Cut.11 〝暗がりにて〟






吸血鬼は妊娠しない、できない。


母体にとって子どもは異物だ。

人間ですら悪阻つわりという拒絶反応が生じる。

吸血鬼の免疫機構であればそれ以前、妊娠した瞬間に胎児にすらなっていない胚は異物として排斥される。


吸血鬼の種を人間の母体は抱えきれない。

母体は死ぬ、例外なく。



そも、永遠を体現する生命は代替わりを必要としない。

接吻くちづけによる強制的な鬼化ワクシングは、相手を必要としても伴侶を必要としない。


彼らは単独で完成している、誰かを必要とすることはない。

彼らにとって恋とは、気の迷いと同じ。

彼らにとって愛とは、愛玩と同義でしかない。


例外はある、例えば転成直後で人間の感性を引きずっているもの。

あるいは強固な、恋あるいは愛という幻想を抱き続けるもの。




**************************************




トゥーラ・フェテレイネンは悩んでいた。


こんなに悩んだのは井縄いづな 孝之たかゆきに告白された時以来。

割と最近といえば最近であるのだが、……それでも数十年程度は前の事ではある。

というかあっさり知らん女と結婚しやがって。



ともあれ、孝之たかゆきの時と似ている、気がする。

だが同じなのか? 同じ対応でいいのか?

あるいは別の対応があるのか? 最善手はなんだ?


そんな事ばかり考えている。

――当然なはらシメオンのことである。


彼、今となっては彼女か。

彼女は随分と彼女トゥーラに懐いて――、いや執着してさえしていた。

……と、思っていたのだが。


正直それはそれで悪い気はしなかったのだが。

最近はあまり寄って来ない、気がする。


どう接していいかわからない。




**************************************




「そういやおめー、あの女とどんな感じなん?」



目前の男が脈絡なくそう言い、シオンは顎の汗を手の甲で拭いながら眉を寄せた。



「あの女、って。

 ウラのこと?」



「おう、それ」



Tシャツの上に革ジャン、下半身も革のズボンに身を包み銀飾りシルバーアクセをやたらとつけたその男は気安い調子でそう告げた。


男の名はダノワ。

トゥーラの命令で井縄いづなが探し出し、交渉の後に連れてこられたという白杭ホワイトスティクス吸血鬼狩人ヴァンパイアハンター


ひとまず戦闘態勢を解き、背を伸ばして呼吸を整えながら周囲を見渡す。

場所はトゥーラの所有するマンション、ようは我が家の地下にある地下駐車場。

……と呼ぶとやや語弊がある場所だった。


正確には地下駐車場として設計され、建物の地下に建造されはしたが地上につながる通路は作られず、完成した建物の図面にも載っていないである。


貨物搬送用のエレベーターに特殊コマンドを入力するとたどり着けるという、なんとも厨2心をくすぐるその場所は。

トゥーラが人目については困る行為を行ったり、人目については困るものを隔離しておくための場所、として用意した区画だったらしい。


幸い、なのか無駄な事になのか、使われたことがろくにないというその場所はただただだだっ広く、渇いた空気の臭いだけがする場所だった。


そこでシオン、シメオン・フェテレイネンは白杭ホワイトスティクス吸血鬼狩人ヴァンパイアハンターと一対一で対峙していた。


殺し合いをする敵として、では無論ない。

どのような交渉があったのか、来たる決闘に備えての訓練相手として、である。


状況を振り返って、先の質問の意図をはかる。

……特に複雑な意図があるようには思えなかった、ただの世間話に思える。



「どんな、と言われても。

 普通に親子?」



厳密には嘘だ、姉妹とでも言うべき関係だがさすがにそれは言えない。

ダノワはフゥン?と呟き、1mと半分ほどの長さの鉄棒で自らの肩をリズミカルにたたきながら首をかしげる。



「にしちゃあ……。

 まあ、いいか。

 人様の人間関係を根掘り葉掘り聞くのも品がねぇ」



「ぼくからも質問していいですか」



良い機会タイミングだと思えて、素直にそう口にする。

男は気安い調子で左手をひらつかせて先を促した。



「なんで訓練相手、引き受けてくれたんです?」



問う。

ダノワは鉄棒で肩を叩き、空いた手で顎を撫でて、答える。



「こっちにも利益があるから、だな」



「利益、ですか?」



「ああ。

 対吸血鬼殲滅組織、白杭ホワイトスティクス

 ——なんて言ったところで今このご時世、滅多に吸血鬼なんて遭遇しねぇ。

 せいぜいが野良の第五世代雑魚フィフスくらいなんだよな」



男はそう言ってくるりと鉄棒を回す。



「つっても、だ。

 いざとなれば第三世代3rd-Blood、下手すりゃ第二世代2nd-Bloodの相手もする。

 ってなったとして、だ。

 そこらの雑魚と同じってわけにゃいかねぇ。


 滅多に遭遇しないってことは戦闘経験も稼げねぇ。

最も古き血First-Blood〟なんて想像もつかねーし考えたくもねぇが。

 

