第2話 紫少女の出立
「……ここは」
「ようやく起きたか」
簡素な真白のベッドに横たわっていた紫の少女は不意に、それでいてゆっくりと目を覚ます。
彼女は首に掛けられた指輪を通したネックレスの存在を確認すると、上半身だけ起き上がらせた。
先ず視界に入ったのは無機質な白い天井、鼻に届くのは紙とインクの匂いと、何かの薬品が複雑に混ざり合った独特な匂い。
そして仄かに混ざる甘い花の香り。
物の多い部屋は物が多いなりに特殊な整理整頓の仕方がされており、少女にはそこに住む人間の性格が現れている気がした。
つまるところ本人の中では場所が決まっていて、本人だけは場所が分かっているというアレである。
紫の少女は自分が何処にいるのか知覚し、自身の今の感情と逆らうように感じた懐かしさに彼女は自分自身に対して吐き気を感じた。
ゆっくりと体を起こし、声をした方に顔を向ければ、案の定見覚えのあるサイズの合わぬ白衣を着た小柄な少女が背もたれの着いた回転椅子に座るいつもの姿が目に映り、紫の少女は僅かに顔を顰める。
はだけた病衣を着直してから素足を床に下ろせば、足裏に感じるのはヒヤリとした鉄筋コンクリートの無機質な冷たさであった。
「……あれからどうなったの」
「飛ばされたよ、ものの見事にね」
「そう」
窓の外を覗けば、広がるのは一面の白い景色。
キラキラと降り積もる純白を忌々しそうに睨みつけた紫の少女は、正面に向き直り白衣の少女にそのまま変わらず鋭い視線を向ける。
「そんな目をするなよ」
「良くもそんなぬけぬけと……!」
睨む視線を平然と受け肩を竦める白衣の少女に紫の少女は憤慨したが、直ぐにそれが無駄な事と悟った彼女は感情を抑え、努めて冷静である様に装う。
踵を返した紫の少女は扉の前に揃えてある自身の靴とその横に置かれた丁寧に畳まれた服、そして壁に立てかけられたアメジストのような輝きの直剣を見つけると、それらを手に持ち直様ベッドの周りのカーテンを引いてその内側へと入った。
カーテンの向こうから静かな衣擦れの音が響く中、紫の少女が不意に口を開く。
「貴女、どこまで見えているの」
「何も見えちゃいないさ」
「嘘ね」
「ホントさ。私は期待する事しか出来ないからね」
たった一文程度の短い言葉のやり取りだったが、そこに何処までの意味を、意義を、感情を、含みを持たされているのか。それは互いに互いの言葉にしか、その真意を知る者は居なかった。
閉じたカーテンが開かれると、病衣から衣装を変えて妖艶な紫のドレスに身を包んだ少女が現れた。
白衣の少女はその姿を一瞥すると、今度は顔を上げて彼女と真っ直ぐに目を合わせ、そして困った様に笑った。
「何処へ行くつもりだい?」
「分かりきった事を聞かないで」
紫の少女はそう冷たく言い放つと、ヒールブーツとコンクリートの固い音を響かせながら今度こそ外へと続く唯一の扉から外へ出て行った。
部屋には耳が痛いほどの静寂が訪れ、閉まる扉をしばらく静かに眺めていた白衣の少女は、一つ重い息を吐くと回転椅子に座ったまま天井を見上げた。
「……さて、今度は何処で間違ったかな」
白衣の少女は椅子から小さく飛び降りると、隣の部屋へと通ずる扉の奥へと静かに消えていった。
◇
全てが白に染まった世界にて歩みを進めていた白と黄色の二人の少女は、壁と屋根が辛うじてあるだけの建物の残骸にて瓦礫の上に座り、少しの休息を取っていた。
外は相変わらずの狂おしい程に白い景色が続いており、少しでもそれを考えるだけで気が遠くなってしまいそうだったが、それでも隣にいる黄色の少女―――カレンが居るだけでセツナは精神的に救われていた。
もし彼女と出会っていなければ、この代わり映えのしない純白の景色を前にセツナはきっと何処かでポッキリと挫折していたような気がした。
……それでもどうせ塔に向かって歩くしかないんだろうけど。と彼女は心の中で付け足しておく。
「セツナはさ」
唐突に、隣のカレンが口を開いた。
「どうしてあの塔を目指すわけ?」
そう聞かれたセツナは少し悩むような素振りをしてから、既に結論の出ていた漠然とした答を返す。
「……さぁ?」
