから。生活は楽じゃありません」
「……」
さらに問いを重ね、それにまたレーネが答えると、クレア様は少し難しい顔をした。
こう言っては何だが、クレア様は少し平民のことを知らなさすぎる。
いや、貴族的な教育に染まりすぎているというべきか。
支配層への教育のために極端に愚鈍な存在として描かれた平民像を、疑うことなく受け入れてしまっている。
彼女はそれでいいのかもしれないが、それではきっといつか足をすくわれる。
――かつての私の実家、ユール家のように。
「クレア様」
ふと、知らない声がクレア様のことを呼び止めた。
「あら、メイド長。奇遇ですわね」
声の主はフランソワ家のメイド長らしい。
面識がないのは私だけのようで、レイやレーネも挨拶を交わしている。
私も一応、頭を下げておいた。
「旦那様のお買い物の途中なのですが、旦那様がクレア様を見かけて連れてきなさいと」
「お父様が?」
私は背筋がピンと伸びるのを感じた。
クレア様のお父様と言えば、貴族の中の貴族、バウアー王国にその人ありと呼ばれた切れ者、ドル=フランソワ様だ。
ドル様は私の父の憧れだ。
彼の数々の功績を聞かされて育った私にとっても、それは変わらない。
そんな方が近くにいらっしゃる……?
「今は仕事中なんですのよ」
「そうだと思ったのですが、旦那様はどうしてもと」
「仕方ありませんわね……。あなたち、少しよろしくて?」
この国一番と言ってもいい貴族からの誘いだ。
断れるわけがない。
私たちはメイド長に連れられて大通りへと出た。
路肩に一台、明らかに仕立てが違う豪奢な馬車が停まっている。
これがフランソワ家の馬車だろう。
「やあ、クレア。学友の諸君もごきげんよう。車上から失礼するよ」
どこかクレア様の面影のある金髪の美丈夫が、フロックコート姿で馬車の扉を開けた。
間違いない、ドル様だ。
私は緊張のあまり手汗が滲んでくることを抑えられなかった。
レイにそんな様子は全くないけれど、頭上のレレアはいつもよりも固そうに見える。
「ごきげんよう、お父様。どうなさいましたの? わたくし、これから学院騎士団の買い物ですのよ」
「ん? 大して用がある訳ではないが、娘を見かけて呼び止めてはいけない理由でもあるのかね?」
「お父様……わたくし、これでも忙しいんですの」
「私よりも優先すべきものがあるとは思えないが」
さも当然と言った様子で首をかしげるドル様。
貴族であれば多かれ少なかれ自分を中心に物事を考えがちだが、父から聞いたドル様はそんな人だっただろうか。
私は少し違和感を覚えた。
「買い物なら乗って行きたまえ。平民の君らも、特別に同乗を許可する」
「行き先は貴族街ではありませんのよ?」
「たまにはいいさ。平民の暮らしを見ておくのも、貴族の務めではある。気は進まんがね」
ドル様と馬車に同乗するなんて!
私は緊張でガチガチになりながらも、憧れの貴族を間近で見られる幸運に感謝していた。
三頭立ての馬車は五人で乗っても窮屈さを感じないほど広かった。
さすがはフランソワ家の馬車というだけあって、乗り心地も驚くほど快適だ。
しばらく、誰も喋らなかった。
私はもちろんのこと、レーネも酷く緊張しているようだった。
私も少し気まずくなって外を見ると、平民の集団が何やら声を上げているのが見えた。
「貴族たちは平民を搾取している!」
「わたしたちの貧困に、貴族たちは何もしてくれない!」
「なら、私たち平民は立ち上がるしかないではないか!」
恐らく、あれが平民運動というやつなのだろう。
クレア様とドル様の反応をうかがうと、クレア様の方は顔をしかめ、ドル様に至っては気に留めてすらいないようだった。
「最近の学院はどうだね、クレア」
最初に口を開いたのはドル様だった。
寮生活で離れて暮らしている娘と久しぶりに話せたのが嬉しいと見えて、にこにこと機嫌が良さそうだ。
「別に普通ですわね。平民運動とやらがちょっと煩わしいくらいですわ」
クレア様はそっけなく答えた。
やはりこの年頃になると、父親という存在が少し煩わしく感じるものなのだろうか。
相手がドル様ほどの人であっても?
