第5話 二つを分つ一撃
「無理ッ!ホラー無理っ!」
人の形を取り、ドロドロと崩れそうな身体を引き摺りながらも確実にこちらへと歩いてくる影に対し、セツナはカレンを盾にするように身を隠した。
「だから言ったじゃん。ホントに行くのかって聞いたじゃん」
「だってもっとちゃんとした生物が出てくると思うじゃん?!」
「はぁ……」
とりあえず、このままではセツナに腕が引き千切られかねないカレンは銃口をその影に向けて一発、引き金を引いた。
その弾は寸分の違い無く影の眉間へと吸い込まれ、その頭をぐちゃりと弾けさせた。
「うわぁ、グロい」
どちゃりと落ちた身体は、セツナが薄目で見てるうちにボロボロと崩れて消えていった。
「動きは遅いから、サクッと通り抜けるよ」
「えぇ、行くの……?もう帰ろう?」
「帰るも何も。後ろ見てみ」
カレンに促され、何の疑問も持たずに後ろを向いたセツナは自身の行動を後悔した。
先程まで普通に通ってきた階段の壁から黒い腕が二本、三本と生え、次第にズルズルと身体が壁から這い出てきた。
「どうしよう帰れない?!」
「何時もはこんなに出てこないんだけどねぇ……何に吸い寄せられたんだか」
カレンはセツナの腕を掴み、後ろの影が完全に這い出る前に銃弾を二発撃ち込んで前方へと走った。
地下道はどこからエネルギーが供給されているのか分からない壁に埋め込まれたライトの微かな灯りによってその長い道を照らし、そして影も同時にその不気味な姿を映し出す。
「結構長いんだね」
「昔はここは地下鉄って言って、そこの道に電車が通ってたらしいよ。いくつも繋げて上も下も迷路みたいになった辺りから廃れてきたらしいけど」
「便利にするって難しいのね」
二人は時折雑談を混じえながら、広くなったり狭くなったりする道を走り、影を避けて時には躱しながら先へと進む。
すっかりと影に見慣れて彼らを邪魔くさいなとしか思ってない辺り、中々豪胆なセツナだが、彼らの攻撃によって自分自身もああなる可能性があるというカレンの忠告に彼女は気を引き締めた。
「あ、あそこから上がれる!」
セツナが指さした先には駅のホームのように広くなった空間と、上に続く階段。
少々遠回りはしたが、ようやくカレンが目指していた出口へとたどり着いた。
「やっと着いた……あそこが出口だよ。本当はここ、塔……ガーデンへの少しの近道だったんだけど、こんなに影が出てるなら地上と大して変わらなかったなぁ」
「あはは、その方が安全に行けたかもね」
二人は溜息も程々に出口のホームへと向かう。
だが、ホームへと足を踏み入れた途端、ビリビリとした嫌な感覚がカレンの背筋を通り抜けた。
「伏せろっ!!!」
カレンは突然の事に身体を硬直させるセツナの身体を引っ付かみ、前方へと身体を投げ出す。
その直後に背後で盛大に何かがぶつかる音が聞こえ、バラバラと壁が崩れ瓦礫が飛び散った。
ゴロゴロと地を転がった彼女達が顔を上げると、通路から見て死角である右端に、腕を異様に長く伸ばしているぶくぶくの肉達磨のような影が居た。
「何、あれ」
「異端児《イレギュラー》……!」
伸ばした腕の先は先程までセツナ達のいた通路真横の壁に突き刺さっていた。
肉達磨の大きな顔の周りには、吹出物のように人の頭の形の影がくっ付いており、その空虚な目が一斉に少女達の方へと向けられた途端、少女達二人はそのおぞましさに総毛立った。
「ァ、ン……オ、ァあ……」
赤ん坊のような声で呻きながら、伸ばした腕をスルスルと元に戻し、のっそりと腕と同じ様に細長い四本足で体を起き上がらせる。
素早く起き上がったカレンは両手に銃を構え、銃口をその影の頭へと向けた。