カレンの唐突な問に対して、セツナはそう答えるしか無かった。何故なら彼女には行動の動機となる中身が無いのだから。
彼女は自身には記憶が無いという事実を改めて再確認する形となった。
そして、そういえばカレンには記憶喪失の事を話してなかったとセツナは今更ながらに気づく。
「私には記憶が無いの。覚えていたのは名前だけ」
「記憶喪失ってやつ?」
「そう、それ」
初めて聞かされる事実をあっけらかんと話されたカレンは数秒間固まった。それを見たセツナは、あはは……と苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
何とか記憶喪失という事実を飲み込み再起動したカレンは、尚更深まった疑問を再度口にした。
「じゃあ尚更よ。記憶が無いのに、何故あの塔を目指すの?」
「直感かなぁ……目が覚めた時に何も覚えてなくて、何も分からなくて、でもあの塔を見た時に何となくだけど行かなきゃいけないって感じたの。まぁ、他に目的も何も無いしそれしかやることが無いだけなんだけどね」
あははと笑いながらそう平然と言ってのける彼女に対し、カレンは良くもまぁぬけぬけとと呆れた。
宙ぶらりに会話が途切れた所で今度は私、とセツナがカレンに質問を投げかけた。
「カレンちゃんはこれまで何をしてたの?」
「それはつまり……いや、何でもないわ。これまでというのは貴方と出会う以前って事よね?」
「うん、そう」
セツナは、カレンの独特の言い回しに首を傾げつつもその言葉に肯定する。それを見たカレンはうーんと少し唸ってからポツポツと語り出した。
「そうねぇ……最初は閉じ籠っていたわ。だって気付いたら外が真っ白なんだもの」
「最初って、どれくらい前?」
「朝?に起きた回数を線で書いていたから……どれくらいだったかしら。でもそれなりに線が書かれてた気がするんだけど」
「こうなってからそんなに経ってたの……?」
それを聞いた途端、セツナの頭に太く鋭い針で突き刺されたような痛みが走った。
咄嗟に痛む頭を抑えると、刺すような痛みは次第にゴリゴリと殴られるような鈍痛へと変わる。
この痛みは。とセツナは鈴蘭の花畑で自身の名前を思い出した時と同じ痛みであることに気づいた。
「……っ!」
何か思い出せそうで思い出せない。届きそうで届かないもどかしさに歯痒さを感じながら、セツナは更に思考の海へと沈む。
―――私が眠っている間、既に世界は白かった?
いいえ、いいえ、そんなハズは。
だってあの時にワタシは。
思考の沼、混濁した意識の狭間にて、私は何かに手を伸ばしかけて。そして。
「――ちょっと?!セツナ!大丈夫?!」
「……ふぇ?」
深い深い底から戻った時に視界に入ったのは、キラキラと不安気に揺れる黄色の瞳。
心配そうにセツナの顔を覗き込むカレンは、セツナの視界のピントが此方と合った事に安堵し一つ息を吐いた。
「全く、急に固まって黙り込むからビックリしたわよ……大丈夫なの?」
「う、うん。大丈夫。何か思い出せそうだったんだけど……やっぱり駄目みたい」
花が萎れるように落ち込むセツナを見て、カレンは少しだけ逡巡してから口を開く。
「大丈夫、きっと思い出せるわよ」
「……だといいな。ありがとね、カレンちゃん」
セツナの顔に明るさが戻り、彼女が微笑みと共に感謝を述べると、それを見たカレンはフイとセッカから顔を背けてしまった。
セツナはカレンが照れているのだと解釈して、それが可笑しく思えてしまってフフフと笑った。
「な、何が可笑しいのよ!」
「なんでもなーい!」
笑うセツナを捕まえようとカレンが手を伸ばしたが、既の所で彼女はそれを器用に躱す。
カレンの手が空を切り、変な体制になってしまった彼女は悔しそうにぐぬぬと唸り、歯軋りをした。
「そろそろ行くよー!置いてくよー!」
「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
躱した勢いそのままに、軽やかな足取りで先へ進んで行くセツナに置いて行かれそうになったカレンは、慌てて彼女の後を追った。
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