第5話 執事になりたくない
エラーブルの屋敷にて。
ラパンは今にも泣きそうになりながら、震える声でエラーブルに声を掛けた。
「エラーブルお嬢様。ご質問宜しいでしょうか?」
「構いません」
「どうして」
プルプル震えるラパンが着ているのは、いつもの冒険者としての服ではなく、
「どうして私は執事なんてやっているのでしょうか!?」
皺無く裾の長さもピッタリな燕尾服であった。
「言葉に気を付けてくださいませ? 躾けますわよ?」
「はい……」
控えていたアデライドからの刃物のような視線に、ラパンは意気消沈してしまう。
どうしてこんなことになったのか。
それは遡ること一日。
ドラゴン退治から一週間が経った天気の良い朝であった。
屋敷の表を箒で掃除したいたメイドの元へ、泣きべそをかいた一羽のウサギが泣きついてきたのだ。
「匿ってくださいぃ」
「随分と情けない面構えですわねぇ。首輪を付けて宜しいかしら?」
「やだぁあああ」
嗜虐趣味満載の返答に、脱兎のごとく逃げ出しそうになるラパン。
ただ、珍しいことにそのまま踏み止まって、天敵であるアデライドに助けを乞う。
悲痛な面持ちで語るのは、ここ数日で彼の周囲で起こった出来事だ。
「ギルドでは英雄だなんだって祭り上げられて、国の使者やらなにやら勧誘が家にまで来る始末で」
「ドラゴンを倒せばそうなりますわよねぇ」
地べたを這いずる勢いで情けない姿を晒す男ではあるが、これでもS級冒険者である。
なにより、今回のドラゴン退治は討伐前から街全体を巻き込んだ大騒動となっていた。放置すれば、その被害はモストルに留まらず、国全体に及んだだろう。
そのせいか、噂の広がりは早く、元凶たるドラゴンを退治したラパンに様々な人間が訪れたことは想像に難くない。
「実物はこんなにも情けない男ですのに」
「情けなくごめんなさいぃ」
泣いて女に縋る十代前半かのように幼い姿をした少年を、アデライドは呆れたように見下ろす。
しばらく考える仕草を見せたアデライドは、良いことを思い付いたのか、口角を上げる。その笑顔は邪悪であったが、いっぱいいっぱいのラパンは気が付かない。
「ふふ。分かりました。ほとぼりが冷めるまで、手を貸してあげますわ」
「本当ですか!」
「ええ。ただし」
あたかも聖女が如く、穢れのない満面の笑顔でアデライドは告げる。
「貴方には私の下僕となっていただきますわ」
「……お世話になりました」
「帰すとお思いで?」
「いやぁあああああああああああっ!?」
蛇の縄張りに自ら訪れた哀れなウサギは、ズルズルと巣の中へと引きずられていった。
――
多くの使用人が行き来する厨房で涙をとめどなく流しながら、ラパンは銀製のフォークを磨いていた。
「うぅ、なんでこんなことに」
「遅い! もっと手際よく! 手垢の付いた食器をエラーブルお嬢様に使わせるんですの!?」
「ごめんなさいぃ」
「謝る暇があれば手を動かしなさい!」
「はいぃ」
覚束ない手付きのラパンとは違い、隣で手際良く次々と銀食器を磨いていくアデライドから怒号が飛ぶ。
えうえうと嗚咽を漏らしながらも、アデライドの見様見真似で作業を進める。
「そもそも私入ります? 使用人一杯いるじゃないですか?」
調理場には数人の使用人たちがせっせと働いていた。
ここだけではなく、屋敷内では清掃や洗濯に励む使用人もいる。
今日、ラパンが目にしただけでも十人は居ただろう。
「こんなに居たんですか? お屋敷でお世話になった時も、アデライドさんしか見たことありませんでしたけど」
「使用人とは影に徹するお仕事ですわ。姿を見せずに主を手助けするのが理想ですのよ?」
「つまり、姿を見せるアデライドさんは半人前?」
調理場に緊張が走った。青褪めながらも、そそくさと姿を消す使用人たち。
まるで面白いというように、くくっと笑いを零したアデライドは笑顔を浮かべた。ただし、額には青筋が浮かび上がっている。
「本日の夕食はシチューにいたしますわ――ウサギの」
「食べないで!?」
――
日が暮れ、エラーブルの帰宅後。
執事になった経緯を説明した疲れ切っているラパンに、エラーブルは呆れた視線を向ける。
「どうして私に相談しなかったのですか?」
「ギルド行けないから。でも、お屋敷にもいないし」
「私が捕まえました」
誉るようにアデライドは胸を張る。
どうやら、最初はエラーブルに匿ってもらおうとしたが、行けば騒ぎになるだろうギルドを避け、一縷の希望で早朝、エラーブルの屋敷を訪れたようだ。
……舌をチロチロと伸ばした捕食者がいるとも知らずに。
「紅茶でございます」
べそをかきながらも、ラパンはなんだかんだと仕事は行う。
居間のソファーに座る屋敷の主に、湯気の立つ紅茶をお出しする。
その際、小さくカチャリと音が鳴った。
エラーブルが蒼の瞳を細める。
「カップを置く時は音を立てないようにしてください」
「はい。申し訳ございません、エラーブルさん」
アデライドが目ざとく指摘する。
「エラーブルお嬢様です。次、間違えたら挽肉にしますよ?」
