第16話 幽霊騒動
騎士団に入団して最初の仕事は、最近学生の間で噂になっているある騒ぎでした。
「最近、夜になると幽霊が出るんです」
ゆ、幽霊ですって……?
自慢ではありませんが、わたくしは幽霊がとても苦手です。
昔、ある出来事をきっかけに、お化けの類いはどうしようもなく怖くなってしまったのでした。
「そ、そうですの。へー……、ふーん……」
わたくしはぎくりとしましたが、懸命に冷静なフリをしました。
平民にこのことを知られたら、一体どれほどからかわれるか分かったものではありません。
「目撃場所はどの辺りですか?」
「友だちが見たのは二階と三階の間の階段だったらしいんだけど、私が見たのは調理室ね」
「まちまちなんですね。幽霊に特徴は?」
平民はテキパキと事情聴取を進めて行きますが、正直わたくしは今にも「それ」が出るのではないかと気が気ではありませんでした。
とはいえ、ここで仕事を放棄することなど出来ません。
わたくしは誇り高きフランソワ家の一人娘であり、名誉ある学院騎士団の一員なのです。
これは課せられた義務であり、わたくしには履行の義務があります。
「そうね……。私、最初はそれを幽霊だって気づかなくて。不審に思って近づいたら、水を掛けられたわ」
「み、水ですの?」
「はい。学院の川で溺れ死んだ女の子の幽霊かもしれません」
「ひっ」
「どうかしましたか、クレア様?」
「な、なんでもありませんわ」
思わず悲鳴が漏れてしまったのを何とか誤魔化します。
そういえば昔そんな子がいたという噂を聞いたことがあります。
亡くなった子は気の毒とは思いますが、現世の人間を脅かさないで欲しいですわ。
そう、これは幽霊が怖いとかそういうことではなく、あの世とこの世の境界管理の問題です。
……何を言い訳していますの、わたくしは。
「貴重なお話をありがとうございました」
「絶対、退治してね」
「……ごきげんよう」
平民と供にそれからしばらく事情聴取を続けました。
共通する情報は、「夜」、「調理室か階段付近」で「水に関係する事象を目撃した」ということのようです。
「次は現場に行ってみましょうか」
「……あなた一人でいいのではなくって?」
「何言ってるんですか。一人で手がかりを探すよりも、二人の方が効率がいいに決まってるじゃないですか」
「そ、そうですわね……」
それとなく現場に行くのをやめたがったのですが、鈍感な平民にはそれは通じなかったようです。
これがレーネなら何も言わずとも察してくれますのに。
ちなみにレーネはお父様の手伝いがあるとかで、今この場には同行していません。
などということを考えていると、調理室に到着しました。
普段と変わらないはずのそこは、どことなくおどろおどろしい雰囲気が漂っているように感じました。
「ここですね」
「鍵がかかってますわよ? 仕方ありませんわ。ここは後回しに――」
「あ、借りてきました」
「……そうですの」
平民は鍵を取り出すとそれを鍵穴に差し込んで回しました。
カチリという音を立てて鍵が外れます。
わたくしは嫌でしたが、平民は構わず調理室の扉を開けました。
中を覗くと、一見そこは普段と変わらない調理室のように見えました。
「クレア様は入り口付近を探して下さい。私は奥を見ます」
「わたくしに指図するんじゃありませんわよ!」
「じゃあ、クレア様が奥を見ますか?」
「……仕方ありませんわね。譲ってあげますわ」
平民などに譲歩するのは悔しいですが、怖い物は怖いのです。
とはいえ、仕事も仕事。
わたくしは恐る恐る入り口付近を調べました。
特に変わったところはない――そう思っていた時、わたくしは見つけてしまったのです。
「ひっ!? 平民! あなた! レイ!」
気が動転したわたくしは、思わず平民のことを名前で呼んでしまいましたが、この時はそれどころではなかったのです。
「どうしました?」
「あ……あれ……! ……って、どうしてあなた半笑いですの?」
「あ、すいません。クレア様が可愛らしくてつい」
「こんなときにふざけるんじゃありませんわよ。それよりあれですわ、あれ!」
わたくしが指をさしたその先――調理室の扉の縁に、青いゼリー状のものがこびりついていました。
「何でしょう……。単なる汚れとも思えないですね」
わたくしは恐ろしくて震えていましたが、平民はなんとそれに触ろうと手を伸ばしました。
「触るんじゃありませんわよ! 何かあったらどうするんですの!」
「あれ? 心配して下さるんですか?」
「巻き込まれたくないんですの!」
思わず本音が漏れてしまいましたが、だってそうでしょう?
