Cut.13 〝吸血鬼たちの夜〈Ⅱ〉〟


眼下、ケヴィンが恐ろしいまでの速力で走った瞬間をウラは見ていた。

舌打ちを一つ。


ただの第三世代に、いや吸血鬼に出せる初速では明らかにない。


横目ですぐ隣に立つ聖骸王イシュトヴァーンを見やる、無表情を気取っているが口元には微かに笑みが浮いている、この野郎、とトゥーラは内心愚痴る。


だがその初手をシメオンはしっかりと防ぎきっている。

今度はウラが口元に微笑みを浮かべる番だ。


見たところ攻防は互角の一進一退、戦闘経験の薄さの割にシメオンはよく食らいついている、というか。


転成から半年足らずである事を考えれば破格と言ってもいいだろう。

トゥーラ・フェテレイネンはのシメオン・フェテレイネンを知らない。

元々武術なりの下地があったのだとすればわからなくはないのだが。

おそらくそういう経歴はないだろうとウラは見ていた。


つまり、これは才能というやつか。



吸血鬼の強さはおおむね3つの要素で決定される。

1つは血統、親の世代。

2つめは熱量の備蓄量、これは永く生きた個体が圧倒的に有利だ。

才能は最後の3つめ、比率としてはあまり期待されない領域である。


そんなことを考えている間にも攻防は続く。

シメオンが背後を取りケヴィンの背中に張り付くが、ケヴィンの反撃にすぐにはがされてしまった。

吸血鬼としての経験値はやはりケヴィンが上か、



次の瞬間だった、

10フィートコンテナがドームの天井を突き破って落下してきたのは。


思わず聖骸王イシュトヴァーンを見やる、男の顔にも驚きと動揺の色が過っていた。


――トラブル?



罠や演技ではない、と一瞬で判断する。

彼の仕込みならもっと上手くやるだろうという確信しんらいがあった。



聖骸王イシュトヴァーン?」



「いや、私の仕込みではないよ」



男の視線がウラに向く、きみではないのか?という意味を汲み取って首を横に振る。



コンテナのドアが弾け飛び、2人は互いの背を守るように態勢を整えていた。

判断が速い。


視界の端で聖骸王イシュトヴァーン黒服SP達がにわかに動き出す。



状況を見守るトゥーラの眼下、次に起こった出来事に聖骸王イシュトヴァーンが眉を寄せる。


コンテナの奥から姿を見せたのは巨大な

その腕に続いて腕に見合う巨体が這い出して来る。


体格がいいとか、そういうレベルの話ではなかった。

片腕だけでシメオンはおろかケヴィンよりも大きい。

身長で言うなら4mに近い、よくもまあコンテナに収まっていたものだと感心する。



「歪だな」


聖骸王イシュトヴァーンが吐き捨てるように感想を口にする。

そう、その何者かはひたすらに歪だった。


吸血鬼の強さは先に述べたように熱量の蓄積量に大きく依存する。

そういう意味で、体格に優れるというのは確かに1つの才能には違いない。

だが、限度というものがある。


人並み外れた大きさは当然、人間としての構造とつり合いが取れない。

巨躯を支える骨、動かす筋肉、血量、それをまかなう心臓。

サイズが大きくなるほどに効率は悪化し、は甚大なものになっていく。

質量が破壊力につながると言えど、あのナリでは速度もろくに稼げはしないだろう。


普通は普通の人間の規格を保ち、時間をかけて漆黒器官シャッテンオルガンを拡張していくものであって、ああも巨大な体躯では維持のための食事に生活の大半をとられてしまうだろう。

たとえ血を際限なく吸える環境下で育ったとてそもそも肉体の維持に必要な材料が足りない。



傷ものインクルージョン?」


我知らずウラはそう呟いていた。

吸血鬼の強さを決める要素は不確定ながらもう1つある。

血祷エロージョンだ。


心の在り方に起因するその能力は、シメオンの例のようにならば早期に、高い確率で覚醒する。


傷ものインクルージョンとは、本来宝石の不純物を指す用語だ。

だが吸血鬼たちにおいては別の意味を持つ。


白杭ホワイトスティクスとの闘いが苛烈だった時代。

外道の理法だが少なくない数の人間がそういうやり方の犠牲になった。


傷ものインクルージョンとは、そうやって生み出された兵器かいぶつ



「このご時世にかい?

