Cut.01 〝終わった命で朝を迎える〟


赤い赤い荒野がどこまでもどこまでも続いている。


天には血のように蒼い月。


荒野はどこまでも続いている。




彼女の背中が見えた。


どれだけ歩いても、走っても。


その背中に追いつけない。




「——!」




言葉は言葉にならない。


感情は感情にならない。


ただ荒野に立ち尽くすだけの彼女の背中はけれど。

どんどん遠くへ、遠ざかっていく。


追いつけない、追いつけない。





――転成アナスタシス

あるいは鬼化ワクシングか。

まあ呼び名はこの際どうでも良いか。





彼女のものではない声がする。




――つまりは

この過程は平均的には約25時間で完了する。


まあ、何もしなければ、だ。


例えば鬼化抑制剤Vibitor、正しくは吸血鬼化阻害剤Vampirization-inhibitorだが。

これを接吻くちづけから3時間以内に十分な量を投与できれば阻止する事はできる。


少なくとも、吸血鬼化そのものは100%防げる。


生還率は……、まあ個人差もあるが3割から4割と言ったところだ。

吸血鬼ばけものになりたくない、というのならお勧めするよ。


少なくとも、——


この選択肢を選ばない場合……。


脈拍は約270、体温は平均43度まで上昇。

意識の混濁、幻覚、幻聴、などの症状が現れる。


肉体はゆるやかに、あるいは劇的に。

体内で自己複製を開始する運び屋vectorによって遺伝子を改竄される。


基本的な身体構造は人体と大差ない。

ただし本質的には完全に別物になる。


各種の臓器、あるいは骨芽細胞に混じって漆黒器官Schattenorganが形成される。

これは記憶、人格、身体機能のバックアップ、再生補助の機能や……。

極めて高速化する新陳代謝によって慢性的に不足する熱量カロリーを貯蓄する器官だ。


一般的な……、酸素を必要とする多くのATP合成系は喪失する。

代わりに新たな代謝系が構築されるが、少し専門的になるのでまた今度にしよう。


まあ簡単に、呼吸酸素を必要としなくなる、という事だけ覚えておけばいい。


ちなみに消化器官の構造は変化しないので普通の食事もできる。

多くの吸血鬼が〝血〟を好んで摂取するのはエネルギー効率がいいからに過ぎない。


もっとも、遺伝子レベルで吸血衝動が刷り込まれるのでそこは注意が必要だね。



それから新たな同化系も成形されるな。

手足の欠損など、質量を損なう損傷ダメージからの即時回復は困難だ。

故に吸血鬼は特殊な同化系、物質の吸収能力を用いてこれを補う。


例えば空気。

酸素と二酸化炭素くらいしか大抵の生物は用がないが。

大気中にはその他にArアルゴンNeネオンHeヘリウムCH4メタンKrクリプトンなども含む。

まあ8割弱がN2窒素だが。


これらを効率よく取り込み、疑似タンパクやカルシウム、のを合成する。

本物に比べれば極めて不安定だが、材料ほんものを入手するまでのつなぎとしては十分。


異常に思えるかもしれないが多くの植物、生物が程度の差はあれどやっている事さ。


他にもあるが、まあ枝葉末節などうでもいい話ではある。



ああ、それから。

これが俗人には一番重要な事かもしれない。


外見は再構成に伴って変化する。

どのような変化が起こるかは千差万別ひとそれぞれだが……。

多くの場合は美形、と呼ばれる姿形になる事が多い。


これは身体構造の再構築に伴って本人の理想像イメージ

無意識下の願望が反映されるからだ。


――と、言われているがこればかりは確かめようがないね。



あれ、何の話だったかな……。


ああ、そうだ。



「——で、君はどうしたい?」




**************************************




……よくわからない話をずっとされていた気がする。


割れるように頭が痛い。

接待で一気飲みを強要された翌日のようだ。


と、嫌な思い出がぶり返して頭痛が酷くなる。

頭を振って意識を切り替えようとして鈍痛に眉をしかめた。


頭を押さえる自分の手を見て違和感を覚える。



「——あれ?」



呟く声にまた違和感。

俺の声はこんなに高かったろうか。




「なんだきみ性転換TS願望でもあったのか?」



横手からかけられた声に驚き、視線かおを上げる。



そこに女がいた。

限りなく純白に近い金髪ホワイトブロンドの、

――既視感デジャヴュに襲われる。



だが、あの月夜の砂浜で見た少女ではない。

もっと年上、20歳くらいだろうか。


長い髪を乱雑に縛って、白衣に身を包んだ女。


その声には覚えがあった。

あの長々しく小難しい説明をしていた声。



「あなた、」



TuulaトゥーラVetelainenフェテレイネン

 呼び難ければウラと呼んでくれていいよ。

 ふむ、君にもなにか新しい名前が必要だね」



気安い調子で言いながら、ウラはスマートフォンを構えた。


撮影音。


女はスマートフォンを裏返して液晶画面をこちらに突き出してくる。


肩まで伸びた黒髪、驚いたような顔の少女がそこに映っている。



「わかるかな?