「仕方ないですね。分析科に回しましょう」
平民は調理室にあったチョップスティックと空き瓶を一つ拝借すると、それらを使って青い物体を採取しました。
分析科というのは学院内にある施設のことで、名前の通り対象を分析する場所です。
以前は博物学的な所でしたが、魔石が発見されてからは魔法的なもの――魔法石や魔物、魔法などを主に分析の対象にしています。
レーネの兄であるランバートもそこに所属しており、魔物の研究をしています。
「にしても、ここにはこれ以上の手がかりはなさそうですね」
「早く出ましょう」
「そうですね。夜にまた来ましょう」
「……何ですって?」
わたくしは耳を疑いました。
日中である今ですら怖いのに、夜になってからまたここに……?
「夜になったら、真相が分かるかもしれないじゃないですか」
「で、でもですわね。本当に幽霊が出たらどうするんですの?」
「捕まえるなり、退治するなりすればいいじゃないですか。大体、幽霊見たことある人っているんですか?」
「目撃談は良く聞きますわ。私の友人の友人が見たとも言っておりましたし」
「あー……、こっちでも幽霊は怪談のカテゴリーなのかあ。ファンタジーなのに変なの」
平民は事もなげに言います。
「変なのは貴方ですわよ、何ブツブツ言っていますの。そもそも、そういうのは軍の仕事ではありませんの?」
「モノホンのアンデッドならともかく、幽霊ごとき学院騎士団で十分ですよ。大体、幽霊なんているわけないじゃないですか」
「そ、それはそうですけれど、さっきのゲル状物質のこともありますし……」
「大丈夫ですって。私が守ってあげますよ」
「馬鹿になさらないで下さる!? 自分の身ぐらい自分で守れますわ!」
余裕綽々の平民が憎たらしくて、わたくしは思わずそう言い返してしまいました。
ああ、これでは夜にまた来ることを承諾したことになるじゃありませんのよ。
後悔しても後の祭りです。
「それじゃあ、本番は夜ですね」
「はあ……。どうしてあなたはそんなに楽しそうですの……」
◆◇◆◇◆
夜。
既に就寝時間に近く、学院寮はしんと静まりかえっています。
改めて調理室にやって来たわたくしたちは、部屋の中の様子を注意深く観察しました。
「……何もいませんわね?」
「そうみたいですね」
「ほら、異常は何もありませんでしたわ。きっと幽霊は何かの見間違いだったんですのよ」
「念のため、一晩は様子を見ましょう」
「ここでですの!?」
わたくしは平民の正気を疑いました。
幽霊が出るかも知れない所で、一夜を明かす?
冗談でしょう?
「大丈夫です。レーネに言って、寝具は用意して貰っています」
そういう問題じゃありませんわよ!
……というか、
「最初からそのつもりだったんですわね?」
「はい」
平民の楽しそうな顔といったら、本当に憎たらしいことこの上ありません。
「布団の用意をしますね」
「ちょっと! ホントにここで一夜を明かすつもりですの!?」
「そうですよ?」
そう言うと、平民はさっさと布団を準備し始めました。
……って、ちょっとちょっと!
