第3話 漢の人

そこから数時間後、大通りを進んでいた馬車は、とある建物の前で止まった。ある一点を除けば、特別変わった所の無い、同じようにレンガや土を使って作られた、少し高さのある建物である。


「ようやく着いた。魔族の国はやたら広くて困るんだよねえ」


馬車のドアを開けながら、マギサは呟く。地面と開きのある車体から、マギサは飛び降りて、伸びをした。袖口が肩の方へとずり落ちて、その腕が強い日に晒されていた。


その後ろで、ニアはマギサの腕を眺めていた。やけに細く、白い腕は、思わず見とれてしまう程に、とても綺麗だった。


「ん?どうかした?」


ニアの視線に気がついたのか、マギサは振り返って、流暢なバイズ語でニアに話しかけた。


「あ、いや……えっと、マギサさん綺麗だなって思って……」


その事に少し動揺しながらも、ニアは言葉を続けた。


「何だいそれ。褒めても何も出ないよ?」

「ほ、本当にそう思ったんです。腕は凄い綺麗だし、顔も凄く可愛いし……まるで、お姫様みたいだなーって、あはは……」


ニアは途中から何だか恥ずかしくなって、愛想笑いをしていた。しかしマギサは気にすることなく、


「まあ、私が可愛いのは知ってる」


と言って、堂々と胸を張った。


(知ってるんだ……)


ニアは心の中で呟いた。


「でも、私の髪はお婆ちゃんみたいに白髪だし、着てる服はダサいし、それ含めたらプラスマイナスゼロだろうね」


マギサが、自分の真っ白な髪の先を弄りながら言った。


「どうして……」


ニアは少し考えて、髪が白い理由か、何故そんな服を着るのか、どちらについて聞くべきかを考えた。


「それって、その……魔女の服ですよね?少し前まで、着るだけで犯罪っていう。なんでわざわざ、そんな服を?」


彼女が出した結論は、服の方であった。その方が、あまり失礼にはならないだろうという考えからだった。


「着たいから」

「へ?」

「私が着たいから。ダサくても大切な物なんだよ、これは。まあ、しょっちゅう破けて、その度に修復してるから、元々の服が残っているかは怪しいけどね」

「……すみません。その、余計な事を私、言いましたよね」


ニアは頭を深々と下げた。マギサは笑って手を振った。


「いいよいいよ。私もこの服、正直着たくない気持ちが9割くらいあるからね。大切な物ってのは確かにその通りだけど、だからと言って、事実を歪めるのはよろしくないし」


と言って、マギサは何かを考える素振りをニアに見せた。ニアが何かを言おうとすると、マギサは手でそれを制止させた。


「ごめん嘘ついた」


暫く黙っていたマギサが、再び口を開いた。


「え……?」

「着たくない気持ち、3割くらい盛った」

「じゃあ6割?」


マギサは首を横に振った。


「いや12割」

「着たい気持ち欠片も残ってないじゃないですか……」


ナイスツッコミ、と、マギサは言って笑った。


「それで、私達がダラダラ喋ってるってのに、あの男は何してるんだ?」

「多分……。さっき、気分が悪いと言っていたので……」


ニアが馬車に目をやると、示し合わせたかのように、馬車の中から、青い顔をした佐藤が顔を覗かせた。端的に言えば、彼はまた酔ったのである。車酔いならぬ、馬車酔いである。おぼつかない足取りで、彼は地面の上へと足をつけた。


「すみません、お待たせしました」

「あの……大丈夫ですか?」


ニアが心配そうに駆け寄って、佐藤に尋ねた。ぎこちない動きで、佐藤はニアの頭の上に手をやった。


「大丈夫。心配かけてごめんね。ちょっと気分が悪くなっただけだから」

「そう、ですか……」


ニアはほんの少しだけ、佐藤には見えないように、悔しそうな顔を覗かせた。


「それで……ここって、酒場ですか?」


佐藤が、正面入り口の木製の扉を見ながら言った。その扉は普通のそれではなく、酒場の入り口としてよく見るタイプのスイングドアだった。


「そう。そして今日から君がお世話になる場所。まあ詳しい話は中でしよう。この日のために、わざわざ店閉めてもらってるしね。先に挨拶だけ済ませるから、私が合図したら入ってきて」


