第23話 エスコート

「……」


 キャバリアーでの接客を終え、わたくしは隣の控え室にやって来ました。

 フランソワ家の一人娘たるこのわたくしが接客などという下々の仕事をさせられて、疲れないはずがありません。

 王子様方が不平不満を何一つ仰らない手前黙っていますが、本来であれば絶対にやりたくない仕事です。

 出来ないと思われるのは癪なので完璧にこなしてやりましたけれど、中には調子にのって口説いてくる者もいてうんざりとした気分でした。


「……げ」


 その気分に拍車をかけるように、控え室では平民が着替えていました。

 わたくしは気付かれないうちに回れ右しようとも思いましたが、生憎、向こうは先に気がついていたようです。


「お疲れ様です。クレア様も休憩ですか?」

「そうですわ。まったく、どうしてこのわたくしが接客などという低俗なことをしなければなりませんの」


 何も会話をしないのも不自然と思い、適当に話を合わせながら着替えます。

 この執事服は機能性重視らしく、レーネの手伝いなしでもわたくし一人で着替えられるようになっていました。

 わたくしももちろん一人で着替えるつもりでしたが、平民は自分の着替えもそこそこに、わたくしに着替えの手伝いを申し出てきました。

 ふん、少しは使えるようになりましたわね?


「でも、クレア様、接客上手ですね。意外です」

「上っ面を取り繕うのは慣れていますもの。わたくしが財務大臣の娘だということを忘れてなくって?」


 先ほど、平民は他国の王族に難癖をつけられていました。

 他の客にも影響が出そうだったことと、平民の対応があまりにもあまりだったので、思わず助け船を出してしまいました。

 あの手の相手はまともに相手をするだけ無駄ですわ。

 下手に出るフリをして、相手をこちらの思うように手のひらで転がす。

 そういった手練手管も、社交界ではしばしば求められる芸当です。


「でも、私は普段の素直なクレア様が好きですよ」

「……わたくしのどこが素直ですのよ。おべんちゃらはよして。自分の困った性格くらい把握してますわ」


 わたくしは自分のことをよく分かっています。

 素直というのはわたくしからほど遠い単語ですわ。

 わたくしを目の前にしてそう言う者はほとんどいませんが、わたくしに対する評価のほとんどはワガママな公爵令嬢というものでしょう。

 だって事実ですもの。

 わたくしはわたくしのしたいようにするだけ。

 ワガママであることを、決して素直とは言いませんわ。


「確かにクレア様は扱いやすい性格ではないと思いますが、そんなの多かれ少なかれ誰だってそうでしょう?」

「……自分を特別だと思うなと言いたいんですの?」

「そうではありません。ただ、ご自分を卑下されるのを見ているのは悲しいです」

「卑下なんて、別に……」


 平民の言葉を否定しようとして、先ほどの自分の発言を振り返りました。

 まるで相手に否定して欲しいかのような、甘ったれた自己否定。

 フランソワ家の者にあるまじき醜態ですわ。


「はぁ……。きっと慣れないことをして疲れているのですわね。平民なんかにこんなことをこぼすなんて」

「私は嬉しいです。弱ったところを見せて頂けるのですから。つけ込んでいいですか?」


 平民はそんなわたくしの気持ちには気がつかなかったフリをしました。

 この者は妙なところで引き際を心得ています。

 相手が本当に嫌なことはしない、というのかしら。

 心の距離感の取り方が、わたくしには真似できないほど上手いと思います。


 普段の強引さは辟易しますけれど。


 ふむ、そうですわね。

 こんな平民でも、わたくしの気まぐれに付き合わせるには丁度いいかしら。


「バカを仰い。ほら、待っていてあげますから、さっさと着替えなさい」

「は?」

「何を鳩が豆鉄砲食らったような顔してますの。私の気晴らしに付き合いなさい、と言ってるんですのよ」


 わたくしが目を逸らしつつそう言うと、平民は信じられないことを聞いたとばかりに目を見開きました。

 なんですのよ、その顔は。


「クレア様」

「な、何ですの?」

「私のこの格好、どう思います?」


 言われて、改めて平民の格好を見ます。

 彼女は先ほどまでのわたくしと同じく、執事服に身を包んでいました。

 しかし、その着こなし具合はわたくしとは天と地ほどの差があります。

 わたくしは服に着られているようでしたが、平民は完全に執事そのものになりきっていました。

 実に様になっています。


 しかし、そう素直に言うのは悔しいので、


「言ったじゃないですの。平民らしく、給仕服が馴染みますわね、と」

「つまり、似合ってはいるんですね」

「だから何ですの!」


 誤魔化し誤魔化し言うわたくしに、ここぞとばかりに平民が畳みかけてきます。

 まったく。


 わたくしがぷりぷり怒っていると、平民は白手袋をはめた手をすっと差し出して来ました。


「短い間ですが、エスコートさせて頂きます」


 わたくしの目をじっと見つめながらそう言う平民は、ほんの少し格好良かったのです。

 い、いいえ!

 気の迷いですわ!


◆◇◆◇◆


「どこへ入りましょうか?」

「飲食系はイヤですわよ? どうせどこも粗末なものしか出てこないに決まっているのですから」

「学院祭なんてそんなものでは?」

「わたくし、体に入れるものは選ぶ主義ですの」


 平民とぞんざいに会話をしつつ、学院内の廊下を歩きます。

 創立記念祭は平民にも門戸が開かれているので、学院内には珍しく平民の姿も多く見られました。

 わたくしは平民たちがあまり好きではないので苦々しく思いましたが、これは学院の伝統なので文句は言えません。


「じゃあ、ここにしましょう」

「何ですのここは?」


 平民が指さした先の教室は、何やらおどろおどろしげな装飾がなされていました。

 わたくしは嫌な予感がしました。


「お化け屋敷です」

「絶対にごめんですわ!」


 わたくしが逃げだそうとすると、手を引かれてすぐに捕獲されてしまいました。

 その時になって初めて、わたくしは平民と手を繋いでいたことに気がつきました。

 なんという迂闊!


