第21話 デートの約束

 夜の自室。

 わたくしは上のベッドのカトリーヌと会話をしていました。

 創立記念祭を明日に控え、わたくしは少し興奮して眠れなかったのです。


 ふと、会話が途切れました。

 学院はもうすっかり寝静まっているようで、部屋にはカトリーヌが飴を口の中で転がす音だけが響いていました。


「ねぇ、カトリーヌ。一つお願いが――」

「やだー」

「……まだ何も言ってませんでしょう」


 わたくしが話を切り出したのは、そんな時でした。

 しかし、カトリーヌにすげなく断られます。


「だって、クレアちゃんが折り入ってウチにお願いするなんて、絶対面倒事に決まってるもん」

「そんな大層なことじゃありませんわ。本当にちょっとしたお願い事なんですのよ」

「……怪しー……」


 上のベッドでのそりと動く気配がしました。

 カトリーヌは逆さまになってこちらをのぞき込んで来ました。


「まー、他ならぬクレアちゃんの頼みなら、聞くだけ聞いて上げないことはないけどー」

「さすがカトリーヌですわ。えっとですわね、明日開かれる記念祭のコンサートに一緒に行って欲しいんですのよ」

「却下ー」

「ちょっとカトリーヌ!」


 カトリーヌは首を引っ込めて寝る体勢に入ったようでした。

 わたくしは身体を起こすと二段ベッドのはしごを登って、カトリーヌに呼びかけました。


「明日のコンサートは大事なものなんですのよ。ロレッタが秋の音楽祭に呼ばれるかどうかが賭かっていますの!」

「それは確かに大事なコンサートだろうけどー、どうしてウチが行く必要があるのさー?」

「だって、そんな大事なコンサート、一人じゃ怖くて聴きに行けませんもの……」


 ロレッタは本番に強いタイプですが、それでもミスというのは起こりえるものです。

 彼女は明日のコンサートで秋のコンサートへの招待状を獲得できなければ、そのまま花嫁修業に入ると言っています。

 クリストフ様はそんな約束をしたつもりはないでしょうが、ロレッタの性格を考えると彼女は約束を履行しようとするでしょう。

 わたくしはそもそも結婚に賛成な立場ですが、ロレッタがあまり気乗りしていないことは分かります。

 そうであるなら、彼女が納得いくまで音楽の道を究めて欲しいとも思います。


「ウチ以外にも誘える人はいるでしょー? レーネちゃんはー?」

「レーネはキャバリアーの監修で一日身動きが取れませんわ」

「ならあの平民ちゃんはー?」

「あの者はロレッタの出番とキャバリアーのシフトが被っていますのよ。そもそも、あの者とでは心の平穏とはほど遠いコンサートになってしまいますわ!」

「わがままだなー」


 え、わたくしが悪いんですの、これ?


「なら、セイン様を誘ってみたらー?」

「……え?」

「コンサート鑑賞なんて、王族貴族の理想的なデートコースじゃないのさー」

「ば、ばばばバカおっしゃい! セイン様がわたくしなんかに付き合って下さるわけないでしょう!」


 などと否定しつつも、わたくしの邪な心は余計な想像力を働かせるのでした。


『……素晴らしいな』

『ええ、ロレッタの演奏は本当に素晴らしいですわ』

『……違う』

『え?』

『……俺が言っているのは、お前のことだ、クレア』

『せ、セイン様……?』

『……この美しい旋律も、お前の声には適わない』

『そんな……ご冗談を……』

『……俺が冗談を言うタイプに見えるか?』

『……』

『……俺を見ろ、クレア』

『セイン様……』


 そして二人の顔が近づいて――。


「現実を見よー?」

「うきゃあ!?」


 妄想がとんでもないことになる直前で、わたくしはカトリーヌの声に我に返りました。


「と、とにかく、セイン様はナシ、ナシですわ!」

「わがままだなー」


 だからわたくしが悪いんですの!?


