第2話 ゴロツキと戦いたくない
辺境都市『モストル』の西地区。
かつては居住区であった地域は、五年前に起こったモンスターの襲撃によって廃墟と化していた。
残った住居に住み着いたのは、冒険者崩れのならず者ばかり。
故に『冒険者の墓場』と呼ばれるこの場所で、一人の少年が瓦礫の上で正座をしていた。
彼の正面には、均整の取れた体型をした美しい黒髪の女性が立っている。あたかも見下すように冷たい蒼い瞳を向けていた。
「ラパン様。なにをしていらっしゃるのですか?」
「これは、やむにやまれぬ事情がございまして」
「事情、ですか。では、その事情とやらをご説明していただけますでしょうか?」
優しく子供を諭すような口調でありながら、その声はどこまでも冷たかった。
「たかがゴキブリのために住んでいた家を跡形もなく壊してしまうご事情とやらを」
「怖かったんだもんっ!!」
ぶわっと、涙を溢れさせ叫ぶラパン。
ラパンとエラーブルがいるのは、西地区にあるラパンの住居――のあった更地。
木片や壁片などといった建物の残骸が小さな山を作っている。とてもではないが、先程まで住居があったとは思えない有様だ。巨大なモンスターに踏んづけられたかのようだ。
「だって、あの名前を呼ぶのも恐ろしい奴が壁を這っていたんです! カサカサカサカサ!」
想像しているのか、ラパンは恐ろしいと体を震わせる。
「それだれでも生理的に受け付けないのに、飛んだんですよ! 私の顔面目掛けて!」
モザイクを掛けたくなるほど、生理的に受け付けられない黒い物体。それが飛んできた瞬間、目を白くしたラパンの理性はプツリと切れた。
「……気が付いたら、魔法でドカンって……やってて」
「住まいを全壊させてしまった、そういうわけですね?」
「……はい」
ラパンは怒られた子供のように小さくしょぼくれる。流石に、ラパンもこの惨状は情けないと感じているようだ。
ここ最近、ギルドに来なかったラパンを心配して様子を見に来たエラーブルは、頭痛でもするかのように額を押さえる。
「はぁ……たかだか虫一匹にこの体たらく。本当に王国唯一のS級冒険者なのでしょうか」
「たぶん?」
「少しは自覚を持て?」
「……はい」
ズーンと、ラパンは暗く沈んでいく。
「一週間も冒険者ギルドに顔を出さずに何をやっているかと思えば。住む場所もないのでは、依頼どころではありませんね」
「それはつまり、依頼を受けなくてもいいと?」
「そんなわけないでしょう。働いてください」
嬉しそうに瞳をキラキラさせたラパンの希望を無情にも切り捨てる。それはそれ。これはこれ。
「ともかく、こんな残骸の山の上でお話もするものではありません。とりあえず、私の――」
「おっ、誰かと思えば冒険者ギルドの美人さんじゃねぇか」
現れたのは薄汚れた冒険者風の男が二人。
無精ひげを伸ばし、清潔感の欠片もない、貧相な装備をしている見るからに冒険者崩れのゴロツキだ。
手には刃の欠けた短剣を持ち、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
「へへへっ、こんな危ねぇ場所でなぁにしてるんだぁ?」
「そうだぜお姉さん。じゃないと、俺たちみたいな優しいお兄さんに襲われちまうぜ?」
「……これはまた、分かりやすい冒険者崩れですね」
そのまま絵に描いたかのようだ。
恐らくはこの西地区に来て日が浅いのだろう。西地区に住む古株たちのほとんどは、『ラビット・スキン』に近付かない。兎のように小さく矮小なラパンを恐れているからだ。
『冒険者の墓場』の恐怖の象徴である『
「ひぃいいいっ!!」
「……何故、私の後ろに隠れているのでしょうか。冒険者の前に殿方でしょう。前に出てください」
「やだぁ!」
女性を盾にして震えていた。
「お」
涙目で凶悪な人相をしたならず者二人を見たラパンは叫ぶ。
「犯されるぅううううっ!?」
「なんでだよてめぇじゃねぇよ!?」
さしもの二人を襲おうとしていた男もつっこまずにいられなかったようだ。
「どう考えてもそっちの姉ちゃんだろう!? なんで男なんぞ襲わなきゃいけねぇんだよ!?」
