Cut.04 〝踏み躙られる、蟻のように〟


庭付きの白い屋根と壁の家で真っ白な大型犬を飼い。

週休2日で残業はせず、有給育休を欠かさず、子供は長女に男子が2人の計3人。

そんな理想みらい抱いて夢みていた。


現実はそうではなかった。

ああ、そうはならなかった。


庭は庭と呼べるほどに広くはなかった。

白い壁は汚れが目立ちますよとベージュにさせられた。

地区でペットは禁止だった。

育休はとれなかった。

子どもは男男と続いて、3人目を前に妻とはレスになった。


部下はどいつもこいつも計画通りに仕事を進めず。

残業を禁じてもあいつらは毎日毎日残業をしていた。

毎回指示を変えるなだとか、仕様を固めろだとか無理ばかりを言って騒ぐ。

全ては顧客の要望通りにすればいい、そんな事もわからない無能共。


PMプロジェクトマネージャーの俺がこんなにも苦労しているのに。




「ただいま」といつものように声をかけた、妻の返事はない。

靴を脱ぎ捨てて居間に入ると、そこには地獄が広がっていた。



悲鳴を上げようとして漏れたのは空気のこぼれる間抜けなひゅーひゅーという音。

ちゃんと手で押さえておかないと失血で死ぬよ、とわらった。


くるりと、気安く手の内で包丁をひるがえして。

そいつは踊るような足取りで俺に背を向けた。


ほど良く全身を日焼けした、ネイルをデコった、青白いリップをした女子高生。

そんな風に見えるそいつは、スカートの前をたくし上げて。

ヘソどころか胸まで達する男根を誇るように揺らして俺の我が家の床を踏み歩く。


明後日の方向に首を捻じ曲げて両目を見開いた俺のつま

そいつがへこへこと俺のつまの上で腰を振り、大量の白濁をぶちまけるのを。

運動直後の保水飲料スポドリの気安さで俺の息子ぶんしんの首筋に食らいつくのを。


見ていた。

ずっと見ていた。


だくだくと流れ出て行く血をせき止めるように、両手で切り裂かれた首を押さえて。

俺が築き上げて来たすべてが跡形もなく粉砕されるのを。


物言わぬ肉塊となった俺の妻と子トロフィー

蹂躙したそいつは白濁を吐いてなお雄々しく屹立するそれを誇らしげに見せつける。


俺を見下すその視線が憎かった。

犬歯きばを見せて嗤うその表情かおが憎かった。



――なぜこんなことを。


言葉になったのは喉から漏れるかすれた音だけ。

だがそいつは俺の唇を読んだのか嘲笑わらいを浮かべて俺を見た。



「だってきみ、恵まれてる側で持ってる側の陽キャじゃん。

 何もかも奪って踏み躙ってやったらさぞかし楽しいだろうなって思って。

 アタシあーしにはそうするだけの能力ちからがあるしー?

