第19話 ピピとランバート

「ならそこはこちらの技術を使って――」

「いいえ、それは少し難しいです。むしろ、そこは紙の方が強みを――」


 講義を終え、いつものように騎士団の部屋へやって来ると、そこには珍しい組み合わせの二人がいました。


「あら、ピピ? ランバートと何をしていますの?」

「まあ、クレア様、ごきげんよう。ええ、ちょっと実家の頼まれ事を……」


 わたくしに気付いたピピが挨拶を返す一方で、ランバートも黙って腰を折りました。


「ピピ様の実家というと……バルリエ家でしたっけ」

「ふん、平民が軽々しく口にしていい家名ではなくてよ!」


 平民が思い出したように言うと、ピピは拒絶反応を示しました。

 平民はピピをロレッタと一緒にわたくしの取り巻き扱いしているため、ピピからの印象は最悪でしょう。

 そんな相手――しかも平民から家のことを言及されては、いい顔をしないのも当然でした。


 もっとも、そんなことを気にする神経がある平民でもないわけで。


「ピピ様のお父様は確か……パトリス様でしたね」

「な、なによ。気安くお父様を呼ばないd――」

「普段は頼りなさげなのに追い詰められると強いタイプで、覚悟を決めると途端に勝負強さとド根性で盤面ひっくり返す方ですよね。一部にとても人気があります」

「分かってるじゃないの!!」


 パトリス男爵に面識のないはずの平民が立て板に水とばかりに述べると、ピピはよく言ってくれたと平民の手を握りました。

 ピピ、ちょっとチョロすぎませんこと?

 ピピの手のひら返しにびっくりしたのか、平民の頭の上でレレアが震えています。


「ピピ様、お父様のこと大好きですよね」

「ええ、もちろん。最高のお父様ですもの」

「ちょっとファザコンなんですよね」

「ええ! ……ちょっと、どういう意味?」

「いえ、こちらの話です」


 話の流れはともかくとして、ピピはさっきよりも平民と打ち解けたように思います。

 平民も言うとおり、ピピにとってパトリス男爵はウィークポイントなのです。


「ごきげんよう、クレア様、レイ。妹がお世話になっております」

「ええ、ごきげんよう、ランバート。レーネはよくやってくれていますわ。この平民と違って」

「えへへ、褒められちゃいました」

「褒めてませんわ!?」

「くすくす……仲がおよろしいですね」


 この穏やかな笑い方、本当に兄妹ですわね。


「妹のこと、引き続きよろしくお願いします。時々、変なスイッチが入る妹ですが、基本的には善良な人間だと思いますので」

「ええ、もちろんですわ。それにしても、ピピとなんの話を?」

「ピピ様から魔道具を使って、事務仕事周りの効率化が出来ないかの相談を頂いておりました」


 ランバートはまだ若いですが魔道具研究の第一人者なので、ピピに限らずこういった質問をよく受けています。


「事務仕事って大量の紙を使いますよね? 紙は貴重品な上にかさばりますし、そこを簡素化、あるいは別のものに置き換えられたらと思ったんです」


 ピピもランバートに続いてそう説明しました。

 なるほど、ピピの言うことはもっともです。

 事務仕事に書類はつきものですが、貴重品である紙を別のものに置き換えることが出来たなら、それは一つの技術革新かもしれません。


「なんらかの見通しは立ってるんですか?」


 普段、ピピには全く興味を示さない平民が、珍しく首を突っ込もうとしています。


「珍しいですわね、平民。ピピの話に耳を傾けるなんて」

「やー、事務仕事のペーパーレス化って、私も苦労した覚えgげふんげふん、何でもありません」

「?」


 相変わらず平民の言うことはよく分かりません。


「平民の言うことはよく分かりませんけれど、ランバートもやはりそこは難しそう、ということでした」

「紙って本当に便利なんですよ。薄くて軽くて比較的丈夫で、情報の記録媒体としては非常に優秀です。これに代わるものを探すのは至難の業かと」


 ランバートに言わせると、歴史的に長く記録媒体として使われてきただけに、紙というものはとても優れたもので、代替物はそう簡単には見つからないとのことでした。


「いい思いつきだと思ったのですけれど……」

「ええ、着眼点は素晴らしいと思います、ピピ様」


 少し落ち込んだ様子のピピをランバートがフォローするように言いました。


「ピピはよくこういうことを考えているのかしら?」

「え? あ、えーと、はい。私はいずれ別の家に嫁ぐことになるでしょうし、バルリエ家を継ぐわけではありませんが、今こうして自由を謳歌できるのは家の放任主義があるお陰です。結婚して家を離れる前に、何らかの形で恩返しが出来るといいなと思って」

