第10話 セイン=バウアー

「あら? この音はなんですの?」

「何か聞こえてきますね」


 フランソワ家の派閥に属するとある令嬢から誘われたお茶会への道すがら、どこからか美しい旋律が聞こえてきました。

 距離があるようでよく聞き取れませんが、どうやら竪琴のようです。


「あ……」

「?」


 平民が何かに気がついたように声を上げました。

 わたくしが怪訝に思っていると、ふいに手を引かれました。


「クレア様、こちらです」

「ちょ、ちょっと平民!」

「レイちゃん、お茶会始まっちゃうよ!」


 わたくしもレーネも平民に抗議しましたが、彼女はぐいぐいとわたくしを引っ張って行きます。

 普段から妙に押しの強い娘ですが、ここまで物理的な手段に出ることは希です。

 一体、何だっていうんですの?


「ちょっと平民、どこに向かってますの?」

「しぃー! ほら、見てみて下さい」


 わたくしたちがやって来たのは、学院の中庭の一角です。

 普段、ピピやロレッタたちとお茶をしているそれとは別の、池の畔にある東屋。

 そこに、銀糸の髪の男性が静かに佇んでいました。


「セイン様……」

「わぁ……素敵な音色です」


 レーネの感嘆はわたくしのものでもありました。

 セイン様が音楽に堪能でいらっしゃることは有名な話ですが、こうして直接耳にするのは初めてのことです。

 決して起伏の大きな音の並びではありませんのに、なぜだか胸をかきむしられるような、そんな切ない調べでした。


 貴族の嗜みとして、わたくしにも音楽の素養はあります。

 ピアノでしたら、楽譜さえあれば大抵の曲は弾きこなす自信がありますわ。

 それでも、わたくしの腕はその程度のもの。

 ですが、セイン様のこれはそんなレベルではありません。


 楽譜をなぞるだけの演奏ではなく、「表現」をする芸術家のそれでした。


「素敵ですわ、セイン様!」


 わたくしは堪らなくなって、セイン様に駆け寄りました。

 後ろで平民が何か言ったような気がしますが、今は何よりこの素晴らしい演奏に対する賞賛と返礼をしたいとわたくしは思ったのです。


 でも、セイン様はピタリと手を止めて、わたくしを温度のない瞳で見つめてきました。


「……お前は……フランソワ家の」


 今に至っても名前を覚えて頂けないことに、少しだけ切ない気持ちになります。

 ですが、そんなことでくじけるようなわたくしではありません。


「クレアですわ。そろそろ覚えて頂けると嬉しいですの」

「……ああ……そうだったな」


 興味なさそうに言いながら、セイン様は竪琴をしまい始めてしまいました。


「あら? もう弾かれませんの? わたくし、もっと聴かせて頂きたいですわ」

「……こんなものは戯れだ。他人に聴かせるような代物ではない」

「そうでしょうか? お上手でしたよ?」


 レーネも賞賛の言葉を口にする。

 彼女はそれほど音楽の素養がないはずですが、そんな素人の耳にも分かるほど、セイン様の演奏は飛び抜けたものでした。


「……竪琴など、教養くらいにしか役に立たん。王の資質には関係ないものだ」


 吐き捨てるようにそう言うと、セイン様は竪琴を完全にしまい込んでしまわれました。


 セイン様はとてもストイックな方です。

 王位継承権こそ第二位ですが、いつ自分が王位についてもいいよう、常に自己鍛錬を欠かしません。

 彼の理想は現国王であるロセイユ=バウアー陛下。

 ですが、賢王と称されるロセイユ陛下に対し、セイン様は何やらわだかまりがあるともっぱらの噂でした。


 初めて聞いたセイン様の竪琴は素晴らしいものでした。

 これを戯れと切って捨ててしまうのは、わたくしにはとてももったいないように思いました。


「なら、国王に必要な資質が問われるゲームでもしますか?」

「……ほう?」


 ふいに平民が言った言葉に、セイン様が興味を示しました。


「……レイ=テイラーか。クレアのメイドになったとは聞いていたが」


 セイン様、わたくしの名前は覚えて下さらないのに、こんな平民の名前は覚えていらっしゃるのね。

 わたくしは屈辱感で一杯になりました。

 ロッド様といいユー様といい、どうしてみんなこんな平民に……。


「おかげで幸せな毎日を送っております」

「……そのことはいい。王の資質が問われるゲームとはなんだ? チェスか? 確かお前は大した腕前だそうだな」


 セイン様が仰っているのは、先日のロッド様とのチェス対決のことです。

 平民はあのロッド様を相手に互角の勝負を繰り広げ、そのことは学院の一部でちょっとした話題になっています。

 でも、セイン様ったら、そんなことまでご存知だなんて。


「国王の資質が問われるゲーム……それは」

「……それは?」

「ずばり、王様ゲームです」


 平民は聞いたことのないゲームの名前を口にしました。


「……ほう、面白そうだ。どんなゲームだ?」


 博識なセイン様でもご存じなかったようです。

 平民によると、それはくじを引いて当たった者が、残りの者に命令をするというゲームのようです。


「……そんなもので王の資質が計れるのか?」

「はい」

「……いいだろう、やってやる」


 平民は紙をよってこよりを作ると、そこに番号を振っていきます。

 そして、番号の部分が見えないようにそれを握りました。


「では、皆さん、引いて下さい」


 セイン様、わたくし、レーネの順番でくじを引き、最後の一本を平民が手にしました。


「では、王様だーれだ?」

「……なんだそれは?」

「このゲームの作法です。くじ結果を検証するときに、みんなで言わなくてはなりません」


 何ですのよその変な決まりは。


「……そうか」

「はい、じゃあ、もう一回」


「「「「王様だーれだ?」」」」


 最初の王様は――。


「俺か」


 セイン様でした。


「では、セイン様。ご命令を」

「……む……。そうだな……」


