第6話 外なる人
エクスは、裏路地の一角にある建物の前で止まった。彼はその扉を開けて、中に入る。佐藤もフェルムを抱えたまま、それに続く。中は廃墟同然の荒れ具合だった。薄暗く、物には埃が積もりに積もっていて、あらゆる所に蜘蛛の巣が張ってあった。
「汚くてすみません。ここはもう随分使っていなかったので」
エクスは佐藤に謝罪を一つしてから、部屋の隅にある落とし戸を開けた。そこには地下へと続く階段があった。彼は窮屈そうに、その階段を下る。佐藤もゆっくりと、フェルムを壁にぶつけないように続いて下った。
階段を下りきると、炭鉱のような、地面を掘って作った通路が続いていた。エクスと佐藤は、っその通路を突き当たりまで進んだ。そこには、小さな木製の扉が一つだけあって、エクスはその扉を開ける。それは佐藤がくぐるにも、窮屈そうな程だった。
「この先です」
エクスは前方を指差した。扉の先にあったのは別の室内の景色だった。しかし、一つ違和感があるとすれば、壁の材質が合わないのだ。こちら側は砂岩で、向こう側は灰色の石で出来ていた。
「……何ですか、これ?」
「転移魔法です。正確には、空間魔法を応用して作った転送装置が正しいでしょうか」
「空間魔法?」
「空間を操る魔法です。私が得意にしている魔法の一種で、空間を繋げたり切り離したりして、何か有益な作用を生み出す事を目的とした魔法です。転移魔法は、その最たる例でしょうか」
エクスの言葉に、佐藤は少しの間思考に耽った。空間の理解。それは現在の科学では成し得ていない事だったからだ。
「テレポート……って事ですか」
「ああ、そのような言い方もしますね。これはレグムにある、私の研究所まで続いています。本当はこのような転送装置は違法なのですが、今回はまあ良しとしましょう。娘の治療は、そこで行います」
違法と言った割に、彼から悪びれる様子は一切無かった。そのまま、エクスは体をねじ込むようにして、その扉をくぐった。タコのような、とても柔軟な動きだった。扉の向こうから彼は、蜘蛛の足を数本伸ばした。
「この上に娘を乗せてください」
佐藤は指示に従い、慎重にフェルムを乗せた。彼女は変わらず気を失っていた。彼女の体が扉の向こう側に吸い込まれるのを見届けてから、彼は四つん這いになって、扉をくぐった。
「ようこそ、私の研究室へ。娘以外では、貴方で
顔を見上げると、エクスの背後に、高い天井まで続く巨大な管があった。床の部分と天井の部分には何かの装置が付けられていた。
「――!?」
佐藤は思わずその管に目を奪われた。
管は黄色い液体で満たされていた。そしてその中に、"何か"がいた。名前を付けられない、形容し難い何かだ。3m程の大きさで、人型だったが、右腕にカニのような鋏が付いていて、左腕の先はいくつもの触手に枝分かれしていた。目は蜻蛉ような、網状の目をしていた。
人の形をしていたが、決して人ではなかった。
管は、一つだけではなかった。べらぼうに広い部屋の中に、管は10本はあった。そのほとんどに、色々な生物を無理矢理混ぜた、所謂キメラ生物がいた。
生理的な嫌悪はあった。しかし気持ち悪いと思うと同時に、ワクワクした。佐藤の知っている世界に、ここまで極端なキメラなどいない。目を奪われるには十分だった。
「どうやって、作ったんですか?」
「一応誤解のないように言っておきますが、これらの生物たちは生きていません。生きている時と同じような反応はしますが、言ってみればただの
「そうなんですか」
佐藤の生返事に、エクスは少しだけ硬直した。それから、ひとつ咳ばらいをした。
「とりあえず、あなたにはあそこに入ってもらいます」
エクスが指差したのは、その部屋の傍らに置いてあった、サーカスで猛獣が入れらるような、鉄格子製の檻だった。エクスは鉄格子の扉を開けて、佐藤に中へ入るようにと促した。
「……これはまた、随分なおもてなしですね」
「すみません。これ以上のものが無くて」
佐藤の皮肉に対して、エクスは丁寧に頭を下げた。これで捕まるのは三度目なのだが、佐藤が感じるものは、全く違っていた。エクスにとって佐藤とは、敵でも味方でもない。言うならば道具だ。佐藤はフェルムを繋ぎ止める楔として、今ここに捕られているのだ。そこに善意も悪意も無い。だからこその謝罪なのだろうと、佐藤は感じた。
