第二話 千影のトラウマ②

 西町高校は、レベルがとても低いとは聞いていたが、やはりそれはそれなりのものであった。

まず、高校の玄関に入ると、さっそく、髪の色が金髪や青、赤、緑と、色とりどりの頭をした生徒たちが、鉄の棒を肩に担いだまま、だらしなくしゃがんでジュースを飲んでいた。

この生徒たちを見たとたん、背筋が凍った千影は、慌てて自分の新しい教室へと向かった。その途中にも、眉毛がない人たちが殴りあいのケンカをしていたり、ズボンがひざのところまで下がった人たちが、エロ本を堂々と広げて夢中で見ていたり、雑に染めて傷みまくった金髪男と茶髪女が人目もはばからず、イチャついていた。

やっとのことで教室の前までたどりついた千影は、教室の中へ逃げ込もうと、勢いよく教室のドアを開けた。そして、千影は愕然とした。

今日は入学式だというのに、制服を着ている者はほとんどいなかった。というより、元々の形をした制服をきている者がほとんどいなかったのだ。女子は皆、スカートをパンツが見えるところまで捲し上げて、髪の毛は明らかに不自然な色であった。そして皆、鏡を見て化粧をしたり、ホットアイロンで髪を巻いたりしている。男子はというと、ほとんど教室にはおらず、いるのは、正規の制服をきっちりと着た冴えない生徒が三人だけであった。


「おい、デブ、テメェ邪魔なんだよ!」


とつぜん、背後からケンカ腰の声が聞こえたので、千影は首をすくめて跳び上がった。千影は恐怖で震え上がりながら、後を振り向こうとしたとたん、何者かに両肩をつかまれ、ひっくり返された。


「おい、テメェ、どこの組のもんじゃあ!」


「見かけねぇ顔だなぁ。テメェ、まさか東町の刺客じゃねぇだろうなぁ」


廊下に仰向けに倒れた千影の目には、眉間にしわをよせ、あごをしゃくらせてすごみを利かせる、緑色と赤色のリーゼント頭の、まったく同じ顔をした双子のヤンキーが映っていた。


「い、いや、ま、待って下さい!組とか刺客とか、いったい何の話ですか?俺はただ、今日は入学式だから、ふつうに自分の教室へ来ただけなんです!」


千影がこう言うと、緑色の頭のヤンキーが千影の胸ぐらをつかんで、鼻と鼻がくっつくほど近くまで自分の顔に引き寄せ、睨みつけた。


「てめぇ、嘘ついてたら承知しねぇぞ!」


そういうと、緑頭は千影を突き飛ばした。そして、その時、千影のズボンのポケットから、財布が落ちてしまった。

それを二人のヤンキーは見逃さなかった。

赤い頭がそれを拾い上げると、断りもなしに開けて中を探りはじめた。


「あぁ!勝手に開けないでよ!お、お願いだから、俺の財布、返してよ!」


千影は財布を取り戻そうと、赤い頭の足元に飛びかかっていったが、足で蹴られてあっさりひっくり返されてしまった。


「おぉ!こいつ、なかなか持ってやがる」


赤い頭がそういうと、財布から二万円札を取り出してみせた。


「あぁ!そ、それはだめ!それは、ばぁちゃんからもらった大事な入学祝いなんだ!」


千影が涙声でそう訴えると、ヤンキー二人は互いを見合い、とたんにバカ笑いした。そして、ひとしきり笑うと、緑頭が急に改まったような顔をして千影の肩に手を置いた。


「これは、テメェが悪い。なぜなら、この西町高普通科は“銀狼ぎんろう”の島だからだ。そこにテメェがこんな大金持って来っからこうなっちまうんだよ。な?わかったか?おデブさん」


そういうと、緑頭はまた笑い出した。


「おい!キヨ!ちょっと、これ、見てみろよ!」


財布の小銭まですっかり取り上げた赤い頭が、また財布の中身を探って、一枚の写真を取り出した。


「あぁ!そ、それは!!!」


千影は慌てて立ち上がり、その写真をとり返そうとしたが、赤い頭が写真を持つ手を高くあげて、取られないようにすると、すばやく緑頭へ手渡した。そして、この写真をみた緑頭は不気味な引き笑いをした。


