第三章・B ある少女の記憶 2

「ねえ」


私は、ベッドの上で足をバタつかせて本を読むアニーに、後ろから話しかけた。人に話しかけるなんて、簡単な物だと思っていたけど、いざやろうとすると、中々言葉が出てこなかった。


何度か彼女の背後をウロウロしてから、まるで威圧するような態度で、私は彼女に話しかけた。


「な、何?メーナちゃん」


ぶっきらぼうな表情を浮かべる(実際には、緊張して眉間に皺が寄っていただけなのだが)私に、アニーは不安そうな表情で、私の方を見る。ただ呼びかけただけなのに、どうしてここまでおっかなびっくりするのだろうか。そんなに、私の表情は怖いのだろうか。


「昨日のまでの事、まずはちゃんと謝ろうと思って」


私がそう言うと、アニーは首を傾げた。


「え……? 謝る事なんて、なんかあったっけ?」


その問いに私が頷くと、アニーは寝る姿勢を止めて、ベッドに座った。そして、私の目をじっと見つめ始めた。私は一つ深呼吸をしてから、口を開いた。


「……私、本当はあなたの先生なんてやりたくは無かった。ただパパにお願いされたから、何となくやっているだけだった。出来の悪いあなたに、正直イライラしてた――でも、当然だよね。だって、やる気のない先生に教わったら、そりゃ、誰だって出来ないよね」

「そんなことないよ!ここに拾ってもらっただけでも凄くありがたいのに、その上、先生だなんて、私には十分すぎるくらいで――」


私は、このまま宇宙が終わるまでずっとしゃべり続けそうなほど、早口で勢いよく喋り出したアニーの口をつまんで、それを強引に終わらせる。


「お願い。私に、全部の責任をまずは取らせて。じゃないと私、多分あなたからセカンドチャンスをもらう資格も無い。だって私は、何もかもをあなたのせいにして、逃げ出そうとした。だから、まず先に私が謝る。あなたの言葉は、その後にちゃんと聞く」


口をつままれた状態で、アニーは首を縦に振る。私は、彼女の口から手を離した。数歩下がってから、私は頭を下げる。


「ごめんなさい。次はちゃんと、真面目に、あなたが出来るようになるために、私も精一杯頑張ると誓うから、もう一度だけ、私にチャンスを下さい」

「わ、私の方も、頑張るから! メーナちゃんの期待にこたえられるように、絶対頑張るから!」


そう言って、アニーはベッドから立ち上がった。そして、頭を下げた私の手を、やや強引に、痛いくらい強く握った。


「あー……その。えっと……一つ、お願いがあるんだけど……」


私は目をそらしながらそう言った。我ながら、全く言葉が出てこなくて情けない限りだった。言いたい事ははっきり言う方だと私は勝手にそう思っていたけど、その自信は淡く霧散するのであった。


「ん?何?」


と言いながら、アニーはつぶらな瞳をこちらに向けてきた。私は目をそらし続ける。


「あの、その、なんて言うか……えっと……」


私は肺がいっぱいになるまで、息を吸った。耳が火の近くにでもいるかのように暑かった。顔を真っ赤にして、アニーの目の、その少し上の額を睨みつけるように見た。


「私と一緒に、おでゅかけしない?」


噛んだ。アニーが首を傾げていた。耳の穴から火が噴き出そうだった。



*   *   *



私とアニーは、街の大通りを一緒に歩いていた。ここに来た事には、そこまで大きな意味はない。ただ単純に、彼女の好みや趣味を知るためだった。それを絡めた何かなら、彼女も覚えやすいのではないかと、そう考えたからだ。


「もうちょっと着た方が良かったかな……」


帽子と厚手のコートで着飾ったアニーを見ながら、私は呟いた。今はもう、雪解けが始まっている季節で、街の隅っこに積もっていた雪は、水っぽくなっていた。気温も少し暖かくなってきたとは思うが、今日は想像以上に寒かった。


アニーは大股で、私の少し前を歩いていた。とは言ってもそれは、私より歩くペースが速いからではなく、店に飾ってある商品や看板の誇大広告に気を取られて、道草を食べるために駆け足になるからであった。まあ、今回はそれが主目的なので、問題は無いのだけれども。