マギサはそのスイングドアに手を掛けた。そしてそれを押す直前、彼女は振り返って、


「あー、入る前にやっぱ謝っておく、ごめんね」


と言って、中へと入っていった。佐藤とニアは顔を見合わせて、互いに首を傾げた。



酒場の中は、砂漠という環境の所為か、椅子やテーブルと言った家具の殆どが、大理石で出来ていた。意外にも高級感に溢れていた。正面に構えられていたカウンターの向こうに、一つの影があった。


「やあカーサ。久しぶり」


マギサが陽気に声を掛けると、その影は振り返る。マギサの姿を見ると、その影は、嬉しそうに跳ねた。


「あらマギサじゃない!待ってたわよぉ!何年振りかしらねぇ。あんたってば、こっちに全く顔出さないんだから。たまにはうちに飲みに来なさないよ」

「やだよ。酒は苦手だってずっと言ってるじゃないか」

「はぁ……連れないわね。こっちはあんた以外に知り合いいないんだから、寂しいったらありゃしないわよ。今回はいつまでいるのかしら?」

「私はすぐ帰るよ。やらなきゃいけない事まだまだあるし。転生者の件もあるし、暫くは退屈しない日々を過ごせるんじゃないかな」

「んもう、ゆっくりしていけばいいのに。それで、その転生者ちゃんは何処にいるのよ?話だと、もう一人私に預けたい人がいるって聞いたけド?」

「ちょうどいいや、まとめて紹介するよ。入ってきていいよ」


マギサの声に合わせるように、入り口外に待機していた佐藤とニアは、扉を押して中へ入った。その少し後に、フェルムも続く。影はカウンターを通り抜けて、ニア達の元に駆け寄った。


「あらやだ!私の好みの、カワイ子ちゃんじゃないの!もう食べちゃいたいくらい!」

「え……?」


佐藤の隣で、ニアが呆然としていた。影に詰め寄られたからではない。その影の言葉は、


影は、骨が軋まんばかりの勢いで、佐藤を強く抱きしめた。


「痛い痛い痛い!ストップストップストップ!」


佐藤が恐怖交じりの声で叫んだ。その隣で、ニアが呆然とした顔を、マギサに向けた。


「あの……リュウさんって、男の人ですよね?」

「そうだね」


マギサは頷く。


「それで、その、カーサ?さんも男の人ですよね?」

「そうだね」


マギサは大きく頷く。


「どういう事ですか?」

「しらね」


マギサは適当に返した。



*   *   *



大理石のテーブルの椅子に、マギサとカーサが隣同士になるように座った。その向かいに、誘導されるようにして佐藤は座った。佐藤の少し後ろでは、フェルムとニアがその様子を眺めていた。特にニアは、先の事もあってか、顔が少しだけ強張っていた。


「では、改めて紹介しよう。私の友人のカーサだ」


と言って、マギサは隣に座る筋肉質な男、カーサの背に手をやった。


「はぁい。ご紹介に預かりました、カーサです。よろしくね?」


と言って、カーサは佐藤に向かってウィンクをした。異常なほどの寒気が佐藤を襲った。


「……佐藤です。どうぞよろしくお願いします。訳アリなので、普段はリュウって名前でお願いします」


それには無視を決め込んで、佐藤は頭を下げた。失礼に当たるかもしれないとは思ったが、本能が勝った瞬間である。


「リュウちゃんね。聞いてるわよ、転生者なんですってねえ。今まで大変だったでしょう?でもこれからはもう大・丈・夫!私がいるからには、あなたのお尻とまとめて守ってあげるわぁ!」

「……」


大丈夫かこの人。と、佐藤は本気で思った。彼の少し後ろで、二アが隣でつまらなさそうに聞いているフェルムの肩を叩いた。公用語で、ニアは話かける。


「あの……フェルムさん、なんでお尻……?」

「人を襲う時は背後からが基本だからじゃない」


フェルムが真顔で言った。


「な、なるほど……!」


ニアが緊張の面持ちで頷いた。一連の会話が聞こえていた佐藤は、握っている手に力を込めた。


(違う……!微妙に合ってるけど根本的な部分が間違ってる!)


