第3話 メイドさんは嫌いじゃない


 円を描くような壁で覆われた、富裕層が住む南地区『高級居住区』。

 豪華な屋敷が立ち並び、道幅広く石畳で整えられた高級住宅街であり、上級冒険者や領主など裕福な者たちが暮らす『冒険者の墓場』とは真逆の意味で別世界の区域である。

 『高級居住区』の入り口には門番が立ち、怪しい者を立ち入れないよう常駐している。

 そんな王城の門かのように厳重な警備をあっさりと通り抜け、エラーブルとラパンの二人は歩いていた。

 きょろきょろびくびくとエラーブルの背に隠れて怯えっぱなしのラパンは、瞳を潤ませる。


「あの……エラーブルさん?」

「なんでしょうか?」

「ここ……高級居住区ですよね?」

「そうですね」

「門番、簡単に通してくれましたね」

「住んでいるんですから当たり前でしょう」

「えー、そう、なんですぅ?」


 とてもではないが、一受付嬢の給金で住める場所ではないはずだ。

 内心の疑問を飲み込み、先導されるがままラパンは付いていく。

 案内されたエラーブルの自宅を見て、ラパンは叫ばずにいられなかった。


「デカぁあああああっ!?」

「普通です」


 ラパンたちの前には、背の丈を超える高さの門扉と石塀で囲われた二階建ての屋敷が待ち構えていた。

 屋敷の外壁は真っ白で、教会のような清廉さを感じさせる。

 一人暮らしの家としか聞いていなかったラパンが驚くのも無理はない、まごうことなき豪邸だ。


「普通じゃないですよ? 豪邸ですよ? あれ? エラーブルさんのお家の爵位って」

「……男爵です」

「嘘だぁあああっ!!」


 顔を逸らしてぼそりと零したエラーブルに、犯人の絶対的なアリバイのほころびを見つけた探偵かのように指摘する。


「男爵なわけないじゃないですかぁ! 明らかに一受付嬢の給金で賄えるお屋敷じゃないですよ! しかも男爵って」

「普通です」

「普通ってなに?」


 普通とはなんなのか。とても深い題材であるが、今回に限って言えばエラーブルの感覚がおかしいで片付く。


「ラパン様も貴族ではありませんか。一人で住むには少々大きいかもしれませんが、貴族の住まう屋敷としては小さいぐらいでしょう」

「これで小さいって。そんなこと言い出したら、うちの実家はウサギ小屋ですよ?」

「ラパン様の御実家の爵位は子爵でしたね」

「そうです子爵です。男爵よりも上ですが、田舎の小さな土地で雨漏りもする小さな屋敷ですよ。財産もほとんどなくて、母なんて領民と一緒に畑仕事をしています」


 つらつらとラパンが語ると、驚いたように小さく開いた口を手で隠す。


「おかしい……のでしょうか?」

(自覚なし!)


 商人からの成り上がりと考えれば辻褄が合わないこともないが、エラーブルには世間一般常識の疎さがあった。

 普段、ラパンが接するのは受付嬢としてのエラーブルだけだ。仕事は完璧で、面倒見の良さもある。およそ三年の付き合いとなるが、まさか私生活にこんな抜けた部分があるとはラパンは思わなかった。


「騒がしいと思えば」


 見知らぬ女性の声。黒い鉄の門がゆっくりと開き、現れたのはエプロンドレスを身に纏うメイドであった。

 美しい金糸が陽光を反射し、屋敷の主とは対照的に満面の笑顔を浮かべている。

 エラーブルよりも背は高く、白いエプロンの上からでも伺える豊かな胸部が二の腕に挟まれ苦しそうにしている。


「お帰りなさいませ、エラーブルお嬢様。そして、お客様でございますね。どうぞお越しくださいました」

「……めめ」


 乱れなく、完璧なお辞儀カーテシーをするメイドに、なにやら衝撃を受けたのかラパンは声も出ない。


「メイドさんだぁあああああっ!?」

「はい。エラーブルお嬢様のお屋敷にて、メイド長を務めさせて頂いております、アデライドと申します」

「本物だぁああああああああああああっ!?」

「うふふ。面白いお方ですね」


 狂喜乱舞。

 興奮で顔を火照らせ、瞳をこれでもかとラパンは煌めかせる。

 可笑しそうに笑う姿すら愛おしいのか、怯えではなく歓喜故に涙を浮かべていた。

 これまで見たことのないラパンの喜びようを見て、エラーブルの頬を汗が伝う。


「なにをそんなに興奮なさっているのですか」

「だって、だって、メイドさんですよ! エプロンドレスの本場のメイドさん!」

「はぁ……ラパン様の御実家にはいらっしゃらなかったのですか?」

「いません!」


 血涙でも流すのではないかと思わせるほどに、その表情は無念そうだ。大抵のことには動じず、表情筋一つ動かさないエラーブルが一歩後退る程の鬼気迫る迫力があった。端的に言えば、引いている。


「メイドさんを雇える余裕なんてありません。張る見栄もないので日雇い雑役婦チャーウーマンを雇うこともなかったので」

「雇わないの、ですか?」

「雇えないんですよ?」

「ラパン様の御実家は、その、とても貧しかったのですね」

「自分の常識を疑って」


 憐れむかのように気まずそうなエラーブルに、ラパンは言った。


 ――


 屋敷の一室へと案内されるラパン。

 道中、その視線は一束にまとめられた長い金色の髪が揺れる、メイドへと注がれていた。

 にへりと頬は緩み、涎でも垂れそうなぐらいには口が開いている。隣では冷ややかな軽蔑の眼差しを向けている家主がいるのだが、部屋に到着してからも彼が気付くことはなかった。


