第12話 仮面の向こう側

「友達って……あの?一緒に学校に行ったり、家に帰ったりする、あの?」


ニアが驚いたような顔をして、佐藤に聞いた。


「他に何があるのさ」


佐藤は苦笑いをしながら、そう言った。


「わ、私なんかで良いんですか……」


ニアの黒髪が、不安げに揺れる。その下にある目は、縛り付けられているかのように、俯いていた。


「何か問題があるの?」

「だ、だって、私お話とか苦手だし……。いっつもびくびくしてばかりだし、魔法もそんなに出来ないし、動きもとろいし……それに、それに」


ニアはまるで早口言葉のように、自分の悪い所を探してはそれを口に出していた。その様子に、何処か愛らしさのようなものを佐藤は感じていた。


「それに?」

「知ってると思いますけど、私魔族なんです。……だから、人間とは仲良く出来ないんです」


佐藤は捕らえられた時の事を思い出して、苦笑いをした。


「痛いほど思い知ったよ。学校はどうしてたの?」

「私が魔族ってバレたらおしまいなので……基本的には誰とも関わらないようにしていました。体動かしたりする授業の時には、病気って事にして休んでいました」

「……そうか」


佐藤はため息を零すかのように言った。目の前の少女は、相変わらず俯いていた。


「――あのさ」佐藤は少し考えてから声を出した。「俺、めちゃくちゃ遠い所から来たんだ。ほんと、気が遠くなるくらい離れた所から。俺の住む場所には昔、ここの人間と魔族のようないざこざがあったんだ。今も後遺症のようなものがあるけど――それでも、少しは仲良くやれてると思うよ。だからさ」


佐藤は強調するかのように、手を更に少女の方へ伸ばした。


「俺たちが、その礎になろう。人間と魔族が、仲良くなれるんだって事の証明の、第一歩に」

「人間と魔族……」


ニアがそう、小さく呟いた。黒い髪で目を隠しながら、ニアはしばらくそこで固まっていた。しかしやがて――まるで氷が解けてゆくかのように、ゆっくりと、佐藤の伸ばした手をニアは握り返した。


「よ、よろしくお願いします……」

「うん、よろしく」


確認のような挨拶を終えると、ニアは顔を上げた。喧嘩した後の仲直りの時の、少し照れながら、それでも屈託ない笑顔だった。


「話は変わるんだけど――ニアちゃんのご両親って、今どこにいるの?一応お礼をと思ってさ」

「お父さんはもう死んじゃったんで、今はお母さんだけです」


予想は出来ていたが、それでもばつの悪そうな顔を佐藤はした。


「そっか。ごめんね」

「いえ!気にしないで下さい。私が生まれる以前の事で……その、さっきああいう事になった手前、し辛い話なんですけど、世界大戦の時に亡くなっちゃって」

「そうなんだ……。そしたらお母さんは、いつ頃帰ってくるの?」

「うーん……」


ニアは棚の上に乗っている時計を横目で見た。時計は七時過ぎを指していた。


「もうそろそろだとは思うんですけど……。たまに仕事が長引いて、明日になっちゃうときがあるんですよね……。今日はもしかしたら、そうかもしれないです」


と言って、ニアは「ごめんなさい」と言って、頭を下げた。


「そっか……」


と、お互いがお互いに頭を悩ませているその時だった。ガチャリと、ドアの鍵が開く音が聞こえた。唐突なその音に、佐藤は少し驚いた。


「あ、噂をすれば帰ってきた」


ニアがそう言って、佐藤を後にした。一人取り残された佐藤は、彼女の母親に、どういう風に今の状況を伝えようか、アレコレ悩んでいたのだが――


「あ、あのねあのね、この人は人間さんなんだけど、良い人間さんだから、だから――」

「分かった分かった。邪険には扱わないから、そんなに心配しないでも――」


と、そんな声が微かに聞こえてきた。母親と娘の、楽し気な会話だった。佐藤は思考を止めて、それをただただ聞いていた。時計の針が刻まれる音が、やけに大きく佐藤には聞こえていた。


