第十話 千影、忍者を知る①

 結局、千影は忍者部に残り、下忍として忍者を続けることとなった。

だが、当初の目的、つばきたんの超プレミア写真集を手に入れるという目標を達成することは、一旦保留にすることにした。あの口の悪いつばめという忍者の正体がつばきたんだったという事実を、未だに千影の中でうまく消化できないでいたからだ。

とにもかくにも、千影は下忍になったわけで、伊賀組のリーダーである湊から忍びについて詳しく教わるため、この日もアジトに呼び出された。

 時刻は午前二時を回ったところ。

伊賀組のアジトには、覆面を外した忍び装束の湊と千影がちゃぶ台を挟んで向かい合って座っている。千影の斜め左後ろには、いつも通り、覆面で顔を隠したままの蛍が正座して待機していた。


「千影、お前は忍びについてどこまで知っている?」


湊が話し出すと、ちゃぶ台の上に立ててあるろうそくの火が揺らいだ。


「え、えぇと、確か……忍者はとにかく面倒ごとに巻き込まれないように逃げることが大事で、神様の言う通りに従って行動する……ってことくらいですかね……」


湊の突然の問いかけに、気が動転した千影は、後ろに控える蛍の顔を何度も振り返り見ながら、自信なげに言った。蛍は俯き額に手を当てて首を横に振った。


「まぁ、蛍から説明を受けた頃、お前はまだ下忍になる前だったしな。その程度の知識であるのは致し方ないことだ。だが、これからは話が違う。お前はもう立派な下忍。伊賀組の忍者の一員なんだ。

これから俺は、忍びについて及び忍びであるなら必ず知っておくべき知識をお前に教授するわけだが、俺の話を話半分で聞いていると、後々ひどい目にあうぞ。だから、俺の話は肝に銘じるように」


湊は咎めるように言ったので、千影はビクビクしながら何度も頷いた。


「は、はい。真面目に聞きます!」


湊は一度、蛍に視線を向けると、千影に戻して話し始めた。


「以前に蛍からも教えられたとは思うが、復習もかねてもう一度忍びの基本的な話から始めることとする。なお、これから話す忍びについての知識だが、教本など書物は一切ない。忍びにまつわる知識は門外不出、すべて口伝だ。

それから、俺は一度教えたことは二度と言わない。一言一句、逃さぬように聞き、その知識を頭と心に刻み込め」


千影は前のめりになると、湊の口から出てくる言葉一つ一つに全神経を集中させた。


「正心第一。忍びとは、天道に殉ずる者である。

天道とは、陰と陽の二つの気が、万物を巡る法則のこと。この法則が何者にも何事にも妨げられることなく、滞ることなく円滑に巡るように、忍びは全身全霊を捧げなければならない。

陰陽の二つの気を、忍びの前身である覡や巫女は“陰陽神”として崇め、神の声を聞き、それに従った。忍びに変化した今日でも、陰陽神に絶対的忠誠を尽くすことに変わりはない。

陰と陽の二神は互いに交合交感して、万物流転、この世の生きとし生けるものの魂を巡らせる。この世、つまり、陰陽神が創造した世界において“善”とされることとは、魂を消滅させることなく未来永劫巡り続けることである。

忍びは、常に陰陽神の声に耳を傾けながら、命をかけて陰陽の巡りを妨げる“悪”を排除する」


千影は今までほとんど使わなかった脳細胞をフル回転させて、湊の言葉の一言一句を必死に理解しようとした。

必死な顔して前のめりで話を聞く千影の様子を気にかけることなく、湊は淡々と話を続けた。


「では、この陰陽神の巡りを妨害する“悪”とは一体どのようなものであるのか?

