第十一話 千影、試される①

 お盆の終わりに無事、下忍に認定され、忍びの信じられない事実を聞かされた挙句、村雨丸の使い手という恐ろしく謎めいた役に抜てきされた千影は、夏休み明けから始動する“銀狼潜入”という初忍務に向けて、の忍びとして、本格的に修行を始めることとなった。

千影に忍術を教えるのは、もちろん、蛍の役目であった。忍びの修行は、千影が未だに現状を把握できず心構えもいまいち曖昧なままである、湊からの忍びの極秘教授があったその日から開始された。


 今、覆面の忍び装束の格好をした千影と蛍は、蛍光灯がチカチカ点滅する千影の部屋のど真ん中で向き合い座っている。


「それでは千影、まずは、もう一度、忍びの三原則を答えてみろ」


いきなり蛍がそう言ったので、千影はポカンとした。


「え?三原則?」


「あぁ、そうだ。以前お前に教えた。忘れたとは言わせないぞ」


蛍の目つきと口調がいつも以上に厳しい。いつもと違う蛍の様子に尻込みした千影は、慌てて懐から巻物を取り出し広げた。“しのびのさんげんそく※ぜったいにわすれるな!”と、そこにはすべてひらがなで書かれた汚い文字が羅列してある。千影はまごまごしながらそれを読み上げた。


「忍びの三原則。

敵をも傷つけ己も傷ついてわずかに免るるは忍びの下なるもの。

敵を傷つけ己も傷つかずして危うきを凌ぐは忍びの中なるもの。

敵をも傷つけず己も傷つかず危うき凌ぐは忍びの上なるもの」


蛍は千影が読むのを、目をつむって聞いていた。


「その意味は?」


蛍はすかさず訊いたが、千影は一言も答えることができなかった。蛍は小さくなって黙りこくる千影をしばらく見ていたが、やがて大きなため息をついた。


「これは、忍びである者なら必ず答えられるようにしておかなければならない。

なぜなら……これも何度も言っているとは思うが、忍びの掟は正心第一、忍者は天道に殉ずる者、陰陽神のために命をかける者。

俺たち忍びの最終的な目的は、陰陽の巡りを妨げる最大の要因である魔王の魂を消滅させることだ。だから、この目的以外において、不要な争いごとは避けなければならない。

必要のない争いはさらなる陰陽の巡りを乱す。だから、新たに争いごとを引き起こしたり、巻き込まれたりすることがないようにしなければならない。

忍びの三原則は、それがどの程度できるかによって忍びの格付けがされることは前にも言ったが……敵と遭遇した時、戦って敵も自分も負傷したが、なんとか生還できる程度の腕前は、下忍レベル。敵を負傷させて自分は傷つかずにその場を逃れることができる程度は中忍レベル。敵と戦うことなくその場から逃げ去ることができる程度は上忍レベルだ。

このように忍びは三つの格付けがされているが、下忍のレベルだったら多少のいざこざを起こしたとしてもしょうがないというわけではなくて、基本的に忍びはどのランクにもかかわらず、余計ないざこざはご法度だ。だから、忍びたる者、新たな陰陽の巡りを妨げる要因を生み出さないよう、逃げる隠れる術の基本である“五遁三十法”を理解しておかなければならない」


「五トン…三十法?」


「あぁ、そうだ。遁というのは、のがれるとか逃げるという意味だ。五遁とは、遁術の基本をこの世の万物を生成する五つの元気“木火土金水”に当てはめたものを言う。我々人間は、生まれつき“元気”というものを必ず持っている。

たとえば、湊さんなら火気、つばめは木気、ハルは金気、俺は水気。ほら、以前お前に素性を明かすためにみんなが変化の術を見せたことがあるだろう?あれがまさに五遁のいい例だ。

