第17話 結婚と恋心

 幽霊騒ぎから少し経ったある日のこと。

 講義が終わり、レーネと平民を連れて学院の寮に戻ろうとすると、


「あれ? あれってクレア様の取り巻きさんじゃないですか?」

「取り巻きって言うんじゃありませんわよ。でも、本当ですわ。ロレッタですわね」

「お隣にいらっしゃるのはクリストフ様でしょうか」


 道の脇に作られた花壇に囲まれたベンチで、クリストフ様とロレッタが何やら話をしているようでした。


「まあ、お二人は婚約者同士ですから、積もる話もあるんでしょう」

「邪魔しちゃいけないですね」

「そうかしら?」


 なんとなく、二人は会話が弾んでいるようには見えませんでした。

 クリストフ様の方は穏やかな表情でロレッタに話しかけていますが、ロレッタの方は身を固くしているように見えます。

 クレマン様と違いクリストフ様のことですから、おかしなことはしていないとは思いますが、わたくしは少し気に掛かりました。


 とはいえ、レーネの言う通り二人の会話を邪魔することは出来ないのも事実。

 わたくしはそのまま通り過ぎようとしました。

 ところが、


「あ、クレア様!」

「おや、クレア様。ご機嫌よう」


 二人の方がわたくしたちに気がついて声をかけてきたのです。

 わたくしは仕方なくベンチへと進路を変更しました。


「クリストフ様、ロレッタ、ごきげんよう。お二人で何を話していらっしゃいましたの?」


 既に二人を観察していたことはおくびにも出さず、わたくしは如才なく二人に挨拶をしました。

 後ろでレーネと平民も礼をします。


「ああ、大したことじゃないんです。ロレッタももう十六になったのですし、そろそろ正式に式を挙げませんかという話をしていました」

「まあ! そうでしたのね。ロレッタ、おめでとう」

「あ……えっと、その……」


 祝辞を述べるわたくしに対して、ロレッタは何やら言い淀みました。

 わたくしがおや、と思っていると、クリストフ様は苦笑して、


「それが、結婚を渋られてしまいまして」

「え?」

「ち、違います、クリストフ様! 私はまだクリストフ様に相応しい淑女になっていないので、もっと花嫁修業を積んでからと――」


 肩をすくめるクリストフ様に対して、ロレッタが慌てたように言いました。

 どういうことですの?


 ロレッタの実家であるクグレット家はフランソワ家の派閥に属しています。

 以前言及した通り、クグレット家は古くからの武門の家系で、いち早く魔法を取り入れたことで王国の軍の中でも強い発言権を持つに至りました。

 そこに目をつけたのがクリストフ様のお父様であるクレマン様です。

 クレマン様は息子であるクリストフ様の嫁にロレッタを迎え入れることで、軍での発言権を強めつつフランソワ家の勢力減退を図ったのでした。


 とはいえ、この縁談自体はロレッタにとって悪い話ではないはず。

 有力な武門の家系とはいえ、家を継ぐのは長氏であるローレック様です。

 娘であるロレッタは、彼女に課されたを無視すれば、いずれ他の貴族の元へと嫁いでいくことになります。

 その先がフランソワ家と対立関係にあるアシャール家であるというのは少し残念ですが、それでもアシャール家は家格で言えば王国貴族でも随一です。

 嫁ぎ先としてはこの上ないはずでした。


「ロレッタは今でも十分魅力的ですよ?」

「ええ、クリストフ様の仰る通りですわ。ロレッタは素敵な淑女ですわよ」

「……クレア様……」


 クリストフ様の言葉にわたくしが相づちを打つと、ロレッタは捨てられた子犬のような顔をしました。

 ???