「知ってるんだぞぉ!? ゴロツキってのは、裏路地とか、人通りの少ない場所で、都合良く待ち構えては、か弱い女性をなぶるんだぁ!」
わーっと、勢いに任せてラパンは、これからされるであろう行為を語る。
「嫌だと叫ぶ女性に対して『げへへ、泣いても誰も助けはこねぇよ?』って言って、良く分からない薬を取り出して『これがなんだか分かるか?』って笑いながら無理矢理飲ませるんだろぉ!? これで堕ちない女はいないとか言って! そのくせ薬のせいだからって快楽に身を任せると『あれは、ただの水だ』とかのたまって『知らない男に犯されて喜ぶ変態だな』って下卑た笑いを浮かべて最終的にゴミみたいにポイ捨てするんだぁ!!」
「い、いや、なにもそこまでしようとは……」
「この変態強姦魔! 白いお薬とか言い出すんだろうぉ!?」
「言わねぇよ!?」
爛れた妄想を脳内から駄々洩れさせるラパンに、エラーブルが声を掛ける。
「ラパン様」
「なんですか!? 今構っている余裕ありませんよ!?」
「そんなことをされるかもしれないと思いながら、女性を盾にして隠れているのですか?」
刹那、空気が張り詰めた。
ポタリ、ポタリと、ラパンの顎を伝い、汗が滴り落ちる。雨でも降っているかのように、乾いていた地面が濡れていく。
「…………違いますよ?」
「では、ご質問させていただきます。もし、私を差し出せば逃げて良いと言われたら、どうしましたか?」
「……………………………………………………………………渡しませんよ?」
「間」
とてもではないが、エラーブルの顔を見れないラパン。
一体どのような表情をしているのか。彼女の背に隠れているラパンには分からない。……分からないが、ゴロツキ達が恐れ戦く程の形相をしていることだけは確かであった。
ラパンはゴクリと唾を飲み込んだ。
「このゴロツキめ! エラーブルさんを襲うとするなんて不届きな奴らだ! 私が退治してやろう!」
「勢いで誤魔化す気ですね……最低」
「早く掛かってこいよぉ!? 泣くぞぉ!」
武器も持てずに、エラーブルの前に出て啖呵を切る。振り向けば死ぬかのような必死さだ。
その変わり身にたじろぐならず者たちであったが、ラパンの焦りようを見て逆に冷静になったか、当初の目的を思い出したらしい。
「なにがなんだかよくわからんが、上等だ! お前をぶっ殺して女は頂いていくぜ!」
「やぁだぁあああっ!? 顔が怖いぃいいいっ!!」
「ぶっ殺すぞクソガキ!!」
恫喝が怖かったのか、ラパンはわんわんと泣き出してしまう。情緒不安定にも程がある。
「念のためご忠告しておきますが、逃走をオススメ致します」
「へ?」
関わりたくないとラパンを含めた三人から距離を取っていたエラーブルが、半眼で告げる。
なんのことだと間の抜けた声を男が上げた瞬間――西地区に本日二度目の轟音が鳴り響いた。
建物の残骸すらなくなり、完全なる更地となった元ラパンの住処。
唯一、転がっているのは白目を剥いてボロ雑巾のようになったゴロツキが二人。
「生きていますか。思ったより頑丈ですね」
微かに息をする男たちは後で衛兵に突き出そうと決めたエラーブルは、膝を抱えて暁に染まる空を見上げて黄昏る家なき子へと振り返る。
「はぁ……これからどうやって生きていけばいいのか」
「そもそも、S級冒険者がいつまでも西地区の『冒険者の墓場』に住まないでください」
五年前の事件のせいで、そもそも売買すら停止されている土地だ。ラパンがこの地に来て、冒険者になったのは三年前。どのように住むに至ったのかさえエラーブルには知らない。
「お金は腐るほどあるのですから、引っ越せばよかったでしょう」
「だって」
不貞腐れた幼子のように、ラパンは唇を結ぶ。
「引っ越し先で馴染めるか不安だったんですもん」
「環境が変わると馴染めない猫かなにかですか」
深く息を吐き出すエラーブルは、ラパンの手を取って立ち上がらせると、そのまま引っ張って歩き出す。
解けぬようにぎゅっと手を握られ、ラパンの顔が暁色に染め上がる。
「行きますよ」
「ど、どこに? あの、ていうか、手が……っ」
「私の家です」
「へ?」
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