Cut.10 〝絆〟
「きみはアホなのかい?」
トゥーラ・フェテレイネンは呆れ顔でそう言い放った。
手にはいつものように安酒(本日はビールではなく度数の高い奴だ)。
シオンが何か言い返す前にウラは安酒を一口、再び口を開く。
「副作用を身を以て体験しておこうという姿勢は買うけれど。
先に私に詳細を聞いておくべきだし、飲むなら飲むで外出を控えるとかさあ。
挙句に何だい? 何したって??」
ぐぅの音も出ない追い打ちが飛んできた。
帰す言葉も当然なく、うつむき机を見つめるシオンに救いの手が投げられる。
「まあまあ、そう責めなくてもいいのでは?
そういうこともありますよ」
シメオンにしてみれば救われたくない相手だが、助けには違いない。
何かしら用事があって訪れたはずなのだが、顔を見るなりウラが「久しぶりに
男はおたまで鍋を回しながら苦笑を浮かべる。
3時頃シオンが帰宅してすぐにやってきて、そのあとすぐにカレーを作り始めた。
今は夜の7時過ぎ、割と本格的なカレーらしくまだ完成はしていない。
「もうすぐカレーができますから堅苦しい話はここまでで。
もう散々なじったでしょう、お酒が入っているにしてもいい加減にしないと」
「
コイツ、一人でいい肉食ってきたんだよ?!」
怒っているのはそこか。
「——はー、もう信じられない。
このご時世に決闘なんて申し込む方も受ける方もどうかしてるよ」
「もう、それはいいでしょ。
すっぽかしちゃえばいい話だし……」
シオンがそうぼやく、だが。
「それはだめ」「それはやめた方がいいでしょうね」
「えぇ……?」
すわった瞳でシオンを見やりながら、ウラが小さく万歳をする。
理由や意味は分からない、なにせ酔っ払いのする事だ。
「吸血鬼は長生きなんだよ、シオン。
時代錯誤とはいえ100年くらい前には普通にやってたし。
そもそもそいつ、父祖と父の名において挑んできたんでしょ?
すっぽかしたりしたらすごくまずい」
「そうなんですか?」
「まあ、理不尽な話だけどね。
100年前から生きてる吸血鬼なんて珍しくもない。
古い
「まずいですか」
「まずいね。
具体的に言うと
ああ、とシオンは納得する。
「第一そいつ、スティーヴン・K・ロングフェローの孫を名乗ったんでしょ?」
空き缶を手のひらでぺしゃんこに潰しながらウラが言う。
言いながらすでに次の安酒が開いている。
「えっと、はい。
確かそんなことを。
父親がビヴァリーで本人はケヴィンだったかな…?」
「最悪だよもう、あの野郎ウザい仕込みしやがってさぁ……」
「お知り合いなんですか?」
シオンが問い、ウラに代わってカレー皿にライスを盛りながら横から
「スティーヴン・K・ロングフェローというのは〝
――
絶句する。
思ったよりも大物の名前が出てきてしまった。
「手を出してくるのは
あのたぬき爺、きっちり仕込んでくるあたりマジで可愛げがないわ」
同意取っての決闘ならこっちから何癖もつけれないし最悪じゃん、と唸りながらウラが机に突っ伏す。
「カレー、できましたよ」
言いながら
ウラもウラでしっかり受け取ってもそもそと机の上で起き上がりなおした。
シオンも渡されたスプーンを受け取り会釈をしてカレーに手を付けた。
美味しい。
料理できるんだな、と何となく思う。
「私はもともと孤児です。
トゥーラ様に拾われてからは世話係のようなことしていました。
今は会社を任せて頂いていますし、頭が上がりませんよ」
シオンの疑問を読んだのかそんなことを言う井縄。
ようは今のシオンのような立場だったのだろう、か?
なるほどウラは料理などしないし、料理ができるのも頷ける。
「うわああああああニンジン入ってるし?!」
死んだ魚のような目でカレーをもさもさ食べていたウラが突然叫ぶ。
「え、ウラってニンジン苦手なの?」
「苦手って程じゃないよ好きでもないけど!
だいたい野菜の癖に甘いのが気に食わない!
というかカレーはからい物でしょ! ニンジンは邪道だよ!!」
ばんばんと机をたたきながらウラがわめく。
机が壊れていないところを見るとしっかり自制はしているようだ。
「そういえばトゥーラさまはカレーにニンジンとジャガイモは邪道なのでしたね。
失念しておりました、すいません。
娘がカレーに入ったニンジンなら食べるので入れる癖がついていまして」
「うわー!
私の好みよりー! そっかー! 家族思いのいいお父さんじゃん偉い!
