Cut.03 〝血に祷る〟


最悪だ。

掛け値なしの最悪中の最悪。


神出鬼没の存在だとは知っていた。


昼と夜。

彼らと我らの間に立つもの。


調停者、あるいは

忌まわしの牙。


最悪にしての〝最も古き血First-Blood〟と呼ばれる存在もの


【狩猟者】プラキドゥス。


――よりによって今夜いま、遭遇するなんて。



が第六の〝最も古き血First-Blood〟だと告げるわけにはいかない。

どのような反応が返って来るか想像もできない。


だが、まだ


他ならぬ目前の吸血鬼プラキドゥスが定めた約定。

最も古き血First-Bloodは世の混乱を招かぬよう、

全員が、思うところはあれど同意したルール。



遭遇しないうちになにか説得の方策を練るつもりだったのだが。



トゥーラ・フィテレイネンはくそ、と口汚く舌上にだけ悪罵をのせる。

口にはしない、できない。


既にシメオンはあいつの闇に囚われている。


血祷エロージョン


ながき血のいのりの果てにあるもの。


永夜の果て、最適化に最適化を重ねた吸血鬼のみが有する固有能力。


むろんトゥーラ・フェテレイネンは心霊現象オカルトを信じない。


あの質量を持った闇すら、何らかの物理法則に則ったものだと確信している。


だが。

その正体を看破できるほどの情報はなかった。


――確か〝臨音アプラッダ〟と、そう呼ばれていたそれ。


直に目撃した事も数えるほどしかない。

プラキドゥスに相対あいたいし、本気でを向けられて生き延びたものはない。


まずいまずいまずいと加速した神経系思考が悲鳴を上げている。

どうしたものか、いい方策はまるで思いつかない。


くそ、と再び言葉にせずに吐き捨てる。

最も古き血First-Bloodは建前上同格ではある、が。


その戦闘力にはただ純然たる事実として隔絶した差がある。


マクシモスの〝覇踏スクリーヒォ〟か、ゲオルギウスの〝慈冠サイウス〟ならばあるいは、アレに抗しうるのかもしれないが。


いかんせん、トゥーラは弱い。

彼女やイシュトヴァーンはどちらかと言えばその知性を強みにしている側だ。


武闘派のマクシモスやゲオルギウスほどの強さはない。

ましてや目前の吸血鬼プラキドゥスが相手ではお話にもならないだろう。


そもそも、だ。

彼女トゥーラ血祷エロージョンを持たない。


イシュトヴァーンのそれも聞いたことすらない。

持っていないのか、あるいは隠し通しているのかはわからないが。


いずれにせよ最も古き血First-Bloodですら全員が所持しているわけではない。

つまり、


――打つ手がない。




「ええっと、プラキドゥス、さん?」


幸いにしてプラキドゥスは短気ではない。

長命の吸血鬼の質として早々に性格が変わる事もない。

つまり考える時間はあるのだ、が



「——シオン?!」



「逃げたりしないので、その。

 放してもらえませんか、なんかこれ気分が悪くなってきて。

 吐きそうです」



呆れたことにシオンはそう話しかけていた、あのプラキドゥスに。

そんな説得が通じるはずも、



ざわ、と闇が潮が引くようにシメオンを手放すのを見て今度こそ絶句する。



「ありがとうございます。

 ちょっとだけ離れますね、逃げないので」



ぺこりと礼儀正しく一礼して、宣言通り数歩離れたシメオンがちらとこちらを見る。


大丈夫です、と言わんばかりの態度。



「——ええっと、ここだけの話にしてほしいんですけど。

 実を言うとぼく、トゥーラさんの子じゃなくって」


「ちょ、」


「アガタさんの子、らしいんですよね」


シオンあんたね?!」



ついさきほど口止めしたばかりなのにさっくりと暴露ゲロしやがった?!



『……』



プラキドゥスすら無言、いやもとから口数は多い方ではないが。

だがその態度からはある種の、呆れのような気配を感じた。


面喰いもするだろう、それは。



「すいません、口止めされてたのに。

 いやトゥーラさんも悪気があったんじゃなくって。

 ぼくの身を案じてくれた上での判断だと思うんですけど。

 ——話せば通じると思うんです、プラキドゥスこのひと



「ばっ、」



馬鹿じゃないの?!の言葉は言葉にならなかった。

よりにもよってプラキドゥスが、話せばわかるなどとそんな。



『——了解りょウかいシた。

 そノ配慮ハイりょ同意ドういしヨウ』



「は?」



今度こそトゥーラ・フェテレイネンは絶句する。

あのプラキドゥスがそんな、あっさり同意した?