私はというと、その少し後から彼女についていって、それが何なのかを説明していた。アニーは気になった商品を見入っていたが、私の話をしっかりと聞いていた。


何度か彼女に物の説明をして、一つ気が付いたことがあった。彼女は興味こそ持ちすれ、それらを買おうとしないのだ。興味深々にそれを確認してから、元の位置に戻す。


「……買えばいいじゃん。ってか買うよ。元々そのつもり出来てたからさ」


アニーが懐中時計を手に取って元の場所に戻したところで、私は彼女に尋ねた。彼女は首と手を大きく横に振った。


「え……でも。そんなのダメだよ。これ高いよ」


私は値段をちらりと見た。安いとは思わなかったが、別に高いとも思わなかった。とはいえ、国から莫大なお金を貰う事が出来る賢者の娘としての意見であるので、正しいかどうかは知らないが。


「高いかどうかは知らないけど、うちにいる間は遠慮なんかしなくていい。お金だって、パパから沢山貰って無駄に貯まってたから、使う機会が欲しかったし」

「だとしても、ダメだよ。今貰っても、私は何も返せないから」


別に返す必要は無いと、言おうとした。けど、彼女の眼はとても真っ直ぐで、強い意志を感じた。説得するのは不可能でないにせよ、得策ではないと、一瞬で私は悟った。


「分かった。ならこれからお昼付き合ってよ。……あなたとお喋りしたいから。それならいいでしょ?」

「うん!」


アニーは気持ちの良い返事で、そう答えた。


私達は、お店を出てから、すぐ近くにある飲食店に向かった。私は彼女の好みを知らなかったので(家ではなんでも美味しいと言って食べていたから)系列店のある有名な飲食店を選んだ。ここなら色々なメニューがあるし、彼女の好きに注文させればいいと思ったからだ。


昼時を少し過ぎていたからか、人はまばらだった。妙に小洒落た内装の中の、これまた妙に小洒落た椅子に座って、向かいに座ったアニーにメニューを渡す。アニーは小さくお礼を言ってから、メニューを受け取ると、何かの歌を口ずさみながらページを捲った。


何を注文するかもう既に決めてあって、することが無かった私は、彼女の動きを目で追っていた。思えば、彼女が家にやってきてから、ちゃんと姿を見た事が無かったと思う。いつも私は、彼女を視界の中に入れているだけだった。


改めて、彼女をちゃんと見て抱いた感想は「痩せている」だった。


メニューを持つ指や腕が、異様に細い。私も細い方だとは思うけど、彼女は遥かその上を行く。ここに来てから栄養状態が改善されて、恐らくはまだマシにはなっているとは思う。だけど、皮と骨しかない腕、あばら骨に濡れた布のように張り付く皮膚。私と同じくらいの背丈の筈なのに、彼女が来ている服は何故かぶかぶかだった。それらは、彼女が今まで培ってきたを物語っていた。


何と言うか、少しだけ感傷的な気分になった。自分は世界一不幸な人間なのだと、自虐的に考えてた時期もあった。だけど、生きる事を許されている私は、実はそれだけで幸せなのかもしれないと、少しだけ思った。


それから少しの時間が流れて、私とアニーの前に料理が運ばれてきた。私はこの店の看板商品のシチューを注文し、アニーは小さい器に入ったスープとパンを注文した。量も少なければ、値段も安い。その事を何か言おうかとも思ったけど、さっきと同じ話の繰り返しになりそうなのでやめた。


アニーとはもう既に、何度か食事をしているが、彼女の食べ方は汚い。単純に知識が無いせいなので、少しずつ教えている今は、マシにはなっている。まあ、スプーンは相変わらずわし掴みだし、口周りは結局汚くなっているのだけど。


「零してる。ほら」

「ん」


私はテーブルに置いてある布を取って、彼女の口元へ持ってくる。彼女は素直にそれに応じる。


「ねぇ、ちょっといい?」


口を綺麗に拭き終わってから、私はアニーに話を切り出した。彼女の食器はすでに中身が空だった。私のシチューは半分くらい残っている。


「なぁに?」

「今日の本題なんだけど、あなたって覚えが悪いじゃない?」

「うん」

「それで、何か覚えやすくするためのヒントが無いかと思ったの。例えば好きな物に絡めるとか。だから、あなたの話を聞いてみたいの。昔の話とか、好きな物とか。まあそんな所」


