Cut.18 〝夜は永過ぎるから〟


チェスをやるには、人生は短すぎるLife if too short for chess.

     ――ジョージGeorgeゴードンGordonバイロンByron



**************************************



告白者マクシモスとの面会から三日が経ち、その夜。


告白者マクシモスから連絡があったとトゥーラに知らされたシオンは、彼女と共に指定された場所に向かっていた。




「説得、してもらえたのかな」



「ダメだったんでしょ、呼び出されたってことは」



確かにシメオンは説得して貰ってダメなら話をさせてくれとは言ったが。



「……雑では?」



告白者あいつに何を期待してたの」



身も蓋もなかった。




「親が言ってダメなもの、ぼくが言って止まるのかな……」



「無理でしょうねぇ……。

 一応、言ったとは思うけど」



「まあ、覚悟はしてきましたよ」




それはトゥーラとこの三日間、話し合ったことではある。

言ってダメなら腕力ちからに訴えるしかない。



纏身サンサーラ〟は相当に厄介な血祷だが、裏を返せば本人が戦う分には関係がない。

はずだ。


よって、最悪の場合は面と向かって腕力で同意を取るしかない。


それがトゥーラの見解だった。

話し合いで済ませたいんだけどなあ、とシメオンは嘆息する。


そも吸血鬼に人世の法律ロウは及ばない。

言葉で翻心ほんしんさせられないなら暴力に訴えるしかないのだ。




**************************************





人気のない公園。

市内から離れて無機質な建物ビルの灯も遠く。


欠け始めた月光だけが4人の吸血鬼を照らしていた。



熾天博ボナペントゥラ

シメオン・フェテレイネン。


告白者マクシモス

そして、




「——MinervaミネルヴァEinaudiエイナウディと申します。

 こうして顔を合わせるのははじめてですね、シメオンさま」




いっそ優し気に、親愛の情さえ滲ませてその女は笑い、名乗る。

刺客を放ち、シメオンの日常せいかつを脅かした首謀者くろまくとも思えない態度。



いや、実際におそらく、彼女には悪意や敵意の類はないのだろう。

彼女は告白者マクシモスのためによりよい玩具オモチャを用意しようとしただけなのだ。

そもそも古き、おそらくは数百年を生きる第2世代である。

人権意識など期待できるはずもない。



曲がりなりにも真名まなを名乗るあたりに誠実さがある、のかどうか。




「ええっと、ミス・ミネルヴァ、」



「どうか気安くミルと、お呼びくださいシオン。

 同じ〝最も古き血First-Blood〟の接吻くちづけを受けた身。

 親祖おやは違えど同じ席次ではありませんか」



「……おっけー、ミル。

 単刀直入に言うけど、ぼくやぼくの周辺にちょっかい出さないでくれない?」



お望み通り、砕けた口調でぶちまける。

というかシメオンの側にすれば親し気にシオンと呼ばれる筋合いはないのだが。


が、当然のごとくミルの側には一切の動揺はない。

むしろ同じ血位の相手に親し気に話しかけられて嬉しいと言わんばかり。




――ああ、これは駄目むりだ。


シメオンは内心で独白する。

このひとは、この吸血鬼ひとには人間的な感覚が期待できない。



「謹んで、お断りします。

 私は私の心の命じるまま、父祖のためにこのよるを生きるだけ。

 ご迷惑でしょうけれど、どうかご容赦を」




ご容赦できないからこうなってるんだけどな、とまた嘆息。



「迷惑だろうというのはわかるんですね。

 では聞き方を、聞く事を変えます。

 ——なぜ止めてくれないんですか?」



「あなたはまだお若い。

 きっと実感としてはわからないでしょうが。

 

