第4話 影
倒壊したまま斜めに聳える真っ白なビルの屋上にて紫の少女は膝を抱えて座り、呆けたように白い世界を俯瞰したまま黄昏ていた。
彼女の飛び出していった十二階建ての建物は、未だ彼女の後ろに静かに聳え立っているままに。
復讐心と激情の赴くままに飛び出したはいいものの、その感情が一事的なものであった為にその波が引いて改めて冷静になった彼女は、未だ感情の終着点を持たぬままに自分自身の行く宛を失っていた。
「はぁ……」
彼女の溜息は静かに空気に溶けて消えていく。
自分の行動に対する後悔と白衣の少女に対する態度による自己嫌悪との間で板挟みにされ、段々と陰鬱な感情が彼女の脳内をグルグルと回る。
「私ってどうしてこうなのかしら」
白衣の少女が問題に対して出来る限りを尽くしている事も、これがただの八つ当たりだという事も理解している。
ただ、彼女が素直になれない正確であるのと、思うようにいかない鬱憤が溜まり、元々謙虚な彼女がそれを発散する先がない事、その二つの要因が彼女の中で悪い方向に噛み合ってしまっていた。
それでも、いつまでもこうしている訳にもいかない彼女は、よっこいせと若干年寄り臭い言葉を漏らしながら立ち上がり、お尻の埃をポンポンと払う。
彼女は斜めになった屋上の低い方の縁に器用に立つと、それでも未だ地面との距離があるその場所から躊躇いなく軽やかに飛び降りた。
重力に従い落下していく彼女は、ドレスのフリルスカートをはためかせながら地面に突き刺さった白い物体にヒールブーツの底を向ける。
槍のような棒状の物体はその半ばで折れており、足一つ分の足場が辛うじて存在していた。
紫の少女はその足場に寸分の狂いなく着地すると、その勢いを膝の屈伸で上手く殺しながらもう一度踊るように跳んだ。
蝶のようにふわりと宙に舞い、再びゆっくりと落下した少女は二度目の着地を華麗に決める。
「……よしっ。カンペキな着地だわ」
ふふんと得意げに鼻を鳴らした紫の少女には既に先程までの憂いは無く、気持ちを切り替えた彼女は脳内で今後の予定を簡単に立てた。
「とりあえず今は情報の収集が最優先よね……そうだ、彼奴の所にでも行こうかしら」
ふと彼女の頭に思い浮かんだのは、いつも気に入らない笑顔を浮かべていた一人の少年の姿。
その人物が今何処にいるのかは分からないが、大凡の場所を回ってればいつか見つかるだろうと彼女は考えていた。随分な楽観視である。
彼女は周りをぐるりと見回して方角を割り出すと、目的地であるその場所に向けて歩き出す。
この世界は太陽も無ければ当然ながら地図もないが、大小様々に妙な形の建築物が点在している為に、覚えてしまえば道に迷うことも無かった。
紫の少女はその場所に向かおうとして、やり忘れていた事を思い出して足を止めた。
少女は首にかけられたネックレスを外し、チェーンを通されていた指輪を取る。そして左手を目線の高さまで上げ、薬指に指輪を嵌めた。
彼女は指に嵌められた指輪がキラキラと光るのを見て一つ微笑むと、右手を胸に抱き目を閉じる。
「これでよし」
しばらくして、祈りを終えた少女は満足気に目を開き、再び目的地に向けて歩き出した。
◇
所変わって。カレンとセツナは先程とはまた別の建物の合間を通りながら、目的である塔へと向かっていた。
ここに至るまで恐らく二日か三日程かかったんじゃないだろうかと、セツナは昼夜のよく分からないこの世界で何とか体内時計で経過時間を出した。
そんな二人が黙々と歩いている中、セツナが不意にカレンに疑問を投げかける。
「ずっと気になってたんだけどさ」
問いを掛けられた隣のカレンが視線だけをセツナに寄越し、短く応答する。
「何?」
「この世界って生き物居ないの?」
生き物。生物。クリーチャー。
セツナは目覚めてから今まで自身とカレン以外の生物を見ていなかった。
知識としては知っているのだ。それを実際に見た記憶や思い出を覚えている訳では無いが。
