第5話 全能vs探求

人類と魔族間で起こった第一次世界大戦時、人類を勝利に導いたとされる一人の男がいた。その男は、元々軍人でもなんでもなく、当時はただの魔法の研究者としての意味合いを持つ賢者だった。


彼が戦場に立たされたのは、戦争が本格化するにつれ、人類も魔族も、お互いに余裕がなくなっていたからだ。魔族が"人間よりも強いから"という理由で民間人をも戦場に立たせていたのと同じように、"魔法が使えるから"という理由で、その男も、戦場に立たされていた。


採用を決定したその国の軍上層部も、別に活躍を期待したわけでは無かった。ただの数合わせとしての認識しかなかった。しかし、その男は期待とは裏腹に、投入された戦線において、目覚ましい功績を見せた。味方部隊が撤退する中、彼は一人で戦場に残り、そのまま魔族軍数百人と戦闘状態に突入。そしてたった一人で、魔族軍を壊滅させてしまったのである。


彼が所属していた軍団はそのまま連戦連勝を続けた。何のことは無い。彼を一人で戦線に投入すれば、勝手に戦果を挙げて帰ってくるのだ。これ以上楽な闘いがあるだろうか。彼が軍に編入されてから、戦争が終了するまでの数ヶ月の間で、積み上げた死体の数は数千に上った。この数は、魔族軍全体の2割に上る数である。戦争の間、魔族軍は彼を恐れ、彼を倒すために多くの戦力を投入したが、その全てが失敗に終わった。


戦争が終わり、彼は英雄として国民に迎えられた。しかし同時に、ある動きが人類連合の間で巻き起こった。それが戦後における彼の処遇である。魔族側がそうであったように、その男を倒す事が出来ないのは、人間側も同じことだった。この男が所属する国が、もし仮に他の国にまとめて宣戦布告したとしても、負ける可能性が十二分にあるのだ。各国首脳陣はこの男を大いに恐れた。そしてその対処法として新たに制定された国際法が、『賢者法』だった。


この法律は、賢者に対する定義に加えて、国と賢者の在り方を定めた法律である。簡潔に言えば、賢者に対して一部の権力や金銭を付与する事で、賢者と軍事的な協力体制を築こうとしたのである。


その法律の中に、とある一文がある。


――賢者がこの法律内で定められた権力を大きく逸脱する権力行使、又は国益を損なう行為が認められた場合、他の賢者が該当する賢者を逮捕する事が可能になる。その際に該当する賢者が死亡した場合、関係した者は、罰しない。



*   *   *



「ま、要は国じゃ賢者を止められないから、賢者で賢者を止めようって事なんだけどね。目には目を、賢者には賢者を。実に分かりやすい。勿論君も知っているよね?」


酒場を背にして、マギサは語る。既に佐藤はフェルムと一緒に酒場の中へ逃げていた。エクスが目くじらを立ててそれを止める事は無く、ただ静かに見送った。


「ええ、知っています。しかし、遺憾と言わざるを得ませんね。まだ何も悪いことはしていないと思うのですが。少なくとも、レグム王国と私との関係に関しては」


酒場の方に顔を向けて、エクスは答える。


「したさ。君が派手に肩を貫いた男がいただろう。彼が前に話した転生者だよ。写真も見せたよね?まさか、気が付かなかったのかい?」

「ああ、なる程。すみません。目が悪いものですから。実はあの時も、良く見えていませんでした」

「なら、言えばいいじゃないか。別の方法を考えただろうに」

「いえ、わざわざマギサさんのお手を煩わせる訳にもいかないので」


マギサは帽子を外すと、苛ついたようなため息を吐いた。額には、大量の汗が付いていた。


「君と喋ると本当に調子が狂う。……今なら、見逃してやらない事も無いけど」

「娘を返していただけるのなら、そうしていただけると非常にありがたいです」

「それは、私としては別に構わないけど……。でも、君が肝心の娘に嫌われているじゃないか」


エクスは、顔をマギサに向けた。


「見ていたのですか?」

「見てないよ。サトウ君の記憶を少し覗いただけ」

「そうですか」

「どう判断すべきかは迷ったさ。単なる娘の我儘か、あるいは父親の不必要な束縛か。しかし――フェルムの記憶は覗いたことが無いし、君に関してはときた。だから私は、サトウ君の意思に従うことにした。彼とはまだ、協力体制を築いておきたいからね」

