一幕六節目 呼び出し、語らい。

一幕六節目 呼び出し、語らい。



暮无side



発情期ヒート明け、晴れ晴れとした気持ちで向かう。


別宅の敷地には、茶の間と書庫部屋が別々の建物として存在している。

ここを歩いた客人曰く、東ノ国の古き良き庭をそのまんま持ってきたような景観だという。専属の庭師が整えているから、知識のないオレでも綺麗なところだな、くらいに思っている。


オレは、湯浴みも朝食も終えて庭の各建物に続いている石畳を踏む。

禿かむろの頃は、ここで弟の蒼威あおいや同じ禿だった子たちと遊んだっけな。石畳に落書きをして、奥方様が あらあら と困った顔をしていた。奥方様が声を荒らげる姿なんて見たことない。とても穏やかな人だから。けど、すぐに大旦那の叱り声が飛んできて蜘蛛のように散り散りに逃げるけど、転んだ蒼威を庇うってのもお馴染みの流れだった。思い出したら、笑えてきた。


なんだか、昔のことが思い出される。やっぱ、知らん人の夢に紛れ込んだ影響かもしれない。


朝食の間に、炊事場の婆さんが 大旦那なら茶の間さ、と教えてくれたから分かれ道を右に進む。


別宅よりこじんまりとした建物が見えてきた。周りを低木に囲わせた自然を身近に感じる場所。

毎回、この外から入る為の戸が小さすぎやしないか?なんて思うけど、奥方様の趣向から来てるらしい。よく分からない。

オレは、そこまで上背うわぜいではないから難なく、くぐれる。たしか、ゴーシェナイトの旦那が頭をぶつけてたな、とまた昔を思い出した。妙な気分にさせられる。こんなに思い出にけること普段ならないのに。


「おじゃましまーす」


頭をぶつけないよう慎重に室内へ入る。草履を地面に投げ落とし、ふわっ、とお茶の緑っぽくて温かい香りが漂ってきた。顔をあげる。


「ベニ、終わったんか」

「おはような、ベニ」


大旦那なだけじゃなかった。まさか、奥方様まで居るとは。

オレは、大旦那から拳二つ分の距離をとって用意されている座布団に正座した。


「おはようございます、大旦那、奥方様。……お陰様で」

「久しぶりの発情期だったって、聞きんしたえ」

「まあ、でもオレにかかれば何ともないです」

「よう言うわないな。自室でぶっ倒れてるのをマワシが見つけて、ちょっと騒ぎになったんやで?そっから、ナンシツに運ばれて八日も寝込んどったやろ」

「あら、そうなの?ほんに、平気かえ」

「八日も、寝てました?自覚ないです」


ナンシツってのは、別宅にある軟禁部屋のこと。人前で軟禁っていうと犯罪臭が漂うから話題にするときは略語っていう暗黙の了解がある。


言われてみれば、深く眠っていたかもしれない。何せ、意識を飛ばす前に散々汚くした部屋が綺麗されていたし、言わずもがな擬似的なイチモツも片されていた。たぶん、全部 世話役の子がやってくれたのだろう。


大旦那は、奥方様が淹れた茶を飲みながら話を振ってきた。


「ハーメルンが心配しとったで。自分、ちゃんと薬が効果でたんかって」

「まあ。効いたから発情期が終わったのかと」

「まあ、そう捉えられる結果やな。にしても新しい薬を自分で試すなんってどうかしとるで」

「へー、新薬だったんですね。たぶん、仕返しですよ。発情期に入る前にアイツのとこ行って散々、言い合ったんで」

「ははっ、仕返しか。ええ性格しとるわ」


本当にな。胸の中で肯定していれば、奥方様がお茶を淹れてくれた。一応、作法を習っちゃいるが客人の前でもないし、拘る必要はないだろう。どうも、と会釈して受け取り、茶器を回して飲むという動作だけはやる。


「ベニ、副作用とかは?頭が痛いとか、吐き気がするとか」

「いえ、そう言うのはないです。まあ、しいて言うなら妙な夢を見ました」

「夢?何や妙って話してみ」

「えーっと、そうだなぁ…」


真っ暗闇の中で目が覚めて…、カクカクシカジカ…。すまないが、在り来りすぎる割愛をさせてもらうぜ。正直にいうなら夢の内容を話さないほうが良かったかもしれない。何せ、大旦那が眉間にシワを寄せるし奥方様なんて悲しい顔をした。


