第9話 カトリーヌ=アシャール
「ねえ、カトリーヌ。そろそろあなたのこと、ピピやロレッタにも紹介したいのだけれど」
「んー……?」
わたくしの言葉に答えたのは、どこか眠たげなのんびりとした声でした。
時刻は早朝、場所は学院の寮の自室です。
そろそろレーネ――と、あの忌々しい平民がやって来る時間でした。
室内にいるのはわたくしと、わたくしのルームメイトの少女――カトリーヌだけでした。
カトリーヌはわたくしと同じ金色のふわふわした巻き毛に、碧色の目をした娘です。
わたくしと彼女は幼い頃から交流があり、髪色と瞳の色のこともあって、昔はよく姉妹と間違えられました。
「ですから、ピピやロレッタに、あなたのことを紹介したいと言っていますのよ」
「どうしてー?」
「どうして……って、ピピやロレッタは友だちですもの。親しい相手にはあなたのことを知って欲しいと思うのは当然ではなくて?」
「んー……」
カトリーヌはイエスともノーとも言わず、わたくしのベッドでごろんと寝返りを打ちました。
その顔はまだ目が覚めていないのかと思うほど眠たげに見えますが、付き合いの長いわたくしには分かります。
あれはただ、考えるのが面倒くさいだけですわ。
「Zzz……」
「二度寝したフリはおやめなさいな。バレバレですわよ?」
「クレアちゃんには敵わないねー。仕方ない、起きるかー」
カトリーヌはもそもそと上体を起こしました。
「おはよう、クレア」
「おはようございますわ、カトリーヌ」
「頑張ったからご褒美ちょーだい」
「頑張った……って、ただ起き上がっただけじゃありませんのよ」
「ウチ的には超頑張った」
「もう……、一個だけですわよ」
「やったー。あーん」
わたくしは一つ溜息をつくと、カトリーヌの机の上にあるキャンディポットを取り、そこからキャンディを一粒つまんでカトリーヌの口に放り込みました。
「んー、やっぱりキャンディはリコリス味だねぇ」
「わたくし、その味苦手ですわ」
「クレアちゃんってばお子様ー」
「大人ならそろそろ自分でお食べなさいな」
「んー……やだー。せっかくクレアちゃんが買ってくれたものだしー」
このキャンディーはカトリーヌが好きな味なので、先日出かけた際に買い求めたものでした。
「って、話を逸らそうとしていますわね?」
「バレた?」
「何年付き合いがあると思っていますのよ」
彼女とは物心がついた頃――丁度、お母様が亡くなってしばらくしてからの頃からの付き合いですから、もう十年以上の付き合いになります。
「それで、いいですわね?」
「クレアちゃん、せっかちー」
「あなたがのんびりしすぎなんですわよ!」
昔からカトリーヌにはこういう所がありました。
何をするにもマイペースなのです。
物事を迅速にテキパキ進めたいわたくしとは対照的な子です。
「んー……。やっぱり、やめとくよー」
「どうしてですのよ?」
「だって、ウチなんかと関わり合いがあるって知ったら、クレアちゃんの迷惑になりそうだしー」
セリフこそ自虐的ですが、カトリーヌの顔にその色は全くなく、むしろ事実を淡々と述べているといった様子です。
わたくしはそれが猛烈に気に入りませんでした。
「どうしてあなたのことがわたくしの迷惑になりますのよ!」
「だってウチの家、フランソワ家と仲悪いしー」
「それはそれ、これはこれでしょう。確かにアシャール家とフランソワ家は円満とは言いがたい間柄ですけれど、わたくしたち個人の友情はまた別の話ですわ」
カトリーヌの実家であるアシャール家は、先の述べた四大勢力のうちの一つです。
歴史があり家格は高いですが、今はその力を失いつつある諸貴族の一派の中心的な家でした。
現状、貴族派閥内の最大勢力は、現王ロセイユ陛下と第一王位継承者であるロッド様を支持している派閥ですが、フランソワ家とアシャール家はその内部で主導権争いをしており、カトリーヌが言う通り、両家の関係は決して良好なものとは言えません。
それでも、カトリーヌはわたくしにとって友人でした。
貴族社会という閉鎖的な世界で長く時間を共にした彼女のことを、わたくしはわたくしなりに大切に思っているのです。
「第一、ロレッタにとってはあなた、未来の姉妹になるわけでしょう?」
「んー……そうだねぇー」