佐藤がいた部屋のドアが開かれて、その頃には既にベッドの上に座っていた佐藤は、ニアの母親であろう人物と、目が合った。


「「え」」


お互いに、そんな声を漏らした。同じ驚きの声が、和音のように重なった。


佐藤から見て、その女は

女から見て、その男は


自分を捕らえ、殺そうとした

憎むべき敵の


『イディオン』のボスの女だった。

転生者だった。





「――ッ!」


佐藤はすぐにでも動こうとした。しかし――


「まあまあ、どうせ行くあても無いんでしょう?そこに座って、ちょっと待ってくれないかしら」


女は、すぐにそう言った。柔らかく自分の娘を見つめる目が、冷たく鋭い目に、一瞬だけ変わった。


「ねえニア?」

「なあに?お母さん?」

「お母さん、少しこの人と話したいことがあるから……そうね、今日はもう早いけど、先に寝てらっしゃい。この人のお世話をして、疲れたでしょう?」


女がそう言うと、ニアは欠伸をした。それがわざとではない事は、誰にでも分かる程、自然な物だった。


「……うん、そうだね。急に眠たくなったから、もう寝るね。おやすみ、お母さん」

「まっ――」


佐藤の声を無視して、あるいは聞こえていなかったかのように、ニアは奥へ消えた。それを見送ってから、ため息を一つ零して、佐藤を柔らかい目のまま眺めた。


「もういいわよ。私の言う事にも別に従わなくていいわ」

「その登場の仕方は予想外でしたよ」


佐藤はそう言って、無理に笑ってみせた。実際には、体の震えが止まらず、恐怖の二文字が、脳みそを支配しようとしていて、それを無理に振り払おうとしただけだった。


「それはこっちの台詞ね」


女はそう言って、何をするわけでも無く、着ていた上着を脱いで掛けた。佐藤は警戒したまま、その動きを眺めていた。


「……俺の事、捕まえて殺さないんですか」


しびれを切らした佐藤が聞いた。


「ええ――だってここでは、私『母親』だもの」


女が、佐藤の方を見ずに言った。佐藤は何も言わなかった。


「娘の教育に――よろしくないでしょう?」


佐藤は何も言えなかった。暫く、黙っていた。


「分かりません」


数十秒黙って、ようやく出てきたのがそれだった。佐藤は女の方を見ていなかった。


「まあ、いいわ。お茶でも出すから、とりあえずリビングで話をしましょう。ついて来て」

「……はい」


体が勝手に動く感覚も、何かに縛り付けられるような感覚も、佐藤には無かった。自分の意志で、女の後へと続いて、リビングへと入った。


リビングは、キッチンとの仕切りが無い形状だった。キッチンには大きい鍋がコンロのような物の上にあった。窓の外の暗くなり始めた夜の中で、まるで浮き上がるような湯気が、鍋から昇っていた。


女は、テーブルを囲む四つの椅子の中の一つを後ろに引いて、そこに座るように佐藤を促した。佐藤は無言で座った。女はカップを二つ、棚から取り出した。それを適当な場所に置いて、近くにあった縦長の何かの装置に、はめるようにとりつけてあった、赤く大きく「!」が描かれたポットをゆっくりと持って、その中身をカップに注いだ。それを佐藤の目の前と、その向かいの椅子の前に置いて、机に腰かけた。


「どうぞ。結構美味しいわよ」


そう言って、女はカップを口の前まで持ってきて、それを傾けた。


「……いただきます」 


佐藤も、同じようにカップを傾けた。そのカップの中身は紅茶で、美味しいような気がしたが、緊張でよく分からなかった。


「そうね。一応、娘から色々話は聞いているわ」


暫くの沈黙を破って、女が言った。佐藤は慌ててカップを置いた。


「話ですか?」

「ええ。あなたが私の娘を助けてくれたそうで。お礼を言うわ、ありがとう」


そう言って、女は頭を下げた。何だか調子が狂う。と、佐藤は思った。


「……どういたしまして。あなたの娘だとは全く知りませんでしたが」

「私だって、そんな事全く思ってなかったわよ。まさか、殺そうとした人間が、自分の娘の命の恩人だなんてね。でもまあ、そうね。助けたのが人間だと聞いて、そんな馬鹿な真似をするのは誰なのだろうと思ったのだけど、納得と言った所ね」

