Cut.12 〝吸血鬼たちの夜〈Ⅰ〉〟
「
続けて少女が「
消去法で考えて野田だか和田とは自分を指す意外に他がない。
ほうじ茶らしい湯飲みを傾けて一服、それからダノワは少女の問いに答える。
「——俺らとおまえらを同じにすんな。
こちとらおまえらみたいに食い溜めできねーんだよ。
だから
俺らみたいな
食事制限とかな、と丁寧に教えてやった。
明らかに家族向けのから揚げの大皿を一人で平らげながら、少女はへぇと反応する。
ああ、肉食いてぇなあ。
「んぐ、じゃあお肉とか食べれないんですか?」
「そーだよ。
ちなみにこういう店に詳しいのは喰い歩きのためじゃねーぞ。
最近は肉食わないやつに配慮してる店も多いからな。
ガチ肉避けて食おうとすると下調べが必要なんだよ」
「ほふほふ、なるほど」
殴りてぇな。
「……とはいえ今日で最終日ですね。
色々お世話になりました、ダノワさん」
「おう。
まああんま役に立ってねぇ気もするけど」
決闘までの準備期間は2週間、14日だった。
ダノワと彼らの契約は10日間、
残りの数日は最終調整期間の段取りだった。
「でも色々聞けましたし、参考にして頑張りますよ」
んぐ、っと
できることはひとまず全部やった、あとは本番を待つのみだ。
**************************************
決闘の場は県内にある開閉式ドーム球場だった。
足元は芝が撤去された素の土。
県や国からの補助金を入れて大枚をはたいて建てた割に採算が取れなかったらしい。
この手の球場としてはやや手狭なのも何かしかの因果を感じさせる。
スティーヴン・K・ロングフェロー。
——
ウラは私だってやろうと思えばできる、と謎の対抗心を剥き出しにしていたが。
VIP席らしい高い位置の観覧席にはそのトゥーラと
一般観客席のあちこちに
硬い地面に足を押し付けて足首を回し、アキレス腱を伸ばす。
腕を組んで肘を押し込み肩を回し、首をひねって柔軟体操などしながら。
それでも油断なくシメオンは周囲を観察していた。
さすがに総出で襲い掛かってきたりはしないと思うのだが。
ややあって、対面の入場ゲートに人影が姿を見せた。
忘れもしないくせのある金髪、優男。
――ケヴィン・K・ロングフェロー。
「やあお嬢さんお久しぶり、昨晩はよく眠れたかい?」
「おかげさまで。
今日は胸を借りるつもりで頑張らせて貰います。
……負ける気はないですけど」
「やる気十分なようで嬉しいよ、勝つ気もない相手を倒しても自慢にならない」
爽やかな笑顔で煽っているとしか思えない台詞を吐く吸血鬼。
シメオンは内心の戦意を極力押し隠しながらつとめて笑顔を心掛けた。
油断してくれた方がやりやすい。
「ルールを確認しておこう。
武器は各自1つまで、服装は日常的なものとする。
「アリでお願いします」
「OK、アリで。
制限時間は特に定めないが、立会人が退屈したら中断を命じられる。
まあ、お爺様もきみの親もそうそう止めるとは思えないけど」
だろうな、と思う。
あっちは好き好んで仕掛けて来た側でこっちは……、ああ見えて負けず嫌いだ。
「さて肝心の勝敗の定義だけど。
まず大前提として殺しは無し、殺したら殺した方が負けだ。
で、詳しくは招待状に書いておいたけど。
吸血鬼の世界にも
たとえば今回のような決闘についてとか。
元々人間同士の決闘でも用いられていた、死亡事故を避ける為のやり方と同じもの。
人間でいう〝
その名が〝
ただし瞬間的な転倒や膝をついたりしても負けにはならない。
あくまでも戦闘続行が不可能、あるいは明確に勝敗が決したと判断された時になる。
具体的には本人による
