第25話 政治と平等

 騎士団で平民運動について議題を話し合い、ユー様と政治体制についての問答を行った後、わたくしたちは食堂にやって来ました。

 メンバーはわたくし、レーネ、ミシャ、平民の四人です。

 ユー様は別の女子に声を掛けられ、別行動となりました。

 相変わらずおモテになりますわね。


 先に立ってわたくしの手を引く平民は、相変わらず何も考えていないような顔をしています。

 レーネはきっと色々考えているのでしょうけれど、それを表には出しません。

 表面上は同じですが、二人の間には明確な違いがあります。

 全く、この平民はお気楽でいいですわね。


「へい、お嬢ちゃんたち、今日は何にするねい?」


 食堂に着くと、調理担当の職員が声を掛けてきました。

 独特のイントネーションからも分かる通り、彼は生粋の王国民ではありません。

 彼は帝国からの亡命者だそうで、あちらでも料理人をしていたらしいのですが、環境に耐えかねて王国に逃げ延びてきたのだとか。

 きっと帝国の国民たちは、圧政に虐げられているのでしょう。


「私は牛丼で!」

「私も牛丼をお願いします」

「私も」


 平民とレーネ、ミシャは同じものを頼むようです。

 わたくしの口には合わないのですが、今年から食堂で供されるようになったこの牛丼という新作料理はなかなかの人気があるようです。


「わたくしはビーフシチューセットを頂けるかしら」

「パンとライスはどうするねい?」

「パンでお願いしますわ」

「あいよ」


 本当はもっと格調高い食事がしたいのですが、学院ではそれも敵いません。

 わたくしは無難に注文をまとめました。

 料理が出来上がるまでの間、しばらく列に並んで待ちます。


 料理は注文を受けてから作られるわけではなく、下ごしらえと作り置きをしたものを温め直す程度のものです。

 ほどなく料理を渡され、わたくしたちは席を探して座りました。


「「「「いただきます」」」」


 簡易礼句を口にして、食事を始めます。

 シチューは作り置きしているだけに野菜が少し型崩れしていますが、その分味がよく染みており、それほど悪くない味でした。


「ねえ、レイ。あなたはどう思ったかしら、今日の話?」

「ん、どの話?」


 ミシャがスプーンでライスを口に運びながら平民に問いましたが、平民は何のことか分からないようでした。


「ミシャ様、今日の話ってユー様たちの話ですか?」

「ええ、そうよ、レーネ。それと、私に敬称はいらないわ。あなたと同じ平民だもの」

「これは私のけじめみたいなものなので、お許し下さい」

「そう……分かったわ。そうね、あなたの意見も聞いてみたいわ、レーネ」

「私ですか? そうですねぇ……」


 そう言うと、レーネは一旦スプーンを置いて考え込みました。


「答えにくいようなら、私から質問してもいいかしら?」

「あ、はい」

「ありがとう。じゃあ、質問。あなたは貴族のような暮らしに憧れはある?」


 ミシャは牛丼の上にのったベニショウガとやらをスプーンですくいながら尋ねました。


「あんまりありませんね。普段から最高位の貴族であるクレア様のお世話をさせて頂いていますから」

「なるほど……日常的に貴族の生活に慣れ親しんでいるということね。でも、それならそれで、自分の置かれた経済状況との差に羨望を覚えることもあるんじゃない?」

「うーん、普通はそうなのかもしれませんが、私の場合、実家もそこそこ裕福なのであまり。もちろん、クレア様の生活とは比べものになりませんけれど」

「……あなたは平民でありながら、限りなく貴族に近い感じね」

「本物の貴族の方のような、教養や礼儀作法は身につけていませんけれどね」


 レーネは再びスプーンを取って牛丼を食べ始めました。


「レイはどう? 貴族の生活に憧れはある?」

「ないね」

「どうして? やっぱりクレア様のお世話で慣れ親しんでいるから?」

「ううん。身の丈に合った暮らしがしたいだけ。贅沢すぎる生活は、私には似合わないよ」

「あら、随分と殊勝なことを言うんですのね、平民」

「もっと褒めて下さい、クレア様」

「ちょっと言ったら調子に乗る……」


 わたくしは言わなければ良かったと後悔しました。

 テーブルの上でレレアが物欲しそうな顔をしていたので、パンを一切れ分けてあげました。


「それは本音? それとも建前?」

「紛れもない本音。私にしてみたら、学院のこの食事だって十分過ぎるほど贅沢だよ。前世で食べてた牛丼なんて――げふんげふん、なんでもない」

「そう……」


 ミシャは何とも言いがたい表情をしながら、ベニショウガを口に運びました。


