第十話 千影、忍者を知る②

 事態は急変した。物騒で奇怪な話の中に突然自分の名が出たとたん、他人事ではなくなった。

千影は自分の身に訳がわからないが、確かに不吉なことが襲いかかってくる予感がしてならず、慄きながら、自分の膝に置かれた蛍の手を震える両手で握りしめると、湊の方へ顔を向けた。


「陰陽神が村雨丸を定めたということは……それは、つまり魔王がこれからどこかで生まれるということか?それで、俺は、そ、その、魔王を宿した母親を……こ、殺さなきゃならないってことなのか?」


千影の目は恐怖で涙ぐみ、真っ赤になっていた。


「お前の役割は、村雨丸で魔王を直接魂ごと斬ること。

先ほども言ったと思うが、母体に宿る状態のまま斬っても魔王の魂は消滅しない。村雨丸を用いるときは、必ず、母体から生まれ出た魔王を直に斬り殺さなければならない。魔王はすでにこの世に生を受けている。

そいつをお前が村雨丸で成敗するのだ」


「そ、そんな……お、俺が人を殺さなきゃならないって……冗談だろ……?」


過呼吸になりそうなほど浅く速い呼吸をして、千影は今にも倒れてしまいそうだった。

だが、湊はそんな千影の様子など気にせず、淡々と話を進めた。


「ここ湯舟郷東町の北部に艮宮山がある。この艮宮山の山頂は、魔界の正面玄関、大鬼門にあたる。そこはかつて陰陽神が闇と決別するために一線を引いた場所である。そこに、魔王がいる……と、言われている」


千影は今すぐに耳を塞ぎたかった。

これ以上聞いたら、本当に後戻りできなくなるような気がしたからだ。

湊の言葉を一言一句耳に入れ頭で理解するたびに、以前、蛍が言っていた“知る責任”が重石のように次々と千影にのしかかった。


「陰陽神は闇と決別するため、魔界との通用口である大鬼門を固く封印した。そして、俺たち忍びがその封印を破られることがないよう守り続けてきた。だが、その封印の力は年々弱まり、今ではいつ破られてもおかしくないところまできている。なぜ封印の力が弱まっているのか……その原因は言うまでもないだろう」


それまで無機質に話し続けた湊は、急に、熱が入ったように身振り手振りを入れながら、より具体的な話を始めた。


「では、千影が村雨丸を携えて艮宮山へ入山し、山頂に潜む魔王を斬れば良いのだが……口だけではいとも簡単に言えることだが、そう容易くはいかない。

なぜなら、艮宮山の入り口にはとても強力な魔障壁が張られているからだ。

魔障壁とは、強力な闇の力そのもので、何の心構えなしにこの壁をすり抜けてしまうと、一巻の終わり。その者の心と体はたちまち闇に取り込まれてしまう。心が弱い者は、この魔障壁に近づくだけであっという間に心の奥底に潜む闇が覚醒する。常日頃から修行を積むベテランの忍びでさえも、うかつに近づくことのできないほど危険な場所である。歴代の忍びのうちで、艮宮山へ入山して無事生還した者は、たった一人だけだと言われている。

もしも、闇と決別できる唯一無二の手段である村雨丸の使い手の千影が、万が一、心身ともに闇に飲み込まれてしまったら、この世は完全に終わる。

だから、ここは確実に魔障壁を突破しなければならない。

では、今から心身を鋼のごとくなるよう鍛錬を重ねていけばいいのかと言うと、それには時間が足りない。封印はもう間も無く破られるだろう。一刻も早くこの魔障壁を突破し、魔王を斬らなければならない。

では、他に方法はないのかというと、なきにしもあらず。

それは、闇に心を囚われることがないほどの“覇気”があればいい。

では、この艮宮山の入り口に張る魔障壁を打ち破るにはどのくらいの覇気が必要か?それは、普通の人間の覇気を一億人分集めたものくらいである。

では、一億人の人間を集めればいいのではないかと思うかもしれない。だが、冷静に考えてほしい。一億人の人間が、まず、今まで俺がお前に聞かせた話を素直に信じて受け入れてくれるわけがない。それはお前が一番よくわかっているはずだ。

それから、覇気の大小は人それぞれ。これから覇気のある人間を一人ずつ探り、かつ、覇気の提供を申し出て人を集める策を実行するには時間がないし、効率が悪すぎる。

では、どうしたら良いのか?村雨丸の使い手がお前に決まったその日から、俺たち忍びは来る日も来る日も打開策を考えた。

そして、一筋の光を見出したのだ。この湯舟郷に!」


湊は興奮したように、ちゃぶ台にドンと強く手をついた。


「それは、この湯舟郷に散らばる血気盛んなヤンキーたちの存在である!!!」


千影は冷や汗を垂らした真っ青な顔で首を傾げた。


「え?ヤ、ヤンキー?」


「あぁ、そうだ。ヤンキーは普通の人間よりも常に喧嘩腰で反抗的で覇気がある。このヤンキー集団をひとまとめにすれば、そこそこの覇気は集まる。そこに今まで修行を重ねてきた俺たち忍びの頭数を入れると、ちょうど一億人分くらいの覇気が集まると見込んでいる。