「では、私はメーナの治療にあたります。食事はちゃんと用意しますので、心配なさらないで下さい。貴方もずっと檻の中というのは大変でしょうから、暫くしたらちゃんと部屋を用意しましょう」
「メーナ?」
「ああ、あなた達は『フェルム』と呼んでいましたね。あれは本来の名前ではありません。メーナとは、ある部族の言葉で半月という意味の言葉です。それが私が付けた、本来の娘の名前です」
そう言いながら、エクスは檻を閉じ、鍵をかけた。そのまま、踵を返して扉へ向かう。
「一つ、聞いていいですか?」
鉄格子に体重を預けながら、佐藤が言った。
「はい。なんでしょう」
エクスは、歩みを止めた。しかし、彼は振り返らなかった。
「あの子の症状って、何なんですか?一体あの子はどうして――魔族の国に来た途端、血を吐いて倒れたんですか?」
「……それは今はお答えできません。説明するには、少々長くなってしまうので。もし機会があれば、またその時にでも」
そう言って、エクスはその場を後にした。
「父親……か」
管に繋がれている機械の稼働音が耳鳴りのように響く中で、佐藤は呟いた。
* * *
目を覚ましてすぐに、マギサは自分の状況というものをおおよそ理解した。彼女の体はベッドの上で仰向けになっていた。前後の記憶と照らし合わせれば、それだけで十分だった。
マギサは体を起こすと、魔力を使わずに、壁を思いきり殴った。自分でも予想以上の音が鳴った。ほんの僅かな出血があったが、流れた血はすぐに蒸発した。
「腹立たしいね。全く。ここまで良いようにやられたのは初めてかも」
マギサがそう恨み節に呟くと、部屋の扉から見計らったかのように、ノック音が鳴った。
「ちょっとあんた、廊下で大きい音が鳴ったんだけどぉー、今は夜よ?静かにしてちょうだいな」
その声は、カーサだった。思わず気が緩んでしまうような、男が無理をして出した高い声だった。マギサは壁で灯るランプを見て、今が夜である事を再確認した。
「ああ、悪かったよ」
「入っていいかしら?」
「どうぞ」
マギサが促すと、扉がゆっくりと開いて、カーサが中に入る。マギサからは対角になる様な位置で、彼は壁に凭れた。
「あんたが負けるなんて、相当強いのね、今回の敵は」
「……まあ、仮にも賢者だしね。正直、甘く見てたよ。自分の能力を過信してた。自分に才能が無い事なんて、分かってた事だったのにさ」
マギサは天を仰いて、深く息を吐いた。どこか遠い所を見ていた。
「あの後……どうなったんだい?」
「さあ。私、その時ちょうど出かけてたから、分からないのよね。帰ってきたら、酒場の中がめちゃめちゃに荒らされてて、あなたとニアちゃんが寝ていた。リュウちゃんとフェルムちゃんは、居なかったわね」
「そうか。フェルムはともかく、サトウ君までも連れ去られたのか。随分挑発的じゃないの。私に取り返しに来いと言わんばかりじゃないか」
マギサは勢いよくベッドから立ち上がって、壁に掛けてある三角帽子を乱暴に掴み取った。そしてそれを、深く被った。
「もう行くの? 少しくらい、休んだらいいじゃない」
「私の体に休息はいらないさ」
「でも、心には休息がいるんじゃないの?あなた少し――焦ってるわよ」
マギサは振り返って、苦い顔をカーサに向けた。
「勝手に人の心の中覗くなよ」
「勝手に見えちゃうんだもの。仕方ないじゃない」
「だよね。知ってる」
マギサは、呆れたように笑った。
「そうだね。焦ってたかも。ありがとう。君がいて助かるよ。どうにも君がいないと、私には強がることしか出来ないらしい」
「珍しいわね。あんたがそんな事を言うなんて」
「友人の前でくらい、卑屈にもなるさ。……まあそれは良いとして、フェルムの事、どう思う?」
随分曖昧な言い方だったなと、マギサは思った。しかし、目の前にいるこの人間に対しては、これだけで良いのだ。勝手にどうとでも伝わる。これほどコミュニケーションに困らない相手はいないだろう。
カーサは暫く、無言で思いつめたような顔をした。頬に手をやって、暫く何かを考えていた。
「……そうね。何もしなくていいんじゃないかしら」
カーサの出した結論は、マギサにとって意外な物だった。彼は部屋の窓まで近づいて、それを押し上げる。