 備えはまあ、必要だろ?」



「つまり、第二世代ぼくと戦う機会は得難い、チャンスだと」



「おう。

 しかも殺し合いじゃなく、一応は命を保証されての状況でな。

 こりゃチャンスだろ?」



無論、ダノワとて罠の可能性を警戒しないではなかった。

だがこの場合、熾天博ボナペントゥラであることはプラスに働いている。

身元がこれだけ明白ならば妙な真似はできまい。


熾天博ボナペントゥラ、トゥーラ・フェテレイネンが彼の師、〝無厭足アチャラー〟との敵対を避けたがっているのは明らかだ。

そうでなくとも〝最も古き血First-Blood〟が悪意を人に向けたとなれば、牙の抜けた〝白杭ホワイトスティクス〟とて黙ってはいまい。


不慮の事故で死んだり、再起不能の傷を負う可能性は排除できないにしても。

この手合わせはダノワにとっても得難い機会なのだ。



ダノワの説明に一応は納得したのか、シメオンがなるほど、と頷くのが見えた。



「……にしても、お強いんですね。

 白杭ホワイトスティクスとは言ってもただの人間でしょう。

 こんな陽光の刺さない場所で、正面切って戦えば、」



「楽勝だと思ってた、か?」



「正直なところを言えば、そうです。

 手も足も出ないだなんて」



シオンの言葉にへらりとダノワは笑う。



「よせやい。

 褒められて悪い気はしねぇけどよ。

 こっちはひやひやし通しだっての。

 だいたいおまえさん、まるで本気じゃねーだろ」



「そんなことは、」



血祷エロージョンも出してねぇのにか?」



「——。

 それこそ、自覚がないんですよ」



あの夜。

トゥーラが言うには自分シメオン血祷エロージョンを使ったのだという。

なぜこの男がそれを知っているかは不明だが、驚くには値しない。


嘘偽りなく、その自覚が、記憶がシメオンにはなかった。

決闘相手ケヴィンは第三世代、それも意図して決闘を仕組んできた相手である。


加えてシオンは建前上は第二世代、で言うなら一応は相手より上だ。


あちらが血祷エロージョンを使えないという可能性は低い。

そんなレベルの相手ならそもそも挑んでなど来ない、気がする。


だとすれば自らが意図して血祷エロージョンを使えない、というのは。

明らかな不利、不安要素であった。



目の前の男に尋ねられる事でもなく、トゥーラも使えないとなればヒントはない。


ふっ、と息を吐く。

悩んでも仕方ない、今はできる事をやるだけだ。




「——行きます」



返事は特に期待していなかったし、待つ気もない。

目前の男は油断しきっているように見えてまるで油断などしていない。



一息に踏み込み右拳を繰り出す。

不意打ち気味の一撃だったが当然のように掠りもしない。


男の体は拳打の射線上には既にない。

いつの間にか魔法のように左手に持ち替えられていた鉄棒が旋回する。

右腕を巻き込んだ螺旋の流れに逆らわずに跳ねる。


既にこの対応は学習済み。

下手に抗えば自分の怪力を逆手にとって関節を破壊されてしまう。

数度、同じ流れで破壊されているのだから間違いなくそうだと言えた。


4mほどの高さを受け流された勢いをのせた跳躍で埋める。

空中で反転、天井を蹴って逆落としに蹴りを見舞う、男はまだ降り返っていない。


後頭部を砕くに見えた蹴り、一本の矢のように放たれた一撃はだが空を切る。

これもまだ予想範囲、着地、態勢を回復して至近距離から、



世界が回転する。

着地の瞬間に足払い一つで完全にいなされたと気づいた時にはみぞおちに鉄棒が突き刺さっていた。


反射的に後退、しない。

距離は生命線、そもそもの体格差、射程リーチで負けている上に鉄棒の長さだけさらに負けている、離れてしまえば全てが無駄になる。


単純な事実として腕力では負けるはずがない。

一度組み付いてしまえば勝ち筋はある。


態勢を無理やり立て直して踏み込む。

視界の先、男の右腕が後方に引き絞られているのが見えた。


男は半身はんみ、半歩下がっており右手は視界から隠されている。

突きが来る、と判断。


半歩右に踏み出す、男の右腕が突き出される。

視認できない速度で突きの先端が迫る、身をよじる。


左わき腹をかすめる一撃、回避しきれていない。

交差法カウンター気味に放たれた一撃はかすめただけですら肉を抉り内臓を揺らす。

だが止まらない。