それは、陰と陽の力によってこの世が生み出される以前まで、話は遡る。

この世が創造される前、それは天地未分の混沌たる状態であった。そこから陰と陽が生まれ出たわけだが、その時、もう一つ、陰陽と同様の気が生み出された。それは“闇”。

陰と陽は、“創り出す、生み出す力”であるが、闇の気は陰陽とは全く正反対の性質を持っていた。それは“破壊”する力である。

闇は、陰陽神が“善”とされる、魂の円滑な永遠の巡りを崩壊した。このように、陰陽と闇は、各々を存在たらしめる理が相容れないものであったため、陰陽神は闇との間に一線を引いた。

だが、もともとこの陰陽も闇も同根の混沌から生まれ出たもの。陰陽は、闇とは完全に縁を断ち切ることができなかった。なので、この世に陰陽神の使いである忍びが存在することからも分かるように、この陰陽の世には確かに闇が存在する。

では、どこに存在するのか?それは、他でもない、“人間の心”のみに存在する。

“傲慢”とは、この世の中で唯一、人間の心にのみ当てはまる言葉である。

では、傲慢とは何か?それは破壊、つまり闇の力につながるものである。

この傲慢を、生まれつき持ち合わせた存在が人間なのだ。

闇は心の“イド”、つまり、無意識の世界にある本能的エネルギーの源泉、無意識領域に潜むといわれている。

人心の奥底に潜む闇は、人間の傲慢な心によって力を増幅させる。そして、ブチ切れるなど、ひどく興奮すると、自我のストッパーが外れて、闇が欲にくっついて心の奥底からそのまま外界へと飛び出すのだ。

理性的な人間の心は、心の奥底で作り出される欲をいったん外界へ出して良いものなのかどうか、自我のフィルターにかけてから外界へと出す。しかし、自己中心的で傲慢な人間の心では、心の奥底に潜む闇の力が増幅して、それが欲にくっついて無理やり外界へ飛び出そうとするものだから、この世に悪をもたらす欲を外界へ漏らさない役目を担う自我のフィルターが壊れてしまうのだ。そして、ついには心の奥底の悪い欲と闇は、自我を通り越してそのまま外界へ飛び出し、その人間が無意識無自覚のうちに破壊行為に及んでしまう。

傲慢と闇は、破壊へのベクトルが同じである。人の傲慢さは破壊へとつながるというわけだ。

陰陽神が創造したこの世に生まれた人間は、この短い年月の間でずいぶんと傲慢になった。

自分の思い通りにならないと、やれ不平等だのやれ不公平だのと文句を言う。誰よりも自分が特別だと思っている。生命は自分たちで生み出していると思い込んでいる。年を取ることを嫌がり、いつまでも若くあろうと外見の手入れに余念がなく、心は全く熟成しない。生きることが嫌になれば、すぐに自殺する。生きたければ生き、死にたければ死ねばいいと思っている。死を忌み、生を祝う。生命の神秘を科学で洗いざらい明らかにしてやろうとする。科学で証明されたものだけを真実だと受け取り、証明されないものは虚とし、考えようともしない。本当は何も知らないのに、知った気でいる。普段の何気ない生活の流れに身を任せたままで、宇宙や万物の理などには気にも留めない。しかし、科学主義である一方、自己都合に合わせた奇跡を信じて神頼みをする。人間以外の生命体はすべて人間の手の内にあると思っている。

人間はこの世で最も優れた存在だと思っている。人間にとって生きやすい環境を作ることに夢中。

人間はどんどん傲慢になっていく。叶えられないものはないと思うようになる。自分の思い通りにならないのなら、その妨げとなる事物を排除してやればいいと思うようになる。

人間が傲慢になればなるほど、闇の力は増幅する。そして、闇の力にすっかり心を奪われてしまった人間は、自分や他人を顧みることなく破壊行為に及ぶ。

近年、奇怪な事件や醜い争いごとが多いのは、この闇の力がいよいよ手に負えなくなるほど膨大している証拠だ」


湊が“自殺”という言葉を口にした時、千影の心は少しチクリと痛んだ。

まるで自分が責められているような気がして、千影は何となく居心地が悪かった。

だが、湊は言葉を続ける。


「では、この人心にのみ存在する闇に対して、忍びは具体的に何をするのか?