お前も知っての通り、湯舟郷ここはヤンキーのメッカだ。

湯舟郷は西町と東町に分かれているが、二つの町にはそれぞれのヤンキー集団が存在する。

東町を代表するのは、全員坊主頭がトレードマークの東町最強で最大勢力である“風魔ふうま”、男と女の強さを兼ね備えた戦闘型オネェ集団“荒神こうじん”、女を武器に野良ヤンキーを勧誘して風魔に横流しする風魔の妹分的集団“アゲハ”。

西町は、組員数が湯舟郷一番、赤い甲冑に赤い褌がシンボルマークの体育会系集団“め組”、かつては湯舟郷一最強と恐れられていた狂犬集団“銀狼”、昔ながらの男気溢れるオラオラ系レディース集団“卑弥呼ひみこ”の三勢力がある。

俺たち忍びの使命は、この西町と東町合わせて六勢力を一つにまとめ、艮宮山の魔王退治へ同行させることである」


まるで湊の話はジェットコースターのようであった。禍々しい話が出たと思ったら、今度はヤンキーを味方にさせるというのだ。ど真剣に冗談めいたことを言い、現実めいた空想話をしたかと思うと、急に戯言のようなことを言う。

千影は、どの話が本物で偽物なのか、本気なのか冗談なのか、判断がつかなくなっていた。

だが、これだけははっきりとわかった。

もう自分は戻れないところまで来てしまったということを。

忍びの存在は、恐ろしいほど非現実的な存在ではあったが、これは単なるファンタジーでもただのお遊びではないと悟った。


(どうやら、忍者部はただの部活ではないな……)


それだけは確信した千影であった。


「俺たち忍びの計画はすでに始まっている。東町の三勢力には、それぞれ甲賀組の連中がすでに潜入している。一方、こちらの西町はというと、め組には俺とハルが数年前から潜入を開始していて、俺がめ組の総大将を務めている。卑弥呼にはつばめが一組員として潜入している。しかし、銀狼だけは未だに手付かずの状態である。なぜなら、潜入するにふさわしい人間も人手も不足していたからだ。だが、ようやく適役を見つけたところだ」


湊はそういうと、その場に立ち上がった。そして鼻息を荒く吐いてこう言った。


「千影、お前に初忍務を課す!お前にはこれから銀狼へ潜入してもらう!!!」


千影は目玉が飛び出してしまいそうなほどに目を見開いた。


「銀狼!?」


その名を聞いて千影は嫌な予感がした。


(西校の入学式の日に、俺から金をカツアゲした挙句、つばきたんのお宝ブロマイドを目の前で燃やしやがったあの連中……確か、銀狼の島がどうのこうのって言っていたような……)


「銀狼へ潜入して、そこのリーダーに取り入って、俺たちめ組と一緒に艮宮山の魔王退治に参加してもらうよう説得してもらう」


「お、俺にヤンキーの親玉を説得しろと言うんですか?」


「あぁ。先ほども述べたように、ここ湯舟郷の住民は艮宮山を忌み嫌い、この山には絶対に近づかないが、ヤンキーもまた、艮宮山の魔王の存在を脅威と恐れつつもその存在を邪魔くさいと思っている。

何せヤンキーは、自分たちがこの世で一番強い存在でなければならないという意地があるからな。奴らにとって、この山の魔王は目の上のたんこぶなんだ」


湊の話を聞いて、千影は少し吹き出しそうになった。


(そんなバカな!初対面の人間から金やお宝を巻き上げる無慈悲で冷酷な奴らが、魔王なんて迷信めいたものを恐がるって?そんなのありえない!)


だが、湊は真剣な表情で話を続けた。


「銀狼を立ち上げた初代のリーダーは、筧十四郎かけい とうしろうという猛者だった。だが、こいつは五年前に死んだ。

十四郎が死んでから、銀狼のリーダーが誰なのか、俺たちはまだ把握できていない。何せ、銀狼は十四郎が死んだ後から他の組との接触を一切絶っているからだ。

だから、お前には、銀狼の内情把握も兼ねて潜入してほしい。なお、潜入の途中で新しく得た情報は逐一俺に報告するように」


湊がそう言い終わったのと同時に、千影の後ろに控えていた蛍がにじり口に向かって声をかけた。どうやら、誰かこのアジトへやってきたらしい。ドアの向こうで相手が合言葉を返すと、蛍はドアを開けた。

覆面姿のハルがするりと中に入ってきた。

そして、千影を横目で一瞥しながら湊のそばまで行くと、葉音のような声で何やら湊に耳打ちをした。すると、湊は懐から頭巾を取り出し手際よく顔を覆うと、すくっと立ち上がった。


「急用ができた。千影、とりあえず、お前に伝えるべきことと、忍務の内容は話した。あとは蛍の指示に従え。わかったな?」


千影がためらいつつも頷こう一瞬瞼を閉じて開けた時には、すでに湊とハルの姿はなかった。

突然、二人の姿が消えたのも幻術を使ったからなのか?

千影は驚いたが、それよりも、もっと大きなことが気がかりで、どうやって二人は姿を消したのか?という疑問を蛍にぶつける余裕はなかった。

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