「ふふ、どうもね、ロレッタはもっとクレア様の側にいたいみたいなんですよ」

「く、クリストフ様!?」

「え?」


 話が見えませんわ。


「彼女はまだ同性の友人といる時間の方が心が安らぐようなんです。結婚はまだ考えられないと言われてしまっては、私も引き下がらざるを得ません」

「ロレッタ……」

「……」


 ロレッタは恥ずかしげに顔を伏せてしまいました。


「私はいくらでも待つつもりなんですが、父が少しうるさくて。婚儀があまり遅れるようだと、余計なことをしないか心配なんですよ」


 クリストフ様は実の父親のことを揶揄するように言いました。

 確かに、クレマン様は相手が自分の思うようにならないと、攻撃的になる所があります。


「私も父にはよく言って聞かせておきます。クレア様ももしロレッタが何か理不尽な目に遭いそうになったら、それとなくフォローして上げて下さいませんか」


 父がご迷惑をお掛けします、とクリストフ様は頭を下げました。


「顔を上げて下さい、クリストフ様。ロレッタは親友ですもの。クレマン様には悪いですけれど、彼女に害なすようなことがあれば、フランソワ家が代わりに相手になりますわ」

「心強いです」


 クリストフ様は安心したように微笑みました。


 ロレッタが再び口を開いたのは、その時でした。


「待って下さい」

「ロレッタ?」

「婚儀のこと、承ります」


 そう口にするロレッタは、でも、どこか悲愴な顔をしていました。


「その代わり、秋の音楽会まで待って頂けませんか」

「毎年のあれですね?」


 二人が言っているのは、毎年、収穫祭の後に開かれる国王主催の音楽会のことでした。

 王国に限らず、世界中から優秀な音楽家を招いて開催されるそれは、音楽家たちにとって憧れの舞台なのです。


「ロレッタはもう招かれているんですか?」

「……いいえ。でも、今年こそ、必ず参加出来るように頑張ります」

「ふむ」


 音楽祭に招かれる音楽家は超一流の技量を持つ者ばかりです。

 ロレッタも新進気鋭の若手音楽家ではありますが、まだ秋の音楽会に招かれたことはありません。

 参加するのは熟練の音楽家が多く、同年代で招かれたことがあるのはセイン様くらいのものでした。


「もし、参加資格を得られなかったらどうしますか?」

「その場合は、直ちに婚儀の準備に入ります。これ以上お待たせするわけにはいきませんから」


 毎年、音楽会の参加者夏頃までには確定します。

 つまり、夏までに招待を受けなければ、ロレッタはそのまま結婚の準備に入ると言っているのです。


「いいですよ。元々、私はいくらでも待つつもりだったのです。ロレッタがその気になってくれたのであれば、こんなに嬉しいことはありません」

「ありがとうございます」


 二人の会話を聞きながら、わたくしは何かがおかしいと感じました。

 先ほども言った通り、この結婚は二人にとっては何ら悪い話ではないはずなのです。

 それなのに、まるで……まるで……。


「なんか、イヤイヤ結婚するみたいですね?」


 空気を読んでわたくしが口にしなかったことを、平民が構わず口にしました。


「平民!」

「だって、そうじゃないですか。結婚ってもっと喜ばしいもののはずでしょう? なのに、ロレッタ様もクリストフ様も――」

「お黙り。それ以上は許しませんわよ」

「はーい」


 平民はおどけたように言って口をつぐみましたが、彼女が言ったことはそのままわたくしが感じたことでもありました。


「レイと言いましたね。ある意味で、あなたの言うことは正しい」

「クリストフ様!?」


 血相を変えたロレッタを制して、クリストフ様は続けました。


「平民の結婚とは違い、貴族の結婚は政略結婚です。本人たちの思いよりも、家同士の事情が優先されます。必ずしも本人たちが望んだことではないことも多いのです」

「……」


 クリストフ様の言葉に、ロレッタはうなだれてしまいました。


「でも、私はロレッタを愛しています。彼女を幸せにしたい。問題は、彼女が同じように思っていてくれるかどうか、なのですよ」

「!?」


 ロレッタが驚いたように顔を上げました。

 まるで、隠し事を見抜かれたように。


「ロレッタ、あなたに別に思い人がいることは知っています。ですから、無理に私を好きになろうとしなくていいのですよ。私はあなたを愛していますが、無理にあなたの気持ちを歪めようとは思いません。少し、寂しくはありますが」

「クリストフ様……」

「ですから、結婚のことも焦らなくて大丈夫ですよ。私はあなたに幸せになって欲しいと思いますが、幸せにするのが私でなくてはならないとは思いませんから」

「!」


 わたくしは耳を疑いました。

 場合によっては婚約を破棄しても構わない、そうクリストフ様は言っているのです。


「クリストフ様」

「ご自分の気持ちとゆっくり向き合って下さい、ロレッタ。結婚の件はあなたの気持ちの整理がついてから、また話しましょう。急かすようなことを言ってすみませんでした」


 そう言うと、クリストフ様は一礼して去って行きました。


「ロレッタ……」

「すみません、クレア様。少し考えたいことがありますから、一人にして頂けませんか」

「……分かりましたわ」


 わたくしはロレッタに何か言葉をかけようとしましたが、やんわりと拒絶されてしまいました。

 仕方なく、わたくしはレーネと平民を連れてその場を後にしました。


「なーんか、面倒くさいですね、貴族って」

「前にも言ったでしょう。平民のような気楽な立場とは違うんですのよ」

「しかも、当の本人は全く気がついてないっぽいし」

「? 何のことですの?」

「さあ、なんでしょう」

「レイちゃん!」


 聞きとがめる所を見ると、レーネも何の話か分かっているようでした。


「レーネ?」

「すみません、クレア様。これは私の口からは申し上げられないことです」

「わたくしが命じても?」

「はい、クレア様がご自分で気がつくべきことです」

「……」


 こうなったらレーネは頑固です。

 彼女は基本的には従順ですが、わたくしのためにならないことは頑としてしない娘です。

 わたくしは釈然としませんでしたが、レーネがそうするなら何か意味があることなのだろうと引き下がったのでした。


◆◇◆◇◆


「……ということがありましたのよ」

「ふーん。なるほどねー」


 灯りの消えた自室で、二段ベッドの上にいるカトリーヌに今日あったことをわたくしは説明しました。


「何のことだと思いまして?」

「クレアちゃんはー……クレアちゃんだなー」

「だから、どういうことですのよ、もう!」


 どうもその場にいなかったカトリーヌにも、何のことだか分かっているようです。


「レーネちゃんの言う通り、これはクレアちゃんが自分で気がつかないと意味がないよ、おやすみ」

「ちょっと、カトリーヌ!」


 やがて上の段からすやすやと寝息が聞こえてきました。


(……どういうことですのよ)


 その日は寝るまでずっと、釈然としない気持ちが続きました。

 わたくしがこの時の話を思い出すのは、ずっと後のことです。

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