第3章 わたくしと弁えた平民
第24話 貴族と平民
「……」
「~♪」
夜の自室で私は今日あったことを振り返っていました。
部屋の中は静かで、リコリスの飴を口に含みながらカトリーヌが口ずさむ鼻歌だけが流れていました。
「ねぇ、カトリーヌ」
「なあにー、クレアちゃん?」
「あなた、平民運動についてどう考えまして?」
「平民運動ー?」
上のベッドでカトリーヌが動く気配がしました。
すぐ後に、いつものようにカトリーヌが逆さまにわたくしを覗き込んできます。
「どうしたのー、突然?」
「今日、平民運動の活動家を学院内で見かけましたのよ。あんまりにも目障りだったので、わたくしついレーネに当たってしまって」
「ああ、そういうことかー」
平民運動とは貴族と平民の平等を唱える運動のことです。
貴族と平民では課された義務も、積み上げてきた歴史も、持てる富も違うというのに、彼らは貴族と同等になりたいと主張します。
「詳しく聞かせてくれるー?」
「ええ」
わたくしは今日あったことをカトリーヌに話しました。
平民運動の活動家たちを見かけたこと、平民が彼らに声を掛けられたこと、それをランバートが取りなしたこと、レーネが平民運動を支持するような発言をしたこと、わたくしがそれを咎めたことも。
「うーん、難しいねー」
「何も難しいことはありませんわ。貴族と平民が同等になるだなんて、あり得ませんもの」
そんなことをすれば社会秩序などあっという間に崩壊してしまうでしょう。
平民たちは字も読めないような者が大多数です。
仮にそんな者たちが貴族と同等の権利を持つようになったら、政治や社会秩序など立ちゆかなくなるでしょう。
わたくしはそんな暴論など妄想に過ぎないと感じていました。
でも、だから、レーネがそんな者たちのことを擁護するような発言をした時、わたくしは反射的に彼女を咎めてしまいました。
彼女が平民運動の主張に染まっているとは思いませんが、彼女とて平民の一人。
妄想に過ぎないとしても、今より生活が良くなると言われれば、その主張に何かしら思うところがあるのかもしれません。
わたくしは心配なのです。
今はまだそうでなくとも、将来レーネが平民運動に加担するようなことがあるのではないか、と。
「まずさー、平民たちはどうして貴族と平等になりたいんだと思うー?」
カトリーヌはいつもの通りののんびりした口調で、そんな問いを発しました。
「そんなのお金が欲しいだけじゃありませんの? わたくしたちの生活が羨ましいのでしょう。その裏にある厳しい礼節や慣習、義務も知らないくせに」
確かに貴族は平民よりも裕福ではあるでしょう。
恵まれた教育も受けられるでしょう。
ですが、そうであることにはちゃんと理由があります。
貴族はいざ他国と戦争になった時、兵を率いてこれと戦う義務があります。
また、平時においても領土を治め、民たちが暮らしていけるように管理しなければなりません。
そのためには高度な知識、教養、判断、財力、軍備が必要です。
貴族が貴族たるのは、相応の根拠があるのです。
気楽に日々を送っている平民とは違うのです。
「うん、クレアちゃんが言うことも一理あると思うよー。でもさー、クレアちゃんも平民たちのこと、あんまり知らないんじゃなーい?」
逆さまになったまま、カトリーヌは器用に首を傾げました。
「そんなことありませんわ。わたくしの周りには貴族以外の者もいますもの。レーネにあの平民だってそうですわ。大体、平民の生活については、学院の講義でも散々学ぶじゃありませんのよ」
平民のことを知らずに、領地経営など出来るわけがありません。
平民たちは怠惰で、私利私欲に駆られがちで、非理性的な存在だと学院では習います。
「うーん……。それはだいぶ偏ってると思うよー?」
「どこがですのよ」
カトリーヌに反論され、わたくしは少しムッとしました。
レーネだけでなく、カトリーヌまで平民の肩を持つのかと思ったのです。
「まずさ、クレアちゃんの周りにいる平民って、すごーく特殊なんだよ。レーネちゃんにしても、レイちゃんにしても」
