第7話 名門貴族の娘
「うーん」
とある朝。
わたくしはベッドの上でごろごろしていました。
そろそろ支度をしなければならない時間ですが、少し考えたいことがあったのです。
王立学院に通う学生は近年になるまで貴族の子女でした。
そのため、学院には二人まで側仕えを連れていくことが許されているのです。
近年になって増えた平民の学生にはそんな余裕はないでしょうが、わたくしはフランソワ家の息女。
優秀な側仕えを連れていくのが当然です。
「おはようございます、クレア様」
「おはよう、レーネ」
「クレア様、何やら難しい顔をしていますね?」
側仕えの一人――レーネがやって来ました。
亜麻色の髪にはしばみ色の瞳をした落ち着いた印象の子です。
まだベッドにいるわたくしを「仕方ないですねえ」という顔で見つつ、レーネはドレッサーから服を選び始めました。
「あ、クレア様。ボタンが一つ外れていますよ」
「いいじゃないですのよ、誰に見られるわけでもなし」
「いけません。そういうちょっとした気の緩みから、堕落は始まるんですから」
「そういうものかしら」
わたくしはしぶしぶ外れていたパジャマの一番上のボタンを留めました。
「それでクレア様、何を考えていらっしゃったんですか?」
「ええ、ちょっと頭痛の種がね……」
今日は休日ということで、わたくしはフランソワの屋敷に戻って来ていました。
普段の休日は学院の寮で過ごすのですが、今日は大事な用があるのです。
「あのレイっていう子のせいですか?」
「ええ、そう。あの平民、今日の使用人面接に来るとか世迷い言を言っていましたのよ……」
そう。
今日は私が学院に連れて行く側仕えを決める面接の日なのです。
二人の内一人はレーネと決めていますが、もう一人は今日の選考で選ぶことになっています。
学院を連れ歩く相手なのですから、レーネほどまでとは言わなくとも、それなりに優秀な人材が欲しいです。
あんな平民なんてもっての外ですわ。
「くすくす……流石のクレア様もあの子には弱いみたいですね」
「よしてちょうだい。あんなのが平気な人など神経を疑いますわよ。わたくしは繊細なんですの」
「そうですね。確かにクレア様は繊細な方です。ああいう子はちょっと刺激が強すぎるかも知れませんね」
「そうですわよ」
お喋りを続けつつも、レーネはドレスを着せる手を止めません。
その手つきもよどみなく、さすがは長年わたくしに仕えてくれているメイドですわ。
「クレア様、ブローチはどれにいたしましょう?」
レーネがアクセサリ台を示してブローチの好みを聞いてきた。
「レーネはどれがいいと思いますの?」
「そうですねぇ……。一応、今日は面接というフォーマルな場ですから、ある程度かちっとしたものがよろしいでしょう。これなんかいかがですか?」
そう言ってレーネが指さしたのは黒いジェットの花に真珠をあしらったシルバーのブローチでした。
今日のわたくしの気分にぴったりです。
「それでいいですわ」
「はい」
やはりメイドはこうでないと。
阿吽の呼吸で主人に仕えるレーネに、わたくしは深い満足を覚えたのでした。
◆◇◆◇◆
「不採用ですわ」
「そこをなんとか」
「不採用だって言ってますでしょ!」
わたくしの頭痛の種はしっかり根を張っていたようです。
この平民は本当にわたくしの側仕え試験に応募しており、あまつさえ最終面接に残ったのです。
信じられない!