「なるほど、承知しました。娘に嫌われているのは、悲しいですがそのようですね」


あっけらかんと言うエクスに、マギサは呆れたような顔をした。


「そのようって……じゃあ、どうするのさ?」

「そうですね。じゃあこうしましょう」


エクスが羽織っているマントが、一瞬靡いた。


――次の瞬間に、マギサの上半身は消失した。


彼の背中から飛び出したのは、竜の頭だった。蛇のような形状の竜が、マギサの腰から先を一瞬で食いちぎったのだ。残ったマギサの下半身が、バランスを失って倒れる――前に、既に上半身が生えていた。しかし、服は依然、食いちぎられたままだった。


マギサはあられもない姿を晒しながらも、手刀を作ると、それを現れた竜に向けて振るう。それだけで、竜の首がいとも容易く切断された。切断された首は、彼女の少し後方に落ちた。


「全く、どいつもこいつも、すぐに服を破りやがる」


マギサは呟きながら、自分の肌に手のひらでなぞった。彼女がなぞった部分から少しずつ、元着ていた服が形成されていく。エクスはそれを無言で見つめていた。


「女の裸をまじまじと見る事が趣味なのかい?」


エクスは思い出したかのように視線を外す。


「これは失礼しました。少し気になることがあったもので――しかし、流石はマギサさんですね。やはり、上半身を消し飛ばした程度では、何のダメージにもなりませんか」


マギサは帽子以外をすべて生成し直して、切り落とした竜の頭に手を向けた。そしてその手を、握りつぶすかのように閉じる。次第に、竜の頭は足で潰したアルミ缶のように圧縮され始めた。骨が砕ける嫌な音が、辺りに響いた。


「別に、下半身もまとめて消してもらっても構わないけどね。しかし、体になんてものを飼っているんだ、君は」


完全に球体となった竜の頭を、マギサは魔法を使って遠くに投げ飛ばした。エクスは、首だけになった竜をマントの中へ引っ込めた。そして代わりに六本の巨大な蜘蛛の足を背中から生やした。その足の内四本を器用に使って、自分の体を空中で固定した。


「不老不死――確かに素晴らしい力です。やはり、私があなたに勝つ事は不可能ですね」

「前も言っていたね、それ。なら私に面倒を持ち込まないでくれるかな」

「それは出来かねます。確かに私はあなたに勝てませんが――しかし、あなたが私に勝てる確実な理由も、無いのでは?」


マギサの表情が、より一層険しくなった。


「どういう意味だい?」

「貴方にも、弱点があるという事です」

「弱点?」

「これからお見せしますよ」

「そうかい、なら是非ご教授頂きたいものだ」


マギサは片手を天に向かって伸ばし、魔力を込めた。彼女の少し上空で、巨大な火球が生成された。


「やはり――その程度しか出せませんよね」


エクスの発言を無視して、マギサは火球を射出する。かなりの速度で、垂直に落下するように射出されたそれは、エクスのほんのわずかのところで消えた。否、エクスによってかき消された。


「……『人払い』。済ませてから来てくれたら助かったのに」

「まあ、マギサさんの出力任せの超火力攻撃を持ち込まれても困りますし」


(今から『人払い』してたんじゃ時間がかかりすぎる。こんにゃろ、市民を盾にしやがって)


マギサは心の中で悪態をつく。通常、賢者が戦う場合、広範囲に『人払い』を使用するか、人気のない場所へ移動する。彼らの戦闘によって、関係のない民間人を巻き込まないためである。


フェルムの治療という仕事を残しており、時間がかけられない彼女が次に選んだのは、肉弾戦だった。自身に身体魔法の強化を施して、一気にエクスの懐へ飛び込み、彼の脳天めがけて拳を振り下ろす。