 ……だが確かにそうとでも考えねば納得できんな、あれは」



聖骸王イシュトヴァーンが唸る横でトゥーラは思考を回転させている。


態度から見て聖骸王イシュトヴァーンではない。

当然ながら熾天博トゥーラの仕込みでもない。

狩猟者プラキドゥスが最も嫌う手管であるからこれもない。


凱旋者ゲオルギウスはどうか?

なるほどやらないとは言えないが、凱旋者あれの好みにはそぐわない。

仮にやるとしてももっと見栄のいいものを作るだろう。

昨今の毒のなさを考えれば、そもそもやりそうにも思えないが。


となれば消去法として告白者マクシモスが残るが。

――違和感が拭えない。


あれの仕手にしては雑に過ぎるし直截にもほどがある。

ここまで目立つようなやり方をいかに戦闘狂あいつであってもやるだろうか?



そうしてトゥーラの思考が展開する間にも状況は動いている。


無毛の赤子めいた巨人を敵と判断したのかケヴィンが跳躍する。

振りぬかれた右腕の上を跳ねる、長剣が一閃し肘関節を大きく切り裂く。


だが浅い。

浅いというより相手が巨大すぎて刃が小さ過ぎた。


しかしそれもには織り込み済みだったのだろう。

間髪入れずに地面に転がったドアを蹴り上げ、肩から体当たりする要領でシメオンが巨人の右腕に叩きつける。


関節付近まで切り込まれていた巨人の右腕が衝撃に耐えきれずねじ切れて吹き飛ぶ。



「上手い!」


思わずだろう、聖骸王イシュトヴァーンが小さく似合わないガッツポーズなどしながら喝采の声をあげた。


即興にしては確かに見事な連携。

片腕を失ったあの巨人はまともに動き回る事すら困難になるだろう。

巨大すぎて足だけで立つことすらままならないのは明らかであった。


もぎ取られてしまえば傷口の接合も容易くはかなわない。

あのサイズを再生する事は困難であろうし、




――ぞわりと、背筋に悪寒が走る。

それは半ば直感に過ぎなかったが、トゥーラのそれは良く当たる。



次の瞬間、地面をバウンドして転がる巨大な腕がほどけた。

小柄な、1mほどのサイズの無毛の人影が無数に生じる。


そういう血祷か、とトゥーラは舌打ちする。

あのサイズならば小回りが利く、あれは単独で一軍足り得る吸血鬼なのだ。



「——本体を!」



思わず眼下と自分たちの間を隔てるアクリルの壁に手をつきながら身を乗り出す。

あれが血祷なら本体を潰せば、



「いや、ダメだな」



聖骸王イシュトヴァーンが独り言ちる。

トゥーラの声が届いたのかどうか、本体へ駆け寄ろうとしていたシメオンを、ケヴィンが抱き留めて引き戻すのが見えた。



「なにやって、」



「いや恐らく本体を潰せば止まるとか、そういう類ではないのだろう。

 ケヴィンにはそういうのだ」



聖骸王イシュトヴァーンの言葉に思わず振り返る。

相手の血祷の詳細を判別する能力、血祷?



「——あんた、そういうこと?!」



トゥーラは思わず状況を忘れて激昂する。

相手の血祷を分析できる血祷、つまりこの決闘ははじめから。



「シメオンの血祷を探れれば勝敗とかどうでもよかったの?!」



つまり、そういうことだろう。

ハナから聖骸王イシュトヴァーンもケヴィンもそういう腹積もり。

あるいは血祷以上の情報をシメオンから得る気で――、



「言っている段かね、見たまえ」



聖骸王イシュトヴァーンが苦虫を嚙み潰したような表情で顎をしゃくる。

視線を眼下に戻す。




巨人の本体が腕と同様に解けて無数の小人に分裂する。

本体もクソもない、というよりあれはもう。



「自爆も同然ってこと……?」



本体を潰しても止まらないというケヴィンの判断が正しいならそういうことだろう。

あれはそもそも本体だの分体という区別をもたない怪物なのか。





**************************************




「なんで止め、」



「あれに本体とか分体とかの区別はない!

