第12話 リリィであるということ

「ねえ、レイ。あなたっていわゆる同性愛者なわけ?」


 それはある日のお昼休みのことでした。

 食堂で食事を取っていると、ミシャが唐突にそんなことを平民に尋ねました。

 あまりにも率直すぎる聞き方に、わたくしは喉を詰まらせて咳き込みます。


「けほっけほ。ちょっと、ミシャ。どう触れても面倒なことにしかならないことを……」

「ミシャ様。こういったことは、あまりおおっぴらに語るものではないと思いますよ?」


 レーネも、この話は避けるべきという点では一致しているようです。


「別に話してもいいけど、聞きたい?」

「親友としては気になるわね」


 わたくしとレーネの危惧などどこ吹く風といった様子で、淡々と会話をするミシャと平民。

 別にわたくしは興味があるわけではありませんが、それでも聞いてみたい気持ちも少しはありました。


「んー……。多分だけど、私はそうなんだろうね。これまで男性を好きになったことはないし」


 あっけらかんと平民は言ってのけました。

 まさかとは思っていましたが、やっぱりそうですのね。

 わたくしは平民から距離を取りました。

 すると、それに気付いた平民が離れた分だけ距離を詰めてきます。

 わたくしはさらにまた距離を取りました。


「どうして距離を取るんです?」

「身の危険を感じるからですわよ」

「そんな、何にもしませんってば」

「どうかしらね」


 同性に性的欲求を持つなんて普通ではありませんわ。

 このような者を側仕えにしておいて大丈夫なのかしら。

 いつ何時、貞操を奪われるか分かったものでは――。


「クレア様。同性愛者だからといって、その反応は偏見がすぎるかと存じます」


 しかし、ミシャは意外なことを言いました。


「どこがですの?」

「例えば、クレア様は異性愛者ですよね?」

「当たり前ですわ」


 これまでに女性を好きになったことは……あ、あれは違いますわよね!?

