第17話 白と黒 

その瞬間。


照明が落ちた舞台のように、世界は再び黒に染まった。先程まで、少し離れた所にいた佐藤も、同じようにその黒に覆われる。慌てて佐藤は、光を求めて頭を忙しなく動かした。


彼が後ろを振り向いたときに、彼の目線の先で光が発生した。彼が眩しさに目を覆う事は無かった。舞台のスポットライトのような、上から降り注ぐ直線的な光だったからだ。それは佐藤に向けても発せられていたが、彼はどうでもいいと言わんばかりに、光に照らされた誰かを見つめていた。


「どうやら、ここまでのようだね」


彼の目線の先にいたのは魔女だった。ぶかぶかのローブと、顔がすっぽり沈みそうなほど大きい、紫色の三角帽子を被った魔女が、そこには居た。帽子を深く被っているせいか、佐藤の位置からは、あまり顔が良く見えなかった。


「この後は、どうなったんですか」


唐突に佐藤は聞いた。


「ん?この後?」

「とぼけないで下さいよ。あなたなら多分、知っているんでしょう。どうせ」


佐藤はぶっきらぼうに言った。


「手厳しいなぁ。この後は別に、シルワの母親が瀕死ながらも彼女の記憶を封印して終わりさ。それで彼女の変身は完全に解除されたってわけ。最も、母親はシルワに体を突き刺されて死んだんだけども。ま、謎が完全に判明したわけでは無いけど、彼女から得られる情報はこれで全てかな。どうサトウ君。死者の墓を掘り起こした気分は?」

「意地悪ですね。こんなことになるとは、正直思っていませんでしたよ」

「ふむふむ。なるほどなるほど」


魔女はそう言って、わざとらしく腕を組んで首を縦に振った。


「……何か、言いたい事でもあるんですか」


嫌そうな顔をしながら、佐藤は言った。


「いや別に。ただ知っていたんじゃないかなって、そう思っただけさ」

「シルワさんが?いったい何を知ってたって言うんです」


佐藤の言葉を聞いた魔女は首を横に振った。次の瞬間、彼女を照らしていた光は消えた。佐藤が気がつく頃には、魔女は彼の背後に立っていた。しかし佐藤は振り向かず、気配だけでそれを感じていた。


「知っていたのは君だよ、サトウ君。本当は何か――いや、具体的でなくとも、君のような聡明な人間ならば、何か気付いていた事があるんじゃない?」


佐藤の背後から、魔女はうっすらと笑みを浮かべて言った。佐藤には、まるで耳元でささやいたようにに聞こえた。


佐藤は何も言わなかった。否、言えなかった。何か――ざわつく音が、佐藤には聞こえた。


――やめろ、止めてくれ。


「沈黙は、肯定って事で良いかな?」

「違う!」


言った直後、佐藤は驚いたような顔をした。自分でも、ここまで大きな声が出るとは思っていなかった。ざわつく音は、さらに大きくなっていた。


「何がどう違うんだい?」

「それは……その……」


佐藤はどうしても、その先の言葉が出てこなかった。光に囚われている今の状況のように、一歩先は真っ暗で、何も見えなかった。


「君はそうやって、感情論を振りかざすタイプでは無いと思っていたんだけどね」

「本当に何も知らないだけです。それに、俺だって人間です。感情的になる事くらいあります」

「へえ、君も怒ったりするんだね」


煽るような口調で、魔女は言った。


「……そりゃそうでしょう。何が言いたいんですか」

「いやぁ、別に?」魔女は、一瞬間を置いた。「ただ、って、そう思っただけさ」


佐藤は目を見開いた。全身に、一瞬だけ力が入った。するはずも無い、寒気がした。


「ずっと疑問に思っていたんだけど、君はどうして他人に怒らないんだい?」


佐藤は口を開けた。しかし、言葉は出なかった。


「うーん、ちょっと違うな。別に怒る事は怒るか。ニアちゃんが襲われていたのを見て、君は実際怒っていたし、アールの話を聞いて、憤りなりなんなり感じていたわけだし。でも、そうだね。、なぜか盲目になる。絶対に他人を責めないし、その原因が自分にあると思っている。否、思い込んでいる。つまり君は、君自身に怒っているんだ。今もなお」