これで何が出来るようになるかは分からない。ただ単純に、今の現状を変える必要があると思った。

私の問いかけに、アニーは視線を落とした。


「私の昔話なんて、面白くないと思うよ」


この時のアニーの目は、天真爛漫な彼女の姿からは想像もつかない程、黒く、深い影を落としていた。私は、気が付けばその目に圧倒されていた。


「別に昔の話じゃなくても、好きな物とか、好きな人とかでも」


私はなるべく、彼女の神経を逆なでしないように言った。少しだけ、彼女の事を恐れている自分がいた。


「好きな人は、おじさん」

「おじさん?」

「うん。私、生まれた頃から親がいなくて。喋れるようになった時には、もう既におじさんに世話してもらってた」

「名前は分からないの?」

「教えてくれなかった。理由は分からないけど……」


アニーには、どうやら家族に近い人がいたらしい。

だとすれば、パパはそれを引き離した張本人という事ではないのだろうか。


「……じゃあ、パパはもしかして余計な事を?」


アニーは首を横に振った。


「ううん。おじさんはもう、死んじゃったから」


私はしまったと、心の中でそう呟いた。『他人を知らずに育って来た』と、パパが言っていた事が少しわかった気がした。私は普通の人よりは賢い自信がある。だけどこの場において、それは何の役にも立たなかった。


少し考えれば予想できるのに、私は考えようともしなかった。


「ごめんなさい」


私は頭を下げて謝った。私が顔を上げると、アニーは柔らかく笑っていた。私は少しほっとした。そしてそんな自分に対して、嫌気のような物が、まるでしこりのように心の片隅にあった。


「いいのいいの。確かに悲しい事だけど、今はメーナちゃんと会えて嬉しい。あっ、でも! おじさんがどうでもいいって事じゃないけど……」


そこから、言いたいことを纏めているのか、アニーは一人ぶつぶつと呟いていた。私は、残っていたシチューを口に運びながら、彼女をゆっくり待つことにした。


「幸せとか不幸せって、多分どっちもあると思うんだよね」


暫くして唐突に、彼女はそんなことを言った。私は、スプーンを机に置いた。


「……続けて」

「私がスラム街にいたとき、みんな不幸そうな顔をしてた。ずっと口がへの字に曲がってて、いろんなものがボロボロだった。だけど――あ、えっと、スラムって、人が集まってグループを組んで、そこで色々物資を集めているんだけど、そこでちょっとしたパーティをたまにするの。お酒とか飲んで」

「それで?」

「その時だけはみんな、幸せそうな顔をしていた。悪い事とか、いやな事とか、そういうのを全部忘れて騒いで楽しんでた」


アニーは目を細めながら笑っていた。


「私も、おじさんと一緒に暮らしてて――確かに、嫌な事はあったけど、でも楽しい時もあった。だから、自分は不幸だー! って思ってても、多分それは不幸なんじゃなくて」

「幸せな事に目を向けていないって事?」

「うん。そうなんじゃないかって思う。おじさんが死んだ事が悲しいから、メーナちゃんやエクスさんと会えた事が悲しいなんてことは無いし、今がどれだけ楽しくて嬉しくても、おじさんが死んだことまで嬉しくはならない」


私は暫く、口を開けてアニーを見つめていた。実に間抜けな顔だっただろう。


「え、えっと。残りは食べないの?」

「あー……。そうね」


アニーにそう言われて、私は置いてあったスプーンを手に取り、残りを口に運び始めた。その間、アニーは私をじっと見つめていた。


「私、あなたの事今までずっと馬鹿にしてた」


シチューを全て食べ切った所で、私は口を拭きながら、単刀直入に言った。話をどう誘導するべきか分からなかったからだ。するとアニーは、


「え!? そうなの!?」


と言って驚いた顔をした。どうやら私の態度で分からなかったらしい。やっぱり頭が悪いのかもしれない。


「思ってた。過去形……って言っても、分からないんだろうけど。今はそう思ってない」


でもこれとは、少し違う気がする。彼女が賢いのではなく、自分が思ったより馬鹿だと分かっただけだ。ただ、それを素直に認めるのは、少し癪な気がした。


「やった! ありがとう!」


私の皮肉交じりの言葉を、彼女は満面の笑みで受け取る。彼女の素直さは、まるで私の醜さを映す鏡のようだった。



私たちは、昼食を終えた後、またあても無く街の中を歩いていた。本当なら、私が色々アニーに案内をするべきなんだろうけど、私は魔族に近い関係である以上、外をあまり出歩かない。さっきの店も、パパと何度か行ったことがあるから知っていただけで、正直、知識という面では、アニーとさほど変わらない。