「って感じです。妙な夢でしょ」

「……せやなぁ、妙な内容の夢やな」

「そないはっきりと覚えとるなんて、ベニの血のせいかえ?」

「どうなんでしょう。オレ、初めてです。こんなに他人の夢?というか記憶に入り込んだの」


大旦那は、気持ちを整理するためか滅多に口にしない甘い茶菓子を頬張った。しばらく噛みしめ、飲み込んでから何かしら考え、やっと重い腰をあげるような雰囲気で口を開いた。要約するとこうだ。


オレが見た夢。

──入り込んだ夢は、現世うつしよの時間でいうなら一世紀……、百年以上も前の『世界大戦』での記憶の断片。しかも、大国の力に追い詰められ極限状態の東ノ国がおこなった作戦行動『特攻隊』の一部も含まれてた。その『世界大戦』が巻き起こっている間の現世での被害が常世への騒動と多忙に繋がって、この『花街』にも影響が出ていたそうだ。その影響として、東ノ国からの亡者が流れてきた。亡者の誰かが口にした"ああ、ナサケサマ。お情けを"と。よりによって『花街』で性を売って生き延びているオメガの前で膝を折って、願ったと。大旦那が自身の眉間を揉みながら続ける。


──異様な光景やったで。あくまで民間的な信仰。元々、東ノ国には神さんがぎょうさんおる。そんなかでも時代の技術で解明しきれんかった二次性の神秘に縋る思いがあったんやろな。なかには、アルファの衣服を身につけたベータもおった。だから、その衣服のせいで発情してまう店子もおったんよ。


奥方様も、覚えがある話のようで俯いて話を聞いていた。

ぶっちゃけ、この二人がとんでもない長寿であることに驚いている。それとも霊体か、東洋妖怪族の何かなのだろうか。もしかしたら、神族かもしれない。たまにいる。現世での生をまっとうしたあとに、常世ノ国には留まらず、この『花街』のように狭間に存在する空間で来世への転生を待つ。そんなものがいると。


かく言うオレは、元より半端者ってこともあって覚えている範囲でも『花街』での記憶しかない。

じゃあ、二次性ってのは現世うつしよから流れてきたものなのか、そう納得がいく。それとも、もっと理解ができない時代から根付いていたのかもしれない。


大旦那は、また甘い茶菓子に手をつけた。珍しい日だ。


「そんでな、思ったんよ。最近、起こっとる斬り殺しの事件」

「あれ?ここの新造が被害あってから他にもあったんですか」

「おん、あったよ。私は、思うところがあって『藤の』を見つけたい」

「言ってくれれば、探しましたよ?オレ、人より第六感とか鋭いんで。……通り名ができるくらいに被害が出てるんですね」

「察しがええな。せやけど、自分は発情期やったやろ?頼れんよ」

「じゃあ、今日のお呼び出しは」

「その事なんやけど」


大旦那が話出そうとしたところで、奥方様からオレには茶菓子がのせられた平皿が、大旦那にはニオイからわかる分には相当、苦い茶が差し出され受け取る。


「ベニ、あんさんは見世に出て何年たちなんす?」

「えっと、今年で五年です」

「それはえらい古株に」

「売れっ子として続けられるのも常連様のお陰ですよ」

「……そうでありんすね」

「奥方様?」

「あんな、ベニ。あんさんには、見世に出るんは辞めてもらおう思っとりんす」

「は?」


ボトッ、と、口に運ぼうとして入ること叶わず、美味しそうな茶菓子が畳へ落ちた。驚き、困惑。穏やかな口調で控えめだが決定事項なのだろう。なんか、やらかしたなら説明がほしい。そう、食い下がるように言葉を漏らしかける。大旦那が答えた。


「自分には、後継の指導を手伝ってほしいんよ。欲を言うんなら、アオがやっとたことやね」

「え、アイツ。後継の指導なんてやってたんですか。経理じゃなくて?」

「経理もしとったよ。せやけど、着付けとか身のこなしの指導はアオの仕事でもあったんよ」

「へ、へぇー…」


居なくなってから分かる事実だ。

蒼威のやつ、けっこう時間に追われてたんだな。それにしちゃあ、よくオレの世話もやいてたな。寝坊した日には、よく叩き起こしに来たし、商いの後の始末が面倒で布団に転がってれば呆れつつも『ミソギ』の川に連れて行ってくれたし、薬の管理も全部してくれてた。あれ?オレ、兄貴らしいこと出来てなくね?たぶん、いっちばん始めのゴーシェナイトの旦那を追っ払うことくらいしからしいこと出来てないかも。あれれー、こんなはずじゃなかったのに。