――ここまで全て、想定内。


そう思ったのは、エクスの方であった。



凄まじい音が鳴った。それは酒場の扉を激しく揺らすほどだった。二人の衝突によって、建物数棟をすっぽりと覆ってしまうほどの、巨大な砂埃が巻き上がった。


砂埃が晴れて現れたのは、蜘蛛の足が数本と、肩から先の腕が焼失したエクスの姿だった。蜘蛛の足から青い血を、右腕からは紫色の血を、彼は流していた。


「ちぇ、一撃で仕留めてやるつもりだったのに」

「私こそ、本当なら無傷で済ませたかったところです。まあ、流石に受けきるのは不可能ですね。ですが、打ち込ませてもらいましたよ」

「なに?」


攻撃を受けたのは、エクスだけではなかった。マギサもまた、同様に攻撃を受けていた。彼女の首筋に、大きな針が刺さっていた。


「コルピウスという名前の蠍の針です。最も、仕込んである毒は違いますが」

「なんの真似だか知らないけど、こんなものダメージの内に入らないっての。毒も私には効かないし」


マギサは乱暴にその針を引っこ抜いた。彼女の首筋にあるであろう穴は無かった。


「それがあなたの弱点の一つですよ」

「はい?」

「なぜ、攻撃と同時に防御に魔法を使わなかったのですか?」

「そりゃ、私は不死身だから、そんな事する必要無いじゃないか」

「違いますよね?」


エクスはマギサの発言に硬直した。彼の言った事が正しかったからだ。


「貴方は攻撃を防がなかったのではなく、防げなかった。やはり、貴方には魔法の才能がないという、あの噂は本当でしたか。賢者でなくとも、魔法を複数個組み合わせて使うことなど訳無いのですが、しかしその汗から察するに、貴方にはそれが出来ないようですね。だから、私の攻撃を防げなかった。違いますか?」


マギサは唇を噛んだ。しかしそれも一瞬の事だった。溜飲を下げるかのように、彼女は長く息を吐いた。そしてローブ掴んで前後に動かし、服の中へ風を送った。


「合ってるよ。腹立たしいくらいね。私は暑さを防ぎながらは戦えないし、精神干渉しながら回復魔法は使えないし、防御と攻撃を同時に行えない。……でも、だから何だってのさ。君を倒すのに――」


その時だった。マギサの視界が、ひどく歪んだ。地面がまるで意思を持ったかのように暴れだした。立っていられなくなった彼女は、床に膝をついた。


「……エクス、私に何をした?」


マギサはエクスを睨んだつもりだった。しかし、焦点が定まらない。彼がどこにいるかは分かっているが、彼の姿を眼で上手く捉えることが出来ないのだ。


「貴方の弱点の二つ目です。不老不死は確かに凄い力ですが、しかし言ってしまえば所詮、ただの回復能力です。貴方に打ち込んだのは、端的に言えば『眠たくなる薬』です。貴方は寝なくとも生きていけるのでしょうが、しかし眠らないわけでは無いのでしょう?生命活動に害が無いのであれば、貴方にも有効な毒はあります」


エクスが言い終わる前に、マギサは既に地面に倒れこもうとしていた。恐らくは毒が完全に回ったのだろう。彼は、小さな体を慎重に蜘蛛の足で抱え上げた。


「……まあ、眠らせたところで、私にはどうしようもないのですが。お互い、勝ちも負けも無い戦いでしたね」


エクスは体の向きを、酒場の入口へと向け歩き出した。



*   *   *



エクスは酒場の扉を押し開け、中へ入った。自分の娘の気配は、すぐに分かった。大理石のテーブルの上で眠る自分の娘の前に、二人の人間が立っていた。佐藤とニアだ。奥のカウンターは無人だった。


佐藤が姿勢を少し下げて、エクスを睨んでいた。その後ろでニアが、彼の影に隠れるようにして、不安に揺れる瞳で、エクスを見ていた。


「マギサさん!」


佐藤が叫んだ。驚きと焦りが混じっていた。エクスは顔だけを彼の方に向けた。


「安心してください。眠っているだけです。最も、目を覚ますのは随分後になると思いますが」


ゆったりとした口調で、エクスは言う。彼は抱えていたマギサを、すぐ近くのテーブルの上へ慎重に寝かせた。そして、振り返って佐藤達に告げる。


「さて、娘を返してもらいますよ」


エクスはゆっくりと、佐藤達に向かって歩き始める。佐藤は握った手に力を込めた。酷いくらいに、手汗を搔いていた。


(クソ……どうすれば……)


