閑話【 情と、苛烈さと。】
鳥人side
──恵爛という字面だけれど、面倒なのであまり書いたことがないね。前腕の部分に白い羽が生えているものの、飛行することは出来ない。けど、『人間』より高いところに跳び上がったり、風を操ることができる第六感が発達した異種族の端くれさ。
一応『花街』で、そこそこ名の知れた『
「旦那、またのお越しをお待ちしておりますね」
「はあー!たまらんよ、全く!!」
猫かぶりをやめて、声を張る。手八丁口八丁なんてのは技でしかない。
こんな姿を通い客に見られたら、今までの猫かぶりも無駄になるけれど、気持ちのオンとオフは大事だろう。一応、チラリと後ろを見やる。門番達のほうを。旦那の見送りを済ませた女郎や陰間の性格が一変する状況なんて『花街』の門番たちには慣れっこなのだろう。一人も反応していない。安堵の息を
──澄んだ川の水で洗う行為を『ミソギ』という。他の見世では、この行為を神聖なものだから手を抜くなと言われるようだが、
日が上がってきたばかりだから、誰もおらず、貸切状態だ。とても優しい風と澄んだ川の水がキラキラと光っている。草履を投げ、いそいそと羽織を脱いで大きめの岩の上に置く、裾を腰の辺りまでまくり、下帯もずらす。足先で水温を確かめ、冷たすぎなきゃザバザバと浸かっていく。冷たいと、それこそ鳥肌もんだし、しばらく水温に慣れないと動けない。鳥人族ってのは、体温の変化に敏感なのさ。
よく洗わなきゃ、夜の営業に支障が出ちまう。
指を尻の中へ進め、腸壁を傷つけないように掻き出していく。
遠のかずに済む、と言えば
彼が言うには、『半魔人』なんだそうだ。たしかに、呪いかと思うくらいに怪我の治りも早いし、風邪をひいても二日でケロリとしている。しかも、中性的な美形に育って、成人を迎えるってのに肌のハリもツヤツヤなまんまで、誰もが振り向く美貌だ。顔も見たことない親の血が、すべてを物語ってんなー…と会う度に思う。
そんなベニとは、かなり古い仲だ。
──川から上がる。尻の中の洗浄を終えたから水気を拭おうとしたものの、タオルを忘れてきちまったみたいだ。仕方ない。ちょいと気になるが、下帯で拭う。見世までの距離もさほど遠くないし、無問題ってやつだ。着物を着直して、草履も履き直す。元より女物の着物ってのは下帯をつけないのが作法とすることもあるとか。けれど、下帯があったほうが安心感がある。オメガだから子種液を出す機能が欠如してもイチモツはあるからさ。
──カラン、コロン…地面を軽く蹴るように来た道を戻る。
表通りへ出てみたら、ひとっこ一人も出てなくて少しだけ不安になった。何せ、この街ではちょっとした事件が横行してるからだ。
『藤の』事件。
辻斬りに思える犯行だが、偽善的な殺人事件とも呼べる内容に街の警務も調査を急いでいるとか。(それでも、今みたいに早い時間帯は警備も手薄になりがちのようだ。)
見世に所属してない身売り──の
──見世への帰路を急ぐ、忙しなく地面を蹴るからカラン…、コロン…草履の音が朝方の表通りに響く。すると、段々と大きくなっていく人影がポツンと立っていて、妙に怪しく見えた。たぶん、体格的にどこかの見世にいるマワシの男衆だろう。
時間的にも、人がいないよりマシだ。やはり、どこにでも居そうな顔で軽く会釈だけして横を素通りする。顔と名前が一部で知れているから、見世の価値の下げないようにしなきゃならない。常連付きは、常連付きで大変なのさ。
難なく素通りできて、安心した。のも、つかの間だった。ガッ!と手首を掴まれ、前のめりに歩を止める。一気に血の気が遠のき、寒気が足先から上がってくる。恐る恐る振り向いて──
「な、なにをなさるんですっ」
言葉では抗ってみた。けれど、かけ登ってきた寒気と恐怖がカラダの動きを鈍くさせる。手首を掴んできた相手を見やって、呼吸がとまる。過去に、
唯一、違うのは生気のない濁った眼差しであきらかに心在らずといった状態なのが見受けられること。逃げなきゃ、逃げなきゃ。脳が指令を下す、心臓が早鐘をうつ。暗唱する。
──風よ、術者の声に応え!この不届きものを吹き飛ばしたまえ!!