「ちょい、聞いとるか」

「え、ああ、はい」

「ほんなら、私が何言うたか繰り返してみ」

「えっと、アオが後継の指導してた…?」

「それは、もう済んだ話やろ」

「……すみません」

「ええか、もっかい言うで」


深い、長い溜め息が漏らされる。


「自分には、後継の指導もそうなんやけど。まずは『藤の』の被害が出とる旅館の警備に当てたいんよ。それと、希望いうんなら今日から一週間で『ベニ』としてのお役目を清算してほしい。できるか」


清算というのは、所謂いわゆる遊女や陰間の現役を引退することだ。年季明けとは別モンだ。

ここ、『桜廉』には高級店としてのブランドがある為、一般的な陰間茶屋との違いとして陰間も遊女の水揚げと同じ年齢で初の客取りを行なう。あいにくとこの夫婦に実子はいない。そのせいか幼い子が愛しく、好きだからこその精神面の配慮でもある。だから、陰間の活躍できる年数は遊女に比べれば短い。オレも、弟の『運命の番』騒ぎがなければ早々に裏方業務となっていたはず。陰間として長く働けたのは、オメガとしての発情期が来なかったり、予想より身長の伸びがなかったり、男らしい肉体の変化がなかったり、体毛の薄さなども高じて今の年齢まで現役を過ごせた。満足かと聞かれたら、まあ、満足だろう。正直なところ、いつ終わりになるべきかを考える年齢だったわけだ。オレ、甘えていたのか。


ぶっちゃけ、期限付きで清算できるか。言われても はい、と返さなきゃいけない。


「ベニ、ひとつの社会経験やと思ってお気張りなんし」

「経理として街に残っても出会いがあらへんやろ?この『花街』で過ごしてばかりじゃ、世間を知らなさすぎるし、……自分にはつがいができたときに苦労すると思ったんや」


体のいい追い出しだろうか。いや、まだ優しい判断だ。突然、荷物まとめて出ていけ、より百倍、千倍マシ。甘んじて受けよう。ついでに警護にあてたいと話題にあがった旅館(?)の詳細もほしい。


「わかりました」

「ええんか?」


ふん、意外だろ。オレの気質なら、もっと抵抗するかと思ったか。でも、何事も引き際ってのがあると思う。弟のことはちょっと見切りをつけるのが遅かった気もするし、雇い主の夫婦が勧めてくれてるのにのらない子がどこにいるよ。正直なところ、オレが居なくとも他に売れっ子はいる。今や、陰間では『凛々』が一番の稼ぎ頭だし年齢や肉体的にも売り込み時だ。あと数ヶ月や一年もせずに、新造として見習いをしてる子たちも初見世の年齢になる。問題ない。


「はい、大丈夫です。オレ、門の外にも興味あります。その警護すべき旅館がどんな有り様なのか教えてください」

「ええよ、なにから聞きたいん」


それから二時間 弱。

オレの質問に大旦那が答えられる範囲で教えてくれた。奥方様にとっても、その旅館に思い入れがあるのか懐かしむような、優しい表情をしていた。



───────

───



──月夜に逢えぬ、悲しかな。

旦那様と、過ごした一夜はわっちにとって──


絶対、声に出したりしない甘い単語、文字で見世に来れない客宛てに手紙をしたためる。一日とる客も、二人と減らして深い時間を過ごしてみる。


「はぁ〜……書き終わったぁ……」


文机に、突っ伏して脱力する。こんな一週間を過ごし、大旦那に対しての不平不満が声に漏れちまう。けど、明日で、オレは………




────────




「ベニさまの、お通り〜」


まさに、花魁道中。

煌びやかな着物、高下駄、ずっしりと重い髪飾り、どれも高価なもの。

一介の陰間がわざわざ新造や禿かむろを連れ立ってやることじゃない。なのに、高級店『桜廉』の売れっ子の千秋楽。揚屋に向かう道すがら、人々が『ベニ』に見惚れている。大旦那も、鼻が高いだろうよ。


今夜が『ベニ』として最後の客だ。


これで、オレの陰間 人生も終わりを迎える。通されたのは、揚屋──所謂いわゆる、座敷遊びや枕を共にする泊まりこみなどで招かれる建物──の最高級のお座敷だった。シズシズ、と、今までの着物の中で一番上等なものを身につけ、座敷の襖の前までやって来れば、男衆の一人が開けてくれる。膝を折って、床に三つ指をついて頭を下げた。