「どこがですの?」
「レーネちゃんは大富豪の一人娘だしー、レイちゃんにしたって学院に入学を許されるほどの才媛じゃなーい。彼女たちを一般的な平民の例として捉えるのは無理があると思うなー」
「む……」
カトリーヌの言い分には一理ある、とわたくしは思いました。
レーネの実家はオルソー商会。
バウアーの魔法石採掘を一手に担う大商会で、その財力は下手な貴族を凌駕します。
あの困った平民にしても、普段の迷惑極まりない言動は別にせよ、実力テストでわたくしを負かすほどの教養を持ち、平民らしからぬ礼儀作法を身につけ、魔法に至っては世界レベルの使い手です。
平民のサンプルとして彼女たちを挙げるのは、確かに無理があります。
「それに、学院で教えられる平民像もだいぶ脚色されてるよー? あれは為政者・治世者としての貴族や官僚として上に立つエリートの平民が想定する、治められる側としての平民像だからー」
カトリーヌによれば、平民を必要以上に怠惰・貪欲、本能的であると仮定することで、治める側が最悪の事態を想定しやすいからそうなっているのだ、ということでした。
実際の平民の全てがそんな傾向を持ち合わせているわけではない、と彼女は言います。
「……随分、平民について詳しいんですのね?」
「そりゃあ、まーねー。お母様は平民だったし、ウチも少しの間は平民として暮らしてたこともあるからねー」
「あ……」
そうでした。
カトリーヌはアシャール家に籍があるものの、妾腹として冷遇されています。
ですが、たとえ妾腹でも貴族の母親だったならば、それ相応の待遇が約束されるものなのです。
カトリーヌの置かれている苦境は、彼女の母が平民であったことに由来します。
カトリーヌは生まれたときから貴族籍があったわけではありません。
平民として生まれ、政争の道具としてクレマン様が手元に呼び寄せたのでした。
「……わたくし、知らないうちにあなたを傷つけていて、カトリーヌ?」
「ううん、そんなことないよー。ウチももうすっかり貴族としての生活に慣れちゃってるし、今では元々平民だったことを意識することもほとんどないからねー」
「そう……。ならいいのですけれど」
「でも――」
そこでカトリーヌは少し間を置きました。
わたくしの目をじっと見つめてきます。
「でも?」
「でも、クレアちゃんには平民のことをもっと知って欲しいとは思うかなー」
「どうしてですの?」
「クレアちゃんはいずれこの国の財政を預かる人の奥さんになるワケでしょー? そうなった時に、旦那さんが平民に無体を働かないよーに、平民のことも考えられる人であって欲しいからー」
そう言って、カトリーヌはにっこりと笑いました。
「わたくしは財務大臣の妻として必要な教育は受けていますわ」
「うん、そうだろうねー。でもさ、いい機会だから、もうちょっと平民のことを知ろうとしてみてよ。きっとクレアちゃんのためになると思うー」
「……そうかしら……」
わたくしはあまり気が乗りませんでした。
「まあ、クレアちゃん次第だけどねー。ウチはそう思うってことだけ覚えて置いてよー」
「分かりましたわ。突然、変な話を振って申し訳ありませんでしたわ」
「全然」
そう言うと、カトリーヌは頭を引っ込めました。
と、思いきや、再びひょこりと顔を出します。
「そうそう」
「どうしましたの?」
「もしも自分が平民になったら、って考えてみるといいかもー」
「わたくしが平民に……?」
「うん」
このわたくしが?
「そんなことはあり得ませんわ」
「だから、もしもの話ー。想像力の訓練だと思ってやってみてー?」
「……考えておきますわ」
「うん。おやすみー」
「おやすみなさいませ」
カトリーヌは今度こそ自分のベッドに戻っていきました。
わたくしは、彼女に言われたことを反芻します。
「わたくしが……平民に……?」
それはあまりにも現実感がなく、どれほど想像力を働かせても、わたくしにはまるで実感を得られないのでした。
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