何度も言うが、忍びはあくまで天道に殉じ、陰陽神の言葉にのみ従順である者。我々忍びの行動のすべては、陰陽神の御言葉のもとにある。そして、陰陽神が我々に下された命は、“魔王を討伐すること”。

この世に陰陽神が存在するように、闇の世にも魔王がいる。

魔王は千年に一度の周期でたった一人だけ、この陰陽の世に生まれ出る。

皮肉なことに、魔王はこの世がある限り輪廻転生する。そして、魔王は人間の姿でこの世に生まれる。魔王の魂を持つ人間である。なお、忍びはこの人間をヒトだと認識しない。人間の皮を被った魔物と認識する。

魔王の魂を持つ人間の心の闇は、一般的な人間の心の闇よりもずっと深く、ひとたびその者が理性を失えば、魔王の力が一気に外界へ放出され、この世のすべてが破壊される。

忍びはこの世に生まれ出た魔王の魂を根絶させることが、最終的な目的である。

魔王の魂は、普通の刃では消滅させることができない。

魔王の輪廻を断ち切るには、陰陽神の依代である“村雨丸”という神剣で立ち向かわなければならない。

ただし、この村雨丸、いついかなる時も使用して良いというものではない。

村雨丸を用いる時は、当然のことながら、陰陽神が剣に憑依してもらわなければならない。

しかしながら、陰陽の世が誕生して忍びの前身である覡や巫女が神の声に耳を傾け始めた時から今の今まで、陰陽神が我々に村雨丸の使用許可を下したことは一度もない。ふさわしい使い手がいなかったからであろう。

陰陽神が憑依していない村雨丸は、呪われた妖刀である。神の許可なく村雨丸に触れた者は、たちまち呪い殺された。

未だかつて陰陽神は村雨丸に憑依したことはなかったが、その代りに、神は巫女伝いに忍びへ教示した。

忍びは巫女伝いに陰陽神から“魔王がこの世に生まれる”というお告げを受けると、その魔王の子を腹に宿した母親ごと殺した。魔王の魂を孕ませた母体を消せば、その後千年は魔王覚醒を阻止することができる。

だが、この方法では、魔王の魂までは根絶することができず、千年のサイクルで魔王が再びこの世に生まれてきてしまうことになる。

魔王の魂を根絶させるには、魔王を直接、陰陽神の宿った村雨丸で斬らなければならないのだ」


ここまで話すと、湊は一度口を止めて茶を飲んだ。千影は顔を真っ青にしていた。


(なんだって?魔王をお腹に宿した母親を殺す?忍びの仕事は人殺しなのか?)


“殺す”という物騒な言葉を耳にしてから、千影は震えていた。

忍者なんて、ただの中二病の痛いごっこ遊びだという考えも、つばきたんの正体のこともごっそり頭から抜け落ちていた。

どうやら、忍者部はただの部活ではなかった。

湊は茶碗をちゃぶ台の上に静かに置くと、突然、突き刺すような鋭い目つきで千影の顔を見た。

千影は恐怖で今にもこの場から逃げ出してしまいたくなった。


「しかしながら……」


険しい顔とは裏腹に、話し始めた湊の声色はひどく落ち着いていて静かだった。


「俺たちが陰陽の世に生まれ出たこの時代。ついに、陰陽神から村雨丸の使い手を定めるお告げが出たのだ。その陰陽神がお定めになった村雨丸の使い手は……」湊がそう言いかけると、一度、千影の後ろにじっと待機している蛍の目を見た。それから、千影に向き直ると、きつい目元は幾分か緩んだ。


「それは、藤林千影。お前だ」


「は?お、俺?」


千影は自分の顔を自分で指をさしながら、何かの間違いではないのか?と、湊に訴えかけるように言った。しかし、湊は静かな顔をして千影を見ているだけだった。千影は慌てて後ろを振り返った。


「お、俺ってどういうこと?なんで?なんで俺?俺、そんな、陰陽神とか、ましてや、忍者の存在すらつい最近知ったというのに……」


蛍は千影のそばに近寄ると、落ち着かせるように千影の膝に手を置いた。


「それは、俺たちにも分からないんだ。村雨丸の使い手がお前である理由は、陰陽神しか知らないからな。しかし、千影でなくてはならない確固たる理由はきっとある。

それが何であるのか?

その答えは、お前が魔王と対峙した時、きっと分かるだろう」

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