「失礼します。『桜廉』から参りました、ベニでございます」


顔をあげれば、相手は屏風びょうぶの裏にいるようだ。手招きされ、屏風のうちを覗いた。見たことのない相手のような──


「やあ、よく来たね」

「はい。ご指名ありがとうございます」

「座りなさい。固まってどうし……そうか、この喋り方じゃわからんか」


少し離れて座るオレに相手が微笑みかけてきて、羽織を脱ぎ出した。おいおい、酒もまだ来てないんだぞ。つーか、誰だよ。

正直なところ支度前に今夜の指名した相手を教えてもらえる。だが、見たことのない旦那の名だった。偽名かもしれない、なんて思ったものの『花街』に口八丁手八丁なんてのは礼儀作法みたいなものだ。余計な詮索はせず、よろこばせる事だけを考える。しばらく、愛想笑いで考えているのを誤魔化し、相手が羽織を脱ぎきるのを見守る──

ドロン、煙が登った。うっ…と息を止めて反射で目をつぶった。けれど、すぐに目を見張る。


「お、オメェ…!」


ズザザッ、と跳ね上がった拍動を抑えつつも後退してしまう。

ふふふ、と笑われた。あきらかにさっきまで座っていた銀縁メガネの優男だったものがちんまりとしたポニーテールの幼女に変わっていたのだから。


「いろんなツテを使って、ちみの最後を貰うなお☆」

「は、は、は、ハーメルン〜〜〜!?」

「大金積んだなお!本当は、しきたりとしては三回通って、馴染みにならんといけないと言うけど……、そんなことは知らんなお!今夜は、楽しむなおよ〜!」

「か、勘弁してくれぇぇぇ〜〜〜!!!!」


のちに。オレが入った座敷から響いた叫びに、建物が傾いた、と揚屋の従業員は語る。





一幕六節目 呼び出し、語らい。




───────

─────




──時は戻り、一週間前。

暮无が立ち去った茶の間でのこと。


細身で長身の美形である(女郎屋と陰間茶屋を兼業している)見世『桜廉』の経営者・大旦那が誰かと向かい合って座っている。

向かい合っている相手は、大旦那の奥方で。彼女の艶やかな花浅葱色の長い髪を控えめなデザインで造られたかんざしで纏めあげ、身につけている着物も模様こそシンプルなものだが、どこか品を感じるものとなっている。そもそもが上等なものだ。


「にしても、久しぶりやな。……『藤の』なんて名前を口にするんわ」

「ええ、ほんに久方でありんすね」

「あん頃は、いろんなことに振り回されとったわ」

「懐かしい話ざんす」


この夫婦が『番の関係』になったのは、ここ数年の事である。しかし、この亜空間の存在としてはもっと過去にあったようだ。だからこそ、暮无に『藤の』という存在の被害から知り合いの旅館を守ってほしいと頼んだのだ。


「うーん、『藤の』か〜。あんこは、『藤の』が残留思念から出来た霊体やって知ったら怒るかもなぁ…」

「ベニは、殴れへんものを嫌いなんす」

「素行の荒さは、陰間向きやなかったとは今更ながら思っとる」

「今更ざんす」


大旦那は、お茶を飲んでケラケラと笑う。すると──


「ホンマに、よかったんか」


急に声を低めて、問いかけた。意思の確認だと大旦那と向かい合っている奥方が、キョトンとしたあとに、真っ直ぐ視線をよこしてくる。


「私は、惜しいと思っとる。なんせ、あんこは実の子のようなもんや。本当なら、この街で骨を埋めてやりたかった」

「知ってなんす」

「そうか」


短く相づちをうって、目をつぶる大旦那。静けさが室内に満ちる寸で、奥方が必死な様子で声を発する。


「主さん、わかりなんし」

「よう分かっとるよ。だから、私らが『番』になれたんや。なあ、ハナ。自分、後悔しとるか」

「いいえ……、そんなこと……」

「しとるんやな。せやけど、しゃーないやろ。あんさんが『見て』しもたら『起こる』んやし」

「大旦那さまっ、あたいはかなしゅうざんす。あのこがかわいそうで」

「二人きりやで」


膝の上で握られているこぶし。そこにそっと重ね合わせられる暖かいてのひら


「おいで、ハナ」

「カナデさま…ッ…」


腕を引き、大旦那が彼女を抱き留めて背中をさする。ヒクッ、ヒクッと跳ねて、震える背中を。

彼女がなにを『見て』、何が『起こる』ことを知ったのだろうか。

それは、ついぞ他人に知られることもなければ、打ち明けられることもないのだろう。





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