 吸血鬼われらの間にはこんな言葉があります。


奴隷の如く生きるには、我らの夜は永過ぎるOur nights are too long to live like slaves.』と」




シメオンは今夜何度目かもわからないため息を1つ。

トゥーラに聞かされていた事では、ある。


吸血鬼かれらいのちは永い。

百を数え、千を数え、たとえ万を数える夜を超えても。

彼らのいのちは尽きる事も果てる事もない。



故に彼らは他人に斟酌しない、傲慢であり我儘わがままだ。

そしてそれは決して慢心からではない、必然なのだ。


後悔を抱えて生きるには、吸血鬼かれらの夜は永過ぎる。



――奴隷の如く生きるlive like slaves


なるほど上手い言い回しだと、正直感心する。

誰かの顔色を窺い、誰かの思惑のために遠慮し、自分の思うところを捨てて生きる。



なるほど確かに。

それは奴隷の人生だ。


ならば。


シメオン・フェテレイネンは毅然とおもてを上げてミルを見た。

拳を握り、眼差しは鋭く口火を切る。



「——ならば、当然。

 ぼくが貴女あなたの事情に配慮する理由も、遠慮する必要もない」



「無論、ございません」




女は、華のように笑う。


後悔を抱えて生きるには、吸血鬼われらの夜は永過ぎる。


なればこそ。

シメオン・フェテレイネンはここで諦め引けない。


諦められない。

奴隷のように生きる事を彼は/彼女はもう望まない。




「ぼくはあなたに決闘を望む。

 ほかならぬぼくの自由を賭けて」



その決闘をお受けします」



「——是非もない」




命に軽重はない。

ならばこのよるを守るためならば。


命を奪うに躊躇はない。

既にその覚悟は決めていた。



女は背負っていた長箱から大剣を抜き放つ。



御父祖おとうさま。

 どうかこの戦いに暗闇の帳を。

 我が忌まわしの血祷いのりが誰の目にも触れぬように」



ミルの願いに応え、告白者マクシモスが目を閉じる。


直後、灰色の闇が、天幕の如く公園を覆う。



シメオンは既に知っている。

その血祷いのりは〝覇踏スクリーヒォ〟。


もっとも名の知られた血祷いのり

それはであるという。


微細な音を拾う広域探知。

心音すら聞き分ける真偽看破。

己の音を殺す無音秘匿。

超振動による切断能力。

様々な応用法を持つ、正体を広く知られてすら脅威とされる血祷いのり


例えば空気の層を捻じ曲げ光を謀ることすら可能にするのだろう。

驚くには値しない。




「このおりは外からの光は阻まぬが内よりの光は通さぬ。

 音もまた同じく。

 何人もこの獄の内の出来事を知るには能わぬ。

 存分にやるがいい、我が娘」



「——感謝いたします、御父祖おとうさま。


 心して見よ、その身に刻め。

 我が血祷いのりの神髄を。


 我が全血全能をもって貴女あなたに応えます、シオン。

 我は偉大なる父祖ちち告白者マクシモスの名に連なる子。

 MinervaミネルヴァEinaudiエイナウディ!」




朗々と、古き血族は名乗りを上げる。

ああ、なるほど、これが誇りというものか。


シメオンは応える、応えねばならぬと思い至った。

腰の後から短剣ナイフを抜き放ち、逆手に構えて偉大な先達に対峙する。




「故ありて、我は血の係累を偽るもの。

 我が名はシメオン・フェテレイネン。

 偉大なる真祖はは、アガフィヤの子。

 賢しき熾天博ボナペントゥラの縁者なり!」



ざり、と地面を踏みしめる。

この灰の帳が世界あちら戦場こちらわかつならば、血を偽るは不義なれば。


人名ひとのなは捨てた今、真血を持って礼に代えよう。




——ぼくは貴女あなたを打倒する。



おいでなさい、と。

華のように女が笑った。





**************************************





一合、二合。


風のように踏み込み短剣を振り抜く。

長さはあっても重さの分不利なはずの大剣を無駄のない動きで揺らしながら、女はシオンの連撃を巧みに阻んでいる。


強い。

並外れた技量うで、昨日今日のわざではない。

永い夜の内のどれだけを鍛錬に費やして積み上げたものなのか。



防戦一方、ではない。

女が防戦に徹するのには理由があり、シオンもすでにそれを察していた。


女の肉体が蠢く、筋肉が、骨格が組み変わる気配がする。

見知った肉体の変質、——転成アナスタシス



血祷いのりとは願望ねがいにほかならぬ。

己の向かう先に輝く誘蛾灯、その身を焼くと知りながら避けられぬ焔。


それは魂の露呈であり、精神の流出である。


ミネルヴァ・エイナウディの魂とは何か。

その血祷いのりとは、願望ねがいとはなんだろうか。


纏身サンサーラ


誰かを己が如くに変えることか?