「あれ、クレア様ってば、お化けなんかが怖いんですか?」

「そ、そんなことありませんわ! ただわたくしはお化けなんていう子どもだましに付き合いきれないだけで――!」

「はいはい。すみませーん。学院生二人お願いしまーす」


 わたくしの抗議を聞き流して、平民はさっさと手続きをしてしまいました。

 これではもう入るしかありません。


「クレア様」

「な、なんですの……?」

「怖かったら抱きついてくれていいんですよ?」

「バカを言うんじゃないで……きゃー!?」


 ゾンビのような何かに脅かされ、わたくしは思わず平民にすがりついてしまいました。

 後で覚えていなさいよ、平民!


◆◇◆◇◆


「酷い目に遭いましたわ……」

「かわいいクレア様を堪能させて頂きました」


 お化け屋敷を出たわたくしたちは、中庭の休憩場へやってきました。

 散々驚かされたわたくしは、疲労困憊です。

 色とりどりの春の花が咲く花壇も、わたくしには目に入らないのでした。


「一息入れましょう。何か飲み物を買って参ります」

「おかしなものを買ってくるんじゃないですわよ? 水でいいですからね?」

「善処します」


 釘を刺すと平民はその場を離れ、ものの数分もしないうちに戻って来ました。

 手には果実水の入ったコップを二つ持っています。


「遅いですわよ」

「失礼しました。お水をどうぞ」


 実際にはそれほど待ってもいないのに、わたくしはそんな憎まれ口を叩きます。

 平民は気にする風でもなく、ごく自然な仕草でわたくしにコップを渡してきました。

 一口くちに含むと、柑橘系のほのかな香りが口に広がりました。

 爽やかな香りに、気分がリフレッシュされるのが分かります。 


「クレア様、これを。つまらないものですが」

「これは……?」


 平民が続けて手渡してきたのは、アミュレットでした。

 銀細工の中心に魔法石がはめ込んであります。

 教会の品なのでしょう。

 いわゆる護符のようなもので、謳われている効能は――。


「……恋愛成就?」

「セイン様とうまく行くといいですね」


 そう言って、平民はにこやかに微笑みました。

 わたくしは、釈然としない気持ちになりました。


「あなたは本当に変な人ですわね」

「どうしてですか?」

「からかってるだけって分かっていますけれど、それでもあなたは一応、わたくしのことが好きだと公言しているわけでしょう?」

「本気なんですけどね」

「黙らっしゃい。それなのに、私とセイン様の恋を応援するなんて、おかしいじゃないですの」


 わたくしは手渡されたアミュレットの鎖をなんとなく弄りながら、平民に疑問を投げかけました。

 今になっても、わたくしは彼女の真意が分かりません。

 彼女が本当に――真にわたくしを欲しいと言うのなら、セイン様との恋を応援するような真似は出来ないはずでしょう。


「私は、自分の恋が叶うことよりも、クレア様に幸せになって欲しいんですよ」

「偽善者っぽい発言ですわね」

「まあ、そう思われるのも無理もないですね。でも、紛れもない本心です」


 苦笑しながら、平民はそれでもそう言い切りました。

 それを聞いて、わたくしはずっと聞きたかったことを切り出しました。


「……あなたはどうしてそこまで私に入れ込むんですの?」


 平民は初対面の時からわたくしに好意を示してきました。

 最初はただのおべんちゃらか冗談かと思いましたが、それならメイドにまでなろうとするのは明らかにやり過ぎです。

 この平民には平民なりの、行動原理があるはず。

 偽りの好意に慣れきっているわたくしは、だからこそこの平民の好意を測りかねていたのです。 


 そこに、ほんの少しの期待がなかったとは言いません。

 でも、彼女の答えは――。


「あなたに、心を救われたからです」


 そんな、どう考えても嘘としか思えない答えでした。

 だってそうでしょう。

 平民とは学院高等部の入学式が初対面。

 それ以前に彼女と接点など何もないのですから。


「またからかってるんですのね。わたくしがあなたを救った? バカバカしい」


 わたくしは内心の失望を押し隠しつつ、平民を鼻で笑いました。

 その時、平民は一瞬、何故かとても残念そうな表情をしました。

 本当に一瞬だったので、わたくしは見間違えたかと思いました。


「じゃあ、今救って下さい。具体的にはハグとかキスとかで」


 ……やはり見間違えだったようですわね。

 平民はいつもの平民ですわ。


「バカなことを言ってるんじゃないですわよ。そろそろ休憩時間も終わりますわね。戻りましょう」

「はあい」


 間の抜けた返事をして、平民はまた手を差し出して来ました。

 エスコートのつもりなのでしょう。

 でも、わたくしはもうその手を取る気にはなりませんでした。


「紳士ごっこはおしまいですわ。わたくしはわたくし、あなたはあなた。貴族と平民でそれ以上でもそれ以下でもないのですから」

「残念です。クレア様の手を握る大義名分が失われてしまいました」

「あなたは本当に……」


 いつもふざけてばかりで。

 本心を見せてはくれない。

 そんな相手をどう信じろと言うんですの?


 わたくしはさっさと先に歩き出しながら、それでも――。


 プレゼントされたアミュレットを手放すことは出来なかったのでした。

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