「平民運動か……。陛下の能力重視政策をはき違えた愚か者の所業だな。だから私はあの政策には反対だったんだが……」
やれやれ、とドル様がこめかみを撫でた。
ドル様は能力主義に反対する貴族勢力の急先鋒であると言われている。
能力主義の申し子とも言うべき平民運動には、いい顔をしていないようだ。
「お前はどう考える、レイ=テイラー?」
そんなドル様が、急にレイに水を向けた。
クレア様が驚きに目を見開く。
「お父様、どういう風の吹き回しですの? 平民の名前を記憶なさっているのもそうですが、あまつさえ声をおかけになるなんて」
この中でドル様を誰よりよく知るクレア様にとっても、ドル様の行動は意外なものだったようだ。
「なに、ちょっとした気まぐれだよ。彼女は今年の編入生の中でも抜きん出た成績を収めていると聞く。そんな者がどのような考えを持っているか、と思ってね」
取り立てて深く考えた質問ではない、とドル様は強調した。
「そうですね……。クレア様にも似たようなことを訊かれましたけど、私としては特にどうとも思っておりません。私にとってはクレア様と過ごせる日々があれば他は割とどうでもいいです」
「ふむ。従者としては正しい考え方だ。しかし、お前も平民であることは事実。貴族のような生活に憧れることはないのか?」
「私は自分が贅沢をするよりも、クレア様が幸せそうになさっているのを見ているのが好きなんです。貴族的な生活には特に憧れはありませんね。毎日を食いつないでいくことが出来れば十分です」
「本心か?」
「本心です」
ドル様の碧い瞳がレイをじっと見つめている。
私なら怯んで目をそらしてしまいそうだが、レイは臆することなくそれを見返した。
「ふむ。今時の平民にしては弁えているな。お前のような者がもっと増えることを望む」
「恐縮です」
満足そうに微笑むドル様に私は軽く礼をして応えた。
違和感が増した。
このドル様は何かおかしい。
これでは私が失望した他の貴族たちとなんら変わりがないではないか。
父から聞いたドル=フランソワ様という人は、不正を許さず、己を律し、民を慈しむ理想の貴族ということだった。
でも、今のドル様にそんな様子は微塵もない。
ユール家が没落したように、時の流れはドル様という人をも変えてしまったのだろうか。
「少し気分がいい。菓子を買ってやろう。メイド長、ブルーメに向かってくれ」
「かしこまりました」
馬車が方向転換する。
「ちょっとお父様、勝手に決めないで下さいな。先ほども申し上げたとおり、わたくしたち仕事で来ていますのよ?」
「少しくらい寄り道したところで構わんだろう? 何か言われたら、私の名前を出せばいい」
「そういう問題じゃありませんのよ」
「では、どういう問題なのかね?」
ドル様は飽くまで自分中心、というスタンスを変えないようだ。
私の中でますます違和感が募る。
私はドル様に尋ねてみたかった。
あなたは本物のドル様ですか、と。
「ブルーメの菓子を食べたことがあるかね? チョコレートなど、平民は口にしたこともなかろう」
「ありません」
そんなことを考えていた矢先、ドル様から急に水を向けられて、私は思わずそう返事をしていた。
私の考えすぎかも知れないが、まるで余計なことは言わないように、と釘を刺されたかのようなタイミングだった。
「そうだろう。あれは斬新な菓子だ。ブルーメは本当によく出来た開発陣を持って――」
その後は上機嫌に喋るドル様とブルーメに行き、チョコレートを買って貰い、買い物を済ませた。
馬車に同乗している間、私はずっとドル様を観察していた。
(ドル様。あなたは一体どうしてしまわれたんですか?)
内に秘めた問いは、ついぞ言い出すことが出来ないままだった。
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