「ハンバーグはいやぁあああ!」
こんがり焼き上げられたウサギ肉のハンバーグを想像して震えるラパンを眺めながら、エラーブルは彼が用意してくれた紅茶を飲み……顔をしかめさせる。
「……不味いですね」
「そ、そんなですか?」
「ポットは温めましたか? カップは? 茶葉はジャンピングさせましたか? 最後の一滴まで注ぎ切りましたか?」
「意味が、わかりません」
「落第です。アデライド、再教育をお願いします」
「かしこまりました」
「そもそも教わってないのにぃ」
紅茶の淹れ方など知らないラパンに紅茶を淹れろと命令されればこうなるのは自明の理だ。
上司の教育不足を叱られるならともかく、通常の新人であればまずこの状況にはならない。
「ちょっと楽しいですね」
「お喜び頂けたようで、なによりでございます」
機嫌の良いご主人様に、仕えるメイドも嬉しそうだ。
主の気に入るラパン《おもちゃ》が手に入って良かったと、アデライドは思うのであった。
――
ラパンを弄って楽しんでいたエラーブルだが、根本的に面倒見の良い性格をしている。
連日アデライドにしごかれ、エラーブルにおもちゃにされて疲労困憊のラパン《ボロ雑巾》を見兼ねて、居間で休憩をさせていた。
居間にいるのはエラーブルとラパンだけ。アデライドは自身の目で食材を見に行くと買い出しに出掛けていた。
束の間の休息で、ソファーに横たわるラパンは、魂が抜けたかのようにぼーっとしていると、焦点の合わない目をエラーブルに向ける。
「エラーブル――」
一瞬体を膠着させると、背筋を伸ばし立ち上がる。
「――お嬢様は、どうして働いているのですか?」
「私に、穀潰しになれと?」
「私はなりたいです」
「……」
「嘘ですそんな目で見ないでください」
ゴミのような発言に、見下げ果てたかのような目を向ける。
流石にその視線は堪えたのか、慌ててラパンは首を横に振った。
「ただ、お金に困っていなさそうなのに、なんでだろうと」
「なんだかんだ執事として頑張っていただきましたので、その程度はお答えしましょうか」
ラパンを匿って助けているが、執事の仕事をさせているのは間違いない。
普段は怠惰な姿勢の多い男であるが、意外と要領は悪くなく、時折アデライドを感心させる程度には手際も良くなっていった。
報酬の一つでもあげなくてはと、エラーブルが思うぐらいに。
「そんな大層な話ではありません。私の憧れた方が、働く格好良い女性だったからです」
エラーブルが思い出すのは七年前。丁度、アデライドがエラーブル付きの
――
『なんで、メイドなんてなったんですか?』
王都にある屋敷の庭園でお茶を楽しんでいたエラーブル。
大人の女性の色香を見せる現在とは違い、少女としての幼さが残っている。
問い掛けられたアデライドは、年の近い主に苦笑を浮かべながら誠実に答える。
『大人は働かなければならないのですよ』
『嘘です。侯爵家のご息女である貴女が、働く必要なんてないでしょう?』
『働く、という意味にもよりますでしょうが……そうですね。労働は必要ないかもしれません』
『なら』
『ですが』
主と視線の高さを合わせるように膝を折り、彼女の手を握る。
『侯爵家の令嬢として社交界に出て、名のある貴族のご子息と結婚し、貴族の妻として生きる……なんてつまらない人生は御免被りたいのです』
愛おしそうに、はたまた言い聞かせるようにアデライドは笑う。
『なにより、私は強い女になりたいので』
『強い女?』
『エラーブルお嬢様のお母様のように、お綺麗で、男性にも負けない格好良い女に、ね?』
『……私には分かりません』
『いずれ分かるようになりますよ』
子供扱いされたと思ったのか、ぷくりと『私は拗ねています』と態度で示す主の機嫌を取ろうと、優秀なメイドは甘い菓子を用意するのであった。
――
昔を思い出し、懐かしみ笑うエラーブル。
不意に微笑んだエラーブルにラパンは首を傾げる。
「籠の鳥でいられなくなった、それだけです」
「はぁ……?」
そうこうしている内にそれなりの時間が経っていたようで、買い出しに出ていたアデライドが一通の手紙を持って帰ってきた。
「エラーブルお嬢様。宰相閣下からお手紙が届いております」
「お母様から?」
手紙を受け取ったエラーブルは早速開封する。
対して、二人の何気ない会話に耳を疑ったのはラパンだ。ぎょっと、目を見開く。
「……今、なんて?」
「お母様からのお手紙です」
「そうではなくって、宰相って!」
「……執事如きがお嬢様にそのような口を聞くとは良い度胸ですわねぇ?」
「ひ、ひひひぃいいっ!!」
「うふふ。少々、こちらの執事をお借りいたします」
「はぁ……程々にしなさい」
「はい♪」
「いやぁあああああああああああああっ!!」
屋敷中に響く悲鳴を上げながら、首根っこを掴まれ引きずられていく。
哀れなウサギに目を向けることなく、エラーブルは母からの手紙を読みながら微笑むのであった。
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