ザザザザ…ビュオオオオ…!!
突風が吹き、男の呻きとともに手首が解かれた。今だ!と走り出す。あと少し、あと少しで見世の入り口だ!と駆ける。
「あっ……」
カクン、と膝から崩れ落ちる。途端に力が入らなくなって、無様に地面へ倒れ込む。なんで、どうして。あと少し、あと少しで見世なのに、なんで…今なんだ…!術の対価で、体力が削られたのだ。転んだのは、そういうこと。元より第六感が使えるといっても制限つきで、感情の昂りから威力を間違えた。──地面を這いつくばって、腕の力だけでほふく前進をしてみる。けれど、いっこうに近づいた気がしない。ザッ…、背後から足音がした。視界がにじむ、呼吸がつまる。
ああ、なんで。どうして、
「ああ、ナサケサマ。お情けを」
息が詰まって、ひしゃげた声だけが喉から漏れた。頬をぬるい液体で濡れるのを、最後に。
────────
──────
鼻をすする音が聞こえる。誰かが泣いている。誰だい、何かあったのかい?そう、慰めてやりたいのに全くと言って声も出せないし、カラダに力が入らない。
「しっかりしろ…、あなたが終わるには早すぎる…」
震えた声で、そう告げられる。聞き慣れた声なのに、聞き慣れない。
どこかで、一度だけ嗅いだことのある香り──ツツジの花の匂い──に包まれながら揺れる。誰かに背負われるのは、かなり久しぶりだ。そういえば、
騒がしさが近づいてくる。けど、
「ケイっっっ!!!」
「ケイランさんっ!」
──どういうことよ?
──うわぁー、今度は『鵜天』のとこか
──まさか、あのヒトがねぇ…
「早くハーメルン女医を連れてくるんだよ!!」
「おまいら!ぼさっとすんない!湯を沸かせ!」
────────
─────
ゆっくりと、マブタをあげる。とても長い眠りについていた気がするし、短くもあった気がする。
ここは、どこだろう。いや、見世の奥の間だろう。周囲との音の距離、ヒトの気配はない。
──深呼吸をする。ヒリヒリと渇いてひきつる喉をいち早く潤したい。重だるくて、寝返りを打つのも億劫だ。水が飲みたい、水を。枕元に置いてある水の入ったガラス製の容器が視界に入るものの、動けそうにない。容器に反射してうつる自分の顔に、美しさなんて見る影もなくて何でか涙が溢れてきた。ああ、何でこうなった。ズキンッ、首に痛みがはしる。痛みを感じるにしても寝違えたわけじゃない。なのに、首の後ろ側──
──眠っている間に伸びきった爪で掻きむしる。鉄のニオイが嗅覚を刺激しても、手が止まらない。どうして、こんなに苦しい。こんなんじゃ、店に出られないじゃないか。
全て無駄になったじゃないか。誰だよ、噛んだやつ。ふざけやがって、最悪だ、こんなの終わりだよ。
──ああ、死にたい。
──いいや、死のう。
驚いた。すんなり、起き上がれるじゃないか。
ガラス製の容器から水をがぶ飲みする。それから、真っ先に手を伸ばしたのはキレイな模様の入った半透明のグラスだ。水を飲む為に用意されただろうものを今から壊す。これなら割るにも苦労しない。振りかぶって壁に投げつける。けど、そう上手くいかない。割れずに転がった。失笑する。一度失敗しただけなのに、急に馬鹿らしくなった。どれだけ鋭く割ることが出来れば、死ねるだろう。ああ、そうだ。あの子が、逝ったやり方を真似すればイイ。寝間着の浴衣、帯を解く。窓際に備えてある文机の脚に帯を結びつける。勢いつけて寝っ転がれば上手く絞まるはずなんだ。だって、
──おかあさん、見世のみんな。
お世話になりました。不出来なやつで、最後に迷惑かけてすみません。もう、疲れたので。
この機に、終わります。
肉体は、燃やして骨にしてください。どっか、空気の澄んだところにでも撒いて。
恵爛、自身の名を漢字で書く途中で涙が溢れてしまった。喉がひきつる。なんで、泣いてるのか。
手が震える。それでも、帯で輪っかにした部分を首に引っ掛けた。なのに、寝っ転がるまでの勇気が出ない。なんでさ。こんなに、苦しいのに。辛くて、今すぐに終わりにしたい。なのに、なのに。──死にたくない。
「死にたくない……誰か、助けておくれよ……」
弱々しくて、なんて声を出してるんだろうと思いはした。けれど、漏れちまった声を取り込むことなんて無理だ。弱音が、嗚咽に変わる。
嫌だ。死にたくない。助けてくれ、救ってくれたなら、もう一度、救っておくれよ。
助けて……、タスケテ……
襖が開いた。
泣き濡れた視界じゃ、まともに入室してきた人を認識できない。
ガチャンッ……、何かが畳の上に落ちた音がする。
「何をやっているんだ!!」
押しのけられ、弾かれるように輪っかから追い出された。
なのに、こんなにも酸素を肺が欲している。咳き込むなか、唸って怒鳴る声が聴覚に届く。
「そんなに嫌か!!死にたくなるほどに!?俺は、待っていたというのに!!」
いったい、何のことだ。
この人は、何を言っている?
