第20話 レーネご乱心
「というわけで、レーネにサービスの講師をして貰います」
「レーネと申します。よろしくお願いしますね」
創立記念祭を数日後に控えたある日、騎士団の部屋にレーネが招かれていました。
側に立つ平民はさも当然といった顔でレーネを皆に紹介していますが、わたくしは何も話を聞いていません。
「ちょっと平民。なに人の使用人を勝手に使っていますの」
レーネは飽くまでわたくしの使用人です。
確かにレーネと平民はとても仲が良いようですが、それとこれとは別の話です。
親しき仲にも礼儀あり。
つけるべきけじめはきっちりつけておきませんと。
「いや、これはオレが頼んだんだ」
「ロッド様……」
ロッド様によると、来る学院祭での男女逆転喫茶において、騎士団の面々が接客や調理をこなせるように、講師を探していたとのこと。
その話を聞いた平民がレーネを紹介したという流れのようですが、これはやはり平民の越権行為です。
既に述べた通りレーネの雇用主はこのわたくし、ひいてはお父様です。
レーネに何か仕事を頼むのであれば、わたくしを通すのが筋というものです。
「それなら……仕方ありませんけれど」
とはいえ、そんなことをロッド様に申し上げるわけにもいきません。
平民には後できつく言っておくことにして、この場は引き下がることにしました。
「じゃあ、お願いね、レーネ」
「うん」
平民に促されて、レーネが講義を始めます。
「皆さんに接客や調理を教える前に、お願いがあります」
「うん? 何かな?」
ユー様が先を促しました。
「皆様とは違って私は平民です。中には平民の学院騎士団員の方もいらっしゃるようですが、それでもやはり選抜試験をくぐり抜けた精鋭の方ばかりです。私のようなものに教えを請うということに抵抗がある方も多いのではないでしょうか」
レーネが言うことは至極もっともなことでした。
平民たちはどうか知りませんが、我々貴族は自分の立場に非常に自覚的な者ばかりです。
平民に何か教えを請うなど、考えられないことでした。
わたくしはレーネを信頼していますから、まだ受け入れられるとして、他の方たち――例えば王族の方々は抵抗が大きいのではと思いました。
「……それがどうしたんだ?」
セイン様がレーネに問い返します。
ご本人にそのつもりはないのでしょうけれど、セイン様はいつも仏頂面なので、普通に喋っていても相手を威圧するような雰囲気があります。
ところが、レーネはそんな雰囲気はものともしません。
「ご無礼は承知の上ですが、教えるからには王族、貴族、平民の区別を無くして頂きたいのです。そんなものにこだわっていては、接客など出来ませんから」
「ふむ、いいだろう。構わないよな?」
わたくしの予想を裏切って、ロッド様は軽く請け負いました。
わたくしは驚きましたが、セイン様もユー様も大して問題視している様子はありません。
あれかしら。
身分差が大きすぎて、平民に教えを請うということがイマイチピンときていないのかもしれません。
レーネが無礼打ちされるのでは、と密かに危惧していたわたくしは、そっと胸をなで下ろしました。
しかし――。
「ありがとうございます。それでは、これから記念祭当日まで、私のことは先生と呼んで下さい」
レーネがとんでもないことを言い出しました。
平民が貴族や王族に向かって講釈をたれることすら本来あり得ないことですのに、それに加えて自分を先生扱いしろなどと。
今度こそ王族の方々の不興を買うと思い、わたくしは先んじてレーネを咎めることにしました。
お願い、間に合って。
「レーネ、あなた調子に乗るんじゃありま――」
「レーネ先生、です」
わたくしの必死のフォローを、レーネは遮るように言いました。
ば、バカ!
大人しく言うことを聞いて!
「な、な……」
「クレア様、呼んでみて下さい。さん、はい?」
「ぐっ……」
「ふはは! こいつは面白い。クレア、呼んでやれ」
わたくしが絶句していると、ロッド様が心底おかしそうに笑いました。
これは……この路線なら、あるいは大丈夫なのかしら。
わたくしは内心ドキドキしながら、レーネの要求に応じるフリをしました。
彼女が無事でいられるのなら、こんなことくらい何でもありません。
「くっ……。レーネ……先生」
「声が小さいです」
でも、レーネ?
あんまり調子に乗るものではなくてよ?
