第3話 ミシャ=ユール

「お久しぶりですわね、ミシャ」

「はい? これは……クレア様、ごきげんよう」


 わたくしが声をかけると、その少女は恭しく礼を取り頭を下げました。

 今はピピとロレッタは側にいません。

 「彼女」を見かけたので、二人を置いてこっそり抜け出して来たのです。

 これからする話を聞かれたくなかったから。


 久々に会った銀糸の髪に赤い目をした美しい女性――ミシャ=ユールは、昔と変わらず澄ました顔でわたくしを見ました。

 温度のない視線からは、何の感情も読み取れません。


「そんなにかしこまらなくてもよくってよ。入学おめでとうございますわ、ミシャ。今は平民とはいえ、あなたの家は元々格式ある貴族の家柄。そこらのただの平民とは違いますわ」

「恐縮です。ですが、何事にもけじめは必要ですので」


 そう言ってあくまでも貴族に対する平民としての態度を崩さないミシャは、相変わらずだなとわたくしは思いました。

 ミシャの実家であるユール元侯爵家は、王国内の土地や建物を管轄する役職にあった名門貴族でした。

 王室とも距離が近く、特に第三王子のユー様とは家族ぐるみの付き合いがあったと聞いています。

 ユール家は代々堅実で真面目な者が多く、ミシャもそのご多分に漏れずよく言えば誠実、悪く言えば少し堅物な女性なのでした。


「そう。ならそうさせていただきますわ。でも、ご実家のことは残念でしたわね」

「仕方のないことです。権力争いは貴族の常。敗者はただ消え去るのみです」


 強がりではなく、ただただ事実を受け止めているといった様子でミシャは語ります。

 その顔には後悔も恨み節も全く浮かんでいません。

 こういう潔さにも、やはりユール家の人間なのだなと思わされます。


 バウアーの王侯貴族には、大きく分けて四つの巨大勢力があります。

 一つは王家。

 言うまでもない、この国の最高権力者たちです。

 王国を王国たらしめている彼らは、もう二千年近くこの国の頂点に君臨し続けています。

 ただ、長きに渡る歴史の中で、その内実に変化があることも否めません。

 王家は実質的な権力というよりは、その権威に価値があります。

 財力や政治力においては、王家を超える貴族が既に出始めているのです。


 その一つがわたくしの家であるフランソワ公爵家です。

 長きに渡り財務卿を務めてきた我がフランソワ家は、今や財力においても政治力においても、王家をしのぐ勢いがあります。

 こと政治力においては宰相であるサーラス=リリウム様が率いる一派に一歩劣るものの、財力に関しては他の追随を許しません。

 財務卿という国の金庫を握っているフランソワ家に睨まれれば、どんな貴族も生きてはいけません。

 もちろん、わたくしのお父様であるドル=フランソワは、そんな私情で権力を振るうことはありませんが。


 三つ目の勢力は宰相サーラス様の一派。

 一派でありリリウム家と表現しないのは、サーラス様のご実家自体はさほど力を持っていないからです。

 サーラス様の家は元々それほど家格の高くない下級貴族でした。

 彼は己の能力だけで出世街道を突き進み、一代で王国宰相の地位を手にしたのです。

 財力こそフランソワ家に大きく劣るものの、政治力は突出しています。

 元王家が進めている各種の政策も、彼なしには立ちゆかないというのが、貴族の間の暗黙の了解でした。

 サーラス様を始めとする一派は、彼のカリスマ的な政治力でまとまっている派閥と言えるでしょう。


 そして最後の一つがアシャール侯爵家です。

 アシャール侯爵家は王家に継ぐ歴史を持つ古い家柄で、その家格は実際の爵位以上のものがあります。

 数代前の当主が政治的な駆け引きで我がフランソワ家に敗れ、今でこそ侯爵の地位にあるものの、それまではフランソワ家と同じ公爵でした。

 貴族には権威と歴史が必要不可欠です。

 その点において、アシャール家は名門中の名門。

 現国王ロセイユ陛下の能力主義政策に、最も強硬に反対しているのがこの一派です。

 彼らは古き良き貴族政治をよしとする保守派であり、尖った特徴こそないものの、安定した権勢を誇っています。


 前置きが長くなりましたわね。

 ミシャの実家であるユール家は、そのアシャール家との政争に敗れたのです。

 ユール家は今挙げたどの派閥にも属さない中立派だったのですが、アシャール家の派閥に目をつけられて取り潰されてしまいました。

 アシャール家の目的はユール家の持っていた王家とのパイプだったと噂されていますが、真偽の程は定かではありません。


「ところでクレア様。私にお声を掛けられたのは、何が御用向きがあったのではありませんか?」

「そうそう、そうでしたわ!」


 忘れるところでしたわ。


「あなたのルームメイトのことですわよ!」

「レイですか? 彼女が何か?」

「何か、じゃありませんわよ! なんですのあの平民は! 口を開けば戯言ばかり。あんな失礼な輩は見たこともありませんわ!」

「え……? それは……失礼致しました」


 ミシャは少し戸惑うような様子を見せつつも、頭を下げて見せました。

 そして、


「参考までにうかがいたいのですが、レイはクレア様にどんな失礼なことを……?」

「そ、それは……!」


 飽くまで冷静に問いかけてくるミシャに対し、わたくしは口ごもってしまいました。

 あの平民が言ったことは……言ったことは……。


「わたくしのことがその……す、す……好きだとかなんとか……」

「え? よく聞こえませんでした。何と?」

「だ、だから……」

「はい」


 どうしてわたくしがこんなことで困り果てなければなりませんの。

 あんな破廉恥なセリフの数々、高貴なわたくしの口から言えませんわよ!