「見上げた心がけですわ、ピピ」


 最近の貴族はピピのように殊勝なことを考える者が減りつつあると聞いています。

 自分を育ててくれた家のことなど顧みもせず放蕩三昧をし、果ては家を取り潰されてしまう者も少なくないとか。

 伝統あるバウアー貴族であることを、なんと考えているのでしょう。


「いえ、そんな。当然のことです、クレア様」


 わたくしの賛辞を受けて、ピピは嬉しそうに微笑みました。


「そういえば、ロレッタ様は今日はご一緒じゃないんですね、ピピ様?」


 平民がふと気がついたようにそんなことを言います。


「あなた、私とロレッタがいつも二人でいるように思い込んでない?」

「え、思ってますけど?」

「……クレア様ぁ……」

「ピピ、相手にしなくていいですわよ。徒労に終わるだけですから」

「そうしますぅ……ぐすん」


 よしよし、とピピの頭を撫でました。


「ずるいです、クレア様! 私にも!」

「黙らっしゃい!?」

「ははは……」


 ランバートも苦笑しています。

 同じ平民でも、この差は一体何ですのよ。


「ロレッタはピアノのレッスンです。ほら、創立記念祭が近いじゃないですか」

「ああ、それで……」

「? どういうことですか?」


 わたくしはすぐにピピの話を理解出来ましたが、平民は要領を得ないようでした。

 レレアも「?」という顔をしています。


「ロレッタは創立記念祭で演奏会をするんですのよ」

「まあ、あなたなんかに価値は分からないでしょうけどね!」

「へー、そうなんですか」


 平民はすぐに興味を失ったようでした。

 全く、この娘は何というか、興味の矛先が偏りすぎてませんこと?


「ところでさっきの話ですが」

「? 何の話ですの?」

「事務仕事の効率化の話です」


 平民は唐突に話題を巻き戻しました。


「それがどうしましたのよ?」

「確か、情報を音声情報にして記録する魔道具がありませんでしたっけ? あれは結構小さくて蓄積情報量も多いですから、上手いこと使えば業務の効率化に繋がるのでは?」

「? そんな魔道具聞いたことありませんわよ?」

「私も知りませんけれど、そんな魔道具があるの? 平民、もうちょっと詳しく教えなさいよ」

「えーと、私も詳しくは知らないのですが」

「……そう」


 ピピは残念そうに肩を落としました。


「あ、いえ、確かにそういう魔道具は存在します。非常に稀少な品ですので、クレア様やピピ様がご存じなくても無理もありません」

「「!?」」


 ランバートが言うには、ロセイユ陛下やサーラス様、そしてお父様クラスの最上級貴族が使う魔道具の中には、確かに平民が言うような魔道具が存在するということでした。


「どうして平民であるあなたがそんなこと知っていますのよ!?」

「ちょっと小耳に挟みまして」

「……どうだか」


 この平民は相変わらず胡散臭いですわ。


「それで、どうなんですか、ランバート様。あれは使えるんですか?」

「難しいと思います。あの魔道具は現在の王国における魔法技術の粋を集めて作られた特注品です。まだ量産化の目処も立っていません。事務仕事に使うには高価すぎる品物です」

「なるほど、それじゃあダメですね」

「粗悪な模造品が密かに出回っているという噂も耳にしたことがありますが、所詮噂でしょう。魔法技術に優れたナー帝国でも作れないくらいですから」

「そうですか」


 平民はもう既に興味を失っているようでした。


「ランバート、ちょっといいかしら」

「何でしょう?」


 ピピは興味を持ったようでした。


「その魔道具についての情報をまとめて、お父様に提出しておいて下さる? 王国の事務環境を一変させる可能性を秘めたものだもの」

「構いません。一両日中に」

「ありがとう」


 平民の言ったことを真に受けたわけではないでしょうが、それでも可能性を感じたのか、ピピはランバートにそう約束させました。


「それにしても……情報の漏洩を心配した方がいいんじゃありませんこと、ランバート? こんな平民が知っているのはおかしいですわ」

「……仰る通りかもしれません。関係各所に注意を促しておきます」


 そう言うと、ランバートはこの場を辞去しました。


「私もそろそろ部屋に戻ります。騎士団の皆様がいらっしゃるでしょうし」

「あら、別にここは関係者以外立ち入り禁止ではありませんわよ?」

「ええ、存じてます。でも、そろそろ私もヴァイオリンのレッスンをしないと」

「ロレッタに負けていられませんものね」

「はい!」


 彼女の夢は、ロレッタと共演することらしいですから。


「では、クレア様、そっちのあなたもごきげんよう」

「ごきげんよう、ピピ」

「ごきげんよう、ピピ様」


 ピピは部屋を出て行きました。


「平民。どうやらあなたもピピを軽んじることを考え直したようですわね?」

「まあ、少しは」

「彼女たちはわたくしの大切な友人ですのよ? 彼女たちへの侮辱はわたくしへの侮辱と思いなさい」

「そうですか。つまり私のライバルってことですね」

「比較にもなりませんわよ!?」


 その後は、三王子方を始めとする騎士団の面々がやって来て、話はなあなあになってしまいました。

 でも、後から振り返れば、この時点で既に、平民が持つ知識の異質さに気がついても不思議ではないはずでした。


 、わたくしの目は曇りきっていたのです。

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