「クレア様。この者はどうしてもダメなのですか? 能力的にはピカイチなのですが……」
選考に携わったメイド長の言い分はこうです。
平民とは思えない程の教養があり、そこそこの礼儀作法も身につけている。
また魔法の敵性も高く、身辺警護にも向いている。
つまり、悔しいですが、純粋に能力面だけで計った場合、この平民は飛び抜けて優秀な人材と言うことになるのです。
でも――。
「性格に難がありすぎですわ! こんなメイドに四六時中そばにいられたら、わたくしの心が安まる暇がありません!」
「ですが、忠誠心も非常に強いようですし」
「メイド長。忠誠心ではありません。愛です」
「こんなこと言うメイドをそばに置けませんわよ!」
ああ、わたくしの癒やし――レーネを呼んでちょうだい。
「どうしたんだね、騒がしい」
「旦那様……」
「お父様」
応接室の騒ぎを聞きつけたのか、お父様がいらっしゃいました。
上等なスーツを一分の隙も無く着こなし、手には象牙と紫檀の杖を突いています。
お父様は私を見た後、その鋭い視線を平民の方に向けました。
平民の方はと言えば、海千山千の貴族でも震え上がるお父様の視線を受けても、何ら動じることなく平然としています。
大物なのか、単に鈍いだけなのか。
「学院でお嬢様につけるメイドの選考をしているのですが、私が選んだメイドがお嬢様にはお気に召さないようでして」
「ふむ。メイド長が選んだのなら、能力的には問題ないのだろうが、クレアはなぜ嫌なんだい?」
「性格に難がありすぎますのよ。いつもわたくしのことをからかって……」
「ふむ……。メイドに主人への敬愛は不可欠なものだ。不適性なのではないのかね、メイド長?」
さすがはお父様。
使用人に必要なのは能力だけではなく、奉仕の心と忠誠心――そのことをよく分かっていらっしゃいます。
「そんなことはありません。この者の応募理由そのものが、お嬢様へ仕えたいからというものでした。ただの金目当ての平民とは一線を画するものです」
「口では何とでも言えるだろう」
「メイドに採用された場合に、どのようにお嬢様にお仕えするかを尋ねたところ、非常に献身的で具体的な答えが返ってきました。口だけとはとても思えません」
ふむ、とお父様は少し考え込まれました。
「しかし、結局はクレアが気に入るか気に入らないかだろう。クレアが嫌というのであれば、やはり雇うべきではない」
「それは……そうなのですが」
「さすがお父様ですわ!」
これで平民がわたくしの付き人になるなどという悪夢から解放されます!
「フランソワ閣下。不敬ながら言葉を発することをお許し下さい」
喜色満面でいたわたくしをよそに、平民はお父様に向かって呼びかけました。
当然、お父様は眉をひそめます。
「平民風情が貴族にして財務大臣たるこの私に何を言うというのか。クレアの判断は間違っていないようだ。無礼にもほどが――」
「アーヴァイン=マニュエル」
平民がその名前を口にした瞬間、お父様の表情から温度が消えました。
表情こそ嘲笑を浮かべたままですが、目が全く笑っていません。
「誰だね、それは?」
「三月三日、五十万ゴールド」
わたくしには何のことか分かりませんでしたが、続けて言った平民の言葉に、お父様は押し黙ってしまいました。
「お父様?」
「クレア、メイド長。少しこの者と二人きりにしてくれないか」
「そんなことは出来ません! せめて護衛の者を――」
「これは命令だ」
お父様の言葉には、断固たる響きが含まれていました。
そう言われてはメイド長は引き下がるしかありません。
「わたくしもいてはいけませんの?」
「すまないね、クレア。少し確認したいことがあるだけだから、我慢しておくれ」
「……分かりましたわ」
優しい口調でそう言われては、わたくしも食い下がるわけにもいきません。
わたくしはメイド長と供に部屋を出ました。
◆◇◆◇◆
「この者をクレアのメイドとして採用しなさい」
三十分ほどたったでしょうか。
話を終えてわたくしとメイド長を招き入れたお父様は、信じられないことを口にしました。
「どうしてですの!?」
「この者は信頼出来る。クレアのメイドとしてふさわしい」
「納得いきませんわ! あなた、お父様に何を言いましたの!?」
「特別なにも。強いて言えば、クレア様への愛を」
「ふざけないで下さる!?」
わけが分かりませんわ。
この平民、一体どんな言葉を弄してお父様を懐柔したというんですの!?
まさか身体を……いえ、お父様はそんなことに惑わされるような方ではありませんわ。
でも、一体どうやって。
「お父様、こんなことをのたまう者を、そばに置けと仰るんですの!?」
「話してみたが、この者のクレアへの忠誠心は本物だぞ?」
「方向性が不純でしょう! この者は私をからかって遊びたいだけなんですのよ!?」
「クレア」
お父様が少し声のトーンを落としました。
低く響くその声色には、有無を言わせぬ迫力があります。
「従順な者をそばに置くのは簡単だ。フランソワ家の長女なら、じゃじゃ馬の手綱を握って見せなさい」
「くっ……」
官職に就かずとも、貴族の妻としてわたくしも将来は多くの者を従える身。
であれば、この程度の者を御しきれなくてどうする、とお父様は仰っているのです。
フランソワ家の長女であれば、これくらいはこなして見せよ、と。
「どうしてもこの者を雇うと仰るのですね?」
「そうだ」
「……分かりましたわ」
お父様の仰ることには理があります。
これ以上感情的に反対するのは、貴族として美しくありません。
わたくしは深呼吸を一つすると、平民に向かって言いました。
「わたくしのメイドになるからには、わたくしの言うことは絶対ですわよ!? 覚悟することですわ!」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
こうして平民はまんまとわたくしのメイドの地位を手に入れました。
それにしても、お父様と一体何を話したのかしら。
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