「寒くなってきたね」


前を歩いていたアニーが、被っている帽子を押さえながら、振り返ってそう言った。確かに、店のドアを開けたとき、一歩目を少し躊躇するほどには気温が下がっていた。寒暖差もあるとは思うけど、それにしても寒いと思う。風も強くなっていた。


気が付けば、人通りもかなり減っていて、遠くに背中を丸めて駆け足で道を横断する人が、ぽつりと見えるだけだった。


私は空を見上げた。灰色の曇り空だった。店に入る前は、太陽の光を感じるほどには晴れていた。でも今は、分厚い雲が、不吉な色を作り出していた。


「あれ?」


と、その時、私の頬に何かが伝う感触があった。指先で触れてみると、その部分が少し濡れた。雨かな? と思ったが、違った。雪だった。


「うーん。出かけたときは何ともなかったんだけどなぁ」


私は呆れたように呟く。これ以上、雪が強くなる前に帰った方が良い。私はアニーに目線を向けた。


「……は?」


――目線の先に、アニーは居なかった。


宙に浮いた帽子が、ふわりと落ちていく様子を、私は立ち尽くしたまま眺めていた。



*   *   *



「……きろ」


声が聞こえた。と一緒に、お腹に強い痛みがした。


「ぐぇっ!?」


蛙みたいな声が出た。景色がぼやける。息が出来きない。私は、咳みたいな息をしていた。


「……久しぶりだな。俺の事覚えているか?」


段々と、ぼやけていた景色がはっきりと見えた。男の人が、私の髪を掴んで顔を覗き込んだ。金髪に、吊り上がった眉と眼。その右眼に大きな切り傷がある。首には、雷のような火傷の痕がある。私は、この人を知っている。


「リーダー……」

「そう。リーダーだ。なんだ、随分久しぶりだな。"おじさん"が俺を裏切って以来か?」


おじさん。と、リーダーは強く言った。


「あれはだって、リーダーが……」

「あ?」


私がしゃべろうとすると、リーダーに顔を殴られた。


「口答えするんじゃねえ。まあなんだ。別にとって食おうってわけじゃねえよ。ただそうだな、保証人って言葉、知ってるか?」

「しら……ない」

「だろうな。簡単に言えば、誰かが借金したときに、その肩代わりをする人間の事を保証人って言うんだ。まあつまり、お前にはおじさんが俺達に与えた損害を、代わりに稼いでもらう。稼ぎ方は言わなくても分かるよな」


リーダーは気味の悪い笑顔で、そう言った。


「……」

「何だお前、泣いてるのか?」


リーダーに言われて、私は泣いている事に気が付いた。


――どうして私は泣いている?


目の前の男が怖いから?

違う。


稼ぐのが嫌だから?

違う。


殺されるかもしれないのが、嫌だから?

……違う。


ぼやけたリーダーの姿が見える。彼が着ているコートは、私が着ているものよりずっと古くて、傷だらけで、汚れだらけだ。


リーダーは、私がスラム街にいた時、一番お金を持っていた。凄いと思っていた。でも――普通の世界では、彼は一番下なのだ。エクスさんが、どのくらい凄いのかは分からない。メーナちゃんが得意げに話した事が一度だけあったけど、私にはよく分からなかった。でも、もしもそんなにエクスさんが凄い人でなくても、私をお世話することぐらい、出来るんだと思う。