「納得……ですか」

「ええ、納得。そうね……あなたはきっと、後ろ向きなお人好しなんでしょうね」

「後ろ向き?どういう意味ですか」

「――他人の不幸を何とかしようと戦うのよ、あなたは」


少し間を取って、女は言った。


「……それの何が、いけないんですか」

「いけない事は無いわよ。でもね、一つ教えてあげる。人生の先輩からのアドバイスだと――いえ、経験則とでも言っておきましょうか」

「何ですか」


佐藤がぶっきらぼうに返した。女は気にもせず続けた。


「誰かの幸せを守る事が出来るのはその人以外の誰かだけど、不幸から守ってあげられるのは――あるいは、救ってあげられるのは自分だけなのよ」

「いけないことでは無くても、無駄だと、そう言いたいんですか」

「そこまでは言って無いわよ。あなたの行為によって、実際私の娘の幸せは守られた。それには凄く感謝している。でもね、あなたはそっちを重要視しすぎている気がするのよね。不幸を何とかしようとし過ぎていて、同じだけ幸せがあるかもしれない事に気が付いていない――いえ」


女は、言葉をそこで止めて、佐藤の目を見ようとした。しかし、彼は俯いていて、女からは良く見えていなかった。けれど、それで充分だった。


「訂正するわ。あなたは幸せに気付いていないんじゃない。気付かないようにしている。まるで自分は不幸でいなければいけないと思っている」


佐藤は何も言わなかった。ただ俯いていた。


「お節介かもしれないけれど、言っておくわ」

「何ですか」


ようやくそこで、佐藤は全くと言っていいほど生気のない声で言った。


「誰にだって幸せになる権利があるのよ。どんなに悪であろうと、どんなに罪を重ねてもね」


ニアの消えた方向を見ながら、女はそう言った。そして紅茶を一口すすった。


「……幸せになれば、罪や不幸を忘れてしまうんじゃないんでしょうか」


佐藤からの問いかけに、女は薄く笑った。


「ふふ――確かに、そうかもしれないわね。でも、そんなに気にしないで大丈夫よ」

「どうしてですか」

「幸せ程度で忘れられるなら、最初から罪や不幸だなんて感じていないわよ」

「……そんなの、実際にやらなければ分からない事じゃないですか」

「そうね。でも私は実際そうだったもの」


女は強く言い切った。佐藤はふと顔を上げた。女と目が合った。目の前の女は、まるで佐藤の事を気遣うような、優しい目をしていた。佐藤は戸惑いのような物を覚えていた。


「どうして……俺に優しくしようとするんですか。殺したいほど恨んでいたんじゃないんですか」

「まあ、そうね。それは事実だわ。でもここでは私は『母親』なのよ。さっきも言ったけど、教育によろしくないし、何より――娘にあんな姿は、見せたくないのよ」


目の前にいる女の本質がどちらなのか――気まぐれで人間を殺す殺人鬼か、一人の娘を持つ母親か――それを確かめなければと、佐藤は思った。


「……今一度、あなたにお聞きしたいことがあります」


そう言って、佐藤は紅茶をひと啜りした。やはり紅茶の味は――よく分からなかった。


「あら、何かしら?改まって」

「あなたはどうして、転生者を恨むんですか」


女は、傾けようとしていたカップをピタリと止めて、机に置いた。


「……はあ。それ聞いちゃうの?意地悪ね。まあ減るものではないから構わないけど」


女はそう言って、深く息を吐いた。何か決意めいたものを、佐藤は感じていた。



「三百年前――その時はまだ、この国は平和だった。人間と魔族が、仲良く暮らせていたわ。少しの制約や壁のような物はあったけど、個人で見れば大したことないものだった」


女はまるで読み聞かせでもするかのように、静かに、ゆっくりと語り始めた。目線は佐藤を真っ直ぐ見ていたが、何処か遠い所を見ているようでもあった。


「その時住んでいた家のお隣さんと――まあ、人間だったんだけど、すごく仲が良くてね。よく世間話をしたり、一緒に遊びに行ったり――言うなれば親友ってやつだったわ。用事があれば娘を預かったりもしたわね」