プラキドゥスの懐から銀光が跳ぶ。

慌てた様子でそれをキャッチしたシメオンが目を丸くしながらそれをかざす。


闇の中にきらめいたその銀貨を見てトゥーラは説得が本当に通じたことを理解する。



「これは?」


シメオンが視線を上げるがそこにもう最強最悪の吸血鬼の姿はなかった。

トゥーラすらその瞬間を目撃していない。



「……あっ、もー。

 シオン、キミねぇ?!」


ずかずかと歩み寄って胸ぐらをつかむ。

その後に続けようとした言葉はなんだったのか、彼女自身にもわからなかった。



「あ、ごめんなさい。

 いやでも話せばわかってくれると、」


「相手はあのプラキドゥスだよ?!」


「と言われても……。

 第一、あの人ぼくに危害加える気なかったですよ。

 ほら、傷一つないし、事情を話せって最初に聞いてくれたし?」



呆れて物も言えない。

知らないとはこうも人を大胆にするものか。

無知とは恐ろしい。



「——で、これなんですかね?」


銀貨を掌に載せてこちらに見せながらシオンが首をかしげる。


いずこの国に属するものでもないそれは、アガタの横顔が彫り込まれていた。



「……あー、それね。

 単に銀貨シルバーとか、プラキドゥスの貨幣コインとか呼ばれてるけど。

 あいつが例外的に存在を赦した吸血鬼、っていう証。

 でも安心しちゃ駄目だよ、持ってても消されたやつとか居るし」



「なるほど。

 ひとまずは安心って事ですね」



どこが?とかなにが?とか言いかけてトゥーラは代わりにため息をつく。

肝が太いというかなんというか。


思ったより大したやつなのかもしれない。


実際のところまるで安心できるものではない。

あれはあれの決めたルールにのっとって吸血鬼を狩る同族殺し。

最も古き血First-Bloodの中でも例外中の例外で異端の中の異端だ。


銀貨コインすらまるで安全を保証してくれるものではないのだが。

とはいえ、トゥーラももういいか、と思い始めていた。


それを告げたところでいたずらに不安を煽るだけだろう。

この素直過ぎるくらい素直な態度を見てプラキドゥスも引き下がったのだろう。


とりあえず、そう思う事にした。




**************************************




コンビニで彼女ウラは度数の高い缶チューハイを大量に買い込んだ。

シオンにも好きなものを買ってくれるというので少し悩んだ後、彼はコンビニブランドの冷凍たこ焼きを買って貰うことにした。


、残業帰りにたまに食べていた品。


――これを最後にして食べるのは止めよう、そんな風に思った。



電子レンジでぐるぐると回る冷凍たこ焼きをなんとなく眺める。

ウラはその間に1本9%の缶チューハイを8本も空にしていた。

心配になる飲酒ペースだが、人間じゃないから大丈夫らしい。


ぶつぶつと大丈夫な化学的根拠を語り続けるウラの話をシオンは聞いていない。

適度に聞き流すのがこの人と上手くやっていくコツだな、と。

シオンは失礼なことを考えている。



と、ふと疑問が浮かぶ。

それこそウラに聞けばいいな、と短絡。

よく考える事も無くシオンは口を開いた。



「――そういえばあの黒いのってぼくにも出せます?」


「黒いのぉ?」



ウラが眉をしかめ、ぐるん、と頭を回して視線を向けて来る。

目をまたたかせて無言、数秒の後、「ああ」と頷いた。


本当にこのまま飲ませて大丈夫なんだろうか。



「〝臨音アプラッダ〟ね。

 あれはプラキドゥスの血祷エロージョンだからきみにもできるかっていうと、どうなんだろう、できないといえばできないし、できるといえばできるかも」



また知らない単語が出て来た、とシオンが今度は瞳を瞬かせる。



「わからない単語が頻出してるんですけど……」



「ああ、ごめんごめん。

 ――転成アナスタシス、吸血鬼化の際には本人の無意識下の願望が反映されるって話は確かしたよね?」



「そういえばそれも気になってたんですけど……。

 ぼくは無意識下で美少女になりたかったって事ですか?」



「かーもーねー。

 まあでも真面目な話、〝親子〟が似る事はよくあるから。


 吸血鬼はその性質上だいたい顔がいいでしょ。

〝接吻〟は多くの場合首筋に行う。


 ようは転成アナスタシスの直前に見るイイ顔が親なわけ。

 そしたらまあ印象には残るでしょ。

 わたしは〝刷り込み現象インプリンティング〟って呼んでるんだけど」



ぐび、と缶チューハイをあおりながらウラが笑う。



「だからきみとわたしは似てるし、まあきみの外見が引きずられる事もある。