 客間に通されたラパンとエラーブルは、鏡のように磨かれたローテーブルを挟み、背もたれがボタン留めの赤いソファーに座っていた。

 明らかに高級な調度品が並ぶ室内。ふかふか過ぎるソファーに、ラパンは居心地悪そうに何度か座り直していた。


「あの……私はどうして連れてこられたんですか?」

「アデライド。ラパン様が本日お泊りになるので、客室を準備して」

「かしこまりました」

「未婚の女性が気軽に男を泊めようとするんじゃないよぉ!」


 興奮か、羞恥か、耳まで赤くしたラパンはお腹から悲鳴を上げる。


「泊まり!? どういうこと!?」

「ご自宅は全消ぜんしょうしたのですから、本日お休みになる場所はありませんよね?」

「ないですけど」

「それならば、一時しのぎではありますが、幸い部屋は余っております。お使いください」

「だめぇえ! なんでそんな簡単に……もしかして、男だと思われてない?」


 きょとんと、幼さを感じさせる表情を見せ、


「ペッ……いえ、なんでもありません」

「ねぇ、部屋ってゲージとかじゃないですよね?」


 気まずそうに顔を背けたエラーブルに、ラパンは飼われるのではないかと不安を覚えた。

 誤魔化すように、エラーブルが咳払いをする。


「ご確認なのですが、当家に泊らなかったとして、どこで夜をお過ごしになるおつもりでしょうか?」

「へ? そんなの宿屋に決まってますけれど?」

「強面の厳つい冒険者ばかりの騒がしい宿で一晩過ごせるとは思えませんが……」

「……」


 冒険者の街と呼ばれるだけあり、都市内の宿屋のほとんどに冒険者が泊っている。そのせいか、飲み屋と併設されている場所も多く、朝から晩まで酒臭い酔っ払いがガサツな声で大笑している。

 ドラゴンの群れの中に、小さく震える白い兎が一匹。

 容易に想像できた光景に、ラパンの顔は青くなり、カタカタと震え出した。


「アデライド。本日はラパン様のお世話もお願いします」

「かしこまりました」

「で、帰りますか?」

「ふっ」


 片や酒臭い肉食獣の宿屋。

 片やメイドさんがお世話してくれる豪奢な屋敷。

 諦めたようにラパンは小さく笑い、


「泊まらせていただきます」

「安っぽいプライドですね」


 地面に額を付ける勢いで、頭を下げた。


「そんなにメイドがお好きなのですか?」

「べべべ、別に大好きってわけじゃないもん!」


 半眼のしらっとした目を向けられ、汗をかきあたふたするラパン。

 ぐっと両拳を握り、身を乗り出す姿には熱があった。


「ただ、メイドといえばご主人様に生涯の忠誠を捧げる使用人の中の使用人!」

「重い」

「ご主人様の身の回りのお世話はもちろん、護衛も兼ね備えその実力は近衛騎士にも負けない万能職

《ゼネラリスト》なんですよ!」

「ラパン様の想像上のメイドは化物かなにかでしょうか?」

「大剣を振り回すメイドがいれば、格闘術に優れたメイドもいますが、私はどちらかというと有名な暗殺者メイドが一番好きです。太腿に短剣を隠し持ち、主のために殺しも厭わない。格好良いですよねぇ」

「それはメイドではなく、暗殺者ですね」

「ですが! メイドというのであれば、主のお手付きと言いますか、お情けや罰として求められるなんてこともあるのでしょうか!? ま、まさか! 客人に対してまでそんな……破廉恥極まりない!」

「知っておりましたが、貴方様は割と下品ですよね」


 人見知りで女性との免疫力なしと診断されるラパンであるが、時折暴走して口走る発現内容は下劣極まりない。言い訳のように常識だと語るが、そのような常識がまかり通る世界は終わっていると、エラーブルは思う。


「でも、本当に泊っていいんですか?」

「つまり、宿屋にお泊りになると」

「……ほ、掘られるっ!」

「いっそ掘られてしまえ」


 ガクブルとラパンはお尻を両手で隠す。


「うぅ、まぁ……メイドさんにお世話してもらえるのであれば」


 消沈し、観念したのか、肩を落とす。

 ひとり言だったのだろうが、聞こえた呟きにエラーブルのこめかみがピクリと動く。


「今日はお世話になります」

「……そうですか。では、後は任せます」

「エラーブルさん?」


 深々と頭を下げたラパンに、素っ気なく言い残すと客間を去ってしまう。その足取りは力強く、大きな足音を残していった。


「な、なにかやらかした?」


 ぎゅぅっと締め付けられる胃の感覚に冷や汗が止まらない。


「……ねぇ、ラパン様」


 耳元の吐息に、ぞわりと体が跳ねる。

 甘く、香しいかおりが鼻孔をくすぐる。耳たぶを愛撫するように撫でられ、声も出せない。

 これから一体何が起こるのか。まさか本当に夜の――


「お嬢様を泣かせましたら、許しませんわよ?」

「…………ひゃい」


 沸騰していた血が凍りついてしまったかのようであった。

 心臓を鷲掴みにされ、生殺与奪を握られたかのようだ。


 ――


 翌朝。

 客室から中々出てこないラパンを起こすため、エラーブルを様子を見に行くと、部屋の隅で膝を抱え、毛布に包まる小さな兎がいた。


「なにをしていらっしゃるのですか?」

「メイドさん怖い」


 昨日から百八十度回転された回答に、エラーブルは首を傾げた。

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