Cut.19 〝夜に騒ぐ〟


雨の中、白衣の上にレインコートという出で立ちの女が速足に歩いている。

周囲をきょろきょろと見まわし、電柱に刻まれた住所を確認して。


小さな、人目につく気が無さそうな看板の英字に視線を走らせた。




「…えーっと…、Loser's ――、ああ、ここだここだ」



トゥーラ・フェテレイネンは地図を片手に、狭い路地の一角にある看板の小さな酒場BARのドアを押し開く。


年代物らしい、レコード式の音楽箱ジュークボックスが緩やかに古い曲を奏でていた。

客商売だというのにまるで愛想のない店員バーテンダーは、彼女ウラを一瞥し、申し訳程度の義理だとばかりに「いらっしゃいませ」と迎えてくれる。


だがそれで終わりだった。

話しかけられたいわけでもないが。


カウンター席に座ってウィスキーをロックで傾けていた黒人ネグロイドが、グラスをかざして挨拶に代えて来る。

トゥーラは軽く手を振ってそれに応え、レインコートを脱ぎ捨てて入口脇のコートハンガー(らしきもの)に適当に引っかけ、歩み寄った。




「はやいわね、聖骸王スティーヴン



「珍しくきみが最後だよ、熾天博トゥーラ



「――え、マジ?」



思わず問い返す、聖骸王スティーヴンは軽く手を振って奥まった席を指さした。



ソファには深紅ワインレッド礼衣ドレスの長身の女、凱旋者ジョッシュ

彼女に半ば無理やり肩を組まされるように抱えられている小柄な女、狩猟者メッシーナ

今日の服装は当然、襤褸ぼろ雑巾ぞうきんではなく薔薇の刺繍の入った純白の礼衣ドレスだ。

当人の趣味ではなかろうからジョッシュの手配なのだろう、小綺麗にしていた。


そして、最後に。

その2人から2席分ほど開けてソファの反対の端に座っている男の姿に、熾天博トゥーラは思わず噴き出した。


紫がかった黒、濃紫のジャケットを羽織って髪を撫でつけたオールバックの告白者マキシモス

いやここは人里におりて来たかれに敬意を表し、他の連中と同じように現代風に告白者マックスとでも呼んでやるべきか。



「ッフ……、似合うじゃないスーツ。

 ンッフ……どういう、フフ……風の吹き回し?」


笑いを堪えながら、堪え切らずに口元を歪めながら、問う。




ついでに愛想のない店員バーテンダービールのジンジャエール割りシャンディガフを注文してカウンター席に尻を下す。


狭い店だ、カウンターからでも話すに支障はない。

というよりあの奥まった席に五人押し込むのはもはや拷問だろう。


当然のように告白者マックスは彼女の問いを無視。



「――まあ、全員揃ったことだし、はじめるとしよう。

 ええっと、都合十年ぶりの、」



「まだ八年でしょ、聖骸王スティーヴンいよいよボケたの?」



手早く仕上げられカウンター上に置かれたジンジャエール割りシャンディガフを手に、トゥーラはあきれたように眉を寄せる。


対して聖骸王スティーヴンはいつもの如く、肩をすくめて見せるだけ。


ジンジャエール割りシャンディガフをちびりと飲みやりながら。

トゥーラはちらりと、それぞれの手元を見た。

随分と長い付き合いだが、思えば酒を共に飲んだことなど記憶にない。

当然、酒の好みなど知る由もない。



告白者マックスの手にはワイングラス、香りからしても普通に赤ワインだろう。

まあなんというか、実に選択チョイスでうっかり笑ってしまう。


聖骸王スティーヴンの手元には氷入りロックグラスでウィスキー。

……たぶん店で一番高いやつ、あいつはそういう選び方をする。


視線を転じて凱旋者ジョッシュ

こちらの手にはグラス、入っているのは生ビールに見える、が。

どうにも色艶が違うように見える、カクテル?