「そのお隣さんは……その、今はどうして?」


佐藤には何となく、その答えの察しは付いていた。


「死んだわ。私が殺した」


その言葉だけは、一切の感情の無い、努めて冷静な――あるいは、感情を押し殺したような声だった。


「そうね、私がそこに引っ越してから三年くらいかしら。あの国が出来たわ。魔族の国。と言っても、別に何かが大きく変わったわけでは無かった。というかむしろ、助かったぐらいだったわね。役所の手続きとか楽になったし」


佐藤は一切表情を変えず――それこそ、眉一つ動かさず、女の話を聞いていた。


「それで……そこからまた三年くらいたって――あの日が来たわ。戦争の起こった、あの日が。その時――私は魔族の国を守る兵士として、招集された。志願したわけでは無いけど、日に日に劣勢になるにつれて、私達のような一般人も戦わされた。魔族は元からある程度の戦闘力を持っているからって理由でね」

「女性でもお構いなし。ですか?」

「ええ、まあ。確かに多少の身体能力の差はあるけど、その程度魔法でどうにかなるもの」


佐藤は考え込むような様子で、少しの間テーブルを眺めていた。自分の世界とこの世界の違いについて、考えていた。


「分かりました。続けてください」


そう言って、佐藤は顔を上げた。


「私は戦った。無我夢中でね。戦いというより、殺し合いと言った方が正しかったわね。とにかく襲ってくる人間を退けて、殺したわ。そうするより他無かったからね。そしてある時、一人の人間を殺した。私が殺した合計五十四人の中の一人。その一人が――お隣さんだったわ」


やはり女は――声の調子を変えることなく、そう言った。そうすることで、何かを必死に抑えているようだった。


「その後、戦争が終わったわ。私達の必死の努力を、水の泡にする形でね。そして――気が付けば、荒廃した街を歩いていたのは、私一人だけだった。夫も、お隣さんの旦那さんも――死んだわ。全員」


女は、大きく息を吐いた。まるで魂でも吐き出しているかのようだった。


「それから、私は『イディオン』を造った。戦争後に人魔法が制定されてから、まともな仕事が回ってこなくなったからね。だから、まともじゃない仕事をするしかなかった。皮肉と言うか何と言うか、魔族が行う汚れ仕事は好評だったわ。人魔法のおかげで、依頼者が罪に問われることも無いし、報復を食らう可能性も低いし」


女は、今一度佐藤をしっかりと見た。目の前の男はやはり――何かの感情を表すことなく、静かに女の話を聞いていた。


「暫くしてから――ある仕事の流れで、一人の人間を捕まえた。どうして捕まえたのかは、もう忘れちゃったわ。ただ、今でもはっきり覚えているのだけれど――その人間、魔力が無かったのよね。そんな人間が存在するのかと最初は自分を疑ったけど、後で色々調べるうちに、それが転生者の特徴だと知ったのよね」

「それで、殺したんですか」


佐藤が聞いた。最早確認のようなものだった。


「殺した」


女から、佐藤の予想通りの返答が返ってきた。佐藤は暫く、また何かを考えるようにテーブルの木目を目でなぞっていた。


「一つだけ、聞いてもいいですか」


唐突に、佐藤が口を開いた。


「何かしら」

「娘さんが……その、産まれたのは、今の組織を作る前なんですか?」

「……後よ」


少しだけ間をおいて、女が答えた。佐藤の中にあった疑問は、確信に変わった。


「あなたは――」


言葉と同時に、佐藤は顔を上げた。うっすらと浮かべていた女の笑みが、少しだけ崩れた。


「あなたはきっと、転生者を恨んでいるんじゃ無くて、誰を恨んだらいいか分からないから――転生者を恨み続けているんですね」


佐藤は、そう言った。

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