 やれるからやってみた、そしたらほらやっぱりできたし、気分が良かった」



それだけだよ、とそいつは嘲笑わらった。


そしてそいつは。

じゃらじゃらと飾りアクセの大量にぶら下がったスマホを手に、誰かと話し始める。


それを耳にしながら俺は意識を失った。



――次に目覚めたのは病院の病室、寝台の上。

裂かれた喉は手当がなされていたが、ほかにもあちこちが痛かった。

ご丁寧に両手両足もズタズタにされていた事を知ったのは3日目のことだ。


痛みに眠りを妨げられながら、それでも7日目には面会の許可が下りた。


最初に踏み込んできたのは刑事を名乗る2人連れ。

薄っぺらいお悔やみの言葉を皮切りに、妻との不仲、家庭内暴力、多額の生命保険。

婉曲的にだがやつらが口にしたのは俺への疑惑で。


主治医がこのありさまが自傷に見えるのかと憤慨しながら叩き出すのを。

他人事のように俺は眺めていた。


そんな疑惑はどうでもよかった、犯人は俺ではなく、大金は転がり込んでいる。

重要なのは俺の喉も、四肢もズタボロで。

長いリハビリを経てもなお、人並み以下にしか動かないであろうという事実。



憐れむような女看護師と主治医の視線が苛立ちをつのらせる。

俺を憐れむな、俺を哀れむな、俺を見下すな――。




煮えたぎ憎悪怒りが肺腑を焼くとはこのことか。

俺は痛み止めすらろくに効かない苦痛の中、寝台の上で喘いでいる。


こんな現実はありえない、俺は勝ち組だ。

勝ち組だったはずだ!!




「――とてもいいをしています」




目覚めて10日目の夜だった。

満月に照らされてそこに女が立っていた。


膝まで届く漆黒の長髪。

美しい顔立ちは北欧系とも亜細亜アジア系ともつかない。

胸も腰も尻も魅惑的で、こんな身体でなければ押し倒したくなるような。


だが、俺はこの様だ。

押し倒すどころか指すらも満足に動かず、声すらも出ない。


女は妖艶に笑い、言った。



「■■■■■さん、あなたを迎えに来ました」



意味が分からなかった、俺はこんな様だというのに。

何がそんなに嬉しいのか、楽しいのか。



「あなたは見た。

 人知を超えた吸血鬼かいぶつを」



ああ。



「あなたは向上心がある。

 あなたはあきらめていない。

 あなたには機会チャンスがある」



機会。



「あなたは特別な人間、あなたは選ばれた人間。

 あなたは超える事ができる人。

 あなたは人」



――。


俺が、俺は、人を超えられる――?



「すべてを、いえそれ以上を取り戻することができる。

 あなたにはそうする資格がある」



ああ、ある、あるに決まっている!



「とてもいいをしています」



女は、もう1度そう繰り返した。

俺に覆いかぶさり、上着をはだけ、胸元に唇を寄せて女が笑う。



かしずかせて下さい、どうか。

 あなたに牙を」



ああ、俺に牙を。



「血の祝福きせきを」



血の、祝福を。



「祈りを――」



女の唇は胸を降り、腹を舌が舐める。

外気にさらされた俺の男根は生涯で最も雄々しくそそりたっていた。


ああ、そうだ。

俺はかってないほどに興奮していた。



――俺は人間を凌駕し超越する。



女の唇が男根に触れる、優しく、慈しむように。

俺に侍り、俺を祝福するように。




「ええ、ほんとうに。

 とてもいいをしています」



三度女はそう告げて、犬歯きばを見せて笑った。




鬼化ワクシング



転成アナスタシス



血祷エロージョン



聞いたこともない言葉の羅列は俺の血肉となった。

抗陽光薬SLRという薬の存在も知った。



――人世のはざまに生きる超越者のことも。




「吸血鬼にして吸血鬼を狩るもの。

 絶対捕食者、王の中の王、さあ貴方に相応しきを贈りましょう。

 ――〝正義の柱ボワ・ド・ジュスティス〟」



そう、俺はその夜、正義の柱ボワ・ド・ジュスティスとなった。


踏み躙られる、蟻のような。

人間ごみを超えて、めて、踏み躙る側に。



最初にいけ好かない女看護師を犯した。


俺を見下した医者をくびり殺した。


女看護師あのおんなも吸い殺した。


ああ、してやった。


さようなら人間ごみたち。

こんばんは俺の犠牲者トロフィーたち。



――踏み躙られろ、蟻のように。




俺に組み敷かれて喘ぐ女、黒髪の美女の名はミル、と言う。


俺の新たな所持品トロフィーの1つ。


俺の四肢は獣のように張り詰めた筋肉に覆われ。


俺の五感は神のように冴え渡っている。


眼鏡なぞいらない。


俺は人を超えた吸血鬼かいぶつになった。




吸血鬼どうぞくすら踏み躙る獲物に過ぎなかった。



俺は満足していた。

吸血鬼の血すら吸ってやろうとしていたが、それはミルたしなめられた。



「そんな屑の血は貴方様に相応しくありません。

 どうか、お聞きください我が君。

 どううかこの端女はしための言葉をお聞き入れください」



良いだろう、言ってみろ。



「ああ、お優しい我が君、私の王、お強い貴方。

 ――最も古く原初に近き吸血鬼、〝最も古き血First-Blood〟。

 その血をどうかお望みあそばせ。

 あなたにはそれこそが、その美酒こそがふさわしい」



最も古き血First-Blood



良いだろう、それはどこにいる?



女は妖艶に笑い、耳元に唇を寄せて囁く。




「――ご案内します、愛しい人」




良いだろう。







抗陽光薬S.L.Rを飲み、俺は夕暮れの街を歩く。


最も古き血First-Blood〟など恐るに足らず。


俺は正義の柱ボワ・ド・ジュスティス


吸血鬼にして吸血鬼狩り。

絶対捕食者、王の中の王、踏み躙られる、蟻のような。


くずとは違う、絶対者なのだから。




**************************************




――哀れな男は知らない。


吸血鬼は、特に成り立ての吸血鬼は。

脳髄おつむのでき人間くずとさほど変わらぬことを。



甘言に、詐称に、嘘に。



哀れな男は知らない、絶世の美女がどれほど悪辣な怪物かいぶつなのかを。


吸血鬼になったとて、男が哀れな犠牲者にすぎぬことを。


――





雑踏の中で女は、

ほど良く全身を日焼けした、ネイルをデコった、青白いリップをした女子高生。

そんな風に見えるそいつは、携帯電話スマートフォンを通話に切り替える。


じゃらじゃらと飾りアクセの大量にぶら下がったスマホを手に、笑う。



「――あーい、アタシあーしでーす。

 あ、ミルちゃんじゃんやっほ、暇になった?

 それはよかった、じゃあ1発どう、今から? ダメ? あそう?