「きめぇ!こいつ、ドルオタだったんだな!」


それは、千影が命よりも大切にしていた、つばきたんの直筆サイン入りの超プレミアブロマイドであった。


「お願い!お金は全部あげるから、それだけは返してくれ!たっ、頼む!頼むから!」


千影は二人のヤンキーに向かって土下座をして頼み込んだ。


「そうかそうか、そんなに大事なものなんだな。わかった。それじゃあ……」


赤い頭が情けをかけるようにそう言ったので、千影は返してくれるのだと思って顔をあげた。

そして、絶句した。

なんと、赤い頭は、手に持っていたブロマイドをライターの火で炙ったのだ。


「ぎゃぁぁぁ!!!やめてぇぇぇ!!!」


千影の絶叫もむなしく、笑顔のつばきたんは、瞬く間に灰となって千影の目の前にパラパラと降った。


「テメェ、あんまり調子にのんなよ!」


「今日のところは、これくらいにしてやんよ!」


そういうと、空っぽになった財布を千影の頭に投げつけ、双子のヤンキーはどこかへ行ってしまった。

一瞬にして、何もかも失って絶望の淵に沈んだ千影は、自殺を決意し、無我夢中で屋上へ駆け上がって行ったのであった……。


 どう考えても、自分がこんなひどい目に遭い続けている大本の原因は、やはり“忍者”であると千影は腑に落ちた。

だが、今は、その大嫌いな忍者の部活に入って写真集を手に入れるのか、はたまた、命よりも大切なブロマイドと引けをとらないほどの価値がある写真集を目の前にしてあきらめるのか、その二つを天秤にかけて悶々と悩んでいた。

ほとばしる汗の中、夢中にサイリウムを振り回していると、千影の頭の中には、あるひとつの考えが思い浮かんだ。


(忍者部っていったって、しょせん、中二病の集う部だ。たとえ、そこに入部したとしても、中二病の遊び相手をしてやる一種のボランティア活動をしているつもりでいれば、そんなに苦ではないはずだ……。そうだ!病める人々の相手をするだけで、あの写真集が手に入るなら、こんなお易い御用があるか!)


千影は曲が終わったところで、ラジカセのスイッチを切った。


「そうだ!そうしよう!とりあえず、忍者部に入って、適当に蛍やほかの部員の相手をして、その隙に、あの写真集を頂いてしまおう!そして、徐々に部活へ行く回数を減らして、気がつけば幽霊部員になっちゃった!みたいな感じで部活を辞めればいっか!」


千影は額から汗をだらだらと垂らしながら、ニヤリと笑った。


「それならば、早速!」


千影はポケットを探ると、さきほど蛍からもらった銀色の笛をとりだした。しかし、すぐに疑問が浮かんだ。


「これを吹けばいつでも来るって、アイツは言ってたけど……」


千影は部屋の時計を見た。今はもう夜中の二時過ぎだ。


「まさか、こんな時間に来るわけないか……いやいやいや!何言ってるんだ俺!こんな小さな笛を吹いたって、俺は今、窓も戸も閉め切った自分の部屋にいるんだぞ。いくら耳のいい野良犬でも聞こえやしないよ!」


千影は笛をまたポケットへ戻そうとした。だが、また、その笛を口元まで持っていった。


(いや……まさかな……)


千影は、ありえないと思いつつも試しに笛を吹こうとしている自分が、なんとなく中二病っぽくて嫌だったが、それよりも、本当に来るのか?という好奇心の方が勝っていたので、思い切って笛を吹いてみた。