 セイン様は戸惑う様子を見せました。

 お優しいセイン様のこと、きっとわたくしたちが嫌な思いをしないように気を配って下さっているのでしょう。


「……二番が三番の手を握る」

「二番は私です!」

「くっ……三番はわたくしですわ」


 平民がわたくしの手を握ることになってしまいました。

 どうしてこうなりますのよ。


「ではクレア様、手を出して下さい」

「仕方ありませんわね」


 指しだした手を平民が握ってきました。

 改めて手を握ると、平民の手は平民にしては肌が綺麗ですべすべとしています。

 生意気に手入れなどをしているのかしら、などと思っていると――。


「きゃっ!? ななな、何してるんですの!?」


 平民の親指がわたくしの手の甲を撫でたのです。


「いやあ、クレア様の手のすべすべ感を味わおうと思いまして」

「普通に握りなさいな! さ、もういいでしょう? 次ですわ、次!」

「そうですね。では二回目――」


「「「「王様だーれだ?」」」」


 二回目の王様は――。


「わ、私です」


 レーネでした。

 平民である自分がややもすると王族に命令することになるかもしれないと思ったのでしょう。

 レーネはかなりうろたえているようでした。

 先ほどのセイン様よりも長く悩んだ後、口にした命令は――。


「四番が二番の頭を撫でて下さい」

「……四番は俺だ」

「に、二番はわたくしですわ」


 ああ、なんてこと。

 憧れのセイン様が頭を撫でて下さる……?

 わたくしは胸をときめかせました。


「……婦人の髪にそう軽々しく触れるものではないと思うんだが……」

「セイン様、ルールです」

「……しかし……」

「セイン様、わたくしなら平気ですから」


 このままだとセイン様がやめてしまうと思ったわたくしは、少し強めにアピールをしてみました。


「……なら、すまんな」


 あの繊細な音を生み出すセイン様の美しい手が伸びてきます。

 わたくしは目を閉じました。

 躊躇うようにわたくしの髪に触れた手で、そのまま優しく撫でて下さいました。


「はふぅ……」


 異性の髪というのは閨の睦言よりも後に触れる場所という説もあるくらいです。

 ということは、わたくしたち……いえ、落ち着きなさい、クレア=フランソワ。

 セイン様の前ですわよ、妄想している場合ではありませんわ。


「……もういいだろう。次だ」


 時間にして十秒にも満たない間でした。

 手を離したセイン様のお顔は真っ赤になっていらっしゃいました。

 お可愛らしいですわ。


「はい。では三回目――」


「「「「王様だーれだ?」」」」


 三回目の王様は――。


「あ、私ですね」


 平民でした。

 とうとう一番なってはいけない者が王様に。

 わたくしは嫌な予感しかしませんでした。

 どんな理不尽な命令をされるのかと身構えていると、


「では、二番と四番はキスして下さい」

「……なんだと?」

「ちょ、ちょっと平民!?」


 四番はわたくしです。

 しかも、反応からすると、二番はセイン様のようでした。

 えっ、えっ?

 もしかして、もしかして?


「……おい、さすがにその命令はダメだろう」

「そ、そうですわよ」


 淑女らしく一応反対してみるものの、心のどこかではほんの少し……ほんの少しだけ期待しているわたくしもおりました。

 でも、こういうのは段階を踏んでから……。


「おや? 王様の命令は絶対ですよ? さ、早くなさって下さい」

「……分かった」

「セイン様!?」


 セイン様の言葉に、わたくしは思わずうろたえてしまいました。

 口づけを?

 こんな公衆の面前で!?


「では、キスを――」

「……そうではない」

「セイン様?」


 セイン様の声は固いものでした。

 そこに孕まれているのは明らかな怒気です。


「……このゲーム、王の資質などになんら関係ないな?」


 セイン様が平民をにらみつけました。


「……俺をからかったのか?」


 事と次第によっては許さない、という目です。

 平民は平然としていますが、無礼を働いたのは明らか。

 平民はわたくしの使用人ですから、責任は全てわたくしにあります。

 セイン様の心証が悪くなるのは残念極まりないですが、バウアー貴族として通すべき筋は通さなくてはなりません。


「セイン様、このご無礼はわたくしの――」

「さすがです、セイン様」

「……なに?」


 言いかけたわたくしを遮って、平民がセイン様を賞賛しました。

 セイン様は虚を突かれたように瞠目しています。


「このゲームの本質は、まさにその事実に気づけるかどうか、なのです」


 平民はしれっとそう言いました。


「もしあのまま、セイン様が無体な命令に従っていたら、セイン様に国王の資質はありませんでした」

「……試したのか、俺を」

「それについてはお許し下さい。ですが、やはりセイン様は国王の資質をお持ちです」

「……」


 セイン様の表情は複雑でした。

 王の資質ありと言われても、相手がこの平民では嬉しくもないでしょう。


「……帰る」

「セイン様!」


 仏頂面をして、でも平民を手打ちにはせずに、セイン様は席を立って東屋を出て行かれました。

 相変わらず気難しい方ですわ。

 でも、そういう所に親近感を覚えてしまうのがわたくしなのでした。


「レイちゃん」

「なに? レーネ」

「今の話、本当?」

「や、ただ私がクレア様で遊びたかっただけ」


 な、何ですって!?


「へ、平民! あなたねぇ……!」


 いくらなんでもやっていいことと悪いことがありますわよ!


「クレア様」

「何ですの」

「セイン様に頭を撫でられてどうでした?」

「△◆◇×○!!!」


 ああ、もう!

 嬉しかったに決まってますわよ!

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