佐藤の全力のツッコミが、言葉として世に放たれることは無かった。


「……まあ、守ってくれることには感謝しますけど、でも、良いんです?俺、転生者なんですよ?」

「別にいいわよ。何なら、私も追われている身だったし、一人二人匿うくらい楽勝よ」

「そうなんですか?」

「ええ。随分昔の話になるけどね。屈強な男たちに追われるのも、中々スリリングで悪くなかったけどねぇ。でも私、受けより攻めの方が好きなのよねぇ」

「聞いて無いです。……それで、確か手伝いをするって話だったと思うんですけど、俺は何をすれば?そっち方面では勘弁したいんですけど」


佐藤がそう言うと、カーサはまるで貴族のように笑った。


「それも悪くないけど、私、手を出すならちゃんと私の事を好きになってから出すわよぉ。そこまで落ちぶれていないわ」

「さっき抱きついてきたのは?」

「ただのスキンシップじゃないの」

「……まあ、極力控えてもらえれば」


佐藤はため息を零した。


「手伝いってのは私の店を手伝って欲しいのよ。勿論、お金は出すわよ?」

「ウェイターをやるって事ですか?」

「それもいいけど、一番は通訳をして欲しいのよ」

「通訳?」


佐藤が聞き返すと、カーサが頷く。


「ええ。実はこの国、一応公用語が第一言語になっているのだけどね。何せ魔族は長い事生きるから、習得していない世代が圧倒的に多くて、時々困っちゃうのよ。だから、あなたには通訳をして欲しいわけ。正直、ウェイターは私一人で事足りてるから、別にやらなくてもいいわ。必要になったら時々呼ぶから、その時にあなたの力を発揮して頂戴」

「なるほど……まあそれ以外にも、俺に手伝える事があったら手伝います」

「ありがと。じゃあ契約成立って事で、よろしくね?」

「よ、よろしくお願いします……」


まるで佐藤を誘惑するかのように、カーサは言って、手を差し出した。少しの躊躇がありながらも、佐藤はそれにを握り返した。彼の身長は佐藤よりも少し低いが、佐藤以上に大きい手だった。



その後、カーサはニアとフェルムの両名とも、話し合いの場を設けていた。フェルムについては、特段話す必要はないと、本人が主張していたのだが、カーサの女の心としての母性とでもいうべきだろうか、カーサの熱意に押し切られる形で、嫌々ながら、フェルムはカーサと会話を交わした。端から見れば、その会話が弾んでいるとは言い難い物であったが、カーサ本人は満足気な様子であった。


それから、カーサは佐藤とニアに、酒場内を案内して回った。風呂場やトイレ、調理場や倉庫など、酒場としての機能の部屋から、住居としての機能の部屋まで隈なくである。そして最後に、カーサは佐藤とニアを、客室に案内した。客室は2階に4つあり、そのうちの2つを、それぞれニアと佐藤専用の部屋として、割り当てる事になった。


客室は、奥にはベッド、手前には机とクローゼットがあるだけの、簡素な部屋だった。壁には木製の小さな窓があり、今は閉じていた。聞くところによると、窓を開けると部屋の中に砂が入って来てしまうため、普段から閉じているらしい。そのため、よっぽどの事が無い限りは開けるなと、カーサは佐藤達に釘をさしていた。