「この……!」
「ふふ……。クレア、ダメだよ?」
少し本音が頭をもたげたわたくしを、ユー様がやんわりと窘めました。
「……レーネ先生」
「よく出来ました、クレア様。その調子でお願いします」
「あなた、後で覚えておきなさいよ……」
とは言え、これでレーネは無礼打ちされるようなことはなさそうです。
「それでレーネ先生、何から覚えればいいのかしら?」
ミシャがごく自然にレーネを先生と呼びつつ問いました。
彼女は元々建前よりも実利を重視する性格ですし、今はレーネと同じ平民です。
レーネに教えを請うことに、何ら抵抗はないようでした。
「まずは心構えからですね。メイド道の基本精神はなんだと思いますか?」
「メ、メイド道……?」
不穏な単語に、わたくしが思わず聞き返します。
すると、レーネは見たこともないような、一種、恍惚としたような顔で続けました。
「そうです。私がみなさんに教えるのは、メイド道です」
レーネは柔らかい笑みを浮かべていますが、何だかいつもと様子が違います。
端的に言えば怖いです。
平民の上でレレアが小さくなって震えています。
「いいですか。メイド道というものは非常に奥深いものです。本来であれば一週間かそこらで究められるものでは到底ありません」
「いえ、わたくしたちメイド道なんてものを究めるつもりは――」
「しかーし!」
いいかけたわたくしの言葉をレーネは遮って続けました。
その言葉にはますます熱が入っているようです。
「皆さんのような貴族や平民の代表にも、献身と奉仕の素晴らしさを伝えたい。その一心で私はここにいます」
レーネの後ろに、何かよくないものが見えるような気がしました。
彼女は悪いものに取り憑かれているようにわたくしには見えました。
「そう。献身と奉仕……これがメイド道の本質です。みなさんには馴染みのないものかと思いますが、これは世界平和にすら繋がる重要な概念です」
何やら話はどんどん壮大になっていき、わたくしは止めることも出来ず、レーネの話を聞くしかないのでした。
◆◇◆◇◆
レーネ先生の話は一時間以上に及びました。
こんな貴重な話を聞かせて頂けるなんて、わたくしは何て幸せなのでしょう。
……何か変なような気がしますが、きっと気のせいでしょう。
「――というわけで、そろそろみなさんにもメイド道の端緒を理解して頂けたと思います」
「はい、レーネ先生」
「いい返事です、クレア様。それではおさらいです。メイド道の本質は何ですか?」
「献身と奉仕です、レーネ先生」
「その通りです。よく出来ました」
「ありがとうございます、レーネ先生」
そう、献身と奉仕。
それは世界平和にも繋がる素晴らしい概念です。
どうしてわたくしは今までその価値に気がつかなかったのか。
「では、ロッド様。メイド道の基本は何から始まりますか?」
「挨拶です、レーネ先生」
「よろしい。では、声に出してみましょうか、みなさんご一緒に」
「「「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」」」
「声が小さい!」
「「「「「お帰りなさいませ、ご主人様!!!」」」」」
「そうです。みなさん、段々分かってきましたね。先生はとても嬉しいです」
レーネ先生の言葉に、わたくしも嬉しくなります。
「あの、レーネ?」
「レーネ先生、です」
平民がおずおずとレーネ先生に声を掛けました。
レーネ先生は毅然とした態度で平民の言葉を正しました。
「レーネ先生、なんかおかしな方向に行ってない?」
「そんなことはありません。私は純粋にメイド道の素晴らしさを理解して頂こうと思っているだけです」
「そ、そう……」
「はい、レイちゃんも声を出して。お帰りなさいませ、ご主人様?」
「お……お帰りなさいませ、ご主人様」
平民もどうやら分かってきたようです。
そう、供にメイド道を究めましょうね。
「メイド道の基本は?」
「「「「「献身と奉仕!!!」」」」」
「挨拶はきちんと?」
「「「「「お帰りなさいませ、ご主人様!!!」」」」」
ええ。
後から思うと、わたくしは完全にどうかしていたと思います。
◆◇◆◇◆
「……酷い目に遭いましたわ」
騎士団の部屋から出てしばらくすると、わたくしは自分が何やらおかしなものに取り憑かれていたことを悟りました。
何が献身と奉仕ですのよ。
自室に着く頃には、わたくしはすっかりくたくたになっていました。
「申し訳ありません。つい、熱が入ってしまいまして」
先ほどまでの怖い彼女が嘘のように、今は穏やかな微笑みを浮かべるレーネ。
でも、わたくしはまだ彼女のことが少し怖く思いました。
それくらい、先ほどの妙な狂騒はおかしかったのです。
平民の頭の上のレレアも、何だか元気がありません。
前から思っていたのですけれど、この子人間の言葉が分かるのかしら。
「怒る気力もありませんわ……。レーネ、あなたにあんな一面があったなんて」
「普段、ご覧に入れる機会のない顔ですからね」
「出来れば、永遠に見たくなかったですわ」
わたくし、人間不信になってしまいそうですわ。
力尽きたわたくしは、ばさっとベッドに突っ伏しました。
「ダメですよ、クレア様。お風呂に入って、着替えもしないと」
「……疲れてるんですのよ」
「ダメです。起きて下さい」
「むー……」
「起きなさい」
「はい! レーネ先生! ……あ」
つい、条件反射で。
わたくしが羞恥に震えていると、
「……思わぬ副次効果ですね」
「むしろ後遺症じゃありませんの!?」
そのまま飲み込むには綺麗過ぎる平民の言葉を修正しつつ、わたくしは忌々しい記憶を持て余していました。
「今日のことは全部忘れてしまいたいですわ」
「そんなこと言っちゃダメだよー」
二人が帰った後のこと。
カトリーヌにそう言われつつも、わたくしにはまだ自覚がなかったのです。
――忘れていいことなんて、何一つなかったのに。
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