佐藤は考える。しかし、脳内は真っ白で、何の答えも返してはくれなかった。握った拳を振り上げることすら、彼にはできなかった。


エクスが2歩3歩と近づいてきて、佐藤との距離が、1m程まで縮まった時だった。佐藤の影から、ニアが飛び出した。


「待っ……」

「これ以上……」


ニアの背中の羽が、小刻みに震える。佐藤の制止を振り切って、その小さな体は、宙へ浮いた。彼女は両手をエクスに向けた。


「近づかないで……!」


彼女の手から発生したのは風だった。エクスの後方で、それなりの重さがある筈のテーブルが簡単に飛ばされていた。彼のマントが、激しく揺れた。


「流石は魔族と言ったところでしょうか。常人ならば、立っている事すら困難でしょうね」


しかし、エクスの歩みは少しも衰える気配がなかった。風を受けている事すら、感じさせないような歩みだった。


「くっ……!」


ニアは更に、魔力を込める。彼女の皮膚が、赤く変色し始めた。呼応するように、風もまた激しくなる。大理石製のテーブルが、風によって壁にくっついていた。エクスは自分の首元に手をやって、マントが飛ばされないようにした。


「しかし、あまり好ましくはありませんね」


エクスは、歩みを止めて、少しだけ膝を曲げた。ニアはその動きを見逃さずに目で追う。しかし――彼女の眼には、突然エクスが消えたようにしか見えなかった。


「その魔力の使い方は、非常に危険です。自分の体を壊しかねない」


その声は、ニアの背後から聞こえた。彼女が振り向く間もなく、首筋に衝撃が走った。エクスが、手刀をニアの首筋に当てていた。彼女の意識は一瞬で闇に落ちた。


気を失った少女の体を、エクスは蜘蛛の足で抱える。地面へ降りると、別のテーブルの上にゆっくりと、ニアを寝かせた。


そしてエクスは、佐藤に改まって向き直る。


「さて、残るはあなただけですね。まだ、抵抗を続けますか?」

「……当たり前でしょう。何もしないでいられる程、強くはないです」

「そうですか。まあ私としては構いませんが……ふむ」


エクスは、仮面の端をつまんで、佐藤を観察するように見ていた。


「……何を企んでいるんですか」

「いえ、ただ、貴方にも付いてきてもらおうかと思いましてね」

「え?」


驚く佐藤をよそに、エクスは続ける。


「私はこれから、娘を連れて戻り、治療を行います。この点に関しては、貴方と私の利害は一致していると思います。貴方が転生者だというのなら、是非その知識を貸してほしいと、思ったのです」


思わぬ提案だった。エクスは、佐藤がフェルムを逃がそうと画策する事をまるで考えていないかのような口ぶりで言った。あるいは、彼の妨害など、大した障害ではないと思っているのだろうか。


「……嘘ですね」

「おや、バレてしまいましたか」


エクスは、余裕気に言った。佐藤は構わず続ける。


「貴方の目的は、俺を人質にする事でしょう。自分の娘が逃げないように」


佐藤はエクスを鋭く睨みながら言う。エクスは驚いたように顔を動かした。しかし、佐藤に『エクスを出し抜いた』という感覚は無かった。バレたところで、エクスは佐藤を強引に連れ去れば良いだけの話である。


「ついでに言うと、あなたが転生者である事も都合がいいのです。魔力で追跡されることも無いですからね。それで、どうするのですか?無理やり連れ去られるか、自ら私に付いていくのか」

「俺は……貴方に、付いていきます」


佐藤は苦しそうに、絞り出すように言った。自身がフェルムの為に何か事を成したいと願うなら、こう答えるしか無かった。


「よろしい。では、行きましょう。娘は、貴方に任せましょうかね」


エクスの言葉に、佐藤は黙って頷いた。テーブルの上で眠るフェルムを抱えて、エクスの少し後ろを歩く。酒場の扉を抜けた後、佐藤は何かを思い出したかのように、振り返った。


砂を風が運ぶ音以外、何も聞こえなかった。

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