第十一話 千影、試される③

 それから、千影は蛍の妨害をうまくすり抜けた……ということにして、なんとかアジトがある大木までたどり着いた。

大木の根元には湊と他の三人も千影のことを待ち構えて立っていた。

千影は湊の姿を見た時、やっと演習が終わったという感覚ではなく、計り知れない恐怖を感じた。

千影は全身のあちこちから雫を滴らせながら、四人の元へ駆け寄っていった。

湊は他の三人よりも一歩前へ出て腕を組んで立っていた。


「た、ただいま戻りました……」


千影は消え入りそうな声でそう言うと、胸の皿を外して湊へ差し出した。湊はそれを受け取ると皿をじっと見てから千影の顔を見た。


「はっきり言うと、最悪だな」


湊の“最悪”という言葉がナイフのように千影の心臓を突き刺した。


「とりあえず、つばめとハル、お前たち二人はもうここで解散していいぞ」


湊がそう言うと、ハルとつばめは湊に向かって一礼して一瞬で姿を消した。


「千影、それから蛍、これからアジト上で話がある。上がれ」


湊が淡々とそう言うと、湊もあっという間に姿を見えなくした。

地上に残された蛍と千影の間には物悲しい風が吹き抜けていった。


「……とりあえず、行くぞ」


蛍は千影の肩を二回叩くと姿を消した。千影は上を見上げると鼻水をすすった。見慣れたはずのアジトが妙によそよそしくて、越えるのが困難なハードルのように見えた。

千影は覚えたての手甲鉤を両手にはめると、ぎこちなく一歩ずつゆっくりと登っていった。


「まぁ、座れ」


アジトに着くと、湊はいつものように部屋の奥の真ん中に、蛍はにじり口の近くに座っていた。千影は蛍の顔を一度見たが、蛍は下を向いたままだったので、湊に向かって頭を軽く下げながら言われた通り、ちゃぶ台を挟んだ湊の目の前に腰を下ろした。

下着まですっかり濡れて体は冷えて不快であったが、千影はこれから湊に何を言われるのか怖くてそれどころではなかった。

湊は固く組んだ腕をゆっくり解くと、あぐらをかいた両膝に両手を置いて千影の顔を見た。


「まぁ、結果から言うとだな、合格だ。誰の皿も割れていなかったんだからな」


湊の口から出てきた言葉が予想していたものとは違ったので、千影は拍子抜けした。


「へ?合格……ですか?」


「あぁ、合格だ」


湊の言葉がにわかには信じられず、千影はなんとか湊の言葉を受け入れようと何度も頷いていた。


「だが」


湊は強調するように言ったので、千影は頷くのを止めた。


「最悪だ。お前は忍術を全く会得していない」


湊がそう言った時、後ろの方で蛍のため息が聞こえた。千影は“来るぞ”と、心をぐっと引き締めた。湊はちゃぶ台に左手をバンと叩きつけた。


「まず、お前は精神的に弱すぎる。まるで小動物のような弱々しさだ。予期せぬことに精神をすぐ乱し、冷静さを完全に欠いている。それから、忍器はおろか、忍術も全く使いこなせていない。そういえばお前、以前、俺たちがやっていることを“忍者ごっこ”とか言っていたな?今回のお前の行動の一部始終にその本音が垣間見られるようであった。忍びを舐めているとしか思えない」


湊の言葉は矢のように次々と千影の全身に突き刺さった。


「はっきり言って、今回のテストでお前は見事なまでに醜態を俺たちに見せつけてくれたわけだが……これはお前を指導した蛍にも非がある。蛍、いったいお前は今の今まで千影に何を教えてきたんだ?今回は大目にみるとしても、今後の千影の忍務遂行状況によっては、お前にも責任を取ってもらわなければ……」


「ちょ、ちょっと湊さん待ってください!いくら俺が出来損ないからって、ちゃんと教えてくれた蛍は関係ないだろ!」


千影はちゃぶ台に両手をついて立ち上がろうとしたが、背後にいる蛍に服の裾を強く引かれ、立ち上がることができなかった。

湊は蛍の顔を見ていたが、鬼のような恐ろしい目つきで千影を睨みつけた。

千影は肝を冷やして萎縮した。


「とりあえず、今日のテストは合格とするが、今後のお前の行動次第では、下忍の認定を取り消し、忍び破れとしてお前をここから追放し社会的に抹殺する。このことをよく覚えておくように。言うべきことはこれだけだ。お前はもう帰れ」


湊はそう邪険に言うと、面倒くさそうに小指で耳をほじくった。


「え?俺……だけ?蛍は?」


「蛍とはお前抜きで話をする。いいからとっとと早く帰れ!」


湊は犬でも追い払うかのように、千影に向かって目も合わせずに手を払った。千影はふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら、湊に頭一つ下げないで出口へ行った。その際、にじり口のそばにいた蛍の顔を心配そうに見た。


「蛍……」


「いいから、お前はもう帰れ」


蛍は千影に向かって少しだけ微笑むと、スッと真顔に戻して今まで千影が座っていたところに腰を下ろした。

千影は蛍の後ろ姿を名残惜しそうに見つめながらアジトを出た。

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