「じゃあ、ピピちゃんはー?」

「ピピはクラスの出し物があるとかで、無理だそうですわ」

「ドル様ー」

「お父様はお仕事ですわよ」

「うーむー」


 カトリーヌは考え込んでしまいました。


「クレアちゃん」

「なんですの?」

「クレアちゃんって、友だちいないの?」

「ば、バカ言うんじゃありませんわよ!? わたくしの趣味は社交ですわよ!? 友人なんて星の数ほどいますわ!」

「その割に、こういう重要なイベントをご一緒してくれる友だち少なくなーい?」

「ぐっ……!」


 図星なだけに言い返すことも出来ません。


「というか、ウチの足これだよー? 移動に難がありすぎるよー」

「ああ、それについてはご心配なく、ですわ」

「?」

「平民が面白いアイデアをくれましたの。ちょっと待ってて下さいまし」


 わたくしは部屋の隅に畳んでおいたそれを広げると、それを押してベッドに戻りました。


「な、何それー?」

「車椅子、というものらしいですわ。杖を突いて歩くよりも、随分早く移動できるそうですわよ?」


 わたくしがカトリーヌの足の事に言及したとき、平民が提案してきたのがこの車椅子です。

 無論、平民が作ったわけではなく、彼女からのアイデアとコンセプトを貰い鍛冶職人に伝えて特注で作らせたものです。


「本来は車輪で移動するものらしいのですけれど、ランバートのアイデアで風属性の魔法石がはめ込んであります。つまり、地面から少し浮いているわけですわね」


 車輪だと階段などが大変ですが、これなら多少の段差はものともしません。

 もちろん、崖などは登れませんが。

 魔力が尽きた時に動けなくならないように、車輪も併用しているのがポイントです。


 この部分を考えてくれたのはランバートです。

 どうもこういうことを考えるのは好きらしく、ノリノリで設計に参加してくれました。

 彼によると、足腰の悪くなった老齢の貴族たちにも需要がありそうだとか。


「……」

「どうかしら、カトリーヌ。一緒に来ては下さらない?」


 カトリーヌの目は珍しくいつもの眠そうな糸目ではなく、大きく驚きに見開かれていました。

 その視線は車椅子に注がれています。


「……は」

「?」

「あはは……はははっ……!」

「カトリーヌ?」


 カトリーヌは笑っていました。

 普段から朗らかな娘なので笑顔を目にすることは多いですが、この時の彼女は本当に心の底からおかしいといった感じで笑っていました。


「ど、どうしましたのよ?」

「クレアちゃん……バカじゃないの……?」

「な!? バカとは何ですの、バカとは!」


 わたくしは憤慨しかけましたが、カトリーヌの続く言葉に声を失いました。


「だって……こんなウチに……壊れたおもちゃみたいなウチに……ここまでしてくれるなんて……」

「カトリーヌ……」


 カトリーヌの目には涙が浮かんでいました。

 彼女が置かれてきた境遇がしのばれるというものです。

 まっったく、あのクレマンという男は……!


「いいよー」

「……え?」

「明日のコンサート、行ってもいいよー。ううん、ぜひご一緒させて下さいなー」

「カトリーヌ!」


 彼女の返事に、わたくしは嬉しくなってベッドを駆け上がると、彼女の身体を抱きしめました。


「クレアちゃん、痛い痛いー」

「ああ、ごめんなさい。でも、ありがとうございますわ、カトリーヌ」

「こちらこそ、だよー。ああ、この車椅子のお金――」

「そんなの気にする必要ありませんわ。わたくしにとってははした金ですもの」

「でも――」

「わたくしたちの友情の印に、受け取ってちょうだい?」

「……クレアちゃんには敵わないやー」

「くすくす」


 こうしてコンサートに一緒に行く約束を取り付けたわたくしは、この上なくいい気分でベッドに入りました。

 明日は久しぶりにカトリーヌとお出かけです。


「楽しみですわね」

「うん」

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