「……今のこの状況を招いたのは、俺のせいでしょう」


それは精一杯の言葉だった。脳みそを限界まで絞って出た言葉だった。


「確かに、彼女の封印を解いたのは君だ。しかしそれは、彼女が何の罪もない少女に手を掛けようとした結果、起きた事だろう」

「……俺がちゃんと止めれていれば、あの子の母親だって、殺さずに済んだ」

「おいおい、違うでしょ。シルワがあんな事願わなければ、じゃないの?」

「あの時、シルワさんは子どもだったじゃないですか」

「だから何だって言うのさ」

「だから……その、今の彼女が殺すと願うとは限らないじゃないですか」

「本当に、そう思ってる?」

「……」


佐藤は目を瞑った。そして、言いようもない悔しさに顔を歪ませた。


「まあ別に、シルワが殺してやろうって直接願ったとは言わないさ」


佐藤の背後で、魔女が続ける。先程からしていたざわつく音は、その声量にも負けない程だった。


「きっと、君を守りたかったんだろう。それが今の彼女がした願いなのだろう。しかしそれは、『手段を一切考慮しない』という条件付きだ。たとえその結果が、何の罪もない人を殺す事になってもね。悪意は一切無い、何処までも単純で、純粋で、そして粋狂な願いだ」


魔女は、一歩前に進んだ。二人の距離が、少しだけ開く。


「今までは、君の命を狙う輩ばかりだったから、私もそこまで問題視はしていなかった。人を殺す事を決意しておきながら、自分がそうなるかもしれない覚悟がないだなんて、全くもって不純の極みだろう?」


魔女はさらに数歩進む。一つに繋がっていた光は、そこで複数に分かれた。


「だけど――流石にこれは、見過ごせない。これは別に、今後私たちにとって不利に働くからとか、そう言う意味じゃなくて――正直に言って、私が気に入らない。個人的に、許す事が出来ない。今回は君の活躍のおかげて、その命は救われたけど、次回はどうだろうね?もし仮にその命が終わってしまった場合、それでも君はまだ、彼女の味方でいられるのかい?」

「……俺は、シルワさんを信じたい。あの人ならきっと、それを乗り越えてみせるって。罪もない人を傷つけたくないって気持ちは、持っているはずだから」


魔女は歩みを止めた。その口元が、大きく歪んだ。相も変わらず、二人は互いに背中を向けていた。


「どうしてそこまで、彼女を信じようとするんだい?君たちは精々会って数日の仲だろう。一体彼女の、何を知ってるって言うんだい?」

「それは……」


その言葉の続きは、今の佐藤には言えなかった。答えはある。だがそれは、彼の中で言ってはいけない事だった。


佐藤が黙っていると、背後でため息が聞こえた。その直後、佐藤はおぞましいほどの寒気を感じた。それは後ろの魔女から放たれた、何かの不吉なオーラのようなものを佐藤ははっきりと感じたからだった。


「君の母親が死んだことと、彼女の過去とは、何も関係が無いだろう?全く、彼女に一体何を期待しているのやら」


魔女は吐き捨てるように言った。まるで、お前には失望したと言わんばかりだった。


「黙れッ!」


魔女が言ってすぐに、佐藤は激昂した。今度は自分のした事に驚く余裕など無かった。照らされた白い地面と、その先の黒の世界との境界線を睨みつけて、両手を握りしめていた。


佐藤の言葉に本当に従ったのか定かでは無いが、それ以上、背後から声が聞こえてくる事は無かった。そこから十秒、二十秒と経って、次第に苛立ちを抑えきれなくなった佐藤が、力任せに、乱暴に振り返った。


そこに居たのは、魔女ではなった。長い金髪を携えた女――シルワだった。彼女は佐藤に気がついていないのか、座り込んで背を向けていた。彼女は記憶の世界で見たときの子どもの姿ではなく、今の、彼が良く知っている筈の姿だった。背中まで伸びた金色の髪が、降り注ぐ光に照らされてか、やけに輝いて見えるような気がした。


「……」


佐藤は言葉に詰まった。先程まで、頭の中にあった筈の魔女への恨み言は、すべて吹き飛んでいた。何故ここに彼女が――そういった思考を、頭の中で繰り返していた。


無意識だったのだろうか、彼は、シルワからニ歩後ずさった。そして次の足を後ろに出そうとしたときに、自分の体が彼女から逃げようとしている事に気がついた。


――なぜ逃げようとする。俺が招いた事だろうが!