カトリーヌの義理の兄であるクリストフ様は、ロレッタの婚約者なのです。
この婚約を巡っては、貴族同士の勢力争いが深く絡んでいるのですが、それについてはまた別の機会に。
とにかく、未来の義妹になる相手をロレッタがまだ知らないというのは、どう考えても不自然です。
「姉妹って言ってもー……ウチは妾腹だからねー」
「あなた、そんなことを気にしていたんですの?」
「ううん、ウチは気にしてないけどー、父上や母上たちは違うだろうからさー」
「……」
カトリーヌの父、クレマン様にはあまりいい噂がありません。
家格や血筋といったものを尊ぶのはまだいいですが、それを笠に着て格下の貴族や平民に随分と無体を働いているといいます。
お父様もその辺りには煩い方ですが、それでも理不尽なことはなさいません。
格下や平民を嬲るなど、ただの弱い者いじめでしかないからです。
クレマン様を始めとする貴族たちは、貴族であると言うことがどういうことなのかをはき違えています。
(その証拠に……)
わたくしはカトリーヌの左足を見ました。
彼女の足は膝から下がありませんでした。
カトリーヌが大けがをしたのは、お母様が亡くなったあの事故の時です。
お父様とお母様が遭遇した馬車の事故の時、相手側の馬車に乗っていたのがカトリーヌでした。
事故は大変なもので、お母様は帰らぬ人となり、カトリーヌも左足を大けがしました。
それでも、カトリーヌの足は本来であれば治せたはずなのです。
落ち目とはいえ、アシャール家は侯爵です。
治療院でお金を積めば、高位の治癒魔法を受けることができたはずでした。
ですが、クレマン様はそれをしませんでした。
噂では、クレマン様が、あるいはその奥方様が、妾の子に金を掛けることを嫌がったと言われています。
結果、満足な治療を受けられなかったカトリーヌは左足の膝から先を切断することになり、今でも歩くには杖が必要です。
「とにかく、ウチの紹介はまた今度ね」
「もう……」
カトリーヌを強引にピピやロレッタに紹介することは出来ません。
なぜなら――。
「おはようございます、クレア様」
「最愛の私が朝の到来を申し上げます!」
「おはよう、レーネ。平民は帰りなさいな」
「そうやって恥ずかしがっているところも凄く素敵です、クレア様!」
「呆れてるんですのよ!?」
騒々しく、レーネと平民がやって来ました。
平民は相変わらず世迷い言を言っていますが、相手にするだけ体力の無駄ですわね。
「カトリーヌ様は今日もいらっしゃらないんですね。一度くらい、お目に掛かりたいのですけれど……」
「そういえば、いっつもいないですよね」
レーネと平民は空になったベッドを見てそんなことを呟きました。
そうなのです。
つい今し方までわたくしの目に映っていたカトリーヌは、今は影も形もなくなっているのでした。
「いえ、いるにはいるんですのよ。いるんですけれど……」
「ああ、また姿を隠していらっしゃるんですね」
「レーネから聞いてましたけど、本当に全然見えませんね」
カトリーヌの得意な魔法は隠形――わかりやすく言うと、姿や気配をゼロにする魔法なのです。
彼女は来室があると必ずそれを使って姿を隠してしまいます。
これがカトリーヌをピピやロレッタに強引に紹介出来ない理由です。
「私たち、嫌われているんでしょうか。私、カトリーヌ様を最後に拝見したのは随分前のことのように思います」
「そんなことありませんわ。彼女はちょっとその……気まぐれなんですわよ」
「案外、恥ずかしがり屋さんなだけだったりして?」
「あなたはちょっと黙ってなさい」
正直わたくしにも、カトリーヌがどうしてここまで自分を隠したがるのかは分かりません。
彼女は怪我のことを理由に講義にもあまり顔を出しません。
それでも中等部卒業まで一定の成績を維持して来たのですから、彼女の隠された努力には並々ならぬものがあります。
カトリーヌは変わった子ですが、優秀なのです。
(わたくし、あなたを皆に紹介することを諦めませんわよ?)
誰にも認識されないなんて、そんなの悲しすぎますわ。
わたくしはいつかカトリーヌが友人たちと笑い合える日が来ることを、密かに願ってやまないのでした。
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