 んだ、そういう血祷なんだよ!!」



ケヴィンの言葉さけびに納得したわけではなかった。

次の瞬間に本体が崩れ、無数の小型吸血鬼が生じるに至ってシメオンは納得を先送りして腰の後から短剣ナイフを抜き放った。


相手がこのサイズなら十分に小型の刃物でも役に立つ。

数が多過ぎるがゆえに悠長に一体ずつ肉弾戦で仕留めるという選択肢は捨てた。

首なり脚なり、即座に切り落として活動を止めねば数に圧し潰されるだろう。


ケヴィンと互いに死角を補いながら数体を薙ぎ払う。

次の瞬間に起こった出来事は2人の吸血鬼を絶句させるに十分で。


あろうことか小型吸血鬼の群は転がる同類を引きずり、群がって牙をたてたのだ。


共食いですらない。

同じ吸血鬼から生じているのだから自殺も同然の所業。


だが真に恐るべき事態はそこから先であった。

胎を膨らませた小型吸血鬼、もはや餓鬼とでも言うべきそれの体を突き破ってさらに新たな餓鬼が生じる。



「——なんだこいつ」



「おいおい、再生とかいうレベルじゃないぞ」




数が減らない。

減らした端から増えていく。

無限に増えることはあるまいが。


だがその楽観的な推測はまたしても裏切られた。


餓鬼の群れの攻撃対象は2人だけではなかった。

観客席に集まりつつあった数人の黒服にまで津波のように襲い掛かる餓鬼。


絶叫、悲鳴。

だが哀れむ余裕はなかった。


黒服を捕食した餓鬼が再び増殖する様を視認したからだ。




「——やば、これ」



「下がれ、入場路へ!

 開けた場所で相手をするのは不味い!!」



いかに一体一体が雑魚であっても数の不利はそれを補って余りある。

万が一にも捕食されればおそらくあれはまた増える。


こちらがダメージを受けるほどにリスクが跳ね上がっていくのは目に見えていた。



ケヴィンの言葉に頷き、押し寄せる餓鬼の一匹を蹴り飛ばしシメオンは走った。

吹き飛んだ餓鬼が別の餓鬼に衝突して足を止める、どころか容赦なく捕食される。



「うおォ?!」



悲鳴に振り返る、ケヴィンが無数の餓鬼に取りつかれ足を止めていた。

頭上の観客席側から回り込んだ一団が頭上から奇襲したのだと判断するより先、シメオンは地面を蹴っている。


小型の台風、あるいは渦巻のように回転しながら連続してナイフをふるう。

ケヴィンにまで刃の嵐が突き刺さるが知った事ではなかった。


群がる餓鬼の一団を肉片に変えてケヴィンの手を取り引きずるようにして走る。

体格を思えば異常なほどに軽い吸血鬼ケヴィンの身体はシメオンの速度を阻害しない。



「走って!」




頭上からの奇襲を警戒して走行ルートが制限される事になったがサイズ差はそのまま移動速度の差でもあり、どうにか次の攻撃を受ける事無く入場路へたどり着いた。


通路の奥にケヴィンを突き飛ばし、背を向ける。



「再生まで時間を稼ぐ、なんとか自衛できるくらいに立て直してよ!」



言い終わる前に餓鬼の群れがなだれ込んでくる。

舌打ちしながらナイフをふるい、あるいは蹴り飛ばす。

とどめを刺す事を考える必要はなかった。

ある程度痛手を与えれば勝手に餓鬼が始末をつけてくれるのだ。


まさに地獄絵図。

阿鼻叫喚の悲鳴と血しぶきは敵のものなのに神経がやすりで削られるような光景。


臆することなく餓鬼の群れを迎撃しながら、だがシメオンに余裕はない。

圧倒的に数が違い過ぎた。


長くはもたない。




**************************************




聖骸王イシュトヴァーン

 防火シャッターかなにかあるでしょ、すぐに閉めて!」



「何を言っている熾天博ボナペントゥラ

 そんなことをすれば我々の逃走路も制限されるぞ」



「そんな話じゃないのよ!