 



「は?」



「ちゃんと説明したと思うんだが、記憶が曖昧か。

 同意は取ったしなんなら動画も撮ってある。

 あとでこんなはずじゃ!などとゴネられても面倒だしね。

 今になって鬼化抑制剤Vibitorを打たなかったのを責めないでくれよ。


 ……まだ熱があるな、まあじきに下がるか。

 脈拍――、は正常っと。


 ちょっと失礼、」



早口に喋りながら女が額に触れ、首筋に触れ、シーツをめくりあげる。

止める間もなく、一呼吸ひといき遅れで不満を口にする前にまた驚きで絶句した。


見下ろす自分の身体は最早別のものだった。

薄く、小ぶりだが胸がある、少女のような身体。



「やはり女性化しているな。

 まあ、さほど驚くには値しない。

 そういうケースも少なくないからね。

 と、おや?」



何に気づいたのか、腰から下を覆っていたシーツをさらに女がめくる。


見慣れたものがそこにあった。




「おやおやおや。

 これは意外かつ想定外だが嬉しい誤算。

 男性器ペニスがあるじゃないか君!

 腰骨の構造は女性のものか、希少レアだな」



女の言う通り、そこには見慣れたモノが、男性器があった。

とはいえど以前のまま、その通りのままかはよくわからない。

凝視した事もよくよく観察した事も記憶にはない。



「は、いや、何、これ」



「何って男性器ペニスだろう。

 ちんちん、ちんこ?

 日本語がわからない事はないよな?

 逆に元々あの姿形ナリで女性だったとか?

 いやこれは性的暴言セクハラになるのかな。

 事前に身体検査した時も男性だったように思うが、」


台詞のその意味を理解する前に女は次の行動に出ている。

わっし、と痛みを感じない程度には加減して乱暴に女の白い指が男性器を掴んだ。




「ちょあ」


「ふーぅむ?