『ヒュ――――――』


笛の音は、ピーとかブーとか、はっきりした音ではなく、ただの筒に空気を吹き込んだような擦れた音であった。


「あれ?吹き方が違ったのかな?」


千影は片目をつぶって笛を部屋の蛍光灯にかざすと、笛の中を覗いてみた。

その時であった。

とつぜん、“宝物庫”の戸が、スーッと開いたのだ。


「うわぁぁぁぁぁぁ!」


あまりにも突然だったので、千影は笛を握りしめたままひっくり返った。


「決意は固まったか?」


宝物庫の中には、つばきたんコレクションの小さな棚の上に、つま先立ちのまま小さくしゃがみ、千影の顔をじっとみつめる黒い覆面姿の蛍がいた。

千影はしりもちをついた時にぐしゃりとつぶれて崩れたカップラーメンの容器の山をよけながら、慌ててその場に立ち上がった。


「あぁぁぁ!だめっ!だめだよ!そこ!そこから早く降りてくれよ!大事なつばきたんコレクションが詰まった宝の棚が壊れちゃうだろ!」


「あ?あぁ、悪い。しかし、千影、この部屋……足の踏み場がないぞ。こんなゴミ捨て場みたいな汚い部屋は初めて見た。ニオイもなかなか強烈だな……」


そうぶつぶつ言いながら、蛍は渋々、カップラーメンの空き容器が散乱する床へ、物音ひとつ立てずに飛び降りた。

千影は、自分の手のひらに乗っている銀色の笛と目の前に立っている蛍を、何度も交互に見ていた。


「千影、お前の心は決まったのか?」


蛍は覆面越しに鼻をつまみながら言った。


「え?」


蛍がとつぜん現れていきなりそう訊いたので、千影は、蛍にどこからどうやって宝物庫に入ったのかなど、いろいろ訊きたかったが、その疑問をゴクンと飲み込んだ。


「えぇっと……」


いざ大嫌いな忍者の格好をした者を目の前にすると、千影は返事に渋った。

すると、はっきりと意思表示をしないでうじうじしている千影の腕を、蛍はむずとつかんだ。


「とりあえず、お前の出した答えは直接、湊さんに言ってくれ」


そういうと、蛍はすばやく部屋の電気を消し、そして、ここ数年一度も開けたことがなかったホコリがたっぷり積もったカーテンを、両手で勢いよく開けた。部屋の中はまるで吹雪のようにホコリが舞い散った。


「ゲホゲホ、お前!こんな部屋にずっとこもっていたら、病気になるぞ!」


蛍は覆面の上から、さらに首に巻いていた黒い襟巻きで口元を押さえながら、窓を全開にした。ほこりをたっぷり含んだ淀んだ空気が、春の夜のひんやりとする外の世界へ解き放たれた。外には霞んだ朧月が、西の空にぼんやりと浮かんでいる。


「さぁ、急ぐぞ、千影」


そう言うと、蛍はひとっ飛びで窓下の庇へ降り立った。


「えぇ、またそんなところから降りるの?普通に玄関から外に出ようよ!」


すると、蛍は口元に人差し指をあてて千影を睨んだ。


「もう少し小さな声で話せ!それに、正面の門から出るのは危険だ。お前のばぁさんに見つかるかもしれない」

「正面の門って……それに、大丈夫だよ。うちのばぁちゃんは遅くても十時までには必ず寝てるし……それより、何でうちにばぁちゃんがいること知ってんだよ!」


千影がこう言って、部屋の中でもたもたしていると、蛍はむりやり千影の腕を引っぱって外へ引きずり出した。そして、庇の上で、千影の胸ぐらをつかんで自分の目の前に引き寄せた。

蛍の目は怒りで燃えていた。


「千影、これは遊びじゃないんだ。だから、アジトに着くまでは大人しく俺に従え」


蛍の鋭く光る目があまりにも恐ろしかったので、千影は身体を硬直させたまま頷いた。

そして、蛍がまた鉤縄を使って千影を下へ降ろすと、二人は早足で乾宮山を目指した。だが、家から走り出して一分もしないうちに、千影はすっかり息があがってひざも限界を迎えた。地べたに座り込む千影を見兼ねた蛍は、仕方がなく千影を背負って乾宮山へ急いだ。

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