今回はそもそも選択肢に入っていないが、
相手の心臓を抉り出し口付けた側が勝者という完全な殺し合い。
もっとも場合によっては敗者はそれでも生還することもあるのが吸血鬼なのだが。
この辺はわざわざ封蝋まで押されたド派手な招待状にも記されていた。
トゥーラの解説とも矛盾していなかった正当かつ古典的な
そして当然ながらシメオンが選ぶべき方式は1つしかない。
「ぼくが希望するのは
何より相手の
「ケヴィン・K・ロングフェローはその申し出を承諾する。
では武器の確認を」
ケヴィンの宣言に頷いて、鞄からケースに入ったままの
上着を脱いで鞄と一緒に少し離れた場所に置き、
ケヴィンは片手でそれをキャッチ、代わりに携えていた長剣を投げてよこす。
鞘から抜いて刃を一瞥、仕掛けの類があってもどうせシメオンには判別できないが。
相手も同様に
毒、というか。
正確には銀を用いるのは反則であるために互いの武器を確認するのが作法らしい。
「確認した。
問題ない」
「こちらも問題ありません」
互いに宣言して武器を再び交換する。
受け取ったケースをベルトで腰の後に装着する。
シオンの服装は動きやすさ重視でスニーカーにスパッツ、上は飾りのないシャツだ。
ケヴィンがVIP席を見上げる。
「——立会人の
始めてしまっても構わないか?」
一瞥した後視線を転じてシメオンにそう問う。
今回の立会人は3人、ケヴィン側の
だがあらかじめトゥーラからは「あいつは遅刻とサボりの常習犯だから……」と聞かされていた。
ため息を一つ、まあ予想できた事だ。
「はじめましょう」
言って背を向ける、これも作法の1つ。
互いに10mほどの距離を置いて始めるものらしい。
適当に歩いてから振り返る。
同じようにケヴィンも歩を進めていた。
向き合う。
左腕を畳んで胸の前に、右腕は伸ばして相手に向ける。
使い慣れない武器に頼るより無手の方がまだしもやりやすい気がする。
ケヴィンは剣を抜き、鞘を適当に放り投げた。
切っ先は下、地面すれすれまで腕を下ろした自然体。
わずかに重心が低く、左脚が下がっている。
走る気だというのはすぐにわかった。
はじめ!の声はトゥーラ・フェテレイネンのもの。
ケヴィンの上半身が沈む、片足が前に出る。
1歩、2歩、――視認できたのはそこまでだった。
見失ったと思った瞬間に畳んだ左腕を回して首の後をカバーしたのは無意識。
ダノワとの会話が脳裏にこびり付いていたから。
吸血鬼を殺す方法は幾通りもある。
だが逆に殺さずに捕縛する方法は数えるほどしかない。
その再生力と怪力ゆえに彼らを拘束する手段は極めて少ないのだ。
脳幹だ。
脳と脊髄の接合部、背面からぼんのくぼを一突き。
それで小脳を破壊し、脳幹を断てる。
人間なら即死する位置だが吸血鬼なら行動不能になるだけで済む。
殺しが無しなら俺ならそこを狙うね。
衝撃があった。
首をかばった左腕に衝撃、そして熱。
衝撃に逆らわず前に飛んで前転しながら背後を振り返る。
右手を突いて立ち上がる、一瞬だけ左腕を一瞥するとざっくりと切り裂かれていた。
薬指から滴った血が地面に落ちる。
ルールが
ケヴィンは面白そうに笑いながら剣を振って
地面に半円を描いて朱線が刻まれた。
円弧はもう1つ。
最初にケヴィンが立っていた位置から現在地点まで。
シメオンを迂回して背後を取るように地面に刻まれた疾走の痕跡。
いつかのティエや訓練時のダノワの速さとは質が違う。
初動を殺し、相手に認識させず、相手が気付く前に動作を完了する。
そのようなタイプの速さではなかった。
単純に、物理的に速い。
踏み出して3歩目にはもう視認できる速度を超えていた。
……あり得るのか、そんな事が?