「殿は私がやる。セツナはその間に出口から走って逃げなさい」
「さ、さっきの奴らみたいに倒せないの……?」
「五分五分ってとこよね」
カレンと影の睨み合いの中、セツナの思考は迷いによって鈍る。
見ず知らずの自分を何のメリットも無くここまで一緒に着いてきてくれて、短い時間だとはいえ共に友のように過ごした仲のカレン。
そんな彼女を簡単に割り切って見捨てられるほど、セツナという少女の精神は出来ていなかった。
「置いてけないよ!」
「気持ちは嬉しいけど、足手纏いが居るよりかは遥かに戦いやすいわよ」
ニヤリと笑いながら皮肉を言うカレンはチラとセツナの方を見た後、直ぐに視線を影へと戻して声を上げた。
「さっさと逃げろ!」
カレンは叫ぶと同時に、二丁の銃のトリガーを同時に引いた。
放たれた二つの弾丸は影の右肩へと吸い込まれ、その肉片を飛び散らせた。
しかし、大穴は直ぐにぐちゃぐちゃと気味の悪い音を立てながら塞がってゆく。
「ごめんっ……」
その様を見届けることなく、セツナは階段に向けて走った。
本当は何か出来ることをしたいし二人で無事に逃げ切りたい。しかしセツナが何も出来ないのは事実であり、彼女はそれは理解している。
自身に出来る唯一のことは、カレンの足手纏いにならない事。
「こっち見ろデカブツ」
カレンはセツナが無事走り出した事に安堵しながら、彼女が無事に逃げ切れるようにヘイトをこちらへ向けさせる。
カレンは態と肉達磨―――仮称、稚児の影の前を横切るように走りながらその距離を詰めた。
「なっ……!」
しかし、稚児の影はカレンに見向きもせずにその腕を逃げるセツナへと向けた。
カレンは咄嗟に、影が伸ばす右腕の軌道を逸らすために左脚二本に数発撃ち込んで体勢を崩させる。
軌道の逸れた腕はセツナの頭上を通り、進行方向である入口の壁へとぶつかった。
「ヒィッ!?」
セツナは思わず足を止めて頭を屈める。
幸い、瓦礫で出口が塞がることは無かったが、影は追撃とばかりに壁を引っ掻きながらその腕を振り下ろした。
セツナは反射的に床を転がることでこれを避けたが、あと何度この回避が出来るのかはセツナ自身にも分からない。
ともすれば次の瞬間挽肉になっていることもありえない話ではない。セツナはそんな想像をしてしまって背筋を凍らせた。
「クソっ、
カレンは稚児の影の腕が伸びている内に、両手の中の先に刃を付与させる。
そして影の腕の方向へと力強く踏み込むと、身体を強引に捻り回転ノコギリのように突き進みその腕をズタズタに引き裂いた。
「ギィィ?!アアアアアアアアア!!!」
靴のグリップを頼りに無理矢理停止したカレンは、耳を劈く悲鳴に耳を抑えて顔を顰める。
失った腕をうぞうぞと再生させながらも痛みに暴れる稚児の影を見て、何とかダメージは与えられている様だとカレンはほくそ笑んだ。
「はぁ、はぁ……ふぅ。今の内、だよね」
対してセツナは肩で息をしながら、ゆっくりと起き上がり影とカレンの方を見る。
何だこの体力の無さは。
セツナに記憶は無いが、過去の自身の運動不足っぷりを呪った。
「セツナ、私がもう一度隙を作る。……絶対に、貴方だけでも逃がすから」
「出来れば二人で逃げたいかなぁ」
セツナの我儘にカレンは何も言わず、口角を上げるだけで答えた。
(さて、どうしたものか)
影を倒すには、大抵は頭を吹き飛ばせばそれで終わる。しかしあの稚児の影には頭が多く付いており、中心の肉達磨を本体だと断定するのは危険である。
切り刻もうにもあの再生速度では肉薄する分こちらが引き潰されかねない。
(大砲を使うにも……チャージタイムがある以上こちらが狙われても対処が出来ない)
