第36話 Deep Desire

 理子は他の女子に紛れ、玄が所属するバスケット部の練習や、試合観戦へと足を運ぶ日々を送るようになった。それは理子にとって初めて心が躍り、楽しいと実感出来る時間だったのだ。中学3年生である玄の卒業が近づくと、理子はやっと手に入れたワクワクする日々を失う不安に駆られたが、他のバスケ部ファンの会話に聞き耳を立て続け、玄が大手学園高校に入学するのだと知る。高校への進学など全く興味が無かった理子だが、玄の入学する大手学園高校への入試が人生初めての目標となる。

 高校に入学してからもバスケを続けた玄の試合観戦は、欠かさずに通った。ただ玄が高校2年になった頃から試合にあまり出場しなくなり、控えに回る事が多くなっていった。怪我をしたのだと後で知る。

 理子が大手学園高校に入学した時には、3年生になっていた玄は、バスケ部にあまり姿を見せなくなっていた。

 会えなくなると危惧した理子は、ある日、学校帰りに初めて玄の後を付けた。そして「カフェルージュ」と書かれた店に入って行く玄を突き止め、彼がここで働いているのだと知る。

 理子の中で玄という根が、どんどん大きく深く育っていった。


「理子ちゃん、チーズとデーツをそれぞれのボールに入れて」

「あ、はい」

 理子にとって地獄での日々は夢のようであった。遠くからしか眺める事が出来なかった彼が目の前に居て、自分の名前を何度も呼んでくれるのだ。

 だが、理子の中で大きく育った玄は、もうそれだけでは満足出来なくなっていた。「愛」の栄養を強く欲する巨大化した根は、彼女の身体を突き破り出したのだ。


「じゃあ、窯に入れようか」

「あの服は?」

 いつもならスコーンの下準備をした後で、一旦川で身体を綺麗にしてから防火服を着るのだが、今日は急いでいたため、先に窯にスコーンを入れてしまおうと考えた。

「パッと窯に入れるだけだし、後で着るよ」

「私だけ着てて、すみません」

「早く入れてしまおう」

「あ、はい」

 俺と理子は窯の中へ急いだ。

 理子がどんどんとスコーンを運んでくれた。

「俺達、良いコンビだな。またこんな事言ったら義晴に怒られるな」


「あの~ 武田先輩。私の事を覚えていませんか?」

「え? 俺って先輩だったの? いつ? 中学、高校?」 

「地獄で死んだらどうなるんですか?」

「え? 今なんて? これでスコーンは全部入ったね。さっきの話、窯から出たら詳しく教えて」

 理子は不思議な笑みを浮かべながら玄を見つめていた。

「あれ、どうして窯の蓋が閉まってるんだ」

「私が閉めました」

「あ、でもスコーンだし、閉めなくてもいいよ。しかし意外と力持ちだね。俺には蓋持てなかったけど。知らないうちに耕三さんが、軽いのに改良してくれたのかな」

 そう考えて蓋をこじ開けようとしたがビクともしなかった。

「これ本当に理子ちゃんが閉めたの? 外から誰かに閉められたんじゃ」

「私の事、わかりませんか?」

 先程から同じ質問を続ける理子に初めて意識を集中させた。

「ごめん、どこで会ったっけ?」

「武田先輩はバスケで活躍していて、いつも人気者でした」

「あ、中学? それとも高校?」

「お喋りな茜さんの影響で、最近私も少し話が出来るようになりました。でも以前は無口で私の話相手は本だけでした。先輩には栞を拾って貰いました。大事にしていた栞だったので、すっごく嬉しかった。まだ分かりませんか?」

 俺が身に着けているのはパンツだけだった。窯の入り口付近に蓋を開けるために移動したが、それでも身体の内外から焼け焦げてきた。

「ごめん、理子ちゃん。俺もうダメだ。話は後でゆっくり聞くよ。だからこの蓋を閉めたなら、開けてくれると嬉しいんだけど」

 蓋を開けようともせず、理子は思むろに自分の服を脱ぎ始めた。

「ちょちょっと、そんな事したら理子ちゃんまで、、、、何してんだよ。一体どうしたんだよ」

 じっと自分を凝視している理子の顔を見て、ふと頭にある風景が過ぎった。

 カフェルージュでエスプレッソマシーン前にあるカウンター席の一番端に座り、いつも独り本を読んでいた女の子の姿。

「あのと、、、、き、、、、、の」

 地獄で理子を紹介された時、以前に何処かで会った気がしていたのは、彼女がカフェルージュの常連客だったからだ。

 俺は視界が徐々に暗くなり、身体の痛覚も失われ、いつの間にか膝が地に着いていた。

「私、あの爆発事故で先輩と一緒に死んだんですよ。地獄で会えた時、心底嬉しかった。ここで共にまた焼け死ねたら、今度こそ先輩は私だけの者ですよね」

 そう告げると、理子は地面に蹲っている玄に抱き付いた。

「こんな風に先輩に触れられるなんて私とっても幸せです」

 それが玄の意識に届いた最後の言葉だった。


『ここは? 俺はどうなったんだ? さっきまで地獄の窯でスコーンを焼こうとしていたはずだ。確か、理子が変貌して昔の事を話出したような。窯から出られなくなって、俺ってあのまま焼けちゃったのか?』