――わかった。私は、今の"普通"をなくしたくないんだ。だから、私は泣いているんだ。


「……リーダー」


恥ずかしい。と思った。この普通は、あの日の雪みたいに、たまたま降っただけなのに。どうして、自分のものだと思っていたのだろう。


「なんだ?」

「わかった。私、リーダーの所に戻る」


私がそう言うと、リーダーは掴んでいた髪を離した。


「そうかぁ。俺も嬉しいよ。あ、着てる服は後で俺に寄越せ。金に換える」


リーダーの嬉しいという言葉は、凄く乾いていた。昔聞いていた声とは、ぜんぜん違った。


……これでいいんだ。私は心の中で叫ぶ。


「いやあ良かった良かった。これでうちの組織も何とかなるってもんだ」


リーダーが、くるりと回って、背中を向けて歩き出した。今まで見る余裕が無かったけど、私が連れてこられたのは廃墟だった。たまにガラスがついている窓から、雪が降っているのが見えた。私の前に、天井から水が一滴落ちた。


その時だった。リーダーが足を止めた。


「……来たか」


リーダーが呟いた。


そして――突然、巨大な氷の塊がリーダーを吹っ飛ばした。リーダーは石ころみたいに吹っ飛んで、壁に叩きつけられた。


「良い訳無いだろ。馬鹿が」


氷の塊が飛んできた方から、メーナちゃんの声がした。私は声の方に頭を向けた。穴の開いた壁に、メーナちゃんはフードを外して立っていた。私はただ、驚いた顔でメーナちゃんを眺めることしか出来なかった。


「メーナちゃん!? どうして……」

「どうしてって、あなたを助けるために決まってるじゃない。……勘違いしないでよ。パパに怒られるから助けてるだけなんだからね」


メーナちゃんが言った。ちょっとだけ、寂しいと思った。でも、それ以上に嬉しかった。


「うん! ありがとう!」


私がそう言うと、メーナちゃんは顔を赤くしてそっぽを向いた。よく分からないけど、仕草が可愛いと思った。


リーダーが吹っ飛ばされた方向から、大きな音が聞こえた。顔を向けると、リーダーがそこに立っていた。あれだけの攻撃を食らって、リーダーは無傷だった。首の骨を鳴らしながら、リーダーがメーナちゃんに近づいていく。


「その耳……へえ、エルフ族か。こりゃ驚いた。人間領の中に魔族が紛れ込むなんて、バイズかランドくらいのものだと思っていたんだが。まさかこの国でもお目にかかれるとはな」

「……で? それを知って、どうするつもりなの?」

「いや別に? 魔族なんて金にならねえからどうでもいい――だが、そいつは金になる。と言うか出来る。俺ならな。元々、そいつはこっちの物だったしよ。返してもらうぜ」

「やっぱりあんた、アニーの仲間か」


リーダーが驚いた顔をしていた。私もリーダと同じように驚いていた。メーナちゃんは私の出身を知っている。でも、リーダーの事を話した事は一度もない。それは、エクスさんにもだ。どっちにも、聞かれた事が無かったからだ。


「"やっぱり"ねえ。どうしてわかった?」

「別に。あんたとアニーの関係は知らない。だけど――もし人攫いなら、でしょ。普通。アニーだけを狙ったとしたら、必ずその理由がある。でも、アニーには知り合いなんて私とパパ以外にいない。……あなた達みたいなはぐれモノを除けばね」

「確かにな。だが、ここが分かった事の説明がつかない……と思っていたが、そうか魔族か。なら、俺の魔力を辿って位置を絞り込むのもお手の物って訳か」

「ま、そんなところ。一瞬でアニーを連れ去れるって事は、相当の手練れだと思っていたからね。強い魔力を辿ったらここについた」

「ふーん……で、その手練れ相手に、どうするおつもりで?」

「ボコボコにしてアニーを返してもらう。相手があんたで良かったよ。道を踏み外した馬鹿なんて、ボコボコにしたところで、誰も見向きしないんだからさ」


――まずい。リーダーは……


「メーナちゃん! 待って!」


必死に叫んだ。だけど、メーナちゃんは聞きもしなかった。彼女の周りに、数本の氷柱のようなものが、現れた。その全部が、リーダに向かっていた。


「発射」


氷柱が、一斉にリーダーに向かって飛び出した。

私は、目を閉じた。



*   *   *



……あれ?


私は、何をしていたんだっけ?