ちっくしょう! おかわり!!」
「はいはい」
今日の酔い方はまた妙な方向に振り切れている。
そして気に食わないと言いながらおかわりは食べるのか。
「娘さん、いらっしゃるんですか?」
「ええ、今年で8歳になります。
ちゃんと妻もいますし、血のつながった娘ですよ」
「へぇ……。
あ、かわいい娘さんですね」
そっと机の上に置かれた
目元が似ているような気がする、かわいらしい娘さんだった。
「ありがとうございます」
「うわー! うるせー! おかわり!!」
「はいはい」
「……?」
もさもさとカレーを食しながらシオンは小首をかしげる。
ウラは何でこんな感じなのだろう。
3杯目を食べ終えたウラはごちそうさま!と言ってダイニングを出ていく。
常よりはやいがもう寝るのだろう。
夕方からずっと飲んでいたからわからないではないのだが。
「……?」
にしたって今日は妙な酔い方をしている気がする。
「私が家族の話をするのが気に入らないのだと思いますよ」
エプロンを外して自分のカレーを机に置き、座りながら
「気に入らない?」
「私はトゥーラさまの息子のようなもの、なのだと思います。
だからよそに居場所を作ったことに思うところがあるのかと」
「なるほど」
わかるようなわからないような話だ。
結婚の報告もしていたはずなのだが忘れられていたのだと男は笑った。
「私は
この先も頂く気はありませんし、娘が年頃になったら話をして、もしも彼女が望むならウラさまに仕える道を譲るのも良いとは思っています」
理解する必要もあまりない気もする。
「母親、みたいなものなんですか?」
「……そうですね、母であり、姉であり、一時は恋人のような。
そんな時期もありましたが、やはり母親、のようなもの、なのでしょうね」
「ぼく、てっきり恨まれているのだとばかり」
思わずそんなことを口走った。
言うべきではなかったか、と思ったのも一瞬。
口に出した言葉はなかったことにはできない。
それがたとえ人を超えた吸血鬼であっても、だ。
「正直、うらやむ気持ちがまるでないとも言いません。
ですが今の私には家族があり、帰る場所がある。
——夜を歩く覚悟は、もうありませんよ」
さっぱりとした顔で
「——そういえば、なんでジャガイモだめなんです?」
「煮崩れたジャガイモのせいでルーが粉っぽくなるのが嫌なのだそうで」
「はあ」
すごくどうでもいい。
とはいえ差し当たっての問題は、
「決闘、かあ……」
うっかりOKしてしまったのは自分なので誰に文句を言えるわけでもない。
だが、決闘などしたことはない。
「まあ、それほど危惧なさる必要もないかと。
裏が
「そうなんですか?」
「〝
そして
均衡派は人間と吸血鬼の間のバランスを維持しようというスタンスのことらしい。
カレー皿を流しに置き、男は慣れた手つきで冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
「シオンさまもお飲みになりますか?」
見た目には未成年のシオンにも躊躇なくそう尋ねてくるあたり、この男も常識から外れているのは間違いないらしい。
「いただきます」
「どうぞ」
飲みたかったわけではないがビールを受け取る。
男への警戒心はほとんど消えていたが、気安く言葉を交わすにはまだ抵抗がある。
酒の力を借りてでも話そうと思うのは果たして前進なのかどうか。
「親人間派ではない、というのが注意点です。
複数の企業に裏から干渉し、経済という人間社会の仕組みに寄生――。
いえ、活用している吸血鬼なんですよ。
だから必要以上に人界との関係を崩す気はないでしょう。
その流れでトゥーラさまとの敵対は避けると思いますよ?」
なるほど。
人間に対して友好的ではなく、必要があればその構造を破壊しても構わない、なんなら積極的に破壊するのが
現在のところプラキドゥスとトゥーラ、そしてイシュトヴァーンで3人。
人間社会の維持に意欲的な側が多数派だから辛うじて均衡は保たれている。
ここでイシュトヴァーンとトゥーラが対立するのは、ほかならぬイシュトヴァーンにとっても望ましくない、というところだろう。
ならば、
トゥーラが怒り狂う、かどうかは、わからないが。
少なくとも不快感を示さないでいるほど自分の存在は軽くないはずだ。
そう思いたい。
少なくともイシュトヴァーンとやらがそこまでの軽挙妄動に走るとは考え難い。
ふぅ、と息を吐いてビールを呷る。
美味しいと思ったことはなく、今もまた苦いだけ。
「いずれにせよトゥーラさまも備えを擁しています。
明日には準備が整うことでしょう、ご安心ください」
「準備?」
「明日になればわかりますよ」
むぅ、と唸ってシオンは残っていた缶ビールを一息に飲み干す。
やはり、ビールは苦いだけだった。
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