自分の気質と合う元気をうまく使いこなせれば、変化の術などといった高等忍術を使いこなせるようになる」


「人間は誰でも元気を持って生まれてくるってことは……じゃあ、この俺にも元気があるのか?俺も、みんなのように、あんな手品みたいなことができるのか?」


実は千影は以前、湊たちが見せた変化の術がなかなか不可思議でかっこいいと思っていたのだ。


「お前の元気は……土だ」


蛍が少しためらいながらそう言うと、千影の目の輝きは落ち着いた。


「土かぁ……なんかちょっと微妙……で、でもさ、土でも練習すれば俺もみんなみたいに何か特殊な技とかできるようになるのか?」


千影は興奮しながら蛍に迫り寄ったが、蛍は首を横に振った。


「残念ながら、お前にはまだ幻術を使うことは無理だ。何せ、お前はたった今から忍びとしての修行を始めるんだからな。

まぁ、お前は村雨丸さえ使いこなすことができる精神力と、銀狼へ潜入する際に余計ないざこざを作らないようにしっかりと基本の遁術を学んで会得してもらえれば、今はそれだけで十分だ。

さぁ、脱線はここまでにして、遁術の説明の続きをする。しっかり聞いて覚えるんだぞ」


よくわからないが、自分はとりあえず“土”という性質を持っているのだと思うと、千影はなんだか自分が特別な感じがして、いい気分になった。

この時、千影は初めて忍術をもっと学んでみたいという意欲が湧いた。

もはや、千影の頭から“忍者=中二病”という考えは遥か彼方へ消え去っていた。

ぼんやりと浮かれる千影を戒めるように咳払いをした蛍は説明を続けた。


「三十法とは“天遁、地遁、人遁”の三つに分類され、それぞれ十法ずつある。

天遁十法は“日、星、雲、霧、雷、風、雨、雪”と、自然現象を利用して逃げる方法。地遁十法は“木、草、火、煙、土、屋、金、石、水、湯”を用いる。人遁十法とは、人や動物を利用して欺き逃れる方法であり、“男、女、幼、老、貴、賎、禽、獣、虫、魚”の十法がある。

具体的に例を挙げてみると、たとえば天遁十法の日遁では、太陽の光を背にして来向かう敵の目を眩ませ姿を隠す。人遁十法の虫遁とは、蛇や蜘蛛などの虫や爬虫類を敵に投げつけ相手がひるんだ隙に逃げる方法である。

このように、忍びは敵から逃れるため、ありとあらゆる手段を使う。

この五遁三十法は、一聞とても単純なものに聞こえるだろうが、この方法を頭に入っているいないとでは、実際に敵に遭遇した時やいざこざに巻き込まれそうになった時、冷静に逃げられるか否か大きな差が出ることだろう。だから、逃隠れの術の基本である、五遁三十法は常に頭の片隅に入れておいた方がいい」


 それから、蛍は毎日千影に忍術を叩き込んだ。隠形術、侵入術、盗聴術から、隠語や合言葉、占術のはてまで……日中は千影の部屋にこもって忍術を講義した。

夜は村正神社の前で、手裏剣術、侵入術、遁走術などの実技を、実際に忍器を使いながら教えた。焙烙火矢という手榴弾から縄梯子まで、ありとあらゆる忍器の作り方も指導した。

千影は不眠不休でみっちり修行した。学び始めた当初は、こんな原始的で時代遅れのすべを学んだところで、ヤンキー集団への潜入でどれだけ役に立つものなのかいまいちピンとこなかったが、来る日も来る日も忍び装束に身を包みながら忍術を学ぶうちに、いつしか千影の中には忍者に対して“もっと知りたい”と、興味が湧くようになった。

鉄製のズシリと重たい手裏剣を手にした時には胸が高鳴った。

昔の、まだ忍者に憧れを抱いていた頃の心を思い出した。

自分はいったいどういう経緯で今、こうして毎日必死になって忍術を学んでいるのか、千影はいまいち納得できなかったが、忍びをやるのも悪くはないなと思い始めていた……が、そんな思いはすぐに消え去るのであった。

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