ホワイトアウトフラワーズ

樒キョウカ

第1話 これは記念すべき百回目の目覚め

 朧気な意識の中で私は不意に目を覚ました。


『―――!』


 徐々に覚醒していくワタシの意識と逆行した私の境界は少しずつ歪み、あやふやになって溶け、そのまま何かに優しく引きずり込まれていく。


 そこは暗く、それは黒く、どこまでも深く深く。


『―――、――カ!』


 これは夢であり、現実であり。


 冷静な思考に反して体はピクリとも動かない。

 何故か胸がとても苦しく、頭は鉛のように重く、それでいてふわふわと雲の中のような心地良さ。


 不思議な気分だった。


 意識と肉体が分離している。正確ではないけれど、感覚的にはその表現が一番近いだろう。

 訳は分からなかったが、嫌な気分では無かった。


 このまま安らかに眠ってしまおう。

 身を委ねたまま奥底に沈んでしまおう。


『リ―――』


 誰かが私の名を呼び泣き叫ぶ。

 微かに聞こえるその慟哭に答えようとしながらも、私は再び抗えぬ眠りに襲われた。


「っ……!」


 酷く懐かしい幻想を見た。


 私が声に出そうとした言葉は結局、音にはならずに伝わらないまま消えていった。

 あぁ、と私はそこで自身の限界を悟った。


 これは私達が背負い贖うべき罪咎。

 どうしようもない、過去の私への懺悔。

 それでも、ワタシとの意識が閉じてしまうその前に、一つだけ願ってもいいのなら。















 再び、貴方に幸せが訪れますように。









 ◇







 誰かの声で目が覚めた。


 私は身体を起こして辺りを見回すが、私の視界は一人として声を発したであろう人間の姿を見つけることは出来なかった。

 それよりも、この光景の方に意識を取られた。


 周囲一帯、辺り一面その全てが一つの花で埋め尽くされた幻想的な場所。

 真白の鈴蘭が咲き誇る花園の中心に私は居た。


 いつから?何故?どうして?


 疑問符が脳内に乱舞するが、どうにか思い出そうとしても一向に何も思い出せない事に気づく。


 ……何も?


 おかしい、何一つ覚えていない。

 私は誰?私は、ワタシは。


「……?!」


 再び必死に思い出そうとして、ズキリと頭を刺すような痛みが一瞬だけ走り私は呻き顔を顰める。

 痛み自体は直ぐに引き、代わりに私の脳内に私のものであろう記憶を置いていった。


「セツナ」


 そうだ、私はセツナだ。

 他には……駄目だ、何も思い出せない。


 これからどうしようと私は立ち上がる。

 一つ伸びをして、私はぐるりと今度は遠くの景色に重点を置いて周りを見渡す。

 すると薄らとだが、遠くに背の高い建物が見えた。

 まるで塔のようなそれは、姿がぼやけていてどんな塔かという部分は判然としなかったが、背の高い大きな建物という事だけは分かった。


 そして、私はあの建物を知っている気がした。


 私は取り敢えず、今後の行動指針として塔の見える方向へと進む事にした。

 少し歩いてみて気付いたが、この世界は随分とおかしい。

 大した記憶もない私が言うのもアレだが、それにしたって視界に映るその全てが白すぎるのは異常だというぐらいは私にだって分かる。


 空も白い。地面も白い。

 さっき見た鈴蘭だって、茎や葉が普通は緑である事は覚えていた私だが、あれは緑と言っても限りなく白に近い薄緑の色をしていた。

 というか今頃気付いたが、私まで白い。

 服装は白いワンピースのようなドレスに白のニーソックス、靴は白のローヒール。腰まで伸びた髪も白。


「何だか頭がおかしくなりそう……」


 もしや、私の全身も目や口や血まで白いのではないか。なんていう不気味な想像を思い浮かべて、思わず足を止めてしまった。

 落ち着いて自身の腕を見てみれば、白くはあれどそれはまだ常識の範囲内での色白であり、少し抓ってみればその箇所はちゃんと赤くなったのを見て、私は安堵の息を吐いて再び歩みを進めた。



 ◇



 もう一時間ほどは歩いただろうか?