 お姉様のことはちょっと勘違いしていただけで……。

 でも、お姉様が相手だったら別に……いえ、何を考えているんですの、クレア=フランソワ。


「セイン様が好きなんですよね」


 からかうように平民が言ってきます。

 この娘はどうしてだか、最初からわたくしの恋心について知っていましたが、どこで知ったのでしょう。


「レイ、茶々を入れないの。ちょっと黙っていて」


 ふざけ倒そうとする平民を咎めて、ミシャは続けました。


「クレア様が男性に、襲うなよと言われたらどう思いますか?」

「わたくしははそんな痴女じゃありませんわよ!」

「そうですよね。でも、クレア様がレイに言ったことは、まさにそういうことですよ」

「……あ」


 わたくしは自分の中に確かに偏見があったことに気がつかされました。

 同性愛者だからと言って好きになる相手が同性なだけで、他は普通の人と変わらないのでしょう。

 常に欲情しているわけではありませんし、むやみやたらと性的な言動をするわけでもありません。

 この平民はちょっと、日頃の行動に問題ありのような気もしますが。


「ま、まあ……。好きになった相手がたまたま女性だったというだけですよね。性別なんて関係ないってことですよね」


 少しひりついた空気を解きほぐすように、レーネが明るく言いました。

 しかし――。


「ん? それは違うよ?」

「え?」

「性別はちゃんと関係ある」

「そ、そうなの?」


 平民によるとレーネの言うことは、これまたよくある同性愛者への思い込みなのだそうです。

 考えてみると当たり前のことですが、同性愛者は異性を性的な意味で好きになりません。

 好きになれば性別は関係ないというのは物語としては美しいですが、現実の同性愛者にとっては綺麗事に過ぎないのだとか。

 そういう意味で、性別はちゃんと関係がある、と平民は言いました。


「そうなのね。私もよく知らなかったわ」

「まあ、知る機会もないだろうから、仕方ないと思うよ」


 同性婚が認められているナー帝国とは違い、バウアーでは同性愛というのは圧倒的少数派です。

 わたくしが持っていたような偏見は普通ですし、理解しようとする動きもあまりありません。

 戯曲や小説の中で描かれる同性愛者は、わたくしが思い込んでいたように性にだらしない人か、あるいはレーネの思い込みのような極端に理想化された存在でした。

 実際に当事者から話を聞けば、そうでないということは分かるはずですのに。


「私たちにもっとこうして欲しい、とかそういうことはある?」


 ミシャは静かに平民に問いかけました。

 彼女は本当に平民のことを大切に思っているのでしょう。

 積極的に彼女を理解しようとする姿勢が見られます。


「んー、別にないかな。私はクレア様を毎日愛でられるだけで幸せだし」

「あなた、そういうことばっかり言っているから、私も身の危険を感じるんですのよ?」


 確かに、わたくしの中にも偏見はあったでしょう。

 でも、この娘は自ら率先してそれを助長するような振る舞いをしていました。

 あんなことでは、誤解されても仕方ないじゃありませんの。


 わたくしはそう思ったのですが、


「茶化さないとやっていけないんですよねー」


 平民は珍しく力なく笑いました。

 いえ、それはわたくしの気のせいだったかも知れません。

 でも、普段の満面の笑みとは違う、どこか儚い笑いだったようにわたくしには見えました。


「レイ……あなた……」


 ミシャが気遣わしげな視線を平民に送ります。


「大丈夫、大丈夫。思いが報われないなんていつものことだから」


 平民はわたくしのことを好きだと言います。

 聞く限り、それはどうも本気のようです。

 ですが、わたくしにそのつもりはありません。


 どうしてでしょう。

 言い寄られることなど慣れきっていたはずですのに、この平民の想いに応えられないことは、なぜだか少し胸が痛みました。


「じゃあ、レイはクレア様のことは諦めているわけ?」

「今日はずいぶん踏み込んでくるね、ミシャ」

「気を悪くしたなら謝るわ」

「そんなことはないけどね。そうだねー。諦めてるかと言われると、そうだとも言えるし、違うとも言えるかな」

「どういうこと、レイちゃん?」


 要領を得ない平民の言葉に、レーネが問いを重ねます。


「クレア様に思いを受け取って貰えるとは考えてないよ。クレア様には好きな人いるし、それを応援してるし、近くにいられるだけで幸せだし。でも――」

「でも?」


 わたくしも問いました。


「でも、だからってクレア様のことを完全に諦められるかっていうと、それはちょっと無理ですねー」


 あはは、と平民は茶化そうとしましたが、それは上手く行きませんでした。

 なぜだか――本当に気の迷いとしか思えませんが、わたくしはふいに平民を抱きしめたいような衝動を覚えました。


「まあ、そういうわけなので、クレア様は今まで通りでいて下さい。私は現状の関係で割と幸せなので」

「……そう……」

「別に好きになってくれてもいいんですけれどね?」

「なりませんわよ」

「デスヨネー」


 わたくしは内心の動揺を押し殺して、平民の言葉を即座に否定しました。


「はい、この話はここまで。じゃあ、クレア様。いつも通りイチャイチャしましょうか」

「しませんわよ!? ってか、したことありませんわよ!?」

「またまた。まんざらでもないくせに」

「寝言は寝てからおっしゃい!」

「あはは」

「……」


 そこから先は、普段のわたくしたちでした。

 わたくしを平民がいじり、レーネが宥めて、ミシャがそれを見守っています。

 そう、いつも通り。

 でも、わたくしはほんの少し――本当にほんの少しだけ、平民のことが気になりました。

 道化のように振る舞っているこの娘は、これまで一体どれだけ傷ついて来たのだろう、と。


「クレア様」

「なんですの」

「私のこと嫌いですよね?」


 答えを欲していない、分かりきった問いかけです。

 ですからわたくしも、期待通りの言葉を返します。


「当たり前でしょう」

「デスヨネー」


 平民はその言葉に満足したように笑いました。


「でも、私は好きですよ」


 報われないことが分かっていても、あなたは好きになることをやめないんですのね。

 

「同じ同性愛者の人を好きになればいいんだろうけどねー」


 そんな風に呟く平民はもうすっかりいつもの彼女でした。

 でも、それを見つめるわたくしの胸からは、ずっと切ない痛みが消えないのでした。

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