今日に備えた訓練は、ダノワだけではなくトゥーラとも行っている。
吸血鬼の身体機能は確かに驚異的だ、だが。
再生を重ねて強化するというその性質上、立ち上がりはさほどはやいものではない。
速度は筋肉量に比例するが骨格はその肥大化する筋力に耐えられない。
骨格の強度を増せば今度は重量が肥大し遅くなり、維持に必要な熱量が増大する。
身をもって吸血鬼の限界点は見極めたはずだった。
好戦的ではなくとも、
彼女にできない事が2世代劣る比較的若い吸血鬼に果たして可能なのか?
考えるまでもない、
物理的にあり得ない。
破壊力とは速度と重量の乗算、単純な運動力学の公式だ。
あんな速度で、あの体格の男性に刃物を叩きつけられてこの程度で済むはずがない。
傷の再生は既に半ばまで終えている、肉こそ断たれたが筋は半壊程度、骨はせいぜいが浅い傷を負った程度だ。
今の一撃は、速度に対して軽過ぎる。
再生しつつある左腕を畳んで脇を締める。
血管を圧迫し、再生までの出血を抑えるための動作。
右腕はゆるく握り込んで下へ、重量に従ってだらりと垂れ下げる。
膝を軽く折り重心を落とす前傾姿勢。
――暫定。
あの速力は血統によるものと仮定する。
加速、ではおそらくない。
自分を軽くする能力?
あるいはそうかもしれない。
ケヴィンは再び切っ先は下、地面すれすれまで腕を下ろした自然体に移る。
口を開き何かしらを言いかけた彼の機先を制して、跳ねる。
相対距離は先の半分、目測でおよそ4m、この距離ならシメオンでも一瞬だ。
振り下ろす右手を、跳ね上がったケヴィンの白刃が迎撃する。
先の異常な移動速度に比べれば普通の、鈍いとさえ言える迎撃速度。
だがそれでも十分に人間の。
人間を基盤とする吸血鬼の手首を切断するに十分な速度。
南極とインド洋において、近年ある種の巻貝が発見されている。
2つの遠い海にありながら近縁種と推定された熱水圏に生息するその種は。
〝
体長4~5cmでありながらその貝の金属外殻の厚みは5mmにも及ぶ。
〝
彼らは陽光届かぬ深海熱水圏に住まい、化学合成系をもって
彼らの
――まるで、
Webの海で、彼らの存在を知ったシメオンはそう思った。
自分の血祷のことはまるでわからない、制御できているとは言い難い。
だがそれでもなお、そんな風に在っていいのだと思えるだけで充分で。
振り上げられた白刃を、鋼の表皮を得た掌で握り込む。
金属が擦れる耳障りな音を響かせながら、掴んだ白刃を軸に少女の体躯が宙を舞う。
上を取った。
天地さかしまの状態で、ケヴィンを頭上から見下ろして。
先とは逆、彼の後頭部を引き裂かんと空中で身体を捻り鉤爪を振るう。
空を切る。
地に伏せるような低い姿勢になりながらケヴィンは彼女の攻撃圏から逃れていた。
滑るように、左足を軸に右脚だけが地面すれすれを旋回する。
ケヴィンの体が滑らかに反転、彼を飛び越えようとしていたシメオンと相対。
屈みこんだ状態から立ち上がる、抑えつけられた
再び跳ね上がる、いや打ち出される白刃の切っ先。
弾かれるように、いやまさに弾かれた小柄な体躯が空中を舞う。
猫のしなやかさで身を捻り、足から着地してシメオンは笑った。
鋼の掌には小さくない孔が穿たれている。
ぺろりと、手の甲を濡らした己の血を舌で拭って、左腕を揺らし左手を開閉する。
そちらにはもう違和感すらない、再生完了。
胎の奥に火が
頭の奥が痺れるように熱を
がちりと、歯車が噛み合う感覚がある。
地面を蹴る、走り出すというより倒れ込む。
地面に触れる前に手を突く、足を踏み出す、身体を持ち上げる、引き起こす。
