第22話 記念コンサート

 バウアー王立学院には敷地外に専用のコンサートホールがあります。


「うわぁー……。初めて来たけど、凄いとこだね」


 わたくしのすぐ隣、車椅子に乗ったカトリーヌが感嘆の声を上げました。

 無理からぬ事でしょう。


 今日はいよいよ創立記念祭の当日です。

 学院内で様々な催しがある一方、学院に隣接するこのコンサートホールでは記念コンサートが開かれます。

 わたくしはキャバリアーの給仕のシフトをやりくりして時間を捻出すると、カトリーヌと供にやって来たのでした。


 コンサートホールは小中大ホール合わせて五つのホールがあり、総敷地面積は学院そのものの四分の一ほどにもなります。

 王立の施設らしく、調度品の数々も優れたものばかり。

 数十年ごとに建て替えられているため、その歴史の古さに反して受ける印象は新しく感じます。


 カトリーヌとわたくしは優美なレリーフで彩られたエントランスを抜けると、大ホールへの廊下を進みました。


「これだけのコンサートホールは世界中を見渡してもなかなかないと思いますわ。ナー帝国の帝立劇場、スースの王国オペラ座にも勝るとも劣りませんわ」

「見れば納得だよー。内装だって王宮並みじゃなーい、これ?」


 カトリーヌは物珍しげにキョロキョロしています。

 家柄こそ一流の彼女ですが、前述の通りクレマン様が冷遇しているせいで、彼女には社交の経験がほとんどありません。

 貴族なら当然経験しているべき音楽会への出席なども、彼女には縁遠い話なのでした。


 デートの約束を取り付ける際、わたくしはロレッタの大切な演奏を一人で聴く自信がないから、と説明しましたが、実は理由はそれだけではありません。

 カトリーヌをあの狭い寮の部屋から連れ出して上げたかったのです。

 他の貴族たちが自由を謳歌している間も、カトリーヌはあの部屋で一人きり。

 たまに出かけることもあるらしいと聞いてはいるものの、彼女の足では行動範囲は非常に限られます。

 まして、クレマン様があの態度では、他の貴族たちと繋がりを持てるはずもありませんでした。


「来て良かったでしょう、カトリーヌ?」

「うん、ありがとう、クレアちゃん」


 わたくしが笑いかけると、カトリーヌも笑い返してくれました。

 誘ってみて本当に良かった、とわたくしは思いました。


 しかし――。


「お嬢様方、あまりはしゃぎ過ぎませぬよう。旦那様からあまり目立つ振る舞いは避けるように仰せつかっております」


 そんなわたくしの気分に水を差したのは、背の高い黒目黒髪の年配の女性でした。

 黒髪を引っ詰めたどこか冷たい感じのするその女性は、カトリーヌのメイドです。


「ごめーん、エマ。でも、エマも少し気分が高揚しないー? こんなに素敵な建物に入るなんて」

「特には。そんなことよりも、わたくしはお嬢様が悪目立ちしていることの方が心配でございます」


 ぴくりとも表情を変えず言ったエマの視線の先は、カトリーヌの車椅子でした。

 彼女の指摘は実はもっともではあります。

 宙に浮く椅子に座って移動するカトリーヌは、先ほどから注目の的となっていました。

 わたくしという存在に遠慮しているのか、無遠慮にしげしげ見つめてくる者こそいないものの、横目でちらちらとこちらをうかがう者は両手でも足りないほどでした。


「そんなこと言わないでー、エマ。これは折角クレアちゃんがウチのために作ってくれたものなんだからー」

「それについても、一言ご相談を頂きたかったです。こんなものを勝手に頂いたと旦那様に知れたら……」


 額に皺をつくり、はあ、と大きく溜め息をつくエマ。

 カトリーヌの使用人でありながら、まるでクレマン様の意向の方が大事だと言わんばかりの態度です。


「あなた……エマと言いましたわね?」

「はい、クレア様」

「あなたはカトリーヌの使用人でしょう。クレマン様は確かに雇い主かもしれませんけれど、仕える相手はカトリーヌではありませんの?」


 わたくしは立ち止まると、エマに問いました。

 レーネだって直接の雇い主はお父様ですが、わたくしが何か悪さをしても、それを告げ口するような真似はほとんどしたことがありません。

 彼女はいつもわたくしに忠誠を誓ってくれています。

 なのに、この女ときたら!