えっと、アニーと一緒にお出かけして、ご飯を食べて……その後、そう、確かアニーが連れ去られて。それで、アニーを探し当てたんだ。所々引っかかるところはあったけど、案外、簡単に割り出せた。


そこから――


「っ!?」


目覚めて、激痛が走った。

頬と、顎。それから、体全体が重たく感じる。口の中に、鉄の味が広がった。視界のすぐ傍に、床に広がる小さな血だまりが見えた。


一瞬で気が付いた。どうやら私は、目の前で悠々と立っている男に倒されたらしい。だけど、何をされたのか、全く分からなかった。氷の槍を射出して、男を貫いたと思った瞬間、男の姿が消えた。そして、気が付けば私は床に倒れていた。


「どうした?俺を殺すんじゃなかったのか?」


笑い交じりに、男は言った。そして、私の頭を踏みつけてきた。


「何か勘違いしてるみたいだから一つ教えてやるよ。俺の前職が何か分かるか?」

「それが……何よ」

「王国騎士団だよ。お前も聞いたことぐらいあるだろ?」


王国騎士団。聞いたことがある。トップに賢者を据える、魔法戦闘のプロフェッショナル軍団だ。この男がそんな地位も名誉もある職に就いていたとは思えない。だけど、この状況でつまらない嘘を吐くとも思えない。


「このっ!」


私は氷の槍を男に飛ばして、男を引かせた。力場魔法を使い自分の体を後方に飛ばして距離を取る。


「動きは悪くないな。恐らく訓練を積んでいないんだろうが。流石は魔族と言った所か」


男が余裕たっぷりに言う。


マズい。この男、思ったより強い。

魔力総量は私の方が圧倒的に上だ。だけど、向こうの方が場慣れしてる。


治癒魔法で体を治してから、私は立ち上がる。男はずっと棒立ちのまま、私が立ち上がるのを待っていた。


「ほら、来いよ」


男が私を挑発する。私は魔法で身体強化を施す。私の体が、ほんの少しだけ大きくなる。

――日夜私を苦しめる頭痛が、さらに増す。


「どうした嬢ちゃん? どっか調子悪いのか?」

「うるさい!」


私は飛びだした。身体強化と、足の裏に仕込んだ力場魔法。私が制御できるギリギリまで速度を増して、男に飛び掛かり、顔めがけて拳を放つ。


――が、これはきっと避けられる。と言うかその前提で打っている。


案の定、男は体を捻って簡単に躱す。そこで私は、自分の体で隠した位置から氷の槍を射出する。流れた体を交差するように、氷の槍は男へ飛ぶ。


「おっとぉ!」


男は驚異的な反応速度で、それも躱す。男から反撃の様子はない。舐められているんだろう。それならそれでいい。


流れた体に、足一本で制止をかける。骨が軋んだような感覚があった。何か、傷でもついただろうか。でもそんなこと言ってられない。初撃と同じように、足の裏に力場魔法を発生させる。そして男に真っ直ぐ飛んで行く。


「へえ……」


男が、感心した様な表情をした。私の動きにではない。――私は動きを反転させるとき、もうひとつ魔法を使った。男の足元を氷漬けにして固定しておいたのだ。


決定的な隙が出来た。

私は拳に氷を纏い、そして男に打つ――!。


「え……?」


男の顔面に、私の拳は綺麗にヒットした。確実な手ごたえがあった。だが男は、まるで何事もなかったかのようにそこに立っていた。


魔力は感じない。

――なんで? 一体どうして、目の前の男は立っている?


答えを出す前に、男は私に拳を振るった。防ごうとしたけど、間に合わなかった。顎を打たれて、私の体は簡単に宙を舞った。


「どうした?これで終わりか?」


背中から落ちる前に、魔法を使って空中で姿勢を立て直す。男は、追撃などせず、ただただ私を見下ろしていた。口の中に溜まっていた血を、私は吐き出す。


「くそっ」

「でもまあ、今のはなかなか良い一撃だったぜ。悪くない――相手がこの俺じゃあなければな?」


この男の驚異的な耐久力はなんだ?