「はい、じゃあ寝ましょうか」
「一枚しか敷いてないじゃありませんの! ちゃんと二枚あるんですから、二枚敷きなさいな」
「え? だってそれだとクレア様と同じ布団で寝られないじゃないですか」
「それでいいんですのよ!」
「わがままだなあ」
「わたくしですの!? わたくしが間違ってますの!?」
このやり取りも何度目かしら。
でも、お陰で少しだけ怖さが薄れたような感じがしました。
「クレア様は先に布団に入っていて下さいな」
「あなたはどうするんですの?」
「私はちょっと夜食でもと思いまして」
平民はパジャマの上からエプロンをつけると、調理室の氷室から材料を取り出し、材料を量り始めました。
「……あなた、料理も出来ましたのね」
「平民なら当たり前のことですよ」
「……そうですわね」
貴族の子女の中にも、お菓子作りを趣味にしている娘は少なくありません。
ですが、わたくしは料理の類いが一切出来ませんでした。
また一つ、平民に負けた気がして、わたくしは少し面白くありません。
「でも、最近は新しいレシピに挑戦したりしてるんです。それがけっこう、面白くて」
「そうなんですの。平民らしい趣味ですこと」
憎まれ口を叩いたとき、わたくしはふと疑問に思いました。
「……って、あなたいつも私の側に仕えてるじゃありませんの。いつ料理をしてるんですの?」
「夜中にこっそりと、ですね」
「ああ、そうなんです……の……?」
何かがわたくしの脳裏に閃きました。
「夜中に……調理室で?」
「はい」
「まさか……。調理室の幽霊って……?」
「はい、私のことだと思います!」
「帰りますわ!」
なんてばかばかしい!
平民はきっと最初から幽霊騒ぎの元凶が自分だということを分かっていたに違いありません。
なんて人騒がせな!
わたくしは付き合っていられず、布団をはねのけると調理室を出て行こうとしました。
その時、青い物体が私の前を通り過ぎました。
「ひっ! で、出たー!」
「よく見て下さい、クレア様。レレアですよ」
「え……?」
平民の言葉通り、よく見ると青い物体は彼女の従魔であるレレアでした。
「それじゃあ、あのゲルの正体も?」
「はい、レレアだと思います」
ウォータースライムの身体は不定形です。
何か固く尖った場所にこすれば、その身体の一部がこびりつくのは不思議でもなんでもありません。
タネさえ分かってしまえば、何ということはないのでした。
「……本当に人騒がせな飼い主とペットですこと」
「黙っていたのは謝ります。お詫びにこちらを召し上がって下さいな」
呆れたように言うわたくしに、平民が差し出して来たのは焦げ茶色の焼き菓子でした。
「これは?」
「新作のお菓子です。クレア様のお口に合うといいのですが」
「何を言ってますの。わたくしの口に合うものなんて、それこそブルーメクラスでなければ到底――」
憎まれ口を叩きつつも、漂ってくる甘い香りに釣られて一口食べると、芳醇なチョコレートの香りが口いっぱいに広がりました。
「!? 美味しいですわ!? なんですのこれ。ケーキのようで中にとろっとしたものが……」
「フォンダン・オ・ショコラという料理です。チョコレートケーキのなかに、温かくとろかしたチョコレートが入っています」
「チョコレートはブルーメでも最近始めたばかりの最先端のお菓子ですわ。それを応用したお菓子が作れるなんて……あなた本当に何者ですの?」
考えてみると、この平民は謎が多いのです。
お父様を心変わりさせた所から始まって、勝負に負けたわたくしに意味深なお願い、そして今度は平民に扱えるはずのない食材を使った美味。
わたくしが怪訝な視線を向けると、
「何者って、クレア様の愛の奴隷ですけど?」
「だからそういう冗談で誤魔化すんじゃありませんわよ!」
「まあまあ。冷めると美味しくないお菓子なんで、早めにお召し上がり下さいな。今、お茶も入れます」
「全く……。でも、このお菓子は素敵ですわ。褒めて差し上げます」
「ありがとうございます」
その後は夜のティータイムを頂いてから、平民の戯言を子守歌に眠りに就きました。
「やったぜ、お泊まりデート大成功」
「……うるさいですわね……むにゃむにゃ」
寝る間際、平民が何やら余計なことを言っていた気がしますが、わたくしはチョコレートに囲まれる幸せな夢を見ていたのでした。
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