――否。


それはその血祷いのりの一角、本質に対する影に過ぎぬ。


その本質は。



黒髪が逆立つ、四肢に肉が漲り体躯は膨張する。

肩幅が、腰骨が組み変わり存在しないはずの喉仏が浮き出る。






「——



低い声で、女は。

女だったものは慟哭する。



「忌まわしくも卑しき我が欲望ねがい、その眼に焼き付けろ新参!

 冥府の王に自慢する土産とするがいい!!」



二回りほども肥大した筋骨隆々、威風堂々たる体躯。

その姿に、その声にシメオンは思い至る。



告白者マクシモス——。



大上段から振り下ろされる大剣は既にその肉体に相応しい寸法サイズ

だがそれでも、後ずさったシメオンの身に届くほどの長さは、



振り切られる。

切っ先が地に触れる。

届かぬはずの斬撃、だが音もなく鋭利な切断面を見せてズレ落ちる左腕。




覇踏スクリーヒォ



不可視の風刃は彼女シメオンに届いている。

重力に惹かれて落ちる左腕、倒れ込むように転がってそれを掴む。


何一つ見えてはいない、直感だけで地面を蹴って跳躍する。



二断ち目。

横殴りに振り抜かれた剣と、引き裂かれた地面が見えた。



三断ち目。

旋回する刃、空中にいるシメオンには避ける手立てがない。



我武者羅に体を捻る。

不可視の斬撃が頬を裂いて背後に抜けて行った。


着地、既に左腕の接合面は癒着している。

神経、筋肉の結合は完了、だが骨格の再結合にはまだかかる。

左腕は当面頼りにならない。



呼吸いきも忘れ、頬から流れ落ちた自らの血をべろりと舐めとる。

瞬間いま、ぼくは確かに生きている。



笑ってしまう。

確かに今この瞬間、シメオン・フェテレイネンはいまを実感している。


奴隷のように生きるのはやめよう。

死んで今更そんなことに気づかされる。

誰かのために生きるいまのなんと空虚なことだろう。


自分自身のために生きるいまのなんと充実したことだろう。

瞬間いま、ぼくは確かに生きている。


女は彼女の偉大なる父祖ちちのように。

胸を張り威風堂々と立っている。


忌まわしくも卑しい欲望ねがい

そんなことが、髪の毛一筋ほどもあろうか。


彼女は瞬間いま、確かに生きている。

なんて美しいことだろう。


だから、自問する。

ぼくはどうありたいのか。


大上段に再び構えられる剣は、しっかりと両手で握られて。

全身の産毛が総毛立つ。


来る。


小さく跳躍する。

両腕を組んで防御の構えを取る。

対峙する面積を最小に。


荒れ狂う烈風が通り過ぎ、全身はくまなく引き裂かれていた。

肌の至るところを血が流れるのを感じる。

脳の奥で危険を告げる警告シグナルが鳴り響いている。


だが生きている。

手足は十全、目も耳も稼働しており意識には毛ほどの雑音もない。


だから、自問する。

ぼくはどうありたいのか。


短剣に備えられた引き金を引くトリガー

射出された刃は無造作に弾き落される。


当然、〝覇踏スクリーヒォ〟に死角はない。

空気の微細振動すら捉えるその血祷いのりには奇襲など届かない。



自由とはなんだ。


誰にもらずただ独り、寄る辺なき瀬に立ち尽くす事か。


違う。


何者よりも強く気高くある事か。


違うだろう。


美しく気高い誰かのようになることか。


違うのだ。


違うとも。


シメオン・フェテレイネンの願う自由とはなんだ。



――決まっている。



水平に振り切られた刃から不可視の刃が吹き抜ける。

地に伏せ、砂を噛むような態勢でそれを避けて、吐き捨てる。




「ぼくは成りたいぼくものになる」



垂直に振り上げられた刃から嵐の如く刃が吹き付ける。

地を蹴り、半身をくまなく抉られながら叫ぶ。




「ぼくは立ち止まらない!」



突き出された刃の切っ先から渦のように放たれる死。