外には、星空の中に、半分の月が浮かんでいた。
「何もしなくていいって、どういう意味だい?」
「そのままの意味よ。あの子は別に、何かしてやらなくても、一人で何とかするわよ」
カーサは振り返った。窓から差した青白い光が、彼の髪一つない頭に降り注いでいた。その光景を見て、マギサは小さく笑った。
「何笑ってるのよ」
カーサは口を尖らせて言った。
「いやぁ。あんまりにも似合わない頭してると思ってさ」
「酷いわねえ。乙女に向かって」
「まあでも、君の言う通り、今回は何もしないでもいいかもね」
苦笑交じりに、マギサは言う。カーサの目が、少しだけ見開いた。今まで、彼女が自分の助言を聞きこそすれど、それを素直に受け入れるかどうかは別の話だったからだ。
「あら、珍しく素直じゃない」
「別に。ただ連絡が入ったもんで」
カーサは、マギサが耳元に手を当てている事に気がついた。
「連絡? 誰から?」
「超が付くほどお人好しの男から」
「……もしかして、あの男かしら?」
カーサは目を細めた。苦い思い出でも思い出したかのようだった。
「その男。苦手なのかい?」
「悪い人だとは思わないけど、何考えてるか分からない感じがどうにもねえ。ま、皮肉と言えば皮肉かもしれないわね」
「そうかいそうかい。兎にも角にも、彼から連絡があってさ、『自分が何とかするから任せてくれないか』とね」
「だから、任せてみようかと?」
マギサは頷く。カーサは腕を組んで、難しい顔をした。
「そうねえ。私は別に、何か意見出来る立場では無いけどぉ、大前提として、その男はあんたを負かした男に勝てるわけ?」
「勝てるよ。その"気"になってさえくれれば」
マギサは感情を排除したかのような声で即答した。カーサは、口を噤んだ。突然口を塞がれたような気分だった。
「元々、そのためにつく――られたからね」
マギサは悲しげな笑顔を、カーサに向けた。
* * *
「……そんなところで何してるの」
体育座りで俯く佐藤に、フェルムが見下ろすように声を掛けた。治療は無事に終わったのか、彼女の顔色は元の綺麗な白色に戻っていた。
「あ……フェルムさん。もう体調は大丈夫なんですか?」
佐藤がそう言うと、フェルムは小さくため息を吐いた。
「もう少し、自分の心配をしたらいいと思うけど。パパから色々聞いたよ。バカだね。私の事なんて、放っておけば良かったのに」
「放っては……おけませんよ」
誤魔化すような言い方だったなと、佐藤は思った。
「別に、大丈夫だったのに。アレルギーみたいなものだよ。今回はたまたま、それが発症しただけ。最近、無茶ばっかりしてたし、私も、暫くはここで落ち着こうと思ってるから。だから、パパに言って、あなたを元の場所に戻して、それで終わり」
言い終わるとすぐに、フェルムは踵を返した。
「ま、待って下さい!」
佐藤は慌てて止めた。フェルムはすぐに振り返る。鋭く――佐藤を睨んでいた。
「何」
佐藤は少しだけ、言葉に詰まった。蛇に睨まれた蛙のように、動けなかった。恐ろしさというよりは、威圧だった。有無を言わせぬ雰囲気が、そこにはあった。
「本当に、良いんですか?」
具体的には言わなかった。逃げ場をなくすような言い方も出来ただろうが、それは彼の一種の癖とも言えるものが、滲みだした言葉だった。
「……渡し忘れてた」
フェルムは、それには答えなかった。目を泳ぐことも無く、ただひたすらに佐藤を鋭く睨んだまま、鉄格子の間に、何かを握った手を通した。佐藤がその下に手を差し出すと、彼女は手をパッと開いた。鉛色の、小さな丸いバッジのような物が、佐藤の手に落ちた。
「これは?」
「……私には、もういらないものだから。念の為に持ってて。それから」
フェルムは佐藤に背を向けた。
「これ以上……何も言わないで」
そのまま、扉に向かって歩く少女に、佐藤は何も言わなかった。否、言えなかった。彼女が扉の向こうに消えてから、佐藤はポカンと開けた口を固く閉じた。
佐藤は手を握り締めて、鉄格子の柱の一本を強く殴った。大きな部屋の中では、殴った時の音は響かなかった。
「何がしたかったんだよ……俺は」
吐き捨てるように、佐藤は呟いた。
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