身体強化魔法を使ったようには見えない。素で強いにしては硬すぎる。

私の知る限り――残った可能性は一つだった。


「まさか祝福……?」

「んー、そうか。まあ、そう思うよな。だが不正解だ。俺の祝福は別に対したもんじゃねえ。――時に嬢ちゃん。魔力負荷は知ってるよな?」


知り過ぎている程に知ってる。私の頭痛の主要因だ。


「魔力負荷は外からある程度人為的にかける事が出来るんだが、それを限界まで繰り返すと、爆発的に肉体が強化されるんだがよ。基本的に、王国騎士団の連中はそれをやってる。まあ、耐性が高くないと、俺みたいに痕が残るんだが」

「……あんたは、魔法を使わなくても強い体を持ってると」

「そういう事。別に種も仕掛けもねーよ。ただ単に地獄を乗り越えてきただけだ。――さて、続きを始めようか」


そう言って、男はゆっくりと私に向かって歩き始めた。


私は男に向かって、三本の氷の槍を生成して射出した。男が歩みを止める事は無かった。氷の槍は、男に激突して簡単に砕けた。


私は少しずつ後ろに下がりながら、何度も槍を射出した。しかしどれも、男にダメージを与える事は叶わなかった。最後に、今出せる魔力を使った氷塊をぶつけてもみた。しかし男は簡単に拳でそれを粉々に砕いた。そのうち、私は、壁にたどり着いてしまった。


「どうした? まさかもうおしまいって事ないだろ?」

「あっ……」


私は魔法を使おうと、手を伸ばした。いつの間にか、腕が震えていた。

上手く魔法が使えない。もう片方の手で、必死に震えを抑えようとした。だけど、震えは全く止まってくれなかった。


策を考えないと。だけど、頭が真っ白だ。何も思いつかない。


「その様子だと、もう駄目そうだな」


男がため息をついた。パパが実験に失敗した時と同じため息だ。男は、簡単に私の首を掴んで持ち上げた。抵抗する間もなかった。


「あぐ……」

「どうした? ボコボコにするんじゃなかったのか? こんな風によ」


男が、私の腹を殴った。逃げ場を失った空気が、私の首の中で暴れていた。

声を出したい。声が出ない。息を吸いたい。顔が熱い。ぼやけて見えない。痛い。苦しい。


――怖い。

パパ、助けて。誰でもいいから助けて――!


「もうやめて! メーナちゃんが死んじゃう!」


暗くなっていく世界で、アニーの叫ぶ声が聞こえた。その声に反応して、男は手を離した。私は力なく床に倒れた。


「止めてやったぞ。それでアニー。お前はどうするつもりだ?」

「あ……えっと、それは……」

「いつも言ってるよな? 人に何かを頼むときは、対価が必要だと」


咳き込む私をよそに、二人は会話を続けていた。男は値踏みするかのように、私達を見比べていた。暫くして、男は指を鳴らした。気持ち悪い笑顔を浮かべていた。


「そうだ。こういうのはどうだ? アニー。俺は今から、お前に暴力を振るう」


男が言った。私は、男の言っている事がすぐに理解出来なかった。どうしてアニーなのだ? と、考えが堂々巡りしていた。アニーに目を向けると、彼女も驚いた顔で、こちらを見ていた。


すると、男はアニーを指さした。


「俺はなるべく、お前が苦しむように暴力を振るう。耐えられなくなったら、いつでも俺に言ってくれ。すぐにやめよう。その代わり――俺はこの生意気なガキを殺す。ああ、それから、お前が気絶しても殺す。俺がギブアップしたら二人とも解放してやるよ」


――え?

待って。何を言っているんだ? この男は。

そんな事をして何の意味がある? 

意味が無い。本気だとしたら本物の馬鹿だ。


「さぁて。始めるか。頑張れよアニー。始めてのお友達が死なないようにな」


男が、アニーに向かってゆっくり歩く。

体が動かない。頭が働かない。声が出ない。私はただ、見ていることしか出来なかった。


男は、アニーの胸倉を掴んで持ち上げた。

それでも、私の体は動かない。足だけが、小刻みに震えていた。


――どうすれば、どうすれば、どうすれば!


「メーナちゃん!」


アニーが叫んだ。びくりと、私の体が震えた。恐る恐る、声のした方を見た。



アニーは笑っていた。

そして、私に向けてピースを送った。



男の拳が、アニーの顔面を捉えた。

私より細い体が、床を派手に転げまわった。

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