「なあ、ケイさん!なんで、死のうとしているんだ!?あなたを、助けたいっていう偽善で噛んでしまったことは謝る!!だが、生半可な気持ちじゃないんだ!ずっと、一目見てから惹かれていた!あなたに釣り合う男になりたくて、金が稼げるように商いを学んだ!!あなたは、俺の『運命』なんだよ!!」
──運命?そんな、おとぎ話みたいなことがあってたまるか。なんで、簡単に運命とか言えるんだ。というか、噛んだのはオマエさんか。よくも、ぬけぬけと白状できたな。その潔さに感心するよ。
そう言い募ってやりたい。なのに、声にならなかった。──ツツジの花の匂い。抱きしめられて、痛いくらいで。熱が
また、情けないくらいに涙が溢れて止まらない。なんで、こんな知らない相手に抱きしめられて嬉しいなんて思ってるんだよ。意味わかんないよ。なんで、
相手の肩をおしのけて、顔を拝んでやろう。やっぱり、通い客にはいない。見たことない顔だ。優しげな目つきが、力強さを感じる眉にバランスよくあっている。そこそこの男前ってやつだ。顔のいいやつなら、マワシにたくさんいるから見慣れてる。いったい、どこで知り合ったのか。でも、今更だろう。
──視線が合わさっただけで、吸い寄せられ、惹かれるように口付けていた。相手の唇に自身のをくっつくけて、呼吸を奪う。唾液の交換とまではいかないけれど、くっつけては離してを繰り返す。喉が潤っていく感覚がするし、何かが満たされていく。はぁっ……、熱い吐息を零して見つめ合う。
「……ケイさん」
「…おまえさん、名前は…?」
「え、俺の名前、いや、俺をお忘れか?!」
「……ほら、いまいちどだよ」
「登希助。……トキスケ・ナグモ、呉服屋のミナミサワで番頭をしている」
「そうかい、トキスケ。
「絶対に運命だ。これから、同じ時間を過ごして、ちゃんと自覚してもらう」
笑えちまう。なんて、熱烈な殺し文句だろうか。そういう熱いのは、嫌いじゃないさ。
「なあ、トキスケ。もういっかい、くちづけしよう」
「いっかいなんて言わずに、何度でもする」
後頭部に添えられた
──ああ、愛しい。恋しい。
これが、
これは、孤独だった一羽が、折れぬ寄木を見つけ、生涯の道標とした話である。
──あなたは、なにが好きだ
──なにって、なんでも好きさ
──そうではなくて、食べ物とか好みの話だ
──そうだねぇ、
──いいな。ちょっと、刻みネギと醤油をたらすと美味いよな
──ふふっ、そうだね。その食べ方は、
──初めての共通点だな
──これから、たくさん増えていくんだろ。楽しみにしているよ
──ああ、手放してなんかやらないからな。覚悟して傍にいてくれ
──大事にしておくれやす
──喜んで
熱く強い抱擁、契りの口付けを。
閑話 【情と、苛烈さと。 】
最終更新
▷2022年6月25日
▶2022年7月5日
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます