Cut.02 〝牙は渇きを覚えずに〟



実際、彼女ウラの言う通り、出された食事は血液でもなく。

拘束されたけがれ無き処女おとめでも無ければ輸血用パックでもなかった。


ごくごく普通の缶詰が乱雑に開かれ、その辺のコンビニで買ってきたと思わしき弁当の類と共にテーブル上に並べられている。



「あ、烏龍ウーロン茶で良いかい?

 ミネラルウォーターなら冷蔵庫にあるけど麦茶は置いてなくてね」


「烏龍茶で良いです。

 というか、普通にご飯食べるんですね……」



受け取ったペットボトルのキャップを早速捻って開ける。

喉の渇きはそろそろ限界に近かった。

そもそも喉の渇きを覚えていたのに、そこからに付き合わされたのだ。

むしろ脱水症状で倒れなかったことが我ながら驚きではある。


一息に烏龍茶を呷ると、だいぶ渇きはマシになった。


血を吸わないと収まらない、とかじゃなくてよかったと思う反面。

吸血鬼という幻想フィクションに憧れていた部分が不満を感じていなくもない。



「そりゃ食べるよ。

 吸血鬼と言えば聞こえは良いが、ようはただのV2ブイツー保菌者キャリアだからね」



「ぶいつーきゃりあ?」



吸血鬼化ウィルスvampirize - virus保菌者、ただの病人だよ」



だらしなく缶詰、秋刀魚さんまの味噌煮を一切れ指で摘まんで口元に運び、汚れた指先をぺろりと舌で舐めとって。

なんてことはないようにウラが言う。


ただの病人。


数多の伝説、創作で輝かしいほどの知名度を誇る怪物モンスター

夜と闇の王と言っても過言ではないを捕まえて酷いあんまりな言い草ではある。


だが、強く反論する事はできなかった。

なぜなら。



「その、トゥーラさんも吸血鬼、なんですよね……?」



目の前でだらしなく缶詰をつまみ、酒を飲むこの女もそうなのだから。



「そうだよ。

 あとウラで良いって。


 そういえば自己紹介らしい事もしていなかったな。

 ああ、遠慮せず食べてくれ、転成アナスタシス直後は兎に角、腹が減るそうだ。

 私はとっくに自分の時がどうだったか思い出せないけどさ、はは。


 全身が骨格から何から変化するから熱量カロリーの損耗が激しいんだろうね。

 激しい〝渇き〟に襲われて理性を飛ばす事が多いのもそのせいかな」



理性が飛ぶ、という言葉にもあまり実感はない。

意識が混濁していた気はするし、渇きも覚えてはいたが。

だとしても理性が飛ぶような強い衝動に襲われた記憶はない。


素直にそれを口にすると彼女ウラは笑った。



「そりゃね。

 きみが昏睡してる間に点滴打っておいたし」



「点滴」



「栄養剤とか、そういうたぐい

 転成アナスタシスに伴う体内物質マテリアル及び熱量カロリーの枯渇。

 それに対する不足への補充欲求。

 平たく言えば初期衝動の正体はそれでしかない。

 十分な外部供給があれば〝渇き〟の発作に襲われたりはしないよ」



白衣姿を見た時から感じていた。

彼女ウラは酷く理性的で、まるで吸血鬼オカルト的な存在ではない。



「黙々と食べるのも寂しい。

 食事中は喋るべきではないという意見もあるが。

 ようは口の中に食べ物が入っていないタイミングで喋ればいいと思うのだよ。


 というわけでまずは自己紹介から始めようか。

 きみは自分の事を話す必要はないけどね。


 ――私はトゥーラ・フェテレイネン。

 気軽にウラと呼んでくれて構わない。


 身長167cmの体重64kg、スリーサイズは上から89、62、88。

 ああ、聞かれる前に答えるがFカップだよ。

 ちなみに吸血鬼に血液型と年齢を聞くのは非礼な行為なので覚えておくと良い。


 所持する博士号は11、専門は分子生物学。

 

 他に何か質問は?」

 



交差させていた長い脚を優雅に組み替えながら女が流し目を送って来る。

相変わらず白衣の下は全裸、ではない。


さすがに落ち着かなかったので徹底的に抗議した結果として、セクシーな黒の上下、下着だけは身につけている。


だとしても足を組み替える仕草には思うところがないわけではなかった。

刺激が強過ぎるのでやめて欲しいのだが。



とりあえずスリーサイズもカップ数もどうでも良いが。

聞きたいことは山ほどあった。



「博士、なんですか?」



「博士号があるからと言って職業的博士と呼べるかは疑問だね。

 職業として名乗るなら、そうだな。

 一応は薬剤師か、企業研究者あたりになるのかな」



「企業研究者?」



「とある製薬会社の研究室に所属している。

 給与も貰っているし、年金も貰えるかもしれない。


 いやさすがにそれは無理か?

 その辺を誤魔化すのは任せっきりだから詳細はわからないがね。

 

 なのでまあ金には困ってないし心配は要らない。

 きみ一人養うくらいはわけないさ、まあ家事とかやってくれると助かるが。


 ああ、それで思い出した。

 これ、あとで飲んでおきたまえ」



言いながらウラが、白衣のポケットから取り出したらしい小瓶をテーブル上に置く。

雑な仕草で押しやられたそれは目の前を通り過ぎて滑って行き、端から落ちた。

慌ててキャッチしてそれを眺める、表記ラベルも何もない赤褐色の硝子ガラス瓶。


ふたを捻る、中には小指の先ほどの大き目の錠剤が詰まっていた。

色は紫、あまり健康によさそうな色ではない。


表面に刻まれた文字は3つ、S、L、Rと読めた。



「なんですか、これ」



「SLR。

 抗陽光薬Sunlight-resisterだよ。

 それを飲めば、おっと2時間くらい効果が出るまでにかかるが。


 きみはまた日の光の下を歩ける」



極々あっさりと告げられた言葉に言葉を失う。


日光の下を歩ける。


――吸血鬼が?



「そんな簡単に? 錠剤1つでですか」



「長年の研究の成果を簡単にとか言われるのもなかなかしゃくだな。


 いやまあそれだけ驚いているという事なんだろうけれど。

 まあ、俗な先入観おもいこみは捨てたまえ。


 さっき言ったように吸血鬼などただの病人に過ぎないよ。


 症状を緩和あるいは抑制するくらいは、できる。

 何年、私がこの研究に費やしたと思ってるんだきみ」



そもそも陽光への致命反応は常人より盛んな新陳代謝で劇症化したある種の過抗体アレルギー反応でしかなくこの一連の症状は骨髄性プロトポルフィリン症に極めて類似しているが完全に同一というわけでもなくとはいえある程度の原因因果関係がわかれば対処法は当然あるわけで対抗薬が製造できるのには全く不思議はないと思わないかね加えて言うなら銀や大蒜ニンニクを吸血鬼が嫌うという伝承もある種のアレルギー反応に過ぎないし個体差が激しくV2保菌者への切り札たりえないのには留意が必要だなそれから聖水で焼けるとか流れる水を渡れないというのも完全に誤認もいいところで前者はプラシーボあるいは宗教儀式と結びついたある種の商業主義的の産物としての側面が強く後者は狂犬病に見られる狂水症状などに類する咽喉頭刺激で引き起こされる痙攣に対する忌避反応に由来した



「すいませんちょっと」



「――うん?」



「そんな難しい話されても分からないって言うか……。

 もうちょっとわかりやすくお願いできますか」



「ああ、これは失礼。

 最近誰かと雑談をする機会にもあまり恵まれていなかったのでつい、ね。


 ……簡単に言うと、だ。

 吸血鬼V2キャリアの特性を抑制すれば陽光は致命傷にならないということさ。


 裏返すと服薬中の身体機能は常人並みでしかないから気をつけたまえ」



いつの間にか手にしていた発泡酒の缶をあおり、白衣の吸血鬼はそう告げる。


なるほど、その簡潔な結論はわかりやすかった。

だがやはり腑に落ちない、そんな簡単に済む話なのだろうか、それは。



吸血鬼V2キャリアの異常な能力の正体は単純シンプルなものだよ。

 常人、あるいは一般的な生物の数千倍からに及ぶ新陳代謝。

 そしてそれを支える蓄積熱量、合成・同化系、ざっくり言えばこれだけだ。


 例えば特徴的とも言えるすさまじい筋力、身体機能」



言いながら、ウラは空になったスチール缶を片手で無造作に握り潰す。

べこりと変形してくの字にねじ曲がったそれを、腕ごと揺らして女は眺める。



「運動の際、筋繊維は常にある程度、自壊する。

 過剰な自壊を食い止めるために脳は機能に制限リミッターをかけている。

 これが外れるのがいわゆる〝火事場の馬鹿力〟の正体だ。


 吸血鬼V2キャリアは単純に新陳代謝、――傷の治りが速いから無理が効く。

 機能制限リミッターは必然、ゆるい。


 さらに言うなら、いわゆる筋トレというのは筋繊維に負荷を与えて損傷させ、より強く再生、成長させる一連の行為を指すわけだが。


 再生が速い、ということはつまり、」



女が指を伸ばす、ねじ曲がったスチール缶の端に指先を引っかけてティッシュを丸める気安さで折りたたんでいく。


指先と手の甲、手首に至るまで筋肉が盛り上がり、震えて。


瞬く間にスチール缶は彼女の掌に包まれ、小さな金属音を立てながら消えて行く。





 


 わかるかね?」


 

開かれた掌には小指の先端ほどの球体が転がっている。

さきほどまでスチール缶は既に原形をとどめていない。




「――つまり理論上、吸血鬼V2キャリアの筋力に


 まあ実際のところ骨格の再構成と成長は筋肉より遅いからね。

 自身の筋力に耐えられなくなる限界がどこかで来るだろうから、さすがに限界がないは誇大広告も良いところだけど」



テーブル上にスチール缶玉を置いて指先で突きまわしながら。

ウラは逆の手で発泡酒の缶を手に取り、器用に指一本でプルタブを引き起こした。


彼女の真っ白い喉が蠢き、命の雫を飲み干していく。

それが鮮血ではなく酒精アルコールなのは果たしてどう思えばいいのか。


気を取り直して、口を再び開く。



「俺、――いやぼくらの他にもその、吸血鬼が?」


外見にそぐわず悪目立ちするのではやめろ、と言われたのを思い出して言い直す。



ウラはふんす、と鼻息をついて飲み干したばかりの缶を握り潰し。

テーブル上に2個目のスチール玉を置いて指先で突きながら唸る。


なかなか回答が得られない事に少しだけイラついて、同時に気づいた。


先ほどより反応が悪いのはなんてことはない。


(ああ。この人、得意分野でだけ饒舌になる人種タイプか……)



もしかするともともとあまり話上手な方ではないのかもしれない。


そんなことを思いながら手を伸ばす。

ウラが不意に立ち上がり、シオンは無意識につかみかけていた缶を放して、はじめてそれが発泡酒だと気づいて眉をしかめた。

元々は成人だが、果たしてこの身体で飲酒していいものなのだろうか?



「——まあ、早い方が良いか。

 来たまえ、会わせたい人がいる」



それだけ言ってウラが歩き出し、慌ててシオンはその背を追った。


彼らがいたのはごく普通のマンションの台所キッチン付き食堂ダイニング

隣接する部屋はつい先ほどまでシオンが寝ていた寝室ベッドルーム

考えてみれば彼はこの建物の他の部屋をまるで知らない。


廊下に出た彼女ウラは迷いなく、だが速足にもならず自然な足取りで進んでいく。


廊下の突き当りのその扉を見た瞬間、シオンは無意識に息を飲んでいた。



普通のマンションには場違いな金属の扉。

金属のかんぬきがかけられ、ゴツい南京錠が5つも下がっていた。


だが、息を飲んだ最大の理由はもっと別。



閂の刺さった金属のフレームには傷が入り、歪んですらいる。

それはドアのレバーも同じで、それはまるで。


無理やりに破壊され、それをひとまず間に合わせに修理した痕跡あとに見えた。


吸血鬼ウラは白衣のポケットから鍵の束を取り出し、南京錠を手慣れた様子で外して最後に閂を抜く。

手慣れた、もうずっと繰り返していると言わんばかりの自然な挙動だった。



動揺に足を止めたシオンを振り返るでもなく、女は扉を開けて踏み入っていく。


その先は処刑場でも、鉄鎖に繋がれた怪物の牢獄でもなかった。


ごく普通の、こぎれいな部屋。

窓がない事を除けば、そう思えた。


寝台ベッドが1つ。

家具はそれが全て。


寝息すら立てずにそこには一人の少女が横たわっている。

シーツの上に片手だけが置かれ、点滴のチューブが伸びていた。



シメオン・フェテレイネンには。

そうなる前の彼から連続したその記憶の中には。


彼女の横顔がある。



「——紹介しよう。

 彼女の名はアガタ。

 あるいはアガフィヤと呼ばれる事もある。


 運命の女ファム・ファタール


 終わりを知らぬものエターナルライフ


 もっとも古き牙〝rib of Eve〟


 幾つもの名を持つ人だが、私ので。


 そしてきみの親でもある」




言ってウラは少女の髪をそっと指先で梳かし、振り返る。




「——現在、存在を確認されている唯一にして最古の〝真祖トゥルーブラッド〟だ」




**************************************




吸血鬼V2キャリアは代を経る毎に、――感染を重ねる毎に脆弱化する。

吸血鬼ウィルスが劣化する、と言っても良い。



故に、真祖アガフィヤの〝接吻〟により転成/鬼化した吸血鬼は特別だ。


私や、彼らは。

最も古き血First-Blood〟と呼ばれている。


彼女の心は壊れている。

永く生き過ぎたからか、それとも別の理由かは不明わからない


彼女の脳には老人性痴呆症によく似た症状が現れている。

が、一般的なそれとは異なる、まるで別の、原因不明の症状だ。


私は彼女を治療する方法を探し続けている。

そして、できればきみに協力して欲しいと思っている。



私はその対価としてきみを守ろう。

史上六人目の〝古き血First-Blood〟であるきみを。


きみの存在を他の〝最も古き血First-Blood〟が知ればろくな事にはならない。

これは断言しても良い。


彼女アガフィヤはその長い人生においてたった五人しか眷属を作らなかった。

これは数多の吸血鬼の中でもその長い永い人生に比すれば極めて少ない。




【聖骸王】イシュトヴァーン。


【凱旋者】ゲオルギウス。


【告白者】マクシモス。


【狩猟者】プラキドゥス。


そして私、【熾天博】ボナペントゥラ。


たった五人だけの第一世代、最も古き血First-Blood

彼女の〝子〟のいずれもが、きみを放置できないし、しないだろう。



よりよい返事を期待している。


……それと、きみは私の〝子〟だという事にしておきたいのだがどうかな。


これはきみの安全を確保するための提案だよ。




**************************************





トゥーラ・フィテレイネンの言葉はまるで出来の悪い御伽噺フェアリー・テイル


真祖トゥルーブラッド〟アガフィヤ。



ウラが長い時間をかけて調合した薬によって彼女はほぼ常に眠りに落ちている。

だが月齢の影響、あるいはもっと別の何かの要因で不意に覚醒するのだという。


しかしそれでも夜のちまたを放浪するだけで。

過去1度たりとも誰かに〝接吻くちづけ〟を与えたことはないのだという。



ゆらゆらと肩を揺らしながら。

トゥーラ・フィテレイネンの背中は夜道の向うを進んでいる。


シメオン・フェテレイネンは。

その名を彼女に与えられた新米の吸血鬼は。


おっかなびっくりでその背中を追いかけて夜を歩いている。

なにもわからないし、実感もまるでわかない。



飲み足りないから買い出しに行こう、そう言って。

最も古き血First-Blood〟と自らも名乗った女吸血鬼は歩いている。


近所のコンビニまで酒を買い足しに出るという俗な理由で。

欠け始めた満月の下を、この夜の中を。


まるで納得は行かないし、理解もできない。



良くない冗談か、漫画か、映画か、ライトノベルか。


ため息をつく、馬鹿馬鹿しいとすら思う。



視線を転じた事に理由はなかった。

詩的な表現をするなら夜に呼ばれた気がしたから。

もっと単純に言うならなんとなく。



トゥーラの背中から視線を外してわき道に、細い路地に視線を転じる。




――赤い双眸ひとみが彼を見ていた。



ボロ布を被った小柄な人影、浮浪者ホームレスかなと自分を騙す事は出来なかった。


闇のなかにああも爛々と輝く真紅くれないが、人の瞳であるはずがない。





路地裏に満ちた漆黒が生き物のようにのたうち、津波のように押し寄せる。


咄嗟に反応するには彼は疲れ過ぎていたし理解も及んでいなかった。



質量を持った闇が長い舌のように彼の全身を絡めとり、一瞬で真紅の輝きが目前に。


相手が移動したのか自分が移動したのかわからない。


眩暈がする。

闇からは酷く濃いの匂いがした。


ボロ布から伸ばされた薄汚れた細い手がシメオンの頭部を掴む。



『——なンじハ、何者ナにもノナりや?』



継ぎはぎの雑音ノイズのように彼を捉えた闇



「な、」



約定ヤくジョうに』


                  『しタがイ』


 『ナんじ』   

            『




     『アズかル』




木霊する闇の声、方向も声質も一定せず投げかけられるオト




わレもッとふルき血。

 ——約定ニヨり接吻くちヅけユルさズ。

 再度問さいドとウ。

 ……なnじは、何者ナニモノなリや?』

 



「おい。

 その子を放せ



暗闇を引き裂くように投げかけられる低い怒声。


闇に囚われ動かせない四肢をそのままに、視線だけを投げる。


トゥーラ・フェテレイネン。

軽薄な白衣の吸血鬼が、シオンが初めて見る真剣な表情でこちらを見ていた。

 

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