 私の手元には時計等の時を計るものがない上に、空は相変わらず白い為に太陽の傾きや明るさによる時間の経過も分からない。


 だが、周囲の景色は最初とは随分と違うものに変わったお陰で、私に精神的な疲れが生まれることも無かった。

 と言っても、相変わらず白くはあるのだが。


 因みに道中で鏡のような破片が地面に突き刺さっていたので、さっきの懸念を振り払うために自身の姿を見てみた。

 肌は白いが眼は碧く、舌は赤い。


 人知れず安堵のため息をついたのは秘密である。




「結構歩いたなぁ」


 私はいつの間にか随分と歩いたようで、最初の鈴蘭の花畑から段々と岩肌が見える様な場所、そこから大きなナニカが数本地面に突き刺さった場所、そこから更に人工的に作られたであろう形の拳大の破片が散らばるような場所へと景色を移ろわせながら移動していた。


 私は試しに屈んでその破片を手に取ってみる。


 少しひんやりとしたその破片には、真っ直ぐな辺と平らな面があった。

 何か四角い物体の欠片だろうか。何にせよ、文明の名残を見つけた事は大きな一歩だ。

 私は満足気にその欠片を元の場所に戻す。


 次に手に取った破片にはカーブがあった。少々歪だが、これは円柱状の物体の破片だろう。

 これは先程の破片とは違ってひんやりせず、そして持った感じ少々脆い。


 ……壊さないようにしよう。

 私は何となくそう思った。


 円柱の破片をそっと元の場所に下ろし、今度はずっと気になっていた地面に積もったものに触れた。


 鈴蘭の花畑を抜けてから徐々に現れ、ここまでずっと積もっていた白い粒。

 積もった場所を足で踏めばサクリと子気味いい音を奏でるこの粒は、キラキラとまるで雪のよう。


「……」


 触れてみて冷たさが無い、というか先程から寒さを特に感じないのでこれが雪ではない事は薄々気づいていたが、それが確信に変わって少し落胆した。


 気分が下がり少し落ち着いた為に、急激に感じる現実感と人恋しさ。

 別に人でなくてもいいのだ。

 動いているものを見たい。生き物の姿が見たい、音でもいい、匂いでもいい。人の痕跡は無いのか。

 だが、現実は無情にも殺風景な白の世界をただ淡々と広げるばかり。


 私は一つ溜息を吐いた。



 ◇



 先程の場所からもう暫く歩くと、拳大だった破片が大きくなっていき、次第に形を成してきた。


 家だったものや、塀だったもの。

 謎のとても長い円柱。

 葉のついていない枝の折れた樹木。


 何となく樹木を軽く叩いてみるとコツンと石のような音がして、私は首を傾げた。


 樹木の精巧なオブジェ……なんの為に。


 考えても分からない事を考えるのはやめた。

 コレが天才と言われる人達の何らかの考えで作られたものだと思えば、まぁ意味が分からなくてもしょうがないかなと納得した。


 気を取り直して、再び塔を目指して進む。


 進む度にある精巧な謎のオブジェ。

 壁が崩れ意味を成さぬ建造物。

 破壊されながらも、ただ長く続く道。

 全部白い。白い、白、白、白、白、しろ、シロ、しろ、白、白、黄、しろ、白、シロ、白―――


 ……ちょっと待て。


「黄色……!」


 私は思わず声を出した。


 少し遠くの方。

 少々開けた場所には白い摩訶不思議な形のオブジェが半壊全壊含めて複数あり、その中の一つに混じった黄色は非常に目立っていた。


 近づいてみれば、目立っていた綺麗な黄色はセミロングのくせっ毛で。

 恐らく自分と同い年ぐらいの少女が謎のオブジェに膝を抱えて座り、ただ空を見上げていた。


「ふあっ、あのっ……!」


 私は勇気を出して少女に話しかける。

 出した声はヘナヘナな上に随分と上擦り、羞恥心で挙動不審に両手をソワソワさせてしまった。


 私的に気まずい空気が流れる事、数秒。


 無言で空を見上げていた少女は、ゆっくりとこちらに胡乱な目をした顔を向けた。

 そして蕾のような愛らしい口を開いて一言。


「キョドりすぎじゃない?」

「……〜〜〜ッ!!!」


 私は彼女と同じ速度でゆっくりと、白から真っ赤になっているであろう火照った顔を両手で隠して、天を仰ぎ悶絶した。


「だっ、だってヒトと話すの久しぶりなのよ!」

「ふーん……それは絶望的ね」


 黄色い髪の少女はオブジェに腰掛けたままこちらに体を向けて、少し上から私を見下ろす。


「それで、私に何の用?」

「用って訳じゃないんだけど……」

「ふふっ、冗談よ」


 戸惑う私を見て楽しそうに笑う少女は、腰掛けていたオブジェからふわりと飛び降りて、私の目の前へと着地した。


「私はカレンデュラ。カレンでいい」

「あっ、えっと、私はセツナ。よろしくね」


 私の碧い瞳とカレンの金色の瞳が交差すると、彼女はそう言ってニコリと微笑む。

 私はようやっと意思疎通のできる相手が出来た事に心底安堵し、そして迂闊にも浮き足立った。

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