かといってセツナを囮にする気など毛頭ない。
第一、何故かは分からないがあの影はセツナを執拗に狙う。やはりセツナを先に逃がすのが一番現実的であるとカレンは判断した。
(最悪、彼女を外に蹴り飛ばして私諸共埋めるか)
最悪を、絶望的展開をいつも想像しながらカレンは取捨選択をして次の方針を決める。
カレンは自身の甘い考えでこうなったのを自覚しているからこそ、自分も絆されてしまって油断したかと自嘲した。
セツナとカレンは目を合わせると、カレンが一つ頷いたのを合図に二人で同時に走り出す。
「ィギィィアアアアア!!!」
案の定、稚児の影は叫び声を上げながら再びセツナの方向へと体の向きを変える。
カレンはガラ空きとなった横から伸びて垂れた左腕を半ばから切り飛ばし、もう片方の銃剣で足を穿ち弾を撃ち込む。
「一歩も近づかせるかっての……!」
稚児の影は、踏み込むはずだった足が吹き飛んだ事で体勢を崩す。
「アアア?!」
カレンは横に倒れ込むように傾いた身体から横に位置をずらし、先程足を吹き飛ばした方の銃剣で更に脇腹を穿ち抉った。
片側ばかりに比重が偏った事で、稚児の影の巨体が更に傾く。
それも巨体故に上にあり、飛び上がれば隙にしかならず狙えなかった頭部に銃剣を突き刺せる程に。
「チャージ完了」
カレンは先程まで使っていた銃剣とは別、禍々しく光るもう片側の銃剣を稚児の影の頭に突き刺す。
「吹き飛べ!グリーフブラスト!」
カレンがトリガーを引くと共に、鮮やかな黄色をした光線が稚児の影の頭を吹き飛ばす。
確かな手応えを感じたカレンは、頭を吹き飛ばされた衝撃で後ろに倒れる巨体を見て、その瞳を安堵から驚愕へと変えた。
「こいつ……?!」
彼女、カレンに与えられた
それは彼女の祝福の由来。
かつて太陽神の抱いてはならぬ恋心により起こった悲劇。報われぬ運命を辿った水の精の嘆き。
(まさかこんなものが中に居るなんてね)
つまり彼女の一撃は二つのものを分つのだ。
結果として、稚児の影を撃った一撃は一つとなりつつあった二つのものを分離させた。
稚児本体と、稚児に取り込まれていた母体を。
頭が吹き飛び肉達磨の肉が消え、腹部の辺りから現れたのは稚児の身体に下半身が同化し、何本もの臍の緒によって繋がれた女性の上半身。
髪のようなものは長く垂れ、その奥から一つの大きな瞳がギョロリとカレンを見据えた。
「かはッ……」
メキリ、という嫌な音が腹部からした。
ピクリとも動かない稚児の影の腕だけが何本も蠢き、その一本がカレンの胴を打つ。
気づいた時にはカレンの体はいとも容易く吹き飛び、壁に叩きつけられていた。
「くそっ……」
一撃、たった一撃でカレンの身体は腕と足の骨が折れ、肋も折れ、内臓も恐らく潰れた。
霞む視界、冷えていく感覚、朦朧とした意識の中、カレンは後ろの様子の異変に気づきながらも、振り返らずに精一杯走るセツナの後ろ姿を見た。
「そう、それでいい……貴方は、今度こそ―――」
言葉にもならない声を無意識に発しながら、カレンは最後の力を振り絞って銃を出入口へと向ける。
稚児の母体の影はカレンを標的に変えた。
子の死体を引き摺りながら影が彼女の元へと向かう中、カレンはセツナが出入口の階段へと辿り着いたのを見届けた。
セツナが息も絶え絶えに後ろを振り向いた瞬間、カレンは銃の引き金を引く。
その一撃は出入口上部へと当たり、稚児の影の一撃により崩落寸前だったそこは今度こそ崩れ、瓦礫は入口を塞ぐ。
「カレン?!」
セツナの悲痛な叫びは、崩れる瓦礫の音によって掻き消された。
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