 手触りからみて普通の男性器ペニス

 異常はなさそうだな。

 おっ膨らんできた良いぞ機能も確認しよう」


「ちょっ、ま、」



混乱する意識とは関係なく、女のぬるい体温と、的確に要点ツボを抑えてうごめく細い指先に刺激されてぐんぐんと血が通っていく、膨張していく。


羞恥と驚愕と混乱がまぜこぜになりながら頭痛を残した脳を掻き乱す。




「おっほほ、これはご立派。

 おおよそ20cmってところか、な?」



屹立したそれに、喜色満面で伸ばした指を添えて長さを計り出す女。


なんだなんだこいつ。


半ば反射的に押しのけようと手を伸ばし、同時に立ち眩みに襲われて、



「っと、まだ無理しちゃいけない。

 貧血の症状が出て、——ああすまない下半身に血を取られたら辛いか。

 この体格でこのご立派な男性器モノに血を持っていかれたら、ねぇ」



笑いながら女が、男性器に触っていた方とは逆の腕で身体を支えてくれた。


触れていた方の手を所在なげに引き戻しながら、片手でベッドに寝かされる。

シーツを肩までかけなおし、女は微笑む。



「まだ寝ていたまえ。

 目が覚めたら続きをしよう」



反論の言葉は浮かばなかった。

瞼が鉛のように重く、同じくらい意識も重かった。

暗闇の中に落ちて行きながら、最後に見たのは。


男性器を撫でまわしていた指先を、ぺろりと舐める女の横顔。






**************************************







次の覚醒は健やかだった。

頭痛は嘘のように収まっている。


掌を額に当てる、平熱のように思えた。


その手を目の前に持って来る。

五指を曲げ、伸ばし、様子を見た。

自分の思うように動かせる、まごうことなき自分の手。


だが記憶の中にある自分の手よりも一回り、あるいは二回りほども小さい。

どう見ても少女の手だった。




部屋を見渡す。

身長大の姿見かがみを見つけてそっと寝台ベッドを降りる。

視界に入る腰も、脚も細く華奢で現実感がない。


両足の間にはまだしも見覚えのあるがぶら下がっている。

小さく縮こまったそれは記憶にある自分のものより今は小さいように思える。

まあ、今の体格には相応しいサイズではあった。


混濁していた1度前の覚醒のさなかに見た、戦闘形のそれを思い出して嘆息する。


意識は沈静化しており、混乱は過ぎ去っていた。


倦怠感だるさと、喉の渇きを覚えてそっと喉を撫でる。

そこにも記憶にあるような、喉ぼとけの感触はない。




歩幅の小さくなった両足で姿見に歩み寄る。


鏡の中の自分は、まるで自分が知る自分ではなかった。

美しくはある、華奢で、繊細そうな黒髪の少女。


手を、脚を、視線を動かしてみてそれが間違いなく自分の姿だと確信を深める。


――現実逃避はもうできなかった。


あの月夜の砂浜で、



混濁した記憶の中にある、小難しい説明の数々はまるで理解できていない。

ただ、1つだけ明確に記憶され、理解されている言葉だけは思い出せた。





震える手で唇の端を押し上げる。

鋭い犬歯きばが空気に触れて存在を主張して、そっと息を吐いた。


あごに力を入れると犬歯がせり出すような感覚を覚え。

それ以上その行為を続ける事ができなくなり、唇を閉じて犬歯をしまい込む。




吸血鬼ヴァンパイア……」



「実感できたかい?」




かけられた声にびくりと肩を震わせて振り向く。


白衣の女が闇の中に立っていた。

いつのまに部屋に入って来たのかまるでわからない。


吸血鬼。


その単語がまた脳裏を掠める。



よく見れば女は白衣の下に何も身に着けていなかった。

一糸まとわぬ裸。


その上に羽織られた白衣はまるで衣装としての用をなしていない。

いっそ淫靡ですらあり、学績の象徴たるその服としての権威を匂わせない。



ひたひたと足音を立てながら自然な足取りで女が歩み寄って来る。


膝裏に寝台の縁シーツの感触を感じて自分が無意識に後ずさっていたことに気づいた。

背後に意識を向けた一瞬の隙に、女の手が伸びて肩を押す。

以前より小さな、そして疲労のたまった身体はそれだけで寝台の上に倒れ込む。


仰向けに転がった上から女がのしかかって来る。

瞳の奥には情欲の炎が見え隠れし、伸びた手が彼/彼女?の胸をまさぐる。


くすぐったさと、否定できない薄い快楽に背筋が震えた。

瞬間、電撃のように快感が叩き込まれて慌てて視線を落とす。


縮こまった男性器に蛇のように絡みついているのは当然ながら女の指だ。


手を伸ばし女を押しのけようと抵抗を試みれたのは一瞬。

女の指は的確に男性器を刺激し、喉からは喘ぐような音だけが漏れた。


自分が喘いでいるなどとは信じ難く。

だが、そこは混乱にも羞恥にも関係なく刺激に対して正直だった。


女曰く20cmの威容を誇ってそれは再び屹立している。


何か言葉を吐くいとまもなかった。

女は足を開き馬乗りにまたがって来る、両足の間、薄闇の中ですらわかるほど湿度を増したそこを視界に入れてしまって息を飲んだ。


びくりと、求める様に屹立の先端が震えて。

女は薄く、確かに嗤った。


女の腰が降りて来る。

湿度を増した粘膜同士が触れて先に数倍する快楽が背筋を震わせた。


同時、声にならない叫びをあげて背筋どころか全身が震える。

白濁した、異様に粘度の高い体液が飛び散り女の太腿と自らの下腹を濡らす。


羞恥に耳まで赤くしながら身悶えした。

言葉にならない、矜持プライドなど既に粉微塵だった。




「——っと、おや。

 童貞おぼこでもあるまいに、っと。

 いや転成アナスタシス直後で身体も新品同然だから童貞おぼこかな。

 困った、こちらはもう火が点いてしまって、」



熱い息を吐きながら、心底困り果てたようにウラが言いかけて、

その肉食獣めいた笑みが深くなる。



「まだ元気じゃないか、ありがたい。

 では遠慮なく、」



混乱と快楽の波に襲われながら、1度目の覚醒の最後に耳にした言葉を思い出す。







牙なきあぎとが命の塔を噛み、深度を増した快楽が思考を溶かした。






**************************************





「一般的に男性諸氏はのが素晴らしい事だ。

 と妄信、いや信仰しているように思うんだが。

 実際のところ大き過ぎたり硬過ぎても痛みを覚えて快感に集中できないのだよ。

 まあ大は小を兼ねるというのも時と場合によるという事だな」



チョコレートの甘ったるい香りのする煙草を揺らしながら。

トゥーラ・フェテレイネンはうんうんと感慨深げに頷いた。



「まあ幸い許容範囲と言うところか。

 もうちょっとからが本番かな。

 君ももうちょっと積極的アグレッシブに楽しみたまえ、私は責められるのも好、」



投げつけたクッションを片手で受け止めて女が言葉を止める。



「危ないな」


「人を散々!

 回数もわからないくらいなぶっておいてよくもまあ!」


「えぇ、回数数えておいた方がよかったのかい」


「そこじゃない!!」


「そんなにカリカリしなさんなシメオン。

 ストレスは様々な健康不良の原因になり得るし、だいたい君も気持、」



2個目のクッション投擲は首を傾けるだけで回避されたが、戯言を途中終了させる事はできた、と荒い息を吐き、何か引っかかりを覚えて息を止める。



「——シメオン?」


「ああ、そう。

 SimeonシメオンVetelainenフェテレイネン

 

 ……気に入らないかな?」



深呼吸を一つ。



「新しい名前、って俺は、」



「おっと、そこまで。

 人としての名前は棄てたまえ。

 私にも聞かせる必要はないよ。

 ついでに言うなら家族や友人に会うのもお勧めしない」



どこから取り出したのか灰皿に煙草の灰を落とし。

女は酷く冷めた瞳で彼を、——シメオンを見つめる。



「なんで」


「人間としての君はもう死んだからだ。

 ……さて、食事にしようか、何心配はいらない、血ではないよ」



気安い調子でトゥーラ・フェテレイネンはそう言って。



「ようこそ

 シメオン・フェテレイネン」



――わざとらしく犬歯きばを見せて笑うのだった。













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