第37話 Desperation
スコーンが売り切れても、戻って来ない玄と理子を心配した義晴が、窯にやって来ていた。
「玄、理子ちゃん、お客さんがスコーン待ってるで~」
辺りには人の気配はなく、スコーンの下準備がしてあった形跡と、玄の防火服が地面に置き去りにされていた。
「川に身体を洗いに行ったんかな? 玄、、、、まさか浮気か? 僕、見てはいけない現場に居合わすとか嫌やで」
義晴は川に向おうとしたが、窯に蓋をしてあるのが目に入り、焼け焦げた匂いが漂って来た。
「え? なんで蓋が閉まってるん? スコーン焦げてしまってんのんちゃうん」
蓋を開けようとしたがピクリともしないため、慌てて監一を呼びに行った。
しかしこの時、義晴は玄が中に閉じ込められている、とまでは想像していなかった。ただスコーンが焦げてしまうのが心配だったのだが、義晴から事情を聞いた監一と監二の脳裏を不吉な予感がよぎった。あの蓋は並みの人間では到底動かせないからだ。
蓋を開けた監一達の目に飛び込んで来たのは、身勝手な至福の念を抱く鬼と化した理子が、身体の殆どが焼け焦げた玄を抱いている姿だった。
「監二、鬼を取り押させろ」
「鬼って? どういうことや? 玄達また獄卒に襲われたんか?」
義晴は目の前で起こっている状況が全く理解出来ず、監一が窯から真っ先に、真っ黒い何かを救助するのを眺めていた。
「まさか、玄ちゃうやんな。理子ちゃんは?」
もう一度窯に目をやると、監二が女鬼を引き摺り出している。
「ギャ――― 邪魔をするな。私の玄だ。誰にも触らさせぬ」
その鬼は、獄卒と互角と言える恐ろしい形相で、監二に取り押さえられながら、怒り狂っていた。
再び監一に目を向けると、大声で黒い物体に呼び掛けている。
「玄、、なんか?」
事の重大さに気付いた義晴は、慌てて玄に駆け寄ると、監一と同様に声を掛け続けた。
一方、カフェでは誰も帰って来ない事を心配した勇が、窯場に向って走っていた。そして監一と義晴に呼び掛けられている玄の姿を捉えると一瞬狼狽えたが、玄なら客への対応を優先して欲しいだろうと考え、茜が1人で対応に追われているカフェに戻った。勇はスコーンの替りに他の商品を提供すると、茜と共にカフェを切り盛りし、無事に営業を終わらせ、再び玄の元に急いだのだ。
「監一さん、玄はどうだ! 玄何やってんだよ。早く起きないと次の開店時間が来てしまうぞ」
胸が心配で張り裂けそうになるのを抑えながら声を掛けた。
「玄君。どうして、どうして、こんな事に」
茜は玄の変わり果てた姿をその目で捉えると、錯乱状態に陥った。
「皆、落ち着くのだ。鬼長が今、対処方法を考えてくれている」
「監一さん、とにかく玄を助けてくれ! 頼むよ― 玄居なくならないでくれよ」
勇の悲痛な叫び声が地獄に木霊した。
「監一さん、理子ちゃんは?」
少し落ち着きを取り戻した茜は、ふと玄の傍に居ない理子に気付き、辺りを見回すと、義晴が窯の近くを指差した。
「鬼になってしもうたらしい」
「どういうことだよ」
「義君、理子ちゃんが、鬼って?」
全く状況の掴めない、勇と茜に監一が説明を始めた。
「理子は玄に対して秘めた思いを抱いておったようだ。それは、地獄でも浄化されず、三毒が巨大となり鬼と化したのだ。これは俺の想像だが、恐らく間違いないだろう」
「そんな……」
「一緒に地獄で死ねば、玄が、あ奴の者になると考えたのだ。愚かな」
勇と義晴は、監一の言った意味が想像を遥かに超えていたため、言葉が頭に浮かばなかった。
「私のせいだわ」
「茜?」