「クレアちゃん、いいの。やめて」

「よくありませんわ」

「ご気分を害したようでしたら申し訳ございません。ですが、これは当家の問題。クレア様がいかにフランソワ家のご令嬢であろうと、口を挟まれることはお控え下さい」

「……なんですって?」


 エマは一瞬不愉快そうな表情を浮かべると、あろうことかこのわたくしに向かってそんな口を叩きました。


「この――」

「エマ、黙って。これは命令だよ。クレアちゃんもお願い。ウチ、こんな素敵な日を、台無しにしたくない」

「カトリーヌ……」


 それは懇願でした。

 表情こそいつも通りの柔和な笑顔でしたが、カトリーヌが必死であることがわたくしには分かりました。

 エマにはまだ言ってやりたいことが山ほどありましたが、カトリーヌを困らせることが目的ではありません。

 わたくしは仕方なく口をつぐみました。


「ありがとう、クレアちゃん」

「……行きましょう。そろそろ始まりますわ」


 わたくしは憮然とした表情のまま、また歩き出しました。

 使用人ですらカトリーヌの味方をしてくれないなんて。

 せめてエマがレーネのような人だったら、カトリーヌが孤独にならずに済むのに、とわたくしはとても残念に思いました。


 ◆◇◆◇◆


「出て来ましたわ」

「いよいよだねー」


 大ホールの特等席に腰掛けて、今か今かとロレッタの出番を待っていたわたくしたちは、ようやく巡ってきた彼女の出番に少し浮き立ちます。

 エマのせいで台無しになりかかっていた雰囲気も、コンサートに参加している素晴らしいアーティストたちの演奏ですっかり浄化されていました。


 純白のステージドレスに身を包んだロレッタは舞台袖から中央に歩いて行き、優雅に一礼するとピアノに座って椅子の高さを調整しました。


「ロレッタちゃん、緊張しているみたいだねー」

「無理もありませんわ。彼女の人生がかかっていますもの」


 この演奏が成功して秋の音楽会への招待状を得られればそれでよしですが、得られなければ彼女はもう音楽の道を諦めざるを得ません。

 緊張するなという方が無理ですわ。


(ロレッタ……頑張って……!)