肩口が砕かれ、それでもまだだと地面を踏みしめて声もなく呟く。




――誰にもぼくを阻ませない。



何もかもが足りない。

何もかもが届かない。

だから諦めるのか、そんなわけはない。


血祷いのりとは願望ねがいにほかならぬ。

己の向かう先に輝く誘蛾灯、その身を焼くと知りながら避けられぬ焔。


それは魂の露呈であり、精神の流出である。


トゥーラ・フェテレイネンは教えてくれた。

吸血鬼とは病理やまいに過ぎぬ。


ケヴィン・K・ロングフェローは笑ってくれた。

こんな自分にも友が作れるのだと。



できぬというのなら、

我らの祈りを聞き届けるものがあるというのなら。


この醜くも悍ましい血祷いのりよ叶えと叫ぶ。



風は見えぬもの。

だが風を振動ふるえとして捉えるのが〝覇踏スクリーヒォ〟だと言うのなら。


全身の産毛が総毛立つ。

感じろ、全身で知覚しろ。

目で見えぬならば肌で感じるだけだ。


不可視の斬刃を知覚する。

身を躱す、


産毛は触覚センサー、脈動する神経が教えてくれる。

風が振動ならばそこには兆しがある。


神経かんかくが足りぬなら、及ばぬなら増やせ。

全身の痛みもまた増大するが知った事ではない。


痛みは無視しろ、それはただの情報ノイズに過ぎない。

脳が駆動する、情報を取捨選択して濾過し処理。


最適化する。

瞬間いま、必要なすべてをここに。


この身にいまなど要らない。

一瞬が過ぎる度に自分を更新する、より良い、望ましい自分へと。


過去じぶんなど要らない。

よりよい未来じぶんへと足を踏み出せ。


1秒前の自分を否定する。


半秒前の自分を棄却する。


先鋭化する。

最新にして最善のシメオン・フェテレイネンに向けて。


血が足りない。

全力で駆動する四肢に熱量ねつが届かない。


心臓こどうを否定。

全身の筋肉を脈動こどうとする。


全筋肉が血管を圧迫し全身で血流を加速する。

もっと熱量ねつを行き渡らせろ。



――少女ティエが教えてくれたはずだ。


無意識ぼくに任せるな。

意識して駆動しろ、全身全霊その一切が自分ぼくだ。


血の一滴、肉の一片、神経の一筋すら疎かにしない。


大身ストゥーラ小身スークシュマ流身ナーディー

実の三神/身一体トリムールティ


重芯ニルマーナ流芯ダルマ感芯サンボーガ

虚の三神/芯一体トリムールティ


全なるいつ、虚実双合をもって不二一現アハンカーラ



全力で足りぬならばこの全身全霊全血全能をもって。



おとすら置いてきぼりにして疾走する。

それでもなお〝覇踏スクリーヒォ〟に付け入る隙などありはしない。


全方全距がかぜの致死圏。


まだ足りない。

まるで足りない。


全部ぼくを使い切ってなお。

否、否、否だ、まだ全部を使い切ってはいない。



――引き金を引くトリガー

血装具Blood-bornが、握りグリップが血を吸い上げる。

血刃形成。



否。

全身を駆動する。

吸われるのではなく血を押し込む。

吸われる以上の血量を、筋肉の脈動こどうで装填する。


肉厚の血刃が無理矢理形成されて、直後。

シメオンは引き金を引くトリガー


射出される刃。

迎撃するミル、だが内圧に耐え兼ねた血刃は空中で自壊。


飛び散る飛沫は確かに大気の振動に雑音ノイズを走らせた。


ほんのわずか、女の挙動に迷いが混じる。

十分ことたりる




何もかも足りないなどと、そんなことは自分が一番知っている。


よる受け生まれ

第二の自分シメオンに成ったときから。

ずっと自分は不完全だと思っていた。



何もかもが足りないから学び、学び、学んできた。


引き金を引くトリガー

同時に腕を振る、遠心力で噴き出た血が長く伸びる。

長刃を無理やり形成する。


トゥーラは言った、知識は強さだと。