「最初に理子ちゃんを見た時、いつもカフェルージュにやって来て、玄君を見つめていた常連客に似てるなって思ったの。でもカフェに来ていた子は凄く無口で、声すら聞いた事なかったから、違うのだと思って忘れてしまってた。私が気付いてあげてたら、2人共こんな事にならなくて済んだかもしれないのに。ごめんなさい」
茜は真っ黒になった玄の傍に座り込んだ。
「何が起こった!」
珍しく取り乱した耕三が突如現れると、玄を凝視した後、鬼と化した理子を一瞥した。
「玄、すまぬ。ヤコが懸念しておった事がこんなに早く起こってしまうとは、俺様のせいだ」
「耕三どういう意味だ。ヤコとはコンの事か?」
「ああ。あの女が毒に侵されていると危惧しておった。そして煩悩の原因が玄だとな」
「ヤコが傍に居るとは、青に乗ったとも言っていた。まさか、玄はもしや、、、、」
「まだ俺様にもハッキリと分からん。あいつは気紛れだからな。ただもしそうであれば、玄を地獄で死なせるわけにはいかん」
「そうだな。しかし大王は知っておるのか。地獄に送るなどあってはならぬぞ」
「あいつの事だ、法術でも使って騙しよったのだろ。先ずは玄を助けるぞ」
「大嶽丸、頼んだぞ」
「
勇と義晴は、耕三の出現に玄が助かると、胸を撫で下ろした。だが、監一との会話の意味を全く掴めずにいた。
「ヤコがコンって何だ?」
「監一さん、今耕三さんの事、違う名で呼ばんかった?」
「耕三さんも、監一さんの事、
茜は誰の会話も耳に入らず、ただ玄の傍で彼の名を呼び続けていた。
耕三は、横たわっている玄の傍らで膝を付くと、玄の身体の上で手を翳した。すると耕三の手からキラキラと銀色に輝く光が、どんどんと溢れ出し真っ黒になった玄の身体を包み込んだ。どれほどの時間、耕三がそうやっていただろう。暫くすると銀色に輝く糸が、まるで蚕が繭をつくるように玄の姿を覆い被っていた。
「あとは、玄の力を信じるしかない」
そう告げた耕三は神妙な面持ちで立ち上がると、勇に目を向けた。
「勇、カフェはお前が守れるか?」
「耕三さん、、、、うん俺達が守るよ。玄が元気になって帰って来た時、潰れてたら悲しむだろう」
「そうだな」
「僕も頑張ります」
玄の傍に付き添っていた茜も立ち上がると、真剣な眼差しで耕三に応えた。そして、3人は頭を深々と下げた。
「なんてのは冗談だ。お前等の覚悟を確かめたかっただけだ。玄は直ぐに目覚める。俺様の治癒力だぞ。玄は幸運な奴だ」
「???」
「……」
「???」
辺りが不思議な沈黙に包まれた。
「え? ええええ? どういう事? 耕三さん!」
「そういう事だ。玄は大丈夫だ。心配するな」
勇達は耕三に騙された実感が無く、横で会話を聞いていた監一に目を向けた。
「耕三の治癒力に勝る者はない。安心しろ」
3人は安堵すると、その場に崩れ落ちた。
先程、小角の身体を借りて、耕三の逢引現場をキャッチしたと思ったが、何故か急に俺はキラキラとした光の中に包まれていた。
『誰かが俺の名前を呼んでいた気がするのに、もう聞こえないな。やっぱり地獄で死んじゃったのかな? どうなるんだろう?』
暫く何も考えられないまま、自身を包み込む光を眺めていると、また遠くで誰かの声がした。
『誰か居る。あっちに行ってみよう』
俺は光に包まれたままで、身体を声のする方に向わせた。
『ここは?』
銀の光から抜け出ると甘い香が漂っていた。
『いい匂いだな~』
俺は、真っ赤な実が無数にぶら下っている林檎園の中心に立っていたのだ。
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