Cut.19 〝夜に騒ぐ〟
雨の中、白衣の上にレインコートという出で立ちの女が速足に歩いている。
周囲をきょろきょろと見まわし、電柱に刻まれた住所を確認して。
小さな、人目につく気が無さそうな看板の英字に視線を走らせた。
「…えーっと…、Loser's ――、ああ、ここだここだ」
トゥーラ・フェテレイネンは地図を片手に、狭い路地の一角にある看板の小さな
年代物らしい、レコード式の
客商売だというのにまるで愛想のない
だがそれで終わりだった。
話しかけられたいわけでもないが。
カウンター席に座ってウィスキーを
トゥーラは軽く手を振ってそれに応え、レインコートを脱ぎ捨てて入口脇のコートハンガー(らしきもの)に適当に引っかけ、歩み寄った。
「はやいわね、
「珍しくきみが最後だよ、
「――え、マジ?」
思わず問い返す、
ソファには
彼女に半ば無理やり肩を組まされるように抱えられている小柄な女、
今日の服装は当然、
当人の趣味ではなかろうからジョッシュの手配なのだろう、小綺麗にしていた。
そして、最後に。
その2人から2席分ほど開けてソファの反対の端に座っている男の姿に、
紫がかった黒、濃紫のジャケットを羽織って
いやここは人里におりて来た
「ッフ……、似合うじゃないスーツ。
ンッフ……どういう、フフ……風の吹き回し?」
笑いを堪えながら、堪え切らずに口元を歪めながら、問う。
ついでに愛想のない
狭い店だ、カウンターからでも話すに支障はない。
というよりあの奥まった席に五人押し込むのはもはや拷問だろう。
当然のように
「――まあ、全員揃ったことだし、はじめるとしよう。
ええっと、都合十年ぶりの、」
「まだ八年でしょ、
手早く仕上げられカウンター上に置かれた
対して
トゥーラはちらりと、それぞれの手元を見た。
随分と長い付き合いだが、思えば酒を共に飲んだことなど記憶にない。
当然、酒の好みなど知る由もない。
まあなんというか、実にらしい
……たぶん店で一番高いやつ、あいつはそういう選び方をする。
視線を転じて
こちらの手にはグラス、入っているのは生ビールに見える、が。
どうにも色艶が違うように見える、カクテル?
ついでに
グラスには無色透明の液体、小さな気泡が浮いては消えていくのが見える。
炭酸、だろうか。
「何飲んでんの?」
わからないので聞いてみる事にした。
「――
記憶を探る、確かビールとバーボンのカクテルだったはず。
ビールグラスにバーボンのショットグラスを丸ごと沈める馬鹿な作り方もあるが。
どうやらここの店員はそういう
相変わらずいつもの鉄面皮だが、態度を見るに嫌がっているのだろうとは思う。
単に狭苦しいのが嫌だった可能性もあるが。
そして、一息ついたのかどうなのか。
一瞬の間を置いて首筋の
『〝
小箱が震えてそう酒の名を告げた。
喋れない
はたまた本人が血祷を人目に付く場所で使うための偽装か、まあどうでもいいか。
聞いた覚えのない名前だったのでカウンター上にスマホを置いて指を躍らせる。
便利な時代になったもの、たぶんカクテルだろうとあたりを付けて検索。
辛口の白ワインを炭酸水で割るだけのシンプルなカクテルだった。
なかなか洒落ている、
と。
「……てか、酒飲むんだ、
意外、超意外」
トゥーラの言葉に偽りはない、ただの本音。
対して
「まあ滅多に飲まないけど、飲まないわけじゃないよね」
「え、何。
「あるよ。
……200年前くらいだっけ?」
滅多に、ない、の
それはもうほとんど飲まない、でいいのではなかろうか。
ほぼ毎晩の晩酌を欠かさない
というか目の前で見ているのに飲酒する
そっか。
飲むんだ、酒なんて。
知ってたらもっと仲良くできてたかもなあ、などと益体もないことを思う。
「――あー、続けていいかね?」
意味するところを理解するのに2秒。
「ああ、ごめん。
どうぞ」
「……では、まあ、今夜の本題に入ろうか。
皆もわかっているだろうが今夜の議題は〝
〝
それはここ数年で急速に拡大している集団の名である。
あるいはもはや集団ではなく1つの組織と言っても良いかもしれない。
構成員の大多数は親を失った
夜会は、彼らに住居の手配、就業の斡旋などを行い影響力を強めている。
明確な上下関係や支配関係は見られないが、ゆえに拡大が止まらないとも言えた。
活動範囲は日本、ユーラシア大陸アジア圏からヨーロッパ、北アメリカ。
北半球の大部分にすでに及んでいる。
結果として