 ああ、じゃあアイツ、仕上がったんだ。

 楽しみだねぇ」




楽しみだねぇ、とシンミアあざなされた吸血鬼かいぶつが笑う。


そう、全ては〝子犬工場パピー・ミル〟と呼ばれる吸血鬼かいぶつの掌内。


吸血鬼己の主のために吸血鬼道化を産み増やす、極上の吸血鬼かいぶつの。


男は。

使い潰され、投げ捨てられる哀れな玩具子犬に過ぎぬ。



――踏み躙られる、蟻のように。





**************************************




雑踏の中を一人の少女ガキが歩いている。

年齢は10台の半ばくらいか。


時折、左手首内側に巻いた端末腕輪スマートウォッチを眺めながら。

日陰から日陰へ、渡り歩くように移動していく小柄な影。


わかりやすいほどにわかりやすい。

抗陽光薬S.L.Rを服用中の、それも効果切れ間近の吸血鬼の挙動。


焦る事はない、俺はゆったりとした足取りで後を追いかけていく。

少女ガキは時折、背後こちらを気にしているのか振り返る。


だが走り出したりすることはなかった。

雑踏の中を歩く、少女ガキ


家路をたどるでも、電車に乗るでもない、タクシーを拾うでもなく歩き続ける。

いよいよ街中を通り過ぎて郊外へとその歩みは続く。

むろん、少女ガキの体力ではない。


そして人気ひとけのない方へ向かっているというのだから間違いはない。


――日が落ちる。

月が昇り、怪物おれたちの時間がやって来る。




少女ガキが立ち止まる。

人気のない郊外の森林公園。



「――ずっとついて来てらっしゃいますけど、ぼくに何かご用ですか」




振り返り、冷めた瞳でそう告げる。

なるほどやはり見た目通りの齢ではないらしい。




「ああ、お前の〝血〟を貰う。

 ――〝最も古き血First-Blood〟」



少女ガキが眉をしかめる。

何故それを知っているのか、という驚きか。

自分は違うという狼狽か。


いずれにせよやることは同じ。


じっくりと時間をかけて過ぎた。

いい加減焦らされて焦らされて自重するのも限界だった。



右手中指の爪で手のひらを裂く。

傷口からこぼれる血、右手を振るとそれは瞬く間に『剣』となった。



「抗っても、逃げても構わんぞ。

 おまえの死は確定している」



宣言してやる。

だが少女ガキは驚きか、恐怖でかは知らんが動けずにいた。


『剣』を振る、一撃で殺す気はない。

硬直して立ち尽くしていた少女ガキの頬が裂ける。




「ほらどうした?

 抗陽光薬S.L.Rの効果は切れているんだろう。

 再生しろよ、少女ガキ



少女ガキが指先で頬の血を拭う。

だが傷は塞がっていない、そのまま、頬は裂かれたまま傷は癒えない。


あらゆる傷を瞬く間に快癒する不死身さ、吸血鬼の再生を無効化する――。




「どうした? 再生できんか?

 そうだろうな、それこそが俺の、」



「――頭が悪いんですか」



「あ?」





「いい大人が日没前から子供つけ回して。


最も古き血First-Blood〟だの抗陽光薬S.L.Rだの。

 口走ってて恥ずかしくありませんか?


 せめてぼくがだって確認してからにしませんか普通。

 それともぼくが知らないだけでパッと見て確信できるものなんですか。


 ――ぼくがご同類だって」




**************************************




それは恐怖おそれではなく嚇怒いかり

これ見よがしに自分の背後をつけ回す誰かに抱くものとしては妥当であろう。


実のところ緊張も、恐怖もあった。

だがそれ以上に長時間にわたる追跡はの精神を疲弊させ麻痺させていた。


彼はまだ未熟で、成り立ての吸血鬼で、人を襲わぬ平和主義者であり。

もっとも効率のいい血液という食料を一切口にしていなかった。



――熱量カロリーはまるで足りていない。



緊張と興奮は身体機能ほんのうを入れる。

体内の新陳代謝は加速し、抗陽光薬S.L.Rは急速に分解されつつあった。


対峙時点ではない、追跡に気づいた直後からだ。



彼らは両者ともにまだ何も知らないよちよち歩きの赤子。

吸血鬼かいぶつとしての経験があまりにも不足していた。



日没前から効果を失いつつあった抗陽光薬S.L.R

結果、の肉体は知らず知らずに夕暮れの弱い陽光に蝕まれて続けている。




彼らはまるで理解していなかった。


奇しくもトゥーラ・フェテレイネンが指摘した通り。

吸血鬼もまたある種の生物である事は否定できない。



彼らはある種、無限に成長する生物である。

戦闘態勢に入ったのが同時ならば能力・才能の差はその勝敗に大きく響く。


最高速に入るのが先なのは、基本的には先にアクセルを踏み始めた側なのだ。

シメオン・フェテレイネンはそれと知らず既にアクセルを踏み切っている。


しかし同時に、戦闘態勢により速く入るということはある問題を抱えてもいる。

より長くアクセルを踏むという事は、より多く燃料を消費するという事でもある。


だからこそ恐ろしい。

だからこそ恐れるべきだった。


正義の柱ボワ・ド・ジュスティスは知らない。


シメオン・フェテレイネンもまた知らない。


彼らはあまりにも吸血鬼かいぶつとして幼過ぎたから。




吸血鬼かれらが恐れるべきの名を。



傷の再生を妨げる恐るべき血祷。

なるほどそれは恐ろしい。



最も古き血と呼ばれる最古にして最強の血統。

なるほどそれは恐ろしい。



だが真に恐れるべきはそれではなかった。




――それは飢餓渇きと呼ばれる、吸血鬼の抱く最大にして最悪の衝動である。




























































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