 窯の中では、暗くなった視界だったが、今は目の前に明かりがあり、地面に何かを描いている指が見える。すると向こう側から誰かの声がした。 


「おお、帰って来たか。親方様はどうであった? 喜ばれたか?」

「ああ、三郎は本当に珍味が好きだな。もう南蛮からチーズや葡萄酒が届くのを待たぬで済むと、大喜びだった」

「ほぉ流石だな、大嶽丸おおたけまる

「先日、品種改良した稲も順調のようだ」

「そうか。それは安堵されただろう。もう凶作の心配がないからな」

「ああ、しかし南国の果樹をもっと増やせと言うてきた。ここは日ノ本だ、難しいと言ってやったら、鬼火を使えと申して来た。あの三郎はまだまだうつけ者だ」

「天下人に手が届きそうな信長様を、三郎だ、虚け者だと呼ぶのは、大嶽丸くらいだぞ、がははは」

「俺様には、天下人になろうと三郎は、ただの三郎だ」


『あれ? 耕三さん? 何あの服装? 袴? 着物?』

 耕三は、建物にある長い廊下で庭を眺めながら誰かと立ち話をしていた。

 辺りを見渡すと、ここはまるで時代劇に登場する城内の様だ。

「まる~」

『え? 俺どうなってんだ?』

 俺は誰かの身体を借りているようで、袴に身を包んだ耕三に近づいて行った。

「おお~ 小角おづぬ

 誰かの名を告げると耕三は庭に降り立ち俺を抱き上げた。

『え! 恥ずかしいよ』

「あははははは」

 俺の気持ちとは裏腹に身体の持ち主、小角おづぬは大喜びだ。耕三は俺を再び地面に降ろすと頭を優しく撫でてくれた。

 耕三の優しい笑顔に、先程までの混乱は消え、俺がどうなったのか、何処に居るのか等、どうでもいい気になった。

 小角おづぬは「キャキャ」とはしゃいでいて、俺もそんな気分だったのだ。

ふと俺の足元をフワリとした感触があった。

『コン?』

 コンによく似た狐が小角の足元に座り見上げていた。

「今日はな、小角おづぬに会いたいと俺様に付いてきたモノがおるぞ」

「あ」

 と言った小角が上を見ると、耕三の頭上に青龍が顕現した。

「もう、分かったってしまったか。小角に妖は隠せんな」

 小角の前に現れた青龍はとても小さく、俺を乗せてくれた青龍の半分もなかった。髭なども短く幼い青龍なのかもしれない。すると、幼い青龍はフワリと降り立ち小角の両足に入り込むと小角を乗せて上空に舞った。


『うわ~ うわ~』


 高い所が苦手な俺とは逆に幼い小角は大喜びで手を叩いた。

「おい、ちゃんと青龍の角を掴んでおかねば、落っこちるぞ」


『はい、その通りです。どうぞ小角君しっかり掴まって下さい』

 俺は心の中で声を大にして叫んだが、本人には全く聞こえていないようだ。小角は怖がるどころか龍の上で寝転んだりしていた。


えんの魂に間違いないな。神使が放っておかぬようだ」

「ああ、間違いなく役氏えんうじの蘇りだ。昨夜珍しくなかなか寝付けんかったのだ。するとまた陰陽師が現れよった。あの子には感知出来るようだ」

「それは頼もしいではないか。術はどうだ?」

「先日、水で遊んでおった」

「流石、えんの魂だな。あ奴の作る飯が早く食いたい」

「旨いのか? 味わってみたい物だな」

「くだらん討ち死にさえしなければ食える。義覚ぎかくは会いに来たか?」

「早々にな。ほぼ毎日現れよる。小角も懐いておる」

「そうか。奴が守ってくれるだろうが、気を抜くなよ、権六ごんろく

「承知しておる。守護するために養子にしたのだ、任せておけ。お主はどうだ? その足はどうした」

「三郎も権六も、俺様の父兄か。また田村麿たむらまろが輪廻しよった。鈴鹿山のどこかに祀られたはずだが、俺様を葬るまで神として鎮座するのは退屈らしい。全くしつこい奴だ」

「随分と気に入られたもんだ。地獄に駆け込むしか逃れようがないな、がははは」

「笑い事ではない」

勝家かついえ様、馬の用意が出来ました」

「あい分かった。では大嶽丸、頼んだぞ」

「ああ、心配するな。必ず生きて帰って来い、よいな権六」


「父上~」

 小角は、青龍から飛び降りると、勝家と呼ばれた人物に駆け寄った。

「小角、父は用があって暫く城を離れるが、丸の言付けを聞いて好い子でいるのだぞ」

「はい、父上」

 勝家は満面の笑みを浮かべながら、小角の頭をワシワシと撫でると、家臣と共にその場から居なくなった。勝家が姿を消した廊下の角から、美しい姫が現れ、耕三に近づいて来た。

「大嶽丸様」

「瑠璃姫」

『うわ~綺麗な姫だな、、、、何この雰囲気。え! もしかして耕三さんの、、、、恋人?』


「玄、げーん、しっかりしろ!」

「玄、起きろ!」

「玄! 玄! 頼む目ぇ開けてくれ」

 俺の名を呼ぶ声が遠くに聞こえた。



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