 ってことできみにTSトランスセクシャル願望があったかはわからないよ」



酔ってはいたがウラは真祖アガタに引きずられた、という言葉を口にしなかった。

万が一にも誰かに聞かれていると面倒な事になるし、昨今の科学技術をもってすれば盗聴くらいは容易い。

あとでシオンにも改めて釘を刺しておくべきか、とも思う。


が、ひとまず今は血祷エロージョンの説明だ。



「吸血鬼の肉体は新陳代謝が人よりはるかに激しい。

 その変化に対して自意識が与える影響の大きさはまだ理論建てはできてないけど。

 まあ人間のそれより遥に大きいのは間違いない。


 長く生きた、あるいは強い願望を持った吸血鬼の肉体は。

 その〝願望〟に引きずられて変質する。


 基本的には人間を基盤ベースにしているし、その常識に縛られているから、

 ――いや、常識というより恒常性、と言う方がいいかな?


 つまり『変わることを恐れる』という制動ブレーキがかかるから年若い吸血鬼がそこまで変質する事はまれで、基本的には無数の夜を超えた個体だけがそこに至ると言われているけど……。


 まあ、そうやって変質を遂げた先で得た特殊な、固有の能力。

 それが〝血祷エロージョン〟と呼ばれるもの」



「つまり……、吸血鬼が進化して獲得した能力、ということです?」



「創作なんかで〝進化〟って言葉はよく誤用されてるよね。

 本来は世代をまたいで一定の方向へ大きく変化する事を進化というんだ。


 今のきみのそれも誤用。


 単一個体で起きる変化を進化とは言わない。

 まあわかりやすいなら別に進化と呼んでもいいけど、わたしはね。


 正しく言うなら変質、変態、あたり?

 そういえば日本語だと変態ヘンタイってあまり聞こえが良くないんだよね」



「まあ表現は兎も角、なんとなくは分かりました」



ウラは空き缶を弄びながらシオンを見る。

薄い笑顔と、意味深な口元。



「――で、きみが〝臨音アプラッダ〟を使えるかと言うと、どうだろう。

 基本的に〝血祷エロージョン〟は本人の性格、経験、願望、衝動……。

 そういったものから生じるものだからね。


 プラキドゥスときみには共通点もあるかもしれないが差異もたくさんあるだろ。

 似たような、ならともかく。


 完全同一の血祷エロージョンを発現する可能性はまあ、無いとは言わないけどまずありえないと思うよ」




トゥーラ・フェテレイネンは言葉に出さずに内心で呟く。


吸血鬼は人間だ。

V2ブイツー保菌者キャリア、という呼び名をウラがしているのには理由がある。


どうせ、吸血鬼は人間である事をやめられない。

どこまでいっても吸血鬼かれら人間かれらの延長線上にいる。


踏み外した瞬間、理性も何もないただの怪物に成り果てるから、というのもある。

そうなれば狩猟者プラキドゥスや人類社会から抹消されるから、というのもある。


だがそれ以上に、吸血鬼は脆い。

夜界の王だの、永遠の貴族だの、不死の怪物だのとどれだけ謳われようと。

陽光下に身を晒すだけで滅びる脆弱な存在でもあるのだ。




そして人間は、彼ら自身が思っている以上に変化を恐れる。

安心とは停滞の別名でもある。


故に、血祷エロージョン希少レアだ。

その域へ、滑落しない程度に〝踏み外せる〟吸血鬼は実のところさほど多くはない。


人間の常識というくびきから長い時間をかけて解き放たれた永夜者エルダーならまだしも。

転成アナスタシス直後の個体が目覚める事はほぼと言っていいだろう。


なにせ5人いる〝最も古き血First-Blood〟ですら全員が血祷エロージョンを有しているわけではない。

千年を超えて生きる最古の吸血鬼たちですらそうなのだ。




――だが、仮に、転成アナスタシス直後に血祷エロージョンに覚醒する個体がいるとしたら。



そいつはよほど頭がおかしいか、ハナっから人として壊れているに違いない。





「――正気とは。

 数多あまたの狂気のうち、最も数多かずおおきものの名に過ぎない、とも言うけどね」



「はい?」



「いや、なんでもない。

 ところで共同生活をするうえでルールを決めておきたいんだがいいかい」




まずはこの新たな同居人を歓迎しよう、とウラは思う。


吸血鬼は孤独だ。

夜は長く、共に歩けるものはいても歩き続ける事のできるものは少ない。


その上で信頼できる相手など極少数と言えるだろう。


――それこそ、血祷エロージョンなどよりはるかに。

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