ダノワは言った、肉体的に劣るなら技を磨けと。


ありとあらゆる全てが教師で、生きとし生ける全てが教科書だった。

成っうまれてから無駄に過ごした一日じかんなど無く。

無為に過ごした前世ひとの虚構を埋めるように生きた。



――これがぼくだ。



血飛沫の雑音ノイズなかを長い血刃が疾駆すはしる。


女が閉じていた眼を開く、雑音ノイズを無視して血刃を実剣で迎撃する。


砕け散った血刃が女の視界を染める。



地を這うように旋回する。





引き金を引くトリガー

装填の時差ラグ脈動こどうで埋める。

血刃形成。


砕かれた右肩と再接合未満の左腕で足りないなら両腕で。

右手で掴み、左手で押し込む。

嵐の如く旋回しながら狙うのは首。


女のまとう気配が膨れ上がる。

振動かぜの鎧、不可視の。


だが振動おとは逆位相の振動おとで相殺できる。

全身全霊全血全能をもって。

振動する両腕の筋肉は刹那、確かにその防御を掻い潜った。



点の振動からの振動へ。

腕を防げないなら全身を叩いて距離を取る。


女の判断は早かった。

性質を変えた振動の鎧がシメオンの全身をしたたかに打つ。


衝撃に跳ね飛ばされてシメオンは地面を転がる。

転がりながら見た、刃は届いている。


首の後ろに突き刺さった血の刃。

だが瞬く間にそれは砕けて地に落ちる。


浅い。

振動かぜの鎧を貫くべく用いた微細振動は武器やいばも脆くしていた。


全身の血管、筋肉、骨格、神経のすべてが限界を訴えている。

脳の奥で暗い光が明滅する。


だが、それでも。


ミルは立っている。

だから倒れない、シメオン・フェテレイネンは立ち上がることを諦められない。



視界が明滅する、まともに前を向いていられない。

それでも、それでもとシメオンは独白する。


今度こそ、今度こそぼくはぼくを諦めない。





「——……?」



目の前に、男が立っている。

告白者マクシモス


コピーでは、ない。

本物の、最も古き血が。




「——どけ、あなたに用はない」



震える声で宣言する。

おまえの出る幕などない。

おまえにぼくは用など、




「必然だ。

 おまえはおまえの全てをもって戦った。

 ——だが、血祷いのりは所詮借りもの」




おまえの勝ちだ、と。


最も古き血First-Blood〟は、無感情に告白者マクシモスは告げた。



男の向こう、女はまだ、立っていた。

だがその身体に体温ねつはなく。


女は両目を見開き剣を握ったまま動かない。

指先からわずかに漂う煙は灰、自蝕自壊が始まっていた。




「昔の、古い古い約束を思い出した。

 これが灰に還る時は、共に居てやると。

 今更だがな」



告白者マクシモスは己が娘をそっと抱き上げ、背を向ける。





「——告白者にいさん

 ぼくはあなたに、挑みます」



「俺はおまえに用などない」




寂しいん退屈なんでしょ。

 そのひとの代わりは務まらないけど。

 ぼく、遊び相手くらいはしてあげますよ」



シメオンの言葉に、男は言葉を返さない。

だが確かにその歩みは刹那だけ止まり。


だからシメオンは苦笑しながら、告げる。



「——だから、待ってて。

 いつか貴方のところまで行くから」



「……好きにするがいい」




男は背を向けたまま、よるに溶けるように消える。




大の字に転がって、駆け寄って来るトゥーラの足音を聞きながら。

両目を閉じてシメオンは笑う。


まるで届かない。

あのひとにせものにすら今の自分ぼくは届かない。



それでも、と。



いつかあの背中に届いて見せる。


――だって、独りの夜は永過ぎるから。






















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