ついでに狩猟者メッシーナの方は、と見る。

グラスには無色透明の液体、小さな気泡が浮いては消えていくのが見える。

炭酸、だろうか。



「何飲んでんの?」



わからないので聞いてみる事にした。



「――汽缶技師ボイラー・メイカー



凱旋者ジョッシュはグラスを傾けて半分ほどを飲み、杯を掲げてそう言った。

記憶を探る、確かビールとバーボンのカクテルだったはず。

ビールグラスにバーボンのショットグラスを丸ごと沈める馬鹿な作り方もあるが。

どうやらここの店員はそういう乱雑ワイルドなやり方はしないやつらしい。



狩猟者メッシーナ凱旋者ジョッシュがグラスを手にした隙にどうにか脱出、告白者マックス凱旋者ジョッシュの中間位置に座りなおす。


相変わらずいつもの鉄面皮だが、態度を見るに嫌がっているのだろうとは思う。

単に狭苦しいのが嫌だった可能性もあるが。


そして、一息ついたのかどうなのか。

一瞬の間を置いて首筋の黒い首輪チョーカー、正確にはそこにぶら下った黒い小箱に触れる。




『〝飛散スプリッツア〟』




小箱が震えてそう酒の名を告げた。

喋れない狩猟者メッシーナのために誰かが用意した小道具か。

はたまた本人が血祷を人目に付く場所で使うための偽装か、まあどうでもいいか。



聞いた覚えのない名前だったのでカウンター上にスマホを置いて指を躍らせる。

便利な時代になったもの、たぶんカクテルだろうとあたりを付けて検索。


発見ヒット


辛口の白ワインを炭酸水で割るだけのシンプルなカクテルだった。

なかなか洒落ている、狩猟者メッシーナが言うと何が飛び散るのか不安になる名前だが。


と。



「……てか、酒飲むんだ、狩猟者メッシーナ

 意外、超意外」



トゥーラの言葉に偽りはない、ただの本音。

対して狩猟者メッシーナは「何か問題でも?」と言わんばかりの態度で、グラスを片手に小首を傾げてさえ見せた。




「まあ滅多に飲まないけど、飲まないわけじゃないよね」



「え、何。

 凱旋者ジョッシュ、前にも狩猟者メッシーナと飲んだことあるの」



「あるよ。

 ……200年前くらいだっけ?」



滅多に、ない、の期間スパンの長さよ。

それはもうほとんど飲まない、でいいのではなかろうか。

ほぼ毎晩の晩酌を欠かさない熾天博トゥーラにしてみればそういう話だ。


というか目の前で見ているのに飲酒する狩猟者メッシーナが想像できない。


そっか。

飲むんだ、酒なんて。

知ってたらもっと仲良くできてたかもなあ、などと益体もないことを思う。



「――あー、続けていいかね?」



聖骸王スティーヴンの声、振り向くと両手を上げて降参の姿勢ポーズを取りながらこちらを見ている。


意味するところを理解するのに2秒。



「ああ、ごめん。

 どうぞ」



「……では、まあ、今夜の本題に入ろうか。

 皆もわかっているだろうが今夜の議題は〝夜会Soirée〟について、だ」




夜会Soirée



それはここ数年で急速に拡大している集団の名である。

あるいはもはや集団ではなく1つの組織と言っても良いかもしれない。


構成員の大多数は親を失った野良吸血鬼オーファン

夜会は、彼らに住居の手配、就業の斡旋などを行い影響力を強めている。

明確な上下関係や支配関係は見られないが、ゆえに拡大が止まらないとも言えた。


活動範囲は日本、ユーラシア大陸アジア圏からヨーロッパ、北アメリカ。

北半球の大部分にすでに及んでいる。


結果として聖骸王イシュトヴァーンをはじめ、〝最も古き血First-Blood〟の誰もが知らない、探す気すらなかった素性も能力も知れない吸血鬼の大集団がたった6年で発生した。


構成員の正確な総数は不明、推定でも軽く100を超える。

末端の、非吸血鬼まで考えるなら完全に把握できていない。



「……危機感が足りなさ過ぎる。

 せいぜい大半は第四世代、まれに第三世代、平均して4.5程度だが。

 吸血鬼かれらは常に全盛期、老病で弱ることもない。

 成長し続けるばかり、増えるばかりでろくに減らんのだよ?」



こつ、こつと神経質そうな仕草、指先でカウンターを叩く聖骸王スティーヴン

言いたいことはわかる、わかるのだが。



「加えて最近では白杭ホワイトスティクスとも連携を始めている。

 ますます減らないじゃないか、これは由々しき事態だよ」



「——白杭ホワイトスティクスどころかも手を出す気なさそうだしね」



トゥーラは六杯目のジンジャエール割りシャンディガフを傾けながら視線を転じる。

視線の先にいるのは吸血鬼にとっての死神、狩猟者メッシーナ

その死神は珍しいことに告白者マックスと話し込んでいる。

声は聞こえない、おそらくは告白者マックスの血祷だろうが念の入ったことだ。


凱旋者ジョッシュはどこから取り出したのやらヘッドホンをかぶってスマホで何かを見ていた、そういえば最近お気に入りの生配信があるとか言っていた気がする。


つまり、聖骸王スティーヴンの話を誰もまともに取り合っていない。

無論のこと熾天博トゥーラ自身も含めてだ。


とはいえ相手をしてやらなければそれこそこの男は拗ねて手に負えなくなりそうで。

ため息をついて向き直る。



「……というか、白杭ホワイトスティクス狩猟者メッシーナが問題視してないってことはよ?

 ようは問題ないってことじゃないの。

 問題あったら黙ってるような連中じゃないでしょ」



「今はそうだとして、手に負えないほど成長した後に問題を起こしたらどうするね。

 そうなってからではそれこそ手に負えんのだよ?」



筋は通っている、理屈はわかる、わかるのだが。




「——あのさ、ほんとにボケたの聖骸王スティーヴン

 それ言ってるあんた自身が本気で思ってないでしょ、それ」



「……」



「だって本気で思ってるならとっくに手を打ってる。

 あんたならそうする、違う?