一通りの案内を終え、カーサは佐藤達に自由にするように伝えた。佐藤は自分の部屋となった客室に赴き、机に腰かける。暫くすると、扉からノック音が鳴った。


「サトウ君、入っていいかい?」


マギサの声が、扉から響いた。佐藤が許可を促すと、マギサは扉を開けて、部屋の中へ入った。佐藤が何かを言う前に、彼女はベッドに腰かけた。佐藤は特に気に留めなかった。


「……マギサさんの友人、中々強烈な方ですね」


佐藤がそう切り出すと、マギサは楽しそうに笑った。


「だろう?流石にいきなり抱き着くとは思わなかったけどね。まあでも、あれでも頼りになる奴さ」

「ならいいんですけど。お話って?」

「今後の話含めて、色々ね。とりあえず色々予定はずれ込んだけど、君とニアちゃんには、暫くここで過ごしてもらう。何も無ければずっとだけどね」

「ニアちゃんは、その、どうしてここで俺と一緒に?」


歯切れ悪く、佐藤は言う。その答えは、佐藤にはおおよそ見当がついていた。だからこそ、素直に聞くことが出来なかった。


「母親が死んじゃったからね、学校はおろか、国にも住めなくなったのさ」


マギサはあっさり言う。佐藤に、頭を鈍器で殴られたような感覚がした。全身に力を込めて、佐藤はそれに必死で耐えた。


「やっぱり、そうですか」


力なく、佐藤は言った。


「まあね。あの子が日常生活を難なく送る事が出来たのは、あの子の母親あっての物だからね。流石に、その力なくしてはその日常生活を守る事は出来ない」

「それに、今その力を借りるって事は、ニアちゃんに、母親の秘密を明かす事になりますよね」


それは出来ない。と、佐藤は心の中でその続きを言った。それは彼女が、命を賭してまで、守りたかった関係なのだ。壊せるわけが無かった。


「ま、分かってるならいいさ。君とニアちゃんの関係は良好だし、彼女の面倒を見てやってくれ」

「それはもう……喜んで」


佐藤は答える。それは本心だった。シルワがいない今、彼女に償いが出来るのは、自分だけなのだから。背負っている罪の重さも、十分理解している。嫌と言って逃げ出したくなる程、叩きつけられたのだ。


「それからもう一つ。と言っても、これが本題なんだけどね。君にこれを渡したくってね」


と言って、マギサは袖口から本を取り出した。佐藤は受け取って、中のページをいくつか捲る。全て、見覚えがある内容だった。


「ああ、これは例の」

「そう、書き換え魔法が書いてある本。とりあえず、空の彼方へ飛んでしまう事は無いように、細工を施したカバーを本に付けてあるから、くれぐれも外さないように」

「承知しました」


と言って、佐藤は本を机の上に置いた。


「んで、引き続き翻訳作業をよろしく頼む。月に何度かは私も訪れるから、翻訳結果や意見交換はその時に」

「……正直に言っていいですか」


神妙な面持ちで、佐藤が呟く。


「何だい?」

「翻訳自体は、問題無いと思ってます。言葉にするだけなら、なんの労力も要らないと思います。でも、その先となると少し、問題があるんです」

「問題?」


佐藤は頷いた。


「この本の内容を正確に理解できる自信が無いんです。この本は確かに科学の内容書かれていたんですが、目的自体はそれを利用した魔法にあるので……。科学の事だけでも厳しいのに、更に魔法となると、もう何が何だか……」

「ふむ……」


マギサは、紫色の三角帽子を被り直してから、口を開いた。


「なら、こうしよう。私が君に魔法を教える。魔法のまの字も知らないだろうし、初等学校で習う基礎的な知識から、じっくり教える。使えるかどうかはともかく、知識だけなら、一年もあれば十分に身に付くだろうさ」

「一年……ですか」


何とも言えない時間だった。佐藤がこの世界の住人であったなら、それは恐らくかなり短いのであろう。しかし、一年間。その期間は、果たして元の世界にどれだけの影響を与えるのか、佐藤には計り知れない事だった。


元の世界に戻った瞬間、この世界に居た時間も無かった事になるなんて、甘い話があるのだろうか。科学的に考えるなら、全くありえない話ではないが、それでも無理があるとは思う。さらに言えば、逆に一年より長い時間が経っている可能性だってある。


(こういう時、友達の事とかよりも、大学の事とか、家賃の事とかばっかり頭にちらつくんだよな)


嫌な大人になったなと、佐藤はため息を零す。


「元の世界の事でも、考えてたのかい?」

「無事帰れたとして、住所不定の無職になる未来が見えて絶望しかけてたところです」

「今も大体似たような物じゃないか」

「……まあ、確かに」


不満げな様子の佐藤に満足したように、マギサは笑った。


「それで、さっきの話の続きだけど、私が魔法を教える交換条件……と言うと少し違うけど、君にもやってもらいたいことがある」

「俺に出来る事なら」

「いや、寧ろ君にしか出来ない事だ」


マギサはベットから跳ねるように立ち上がって、佐藤をじっと見た。


「私に、科学を教えて欲しい」


真剣な表情で、マギサは佐藤に言った。

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