第11話 ピピとロレッタ(2)

「と、言うことがありましたのよ」

「羨ましいですわ、クレア様。あのセイン様の竪琴をお聴きになっただなんて!」

「私もご一緒したかったです」


 放課後、学院の東屋で。

 わたくし、レーネ、ピピ、ロレッタ、平民の五人は最近いつもここでお茶をしています。

 席に着いているのは貴族の三人で、レーネと平民は後ろに控えて給仕に専念しています。

 テーブルには香り高いお茶と様々なお菓子が並んでいます。

 どれもわたくしが高級料理店ブルーメから取り寄せた品々で、ピピとロレッタは大層喜んでくれました。


 色々な話題を見つけては話していましたが、今の話題は先日のセイン様のことです。


「わたくしはともかく、ピピやロレッタから見ても、セイン様の竪琴は素晴らしくて?」

「はい!」

「もちろんです」


 ピピとロレッタはわたくしよりも遙かに音楽に造詣が深いのです。

 ピピはヴァイオリン、ロレッタはピアノを得意としています。

 その実力はかなりのもので、王国内の音楽コンクールで何度も賞に輝くほどでした。


「そういえば、あなた方と最初に知り合ったのも音楽がきっかけでしたわね」


 ふと思い出して、わたくしがそう口にすると、ロレッタがばつの悪そうな顔をしました。


「あの時の事を思い出すと、恥ずかしさで死にそうになります……」


 顔を赤らめて小さくなるロレッタに対してピピは、


「別に恥ずかしがることないじゃない。今じゃロレッタは一流の演奏家なんだから」


 と励ますようにいいました。

 二人の関係は、出会った頃から何も変わっていないようでした。


 過去の話が出たからでしょうか、わたくしの脳裏に自然と当時の記憶が蘇ってきました。


 ◆◇◆◇◆


 最後の全音符を弾き終わると、周りから感嘆の声が上がりました。


「結構です、クレア様。大変お上手でした」

「恐縮ですわ、キャロル様」


 教師役のアシャール夫人に礼をしてから、わたくしはピアノから離れました。


 ここは王立学院中等部の音楽室です。

 わたくしたちは今、中等部に上がって最初のピアノの授業を受けています。

 貴族にとって音楽は必須の教養です。

 その中でもピアノは基礎中の基礎。

 幼い頃から厳しく訓練を受けてきたわたくしにとって、この程度のエチュードなど弾きこなすのは造作もありませんでした。


「さすがですわ、クレア様!」

「素晴らしい演奏でした!」

「これくらい大したことありませんわ。皆さんにも弾けますわよ」


 これは謙遜などではなくただの事実です。

 ほとんどの学生は家がつけた家庭教師からわたくしと同じように教育を施されています。

 この程度のエチュードで躓いているようでは、貴族としての沽券に関わるでしょう。

 もっとも、最近数の増えて来た平民学生たちには、とても真似できない芸当でしょうけれど。


「次はロレッタさんね。前へいらして」


 柔和な笑顔を浮かべたアシャール夫人――キャロル様は次の学生を呼んだ。

 声に応じて立ち上がったのは、ショートカットの黒髪に黒い瞳をした女生徒でした。

 歩く姿が非常に美しく、恐らく何か武術を嗜んでいるということが分かります。

 そばかすのある顔には満面の笑みが浮かんでおり、わたくしは何がそんなに嬉しいのかしらと思いました。


「緊張しなくていいわ。さあ、弾いてご覧なさい」

「はい!」


 キャロル様に促され、ロレッタと呼ばれた少女は一つ深呼吸をすると、鍵盤に手を置いて弾き始めました。

 演奏は決して褒められたものではありませんでした。

 何度も音を間違えましたし、流れも悪く、必要とされる技法が身についていないことが明らかでした。


「ひっど。あの子、あれでも貴族でしょ?」

「満足な教育を受けさせて貰えなかったのね。可哀想に」


 聴いている学生の中から、失笑が漏れ聞こえてきます。

 確かに演奏はお世辞にも上手とは言えませんでしたが、陰口はわたくしの趣味ではありません。

 わたくしは不愉快な思いで、これがロレッタに聞こえていなければいいと思いました。


 ですが、ロレッタの耳にはそんなさもしい声は全く届いていないようでした。

 彼女はとても楽しそうにピアノを弾いていました。

 技術こそ拙いものの、ロレッタは演奏を楽しんでいます。

 ずっとこれがやりたかった――そう顔に書いてありました。


 ロレッタは実に名残惜しそうな顔で、最後の鍵盤から指を離しました。


「結構です。技術的にはまだまだですけれど、あなたはとてもピアノがお好きなのね」

「はい、大好きです!」

「それはとても素晴らしいことよ。好きという気持ちは何より大事です。でも、このエチュードはまだあなたには早いようね。もう少し簡単な所からやっていきましょう」

「分かりました!」


 ロレッタは深々とお辞儀をすると、席に戻りました。


「次、ピピさん。前へいらして」

「はい」


 次の学生が呼ばれる中、わたくしはロレッタのことを見ていました。

 ピアノって、そんなに楽しいものだったかしら――そんなことを考えながら。


 ◆◇◆◇◆


「ねえねえ、あなた。人前であんな演奏をして、恥ずかしくないの?」

「酷かったわよね。直前のクレア様に比べたら、天と地ほどの差があったわ」


 その日の放課後、忘れ物をしたことに気がついたわたくしが教室に戻ると、何人かの学生が二人の女生徒を囲んでいました。

 床に蹲っているのはロレッタ、そして彼女を庇うように前に立ちはだかっているのは、確かピピと呼ばれた娘でした。