 で、ようはこれってただの愚痴よね」



聖骸王スティーヴンは無言。

だが苦虫を噛み潰したような表情は隠しきれていない。


こんな風に感情を露わにする姿ははじめてみたかもしれない。



夜会Soirée〟の副リーダー、その人と成りを聖骸王スティーヴンは知っている。

自慢じゃないが熾天博トゥーラだって知っている、彼ほどじゃないにせよ。



「——ケヴィン・ロングフェロー。

 王に永く侍るものキング・ロングフェローを辞退して、今やただの永き友ロングフェローか。

 まあ大丈夫でしょ、が頭のうちは」



そこは信用している。


それにそれこそ聖骸王スティーヴンが言うように。

吸血鬼はそう簡単に死にはしない。

彼らが夜会Soiréeの頂点から居なくなることはまずありえない。


ましてケヴィンは今や、聖骸王スティーヴンに埋め込まれた数々の機械ガジェットを抜いた生身の吸血鬼、再生能力は平均以上に戻っているのだから。


排除手術を行ったのは他ならぬ熾天博トゥーラだ。

彼の能力スペックはある程度は把握している。


並の相手に負けたり、事故で死んだりするような男ではないだろう。



「きみは、なんとも思わないのかね?」



「思うならあんたの愚痴にもうちょい同情してるわよ」



聖骸王スティーヴンの台詞に、言って熾天博トゥーラは笑う。



彼女の弟だか妹だかシメオン・フェテレイネンが彼女の元を去って早六年。

あいつの大言壮語はしっかりと花開きつつあるのだから。




「喜びこそすれ、私には愚痴なんかないわよ?」




――世界をもっと面白くしたいと思います。




今でも耳の奥にあのバカの言葉が残っている気がする。

あいつは本気で告白者マックスを退屈させない気でいるらしい。


くっくっく、と笑って。

トゥーラ・フェテレイネンはどこぞにいるあいつのために祝杯を掲げた。





**************************************



「お疲れ様です、聖骸王イシュトヴァーンさま」



迎えに来た高級車リムジンの後部座席のシートに体を沈め、聖骸王イシュトヴァーンは鷹揚に手を振って名前も思い出せない黒服ぶかを労った。




あの様子では熾天博ボナペントゥラは本気で問題には思っていないらしい。

背後で糸を引いているというわけでもなさそうだった。

アレは腹芸ができるたちではないと、永い長い付き合いの中で知り尽くしている。



嘆息する。


アガフィヤの実子、


聖骸王イシュトヴァーンにとってあれは特大の不確定要素。



――吸血鬼の強さは三つの要素で決定される。


血統、〝最も古き血First-Blood〟である以上、これは最上。


才能、一連の事件を見ても破格と呼ぶに相応しい。


だがそれでもアレが告白者の愛娘ミネルヴァ・エイナウディに勝つ未来はあり得なかった。


血位の差や才能の格差ではない。

成って半年程度のあの新血には圧倒的に


およそ熱量、その貯蓄庫である漆黒器官シャッテンオルガンは一夕一朝で育つものではない。

それなりに食い下がったとて最終的に勝ちはなかったはずだった。

だが。


転機はあの正義の柱ボワ・ド・ジュスティスとの一戦。

暴走の果てに勝利したのはまあよい。

相手も卵の殻も取り切れぬ新血あかごだったのだから驚くには値しない。

そういう結末はあり得ただろう。



その後の出来事が問題だった。


最古にして熾天博ボナペントゥラ

あれは戦いを好まぬゆえにただひたすらに熱量を貯め込み続けてきた吸血鬼。

その熱の総量など想像を超えてなお余りある。


それをあろうことかあの女は、あの新血に丸々片腕分のだ。


無論、吸血鬼にとって吸血鬼の血肉は猛毒にも等しい。

なんらかの仕込みがあったのか、おそらくあったのだろうが。

あるいは奇跡的な相性の問題なのか。


あれは熾天博ボナペントゥラの片腕を丸々受け入れた。

あの変質を是とする血祷あってのことではあろうが。



――番狂わせにもほどがある。




こつ、こつと指先でこめかみを叩きながら思案する。

五分悩んでシメオン・フェテレイネンの消去という計画プランは棄てた。


熾天博ボナペントゥラとの対立は望ましくない。

あれは異端、吸血鬼の中で最上の異端である。


少なくとも聖骸王イシュトヴァーンにとってはそうだ。

狩猟者プラキドゥスなどよりはるかに異形、あれは本物の怪物だ。


人知を超えた怪物として転成しうまれながら。

は己を含めてその怪物すら研究対象としてしか見ていない。


血祷を持たぬとは本人の弁だが、聖骸王イシュトヴァーンはそれを否定する。

あれの血祷きょうきはあの智への執着、確執にこそあろう。


いずれ、いつか。

あのボナペントゥラは吸血鬼という存在を余さず解体する。


それは確約された未来にほからなぬ。


そう、いずれ。

と、聖骸王イシュトヴァーンは確信していた。


何せ、時間は無限にあるのだから。



「——まあ、気長に待つ事としよう。

 なにせ我らの夜は永いのだからな」




熾天博ボナペントゥラとの対立は望ましくない。





 







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