 わたくしが祈るような気持ちでいると、ロレッタは大きく深呼吸してから指を走らせました。


「亡き巨匠の個展、ですわね」

「うん」


 ロレッタがこの演奏会に選んだ曲は、北方の大国が生んだ偉大な作曲家メタレゲセクーの名曲「亡き巨匠の個展」でした。

 前奏曲と五つの間奏曲の間に十の曲が並ぶ大曲で、ピアノ曲としてだけでなく編曲されてオーケストラで演奏されることも多いものです。

 覚えやすいメロディーと変幻自在な緩急から大変聴き応えのある曲ですが、弾きこなすには非常に高度な技術が必要な曲でもあります。


「……」


 直前まで緊張で強ばっていたロレッタですが、弾き始めるとその表情は徐々に柔らかいものに変わっていきました。

 それは油断でも弛緩でもありません。


「ロレッタちゃん、気持ちよさそうに弾くねー」

「ええ」


 彼女が浮かべる表情は――恍惚。

 ピアノを弾くことが、音を生み出し音と戯れることが楽しくて気持ちよくて仕方がない、といったような、そんな表情でした。

 鍵盤を縦横無尽に走り回る指先から紡ぎ出される調べは、聴覚を越えて視覚にまで訴えかけ、かのメタレゲセクーが見たという十枚の絵画たちを幻視させるほどでした。

 この日、コンサートを聴きに来ていたある評論家は、この日のロレッタの演奏をこう評します。

 ロレッタ=クグレットは虹色のパレットを持つピアニストだ、と。


「凄いねー……」

「ええ、見事ですわ」


 知らず、わたくしは涙を浮かべていました。

 ロレッタが自らの力で道を切り開いていくのが、よく分かったからです。

 クグレット家は武門の家系。

 普通なら他家に嫁ぐことを望まれる女性である彼女に期待されたことは、別のことでした。


 すなわち、バウアー初の女性軍人になることです。


 昔であれば不可能であったはずのそれは、魔法という技術の発見によって不可能ではなくなりました。

 クグレット家は早くから魔法の導入に成功していたこともあり、数代前から女性の軍人を輩出することを目指すようになっていたのです。

 そのためロレッタは幼い頃から軍事的な訓練を叩き込まれてきました。

 本人もそのことに疑問を持ってはいませんでした。


 ピアノと出会うまでは。


 クグレット伯爵はあまり教養を重視しませんでしたが、それでも貴族です。

 最低限の教養を、と連れられて行ったコンサートで出会ったピアノという楽器に、初等部に上がったばかりのロレッタは魅了されました。

 しかし、ピアノを習いたいという彼女の願いが叶うのはずっと後のこと――彼女が中等部に上がってからです。

 最初は他の貴族たちより遙かに下手だったロレッタですが、カトリーヌの母、キャロル様の指導でめきめき上達し、今や同世代でも一二を争うピアニストとなりました。


 今日の演奏を聴いてわたくしは確信します。

 彼女のピアニストとしての歩みは、まだまだ終わりはしません。


 そして、それを裏付けるように、数日後、ロレッタの元には秋の演奏会への招待状が届くのでした。


 ◆◇◆◇◆


「凄かったー……」

「ええ、本当に」


 ホールを出たカトリーヌとわたくしは、半ば放心状態でした。

 それほどまでに、ロレッタの演奏は凄かったのです。


「ロレッタちゃん、頑張ったねー」

「尊敬に値しますわ」


 ここまでの演奏が出来るようになったからには、彼女にはピアニストとしての才能があったのでしょう。

 ですが、これまでの彼女の努力を知っているわたくしは、それを才能の一言で片付けることなど到底出来ません。


「どうかしら、カトリーヌ。この後、少しお茶でも飲んで、感想を語り合うというのは?」

「あ、いいn――」

「なりません」


 喜んで頷こうとしてくれたカトリーヌを遮ったのはエマでした。


「エマ……」

「本日の外出の目的は達しました。速やかにお部屋にお戻り下さい」

「ちょっと。あなた、差し出がましいですわよ? 主人が望むのならそれを叶えるのが使用人の役目――」

「いいの、クレアちゃん」


 折角のいい気分を台無しにされてわたくしが抗議しようとすると、それをカトリーヌが押しとどめました。


「あんなに素敵な演奏を聴けたんだものー。ウチはもう十分だよ-。怒ってくれてありがとうねー、クレアちゃん。でも、ウチは大丈夫だからー」

「でも!」

「クレアちゃんはロレッタちゃんに会いに行くでしょー? ウチは先に部屋に戻ってるよー。行こう、エマ」

「はい。それではごきげんよう、クレア様」

「カトリーヌ……」


 足早にこの場を後にするカトリーヌの後ろ姿を、わたくしはただ見送ることしか出来ませんでした。

 公爵令嬢ともてはやされても、わたくしは親友の自由一つどうこうすることも出来ないのです。


 でも――。


「……わたくし、諦めませんわよ」


 わたくしは、クレア=フランソワ。

 泣き寝入りなんて、まっぴらごめんなのですわ。

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