佐藤は全身に力を込めた。これ以上逃げないように、自分の体にまるで釘でも刺すかのように、体の何処をも動く事の無いように、力を込めた。しかしだからと言って、佐藤がシルワの元に進むこともまた、無かった。


佐藤が立ち止まっていると、こちらに気がついたのか、シルワが振り返った。


佐藤はぎょっとした。初めて会った時の、瑞々しい目は何処へ行ってしまったのか、今の彼女の目は、まるで老婆のそれのように皺だらけの、酷いものだった。


「あ……あ……」


佐藤と目があったシルワが声を出した。意識が混濁した老婆のようなうめき声だった。上手く立てないのか、彼女は四つん這いで、亡者のように佐藤の元へ這い寄ると、そのまま佐藤の腰に抱きついた。抱きついた後も、自分の元へ手繰り寄せるような動きを繰り返した。


「わた、わたひが」


彼女は全く上手く喋れていなかった。例えるなら、耳が聞こえない障碍者のような喋りだった。


「おかぁさんょ」


そう言いながら、彼女の目から涙が一つ溢れた。それを皮切りにして、彼女の目から大粒の涙が溢れ始めた。頬から流れ落ちたその涙は、佐藤の足をすり抜けて、真っ白な地面に落ちて溶けた。


「こっ、ころし、た。あ、あんのぉ、この、おかぁさんも、わた、しが、わたしの――」

「もういい!」


佐藤は叫んだ。もうこれ以上、聞いてられなかった。ビクンと、彼女の体が震えた。まるで親に恐れをなす子どものように。


「……もう、言わなくていい。分かったから、もう……」


反射的に、そして理性的に、佐藤はシルワを抱きしめ返した。互いの肩に、互いの顔が乗る。


これ以上、聞いていられなかった。どうして良いかも分からなかった。気の利いた言葉で慰める事も、威勢の良い言葉で発破をかけるのも、優しく頭を撫でる事も、今の佐藤には、到底出来る事では無かった。


「ごぉめんなぁさい……ごぉめんなぁさい……」


シルワが、しきりに謝りだした。彼女が一体何に謝っているのか、佐藤には分からなかった。彼女を抱きしめる両手が、何故だか震え始めた。


――以前、彼女と初めて会った時、彼女はこう言った。『母親はある日突然、姿を消した』


しかし、旅に出る直前、彼女は母親の墓参りをしたいと言い出した。


違和感、不信感。


そういったものが、その時、佐藤の中で蠢き出した。しかし彼は、それ以上は聞かなかった。


否。聞けなかったのだ。怖かったから。真実がただの言い間違いだったとしても、彼は聞けなかった。


彼女が辛い事があっても気丈に振る舞う事が出来るのではないと知ってしまったら。


自分と同じ存在であると知ってしまうのが――怖かった。



「さと、うくん、ごめ、んなさい」


唐突に、シルワが言った。声も、誤差の範囲だが平常時に戻りつつあった。


「え……」


間の抜けた声を、佐藤は出した。


「わ、たし、さとう、くんの、ともだち、ころそ、うとした」

「……」


佐藤は黙っていた。黙っているしか無かった。


「ともだちの、おかあさんも、わたし、ころした。わたしと、いると、みんな、ふこうになる」

「ッ――!」

「だから、ここで、おわかれ」


――は?


今なんて言った?

別れ?

こんなものが?

こんなもので?

ここでおわりだって?


良い訳がない。

こんなもので良い訳あるかよ!


……


けれど、最後まで言葉は出なかった。



ぷつりと、突然、そこで世界は終わった。


最後に彼女がどんな顔をしていたか、佐藤には分からなかった。


分からなくて当然である。


抱きしめていれば、顔を見なくて済むのだから。

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