連続する転倒、あるいはそれは前方への連続落下だ。
ケヴィンの白刃が跳ねる、だが地に伏せたシオンはあまりにも近い。
初速すらろくに得る前に、シメオンの左手が先端を地面に抑え込む。
ケヴィンが剣身を引こうとするのに合わせて、抑えた掌を軸に手首を回す。
地面を蹴る、逆側の脚が
先と逆、縮み切った身体が伸びてつま先が槍の穂先となってケヴィンの顔面を襲う。
上体を反らす、膝を折って膝を突くように自ら崩れ落ちるケヴィン。
左手を起点に一本の槍と化したシメオンの身体の下をかい潜る、剣は離さない。
身体を小さく旋回する。
右腕を引いて抑え込まれた剣を抜く動作で左肘を叩き込む。
だがケヴィンの判断はズレていた、シメオンは剣の切っ先をもう抑えていない。
蹴りの勢いのままにその身体は半ば浮いている。
叩き込まれたケヴィンの肘に一瞬だけ手をかけ、押し上げる。
再びケヴィンの上へと。
シメオンの軽い体躯が自分の背中に着地する、かぶさる。
その一瞬を切り取れば、仲のいい兄に妹がおんぶをねだる姿にも似ていた。
シメオンの右腕が伸びる、ケヴィンの首に巻き付く。
窒息や圧迫による血流停止による意識遮断を狙っての行為ではない。
直接に首を圧し折る腹積もりの動き。
瞬間、ケヴィンの首を突き抜けて剣の切っ先がシメオンに迫った。
身をよじる、頬を裂くに留まった白刃はすぐに引き戻される。
血管と脊髄を損傷しなければ問題ないとばかりに自らの身体を盾に、死角から繰り出された攻撃に笑ってしまう、傷つく事を恐れていない、優男めいていてやはり
絶好のチャンスだったが不意を突かれたせいで判断が遅れる。
ケヴィンは転がるように前に逃げる、振り返りざまに自ら後に濡れた剣を横薙ぐ。
空振り。
シメオンは追撃してこない。
振り返る。
彼女は荒い息をつきながら立ち尽くしている。
吸血鬼に呼吸は不要だが。
若い吸血鬼は無意識に呼吸をし、呼吸を整え、必要のない休息を求めてしまう。
ケヴィンは自らの判断ミスに唇を歪める。
まだ、シメオンという若い吸血鬼への
左手で喉を撫で、唇を拭って息をつく。
呼吸は必要としないが対話は必要だった。
言葉を吐こうとして喉奥に違和感、脇に血の塊を吐き捨てて、喉を抑えた。
「あ゛ー、ン゛ン゛。
……いやまったく、だいぶワイルドだなお嬢さん。
正直、予想外だ」
「キミこそ、まさかあんな真似して来るとは思わなかった。
泥臭いのは嫌いかと思ってた」
シメオンの感想に思わず笑い、そしてケヴィンは唇を歪める。
「泥臭いのは嫌いさ。
それ以上に負けるのが嫌いなだけでね」
「――気が合うね」
ケヴィンは白刃の切っ先を地面すれすれに構え。
シメオンは四足の獣のような極端な前傾姿勢、背を丸めて低く構える。
「――、」
どちらかが、何かを言おうとしたその瞬間だった。
ドームの天井を突き抜けてそれが落ちて来た。
それは2.3m×2.3m×3.0mの10
2人から数メートル離れた場所に落ちたそれは土埃を巻き上げ、ぎ、と両開きの扉が歪んだまま内側から押し開かれる。
内圧に耐え切れず歪んだ扉がはじけ飛び、弾けた扉戸を回避して2人は地を蹴った。
期せずして互いに背中を預けるように立った二人は一瞬だけ視線を交わす。
状況がつかめない以上は暫定でも休戦のつもりでいた方がいいだろう。
たとえそれが心からの信用ではないにしても。
歪んだ箱がきしむ音は、第2幕の開演を告げるブザーだと、2人はまだ知らない。
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