「そう言うあなたはどうですの、ミシャ? あなたは元々貴族だったでしょう? 貴族の生活に戻りたいとは思わなくて?」

「……」


 ミシャはすぐには答えませんでした。

 それは単に咀嚼しているベニショウガが口に合わなかったのか、それとも考えをまとめるためだったのか、わたくしには分かりませんでした。


「そうですね、ほとんど思いません」

「ほとんど、ということは少しは思うことがありますのね?」

「ええ、まあ。ごく限られた瞬間だけですけれど」

「それはどんな?」

「申し訳ございません、クレア様。個人的なことなので、申し上げることは出来ません」

「……そう」


 などとミシャに相づちを打ちつつ、わたくしには何となく見当が付いていました。

 ミシャの言うごく限られた瞬間というのは、恐らくユー様との関係性に思いを馳せるときでしょう。

 平民は下世話な表現をしていましたが、ミシャは純粋にまだユー様のことを慕っているようでした。

 貴族から平民になったことでその恋が実る可能性はなくなりましたが、だからと言って簡単には諦められないのが恋というもの。


「話を戻しますが、クレア様は平民運動について賛同できる部分はありますか?」

「ありませんわね。妄言としか思えませんわ」


 わたくしは切って捨てました。

 カトリーヌに言われて色々想像してもみましたが、やはり出てくる結論は変わりませんでした。


「では、平民の貧困についてはどうお考えです?」

「貧しいのであれば稼げばいいのですわ。ごく当たり前のことでしょう?」

「職は万人に公平に開かれているわけではないと思いますが……」


 ミシャはベニショウガをレレアに与えながら難しい顔をしました。


「それは当たり前のことですわよ。貴族だってなりたい自分に好きになれるわけではありませんわ。生まれ、血筋、能力、縁故――そういった諸々を含めての生存競争が現実ではなくて?」

「ということは、クレア様は平等という概念も?」

「綺麗事に過ぎませんわね」


 わたくしはシチューを一口食べてから続けました。


「もちろん、貧富の格差は小さいに越したことはありませんし、それを目指すのが良き為政者でしょうけれど、理想は理想ですわ」

「クレア様」

「なんですの、レーネ?」

「……ミリア様が仰っていたことを、覚えていらっしゃいますか?」

「お母様が?」


 お母様が平民運動について言及したことなどあったかしら。


「何の話ですの?」

「理想と現実について、です」

「!」


 レーネに言われて、ふと蘇ってくる言葉がありました。


『いいですか、クレア? 貴族たる者、理想を諦め現実に甘んじるようではいけませんよ? フランソワ家の者であるならば、常に理想を掲げて自らそれを実践して行きなさい』


 ずっと昔、お母様がまだ生きていらした頃に、よく言って聞かせてくれた言葉です。

 わたくしはいつの間にかそれを忘れてしまっていたことに気がつきました。


「レーネ、何が言いたいんですの?」

「……いいえ、何もありません。クレア様」


 そうやって少し目を伏せると、レーネは牛丼を食べ終えました。


「先に部屋に戻っておやすみの支度を済ませておきますね。ミシャ様、ごきげんよう。クレア様とレイちゃんはまた後でね」


 そう言うと、食器を下げに行ってしまいました。

 わたくしは何かレーネに責められたようで、とても居心地が悪くなりました。


「心配ありませんよ、クレア様」


 そんなわたくしに声を掛けたのは、平民でした。

 彼女は牛丼を頬張りながら、お行儀悪く続けます。


「レーネはクレア様のことを非難してるんじゃありません。むしろ期待してるんです」

「期待ですって? 一体何を?」

「今の状況を、クレア様なら変えてくれるんじゃないかって」


 わたくしは平民の言うことがよく分かりませんでした。

 いえ、彼女の言うことはいつも分かりにくいですが、今回は特別です。


「わたくしに何をしろと言うんですのよ?」

「それはクレア様が考えなきゃダメですよ」

「……前にもこんなやり取りありましたわね?」

「そうでしたっけ?」


 平民にとぼけられてしまったので、わたくしは黙る他ありません。


 レーネがわたくしに期待していること?

 今の状況を変える?

 そもそも今の状況って一体何のことですの?


 この時、レーネやミシャ、そして平民が抱えていた問題意識をわたくしが共有するのは、もっとずっと後になってのことでした。

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