構成員の正確な総数は不明、推定でも軽く100を超える。
末端の、非吸血鬼まで考えるなら完全に把握できていない。
「……危機感が足りなさ過ぎる。
せいぜい大半は第四世代、まれに第三世代、平均して4.5程度だが。
成長し続けるばかり、増えるばかりでろくに減らんのだよ?」
こつ、こつと神経質そうな仕草、指先でカウンターを叩く
言いたいことはわかる、わかるのだが。
「加えて最近では
ますます減らないじゃないか、これは由々しき事態だよ」
「——
トゥーラは六杯目の
視線の先にいるのは吸血鬼にとっての死神、
その死神は珍しいことに
声は聞こえない、おそらくは
つまり、
無論のこと
とはいえ相手をしてやらなければそれこそこの男は拗ねて手に負えなくなりそうで。
ため息をついて向き直る。
「……というか、
ようは問題ないってことじゃないの。
問題あったら黙ってるような連中じゃないでしょ」
「今はそうだとして、手に負えないほど成長した後に問題を起こしたらどうするね。
そうなってからではそれこそ手に負えんのだよ?」
筋は通っている、理屈はわかる、わかるのだが。
「——あのさ、ほんとにボケたの
それ言ってるあんた自身が本気で思ってないでしょ、それ」
「……」
「だって本気で思ってるならとっくに手を打ってる。
あんたならそうする、違う?
で、ようはこれってただの愚痴よね」
だが苦虫を噛み潰したような表情は隠しきれていない。
こんな風に感情を露わにする姿ははじめてみたかもしれない。
〝
自慢じゃないが
「——ケヴィン・ロングフェロー。
まあ大丈夫でしょ、あいつらが頭のうちは」
そこは信用している。
それにそれこそ
吸血鬼はそう簡単に死にはしない。
彼らが
まして
排除手術を行ったのは他ならぬ
彼の今の
並の相手に負けたり、事故で死んだりするような男ではないだろう。
「きみは、なんとも思わないのかね?」
「思うならあんたの愚痴にもうちょい同情してるわよ」
あいつの大言壮語はしっかりと花開きつつあるのだから。
「喜びこそすれ、私には愚痴なんかないわよ?」
――世界をもっと面白くしたいと思います。
今でも耳の奥にあのバカの言葉が残っている気がする。
あいつは本気で
くっくっく、と笑って。
トゥーラ・フェテレイネンはどこぞにいるあいつのために祝杯を掲げた。
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「お疲れ様です、
迎えに来た
あの様子では
背後で糸を引いているというわけでもなさそうだった。
アレは腹芸ができる
嘆息する。
アガフィヤの実子、第六の最も古き血。
――吸血鬼の強さは三つの要素で決定される。
血統、〝
才能、一連の事件を見ても破格と呼ぶに相応しい。
だがそれでもアレが
血位の差や才能の格差ではない。
成って半年程度のあの新血には圧倒的に熱量が足りていなかった。
およそ熱量、その貯蓄庫である
それなりに食い下がったとて最終的に勝ちはなかったはずだった。
だが。
転機はあの
暴走の果てに勝利したのはまあよい。
相手も卵の殻も取り切れぬ
そういう結末はあり得ただろう。
その後の出来事が問題だった。
最古にして最弱の
あれは戦いを好まぬゆえにただひたすらに熱量を貯め込み続けてきた吸血鬼。
その熱の総量など想像を超えてなお余りある。
それをあろうことかあの女は、あの新血に丸々片腕分くれてやったのだ。
無論、吸血鬼にとって吸血鬼の血肉は猛毒にも等しい。
なんらかの仕込みがあったのか、おそらくあったのだろうが。
あるいは奇跡的な相性の問題なのか。
あれは
あの変質を是とする血祷あってのことではあろうが。
――番狂わせにもほどがある。
こつ、こつと指先でこめかみを叩きながら思案する。
五分悩んでシメオン・フェテレイネンの消去という
あれは異端、吸血鬼の中で最上の異端である。
少なくとも
人知を超えた怪物として
あれは己を含めてその怪物すら研究対象としてしか見ていない。
血祷を持たぬとは本人の弁だが、
あれの
いずれ、いつか。
あの
それは確約された未来にほからなぬ。
そう、いずれ。
真祖アガフィヤの秘密にすら牙を届かせるであろうと、
何せ、時間は無限にあるのだから。
「——まあ、気長に待つ事としよう。
なにせ我らの夜は永いのだからな」
今はまだ、
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