「何よ、よってたかって! 今に見てなさい! ロレッタはこの国で一番のピアニストになるんだから!」


 毛を逆立てた猫のように威嚇していますが、その顔には余裕がありません。


「あっははは! ねぇ、聴いた? この国一番のピアニストだって!」

「中級のエチュードも満足に弾けない才能なのに?」

「ムリムリ! 才能ないよ、その子!」

「うるさい、うるさい、うるさい!」

「……」


 周りを囲んでいる学生たちが口々にロレッタを馬鹿にします。

 ピピは必死にそれから庇おうとしていますが、ロレッタの目には涙が浮かんでいました。


 どうやらこれはいじめの現場のようですわね。

 貴族という閉鎖社会にはつきものですが、多数で少数を虐げるというのはわたくしの趣味ではありません。


「あらあら。才能才能と随分と浅い見識ですわね? もしかしてあなた方、成長や努力と言う言葉をご存じありませんの?」

「く、クレア様……」


 わたくしが教室に入ると、いじめていた学生たちがたじろいだ様子を見せました。

 わたくしは続けます。


「クグレット家は武門の家。魔法や格闘で勝負したら、あなた方なんて軽くひねられますわよ?」

「!」


 その時になってようやく自分たちの立場を認識したのでしょう。

 学院の授業には当然、模擬戦闘の訓練などもあります。


「第一、彼女に才能がないということ自体がまるででたらめですわ。彼女には最も重要な才能があるじゃありませんのよ」

「……?」


 いじめていた周りの人間たちではなく、ロレッタ自身が不思議そうにこちらを見てきました。

 彼女にも分からないのでしょう。


「キャロル様も仰っていたでしょう。あなた、ピアノが好きなのでしょう? あんなに楽しそうにピアノを弾いていたのは、わたくしたちの中であなただけですわ」

「あ……」

「それとも、あれはあの場だけの口先だけでしたの?」

「違います! 私は……私は本当にピアノが好きなんです!」


 ロレッタはちぎれそうな程に何度も何度も肯首しました。


「で、でも、クレア様。好きっていう気持ちだけじゃ――」

「努力は夢中に勝てない、という言葉をご存知?」

「え?」

「ぞ、存じ上げませんけれど」


 そうでしょうね。

 でなければ、こんな愚かなことはしていないでしょう。


「努力というのは辛いことを我慢してやり通すことですわ。でも、好きで好きで堪らなくて、楽しいことを喜んでやり続ける人にはどうやったって勝てっこないのですわ」

「それがこの子だって、クレア様は仰るんですか?」

「そうなるかどうかは、これからのロレッタ次第ですわ。でも、そうなったらどんなに痛快かとわたくしは思いますわね」


 わたくしがそう言うと、いじめっ子たちは気まずそうに目を見合わせました。

 そして、


「ねぇ、もう行こう」

「そ、そうね」

「うん……」


 そうして、一人、また一人と散り散りになって行きました。


「ありがとうございます、クレア様」

「わたくしはただ、本当のことを言っただけですわ。それよりあなた。あの人数を相手に、よく立ち向かえましたわね?」

「ロレッタは親友ですから。私、彼女のピアノと一緒にヴァイオリンのコンサートをするのが夢なんです」


 ピピによると、ロレッタは幼なじみなのだそうだ。

 わたくしとカトリーヌみたいなものかしら。


「その友情、大切になさいな。貴族社会は繋がりの社会。強固な絆は武器になりましてよ?」

「はい!」

「そしてロレッタ」

「は、はい!」

「このクレア=フランソワにここまで言わせたのです。どうかわたくしを嘘つきになさらないでね?」

「はい!」

「結構」


 わたくしはロレッタの手を引いて立ち上がらせると、二人に言いました。


「あなたたちは見所がありますわ。今日からわたくしのものになりなさい」


 ◆◇◆◇◆


「っていじめられてた子が、今じゃ同世代有数のピアニストですからねぇ。あの時いじめてた子たちですら、今じゃロレッタのファンですし」

「ピピだって、今度のコンサートのソリストでしょ? 凄いよ」


 お互いを褒め合うピピとロレッタは、とても誇らしそうでした。


「あれだけのことをしておいて、調子のいい方たちですわね、全く」

「アハハ……、過ぎたことですから。もう気にしてません」

「ロレッタってそういうとこ、ちょっとさっぱりしすぎだと思う」


 わたくしとピピは少し不満でしたが、ロレッタはもう水に流したようです。


「ま、わたくしの人を見る目は確かだったってことですわね」


 わたくしが満足げに言うと、


「つまりクレア様のお眼鏡に適った私も、将来有望ってことですね?」

「あなたを認めたことは、ただの一度もありませんわよ!?」


 平民がふざけたことを言ったので、厳しく反論しておきました。


「でも、クレア様には本当に感謝しているんです。あの時助けて頂かなかったら、私たち潰れちゃってたかも知れませんし」

「はい、ありがとうございます、クレア様」


 ピピとロレッタが改めて礼を言ってきました。

 そんなこと、必要ありませんのにね。

 わたくしは気に入らないものを気に入らないと言い、好きなものを好きなように手に入れただけですわ。


「今さら水くさいですわよ。二人ともわたくしのゆうじ――所有物なんですから」

「そうですよ、私たちの仲じゃないですか」

「「「何しれっと混ざってます(る)のよ!?」」」


 思わず恥ずかしいことを言いそうになったので、わたくしは平民を弄ることで誤魔化したのでした。

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