そんな純粋な疑問に対してカレンは立ち止まり、目線を中空に彷徨わせながら、あー……と唸った。
「こんな世界だからなぁ……居るには居るんだけど、アレを生き物とは言わないというかなんというか……いや言わないわねナイナイ」
珍しく歯切れの悪い中途半端な返答をして挙句自己完結までし始めたカレンに、セツナは首を傾げる。
「なに、そんな訳わかんないのが居るの?」
「まぁ、うん。居るんだけど……見てみる?」
勿体ぶるような含みを持たせた言い方に、セツナの中の好奇心が顔を出し、それは不安を上回った。
「見たい!」
「ホントに?警告したよ?」
「だって気になるし」
そんなセツナの様子に溜息を吐きながらカレンは付いてきてとだけセツナに伝え、方向を変えて進んで行く。
塔から少し逸れた方向に歩いた先に、ゲートのようなものと、その下へと続く階段があった。
「地下なんてあったんだ」
「ここからは私から離れないでね……
セツナに離れないよう言ったカレンは、単語を二つ呟いて前に突き出した右手を開く。
すると、白く光る何かが右手に集まり、次の瞬間には禍々しい色合いの銃がその手に握られていた。
「何それカッコイイ……!」
その銃に顔を近づけ、目を輝かせながら興奮するセツナにカレンは呆れたような顔を向ける。
「物珍しそうに見てるけど、こんなの
「ガー、デン……?」
聞き慣れない単語に首を傾げるセツナを見て、カレンはしまったとバツの悪い表情を浮かべた。
「そういえば記憶喪失だったね……ごめんなさい」
「んーん、大丈夫だよ。だって覚えてないし」
「……そっか」
悲観せずにあっけらかんと言ってのけたセツナに少しだけ悲観の表情を浮かべたカレンだったが、直ぐに表情は優しい笑みへと変わった。
「ガーデンってのはね、私達が今向かおうとしているあの塔の事よ」
カレンはポツリと話し始めた。
地下へと続く階段をゆったりとしたペースで降りながら、カレンが話す言葉をセツナは黙って聞きながら付いて行く。
「世界がこうなる前はね、あそこで沢山の少年少女達が大人達と暮らしてた」
「へぇー、学校みたいな感じ?」
「学校……と言えなくもないかな。一般常識は勿論、この力の扱いや、これから会う
ゴツい銃を片手で器用にクルクルと回しながら、カレンは階段を下りていく。セツナはカレンの隣に並び、じっと顔を見つめながら口を開く。
「なんだか楽しそうな場所ね」
「何でそう思う訳?」
「だって、楽しそうな顔をしてるんだもの」
セツナにそう言われ、カレンは確かめるように咄嗟に自身の顔を触った。
「アレでも楽しかっただなんて……絶望的ね」
「わぁ……!カレンちゃんのほっぺた柔らかっ」
「ちょっ、やめなさいよ!」
階段を降り切った所で、不意にセツナの片手がカレンへと伸び、モチモチとその頬を触る。
すると、反撃とばかりにその感触を楽しむセツナの手首を掴んだカレンがセツナにずいと詰め寄った。
セツナはゆっくりと後ろに後退るが、直ぐに壁に追い詰められる。
「ちょっとカレンちゃん?!」
「……ふふふ」
「あの、えっと、顔近い……」
顔を近づけまじまじと目を合わせるカレンに耐え切れず、セツナが顔を赤らめ始めた。
その時、奥から異様な雰囲気を感じ、二人は通路の奥へと顔を向けた。
「何……今の」
「こんなふざけてる場合じゃなかった」
直ぐに真面目な顔へと変わったカレンはセツナの手首をパッと離し、銃を構える。
「来るよ、セツナ」
「来るって何が」
「この世界で私達以外に唯一のイキモノ」
僅かに照らされる薄暗い通路の奥から、ずるりとシミ出す何かの影、というよりは影そのもの。
「ォ……ア……」
「
「どこが?!」
セツナのツッコミに反応した影がこちらを向き、その目がセツナの目と合う。
彼女は咄嗟にカレンの手首を強く掴む。
「ちょっと、どんだけ強く掴むのよ……」
「ヒィッ?!」
地下道に涙目のセツナの悲鳴が響き渡った。
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