 !!」




トゥーラ・フェテレイネンにはもうわかっていた。

あれには理性もなければ自我もない、自分と他人の区別すらない。

あるのは無限の食欲だけ。


あれが1匹でも市街地に出たが最後、食っただけ増えて被害は無限に拡大する。

管理下を離れた分子機械ナノマシンが無限に自己増殖を続けるSFと同じ。


全てが食い尽くされる地獄グレイ・グー〟だ。



トゥーラの言葉でようやくその危険を理解した聖骸王イシュトヴァーンの頬がひきつる。

頭が悪いわけではない、人間に対する配慮が薄いのだ。


彼自身はいかようにも逃げおおせる自信があるのだろう。

それはトゥーラも同じではあるのだが。



「管理室へ行こう、そっちの通路だ」




**************************************




既に何匹目の餓鬼を倒したのかシメオンは数えるのをやめていた。

実際には数分だろう、永遠にも思える一瞬が過ぎて、だがケヴィンは戻ってこない。


一人で逃げたのかを疑い始めるが背後にはまだ彼の気配がある。

再生速度に個人差があると言えど第三世代のはずで、時間がかかり過ぎていた。


どこかで耳障りなブザーが鳴った。

シャッターが下り始めたことに気づいて手近な餓鬼を蹴り飛ばす、背を向ける。


果たして、ケヴィンはまだそこにいた。

傷はまるでふさがっておらず、苦痛をこらえる表情のまま青年はうずくまっている。


いくらなんでも再生が遅過ぎる。

何か致命的な傷を受けているのかと疑いかけ、気づく。


非常灯だけが照らす薄闇の中、地を濡らす血は赤でなく、緑暗色を示していた。

目を凝らす、ケヴィンの傷は、肉体は異常だった。

骨にまで達する傷はまだふさがり切っていない、だが異常なのはそこではない。

見えている骨は白ではなく黒い。


緑暗色の血、黒い骨、異常に遅い傷の再生。

そして驚くほど軽いその体。



「——きみ、もしかして体をいじってるのか?」




半ば直感に従ってその思い付きを口に出す。

ケヴィン・K・ロングフェローは目をそらし、だが否定はしなかった。





**************************************




暗闇の中、山中。

遊覧飛行船が音もなく着陸する。


運転席から落り立って、髭面の船長はたった一人の乗客に顔を向ける。

その表情は卑屈で、媚びるようで、そして期待に満ちていた。



「あの、言われた通りドームにコンテナを落としましたし。

 その、報酬をですね」



アルミ製のステップを軽やかに降りて地を踏んだのは黒髪の女。

子犬工場パピーミル〟と呼ばれる吸血鬼。



女は笑う、牙を見せて。


鬼化はただ噛んだだけでは、吸血を行っただけでは起こらない。

確率はゼロではないかもしれないが、限りなくその確率は低い。


吸血鬼化ウィルスvampirize - virusはその影響に反して脆弱だ。

感染したところで発症に至る事はほとんどない。

人体の持つ免疫機構に淘汰されてしまう。


免疫機構が、人体が抵抗を止めるまで瀕死にする事。

死に至る直前までの吸血行為がまず前提となる。


感染したところで次の問題がある。

転成アナスタシスによる熱量カロリーの欠乏。

ただの人間がどれほど熱量を貯め込んだところでまるで足りない。



血を吸うはずの器官きばが震える。

牙は怪しく艶めいて、黒い血を滴らせて、雫は女の掌に落ちて黒玉となって輝いた。



――黒髄血玉ブラッド・オブ・ブラック



漆黒器官シャッテンオルガンによって生成された高密度の熱量結晶。

人を吸血鬼かいぶつに転じさせる闇の黄金、血のたまわりもの。


無論、それを生み出すためには大きな負担を強いられる。

より高位の、より祖に近い吸血鬼の子であればより大量の熱量が求められる。



果たしてミルに、男にそれを下賜する気が本当にあったのか。

それを確かめる機会はその夜、訪れることがない。




「——約束を果たす、その前に。

 あなたにそれを許す気がない方がいらっしゃいますよ」



「え?」







暗闇の中から投げ放たれたのは黒鉄のやじり

男の肩を貫いたそれには細い鎖がつながっていて。


果たしてその鎖は慈悲もなく巻き取られた。

闇の中に引きずり込まれるように消える男の、悲鳴。



心地よさげに目を細め、女はその音楽ひめいを聞きながら。

手にした細い袋を紐解き、古物めいた刀を抜き放つ。






「あなたの定めた約定ルールには反していないはずですが」



嗤いながら女は鞘走る。

月下、白刃がきらめいて。



応じるように暗がりから現れるのはぼろ布に身を包んだ異形の吸血鬼。


蠢く闇が、擦り切れる歯車のように音をたてて声を生む。




『——そノ所業、許スに能わズ。

 名ヲ述べるがイい、幼子ヨ』




いわく。

その怪物、怪物中の怪物。

断罪者、調停者、立法者にして沈黙するもの。


――〝最も古き血First-Blood〟に名を連ねる最古にして最強の一。




狩猟者プラキドゥス




永夜えいえんを等しく終わらせる死神を前にしてなお、女は嗤う。




「あらあら怖い、思わず息を忘れてしまうほどです」
























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る