「それもこれもみんなあの平民が……!」

「クレア様?」

「とにかく! あの平民にもっと貴族に対する敬意と礼儀を覚えさせなさい!」

「レイは普通に礼儀作法は弁えている子だと思いますが」

「どこがですの!? 失礼を煮詰めて固めたような人じゃないですの!」

「……レイがですか?」


 ミシャは首をひねっています

 おかしいですわ。

 わたくしとミシャの間で、あの平民に対する認識が大きく食い違っているように思えます。


「参考までにうかがいますけれど、あなたからみたあの平民というのは、どんな人ですの?」

「そうですね。なんというか……普通ですね」

「普通!? あれがですの!?」

「ええ。クレア様がレイのどこに腹を立てていらっしゃるのかは分かりませんが、レイは本当に目立たない普通の子ですよ」


 わたくしは目眩がしてきました。

 あれが、普通。

 ひょっとして、わたくしが知らなかっただけで、平民というのは皆あんな感じなんですの?

 バウアーの未来が心配ですわ。


「性格は前向きで明るい子ですが、特別変わっているということもないですね。ああ、でも、学問はよく出来ます」

「特別変わっていない……あれが……あれが……」


 平民とは恐ろしいものですわ。

 やはり貴族が上に立って導かねば、この国は破滅してしまいます。


「クレア様から見たレイはどんな子でした?」

「変態ですわ」

「は?」

「だから! 変態ですわよ! 何ですのあれは! 己の分も弁えず、このわたくしに言い寄るなど、正気の沙汰ではありませんわ! 大体、わたくしもあの平民も同性ですのよ!?」

「言い寄った? レイがですか?」

「そうですわよ! もちろん、からかっているだけでしょうけれど、あんな冗談笑えませんわよ!」

「……」


 わたくしがまくしたてると、ミシャは首をひねった。


「どうしましたのよ?」

「いえ、どうもクレア様が見たのは別人であるような気がしてきまして」

「間違うはずがありませんわ。ミディアムボブの黒髪に黒目、背はわたくしより少し高いくらいで、スタイルは貧相なあの平民ですわよ?」

「よく見てますね」

「あのインパクトで忘れられるはずがありませんわよ!?」

「そうですか」


 そう言うと、ミシャはくすくすと笑い始めました。


「ちょっと、ミシャ。何がおかしいんですのよ」

「失礼しました。でも、クレア様、少し楽しそうです」

「楽しそう!? わたくしが!?」

「ええ」


 ミシャは薄く笑いながら続けました。


「クレア様はいつも貴族らしく優雅な笑みを湛えることを忘れない方ですが、それは飽くまで上辺だけ。本当に笑うのは、ピピ様やロレッタ様のように、気を許した特別な相手の前だけでいらっしゃいますよね?」

「そんなことは……」


 ない、とは言い切れない。


「そんなクレア様が、こんな風に感情を露わになさるなんて。レイはよほどクレア様に気に入られたと見えます」

「誤解! 完っっっ全に誤解ですわ!?」


 あのような者に気を許した!?

 このわたくしが!?


「わたくしはただ、あの平民があまりにも失礼だから、ルームメイトであるあなたに注意をしようと――」

「ええ、それは承りました。厳しく言っておきます。でも、クレア様。ひょっとすると、レイがそんななのは、クレア様の前でだけかもしれません」

「わたくしに対してだけ……?」

「はい。レイにとっても、クレア様は何か特別な方なのかもしれません」


 わたくしが……特別……?


「と、とにかく、わたくしは言いましたからね! 今度、あの平民が今日のような妄言を吐いたら、ただじゃおきませんわよ!」

「かしこまりました。よく言って聞かせます」

「頼みましたわよ! ごきげんよう!」


 わたくしはミシャの元を離れました。


「あ、クレア様。どこ行っていらしたんですか?」

「お姿が見えないので、心配していました」

「ごめんなさいね、ピピ、ロレッタ。何でもないのよ」


 二人と合流して、いつもの東屋でお茶にする。

 古くからの信頼出来る使用人であるレーネが淹れてくれる紅茶は今日も美味しい。


 でも。


「わたくしが……特別……」


 ミシャの言葉がどうしてか耳から離れません。

 平民に好かれても嬉しくなんてありません。

 嬉しくない、はずなのに。


 どうしてだか、あの者の脳天気な笑顔が頭から離れないのでした。

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