右に半歩踏み出した足を軸に体をねじる、左の蹴り、狙いは頭部。


男が倒れ込むようにしてその一撃を回避する。

これもまだ予想範囲、崩れた態勢に対する追撃こそが本命。


――そのはずだった。


視界の端、

完全に倒れるはずだった男の態勢が


回避する余裕はなかった。

咄嗟に両腕を交差して反撃に備えたが、真下の死角から防御をかいくぐって爪先が顎を打った、たぶん、そうだ。



縦に回転しながら吹き飛ばされる視界でそれらしい足先を見た。


衝撃、地面に叩きつけられて呼吸が止まる。

問題ない、吸血鬼は呼吸を必要としないのだから。


跳ね起きる、相対距離は6mほど。



「——おいおい、加減しろってお願いしてんだろ。

 今の、どれも当たってたら死ぬレベルだろ」



「かすりもさせずにさばいておいて良く言いますよね。

 そういえば疑問だったんですけど」



「あん?」



「刃物は使わないんですか?」



呼吸を整えながら問う口八丁で時間を稼ぐのも戦いの内。



「見ての通りこいつが使いやすいんでな」



ダノワの言葉に嘘はない。

刃がついていないからこそ、あの棒は厄介だ。

それは身に染みて理解していた。


自在に持ち替えが可能で握る位置に応じて変幻自在の動きを見せる棒。

時に鈍器、時に槍のごとく、時には先の通り杖となって自在に動く。

長さはそのまま射程に、そして遠心力が乗れば威力にもつながる。


無論、それを使いこなす男の技量があってこそだが。



「それはわかるんですけど。

 刃物の方が有効な面もあるのでは?」



「ない。

 刃物ってのは取り回しが固定だ、つかめる場所が少な過ぎる。

 ……まあ、それを抜きにしても吸血鬼には有効じゃない。


 傷口が奇麗過ぎるからな、治りがはえーんだよ」



なるほど、と納得する。

吸血鬼の強みはその再生速度にある。

これは再三ウラにも言われたことだ。


刃物の強みは傷を開くこと、そこから継続して出血させることにある。

あるいは傷口は痛みを訴え集中力を削ぎもする。


だが確かに、鋭利であればあるほど傷口は平であり、再生は容易。

すぐに傷がふさがってしまうから出血もなるほど見込めないだろう。



「つーか誤解されがちだか刃物より鈍器が有効なんだよ、対吸血鬼戦は。

 おまえ、切り飛ばされた腕と複雑骨折した腕、どっちが治すの面倒よ?」



「……そう言われると、骨折です」



「だろ?


 砕けた骨が内臓や筋肉、血管を傷つけるしな。

 分解して再構成するにしても硬いだけに手がかかる。

 下手に慌ててくっつければ形が歪んで動きが崩れる、鈍器のが良いんだよ。

 

 まあ刃物にも利点はあるが、基本的に取り回しが悪いし射程が短い。

 奪われた時のヤバさも刃物の方が上だしよ。


 てか、もっと酷いデメリットがあるんだけどな」



くるくると鉄棒を回して見せながらダノワが苦笑する、シメオンはそのデメリットが想像できずに小首を傾げた。



「ズレてんなおい。

 おまえとか知らねぇの?」



「あ」



「納得したか?

 そういうことだよ。

 槍だの大太刀だの、長物は持ち歩けやしねーし。

 おまわりさんに睨まれない大きさサイズの刃物なんて短過ぎるしよ。

 

 この国じゃなきゃ普通に飛び道具、銃だの爆弾だの使うのが普通だっつーの」



なるほど、と思う。

そう考えるとやはりこの男は変だった。

吸血鬼と接近戦をしようというのは、まして成立させてしまうのは異常でしかない。



「変わってますよね、ダノワさん」



「うっせーよ。

 あと勝てないなあ、みたいな顔すんな。


 試合形式だから成り立ってるだけだぞこれ。

 マジの殺し合いなら俺のがめちゃくちゃ不利なんだからな。


 ——一度でも食らったらほとんど負けなんだこっちは。


 そっちは相打ち覚悟で突っ込んくりゃいいんだし。

 一対一の近接線なんぞ、本来はするべきじゃねーんだよ」



「まあ、そうでしょうね……。

 というか薄々思ってたんですけど」



「あん?」

 


「これ、対吸血鬼戦の練習になるんですかね?」



「なるわけねーだろ」



呆れたようにダノワが言う。

――ダメじゃん、とシメオンはため息をついた。

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