第11話 空と海は水平線で繋がっているのだから
「ふろう……ふし?」
エルは、恐怖に震える声で、マギサが言った言葉を繰り返した。
「そう、不老不死。老いないし、死なない。怪我も病気も、毒も窒息も無い体。――まさか知らないって事ないよね?」
「そ、そんなのず、ずるだ!卑怯だ!」
そう言いながら、エルは、腰が抜けてしまったのか、座った姿勢のまま、引きずるように後ずさりした。その動き以上に遅いスピードで、ゆっくりとマギサは歩いて彼女を追い詰める。
「卑怯って、君が言えた事じゃないと思うけどなぁ。君の能力だって、触れた時点で相手は死ぬんでしょ?わりとズルくて卑怯だと思うけどね。私の能力は別に誰かに害をなすわけでは無いし」
「う、うるさいうるさい!黙れ!」
「そんなに逃げないでよ。別に取って食おうって訳じゃないし、殺すつもりも無いんだからさ」
「う……あ……」
エルがマギサから逃げる動きは、壁によって阻まれてしまった。エルは能力で壁を破壊しようと何度か壁を手で叩いたが、能力が上手く発動しなかった。
「な……何で!?どうして!?」
「さて、どうしてだろうねぇ?」
白髪の魔女は、クスクスと笑う。エルは、ボロボロと泣き崩れる。
「やだ……死にたくない……だれかぁ……助けて」
「だから、別に殺すつもりは無いんだけど――うーん、ちょっと恐怖心をいじり過ぎたかな。久々だから、調整間違えたか?。まあいいや」
そう言って、マギサはまるで握手でも求めるかのように、エルに向かって手を差し出した。エルの体は、自分の意志に逆らって、その手を握り返した。まるで夢でも見ているかのようだった。
「いずれ死に逝く君たちへ――」
マギサがそう言うと、エルの胴体の部分が、まるで風船のように膨らみ始めた。彼女の体は、一定の速さで膨らみ――暫くして、マギサとさほどの大きさの変わらなかったその体は、天井にまで達するまで膨らんだ。
「――生きる幸せを送ろう。不死の私から送る、不死遭わせ」
大きく膨らんだエルの体が――割れて弾けた。限界を超えた風船のように。
「――とまあ、結局の所、幻覚なんだけどね。自分が死ぬ夢ってのは案外見るものだけれども――少し、リアルすぎたかな?」
マギサは握っているエルの手を離した。既に気絶している彼女は、そのまま床に倒れこんだ。マギサに追い詰められている時でも、一瞬も離す事が無かった自分の姉の頭を、とうとうエルは離した。
「ちゃんと言ったからね、殺さないって。私に殺される覚悟というやつがあるならそうしただろうけど――生憎、死なない私に死ぬ覚悟なんてあるわけがないし――ならば不公平というやつだろう。それは」
マギサはエルの姿勢を壁に凭れるように直すと、地面に転がったラディーの頭をエルの手元に置いた。
「君は生きろ。あさましく、無様であろうと、羞恥を晒そうと――生きろ。生きて生きて生きて全力で生きて――そして美しく死ね」
マギサは羨望のような、しかしそれと言い切るには、少し弱弱しい、どこか諦観したような目をしていた。ただそれも、一つ瞬きをするまでの短い間だった。
* * *
胸を腕で貫かれたアールは、固まっていた。ピクリとも動かなかった。そしてそれは――彼に突き刺さっている女の腕も同じだった。引き抜こうとしても、更に押し進めようとしても動かず、上にも下にも左右にも、何処にも動かなかった。
どうして、彼女の腕は動かないのか――その答えは、アールがその腕を掴んでいたからだった。
「お前――まだ動けるのか」
女が言った。女の中で驚きはあったが、それを一切表情に出すことは無かった。
「……残念ながら、暫くすれば動けなくなる――流石に、ダメージの方がでかいな。だが――」
男は片方の手を、床で寝ている佐藤の方に向けた。籠手の隙間から何かが射出され、佐藤のすぐそばに落ちた。それは直径五センチ程の、緑色の球だった。それが地面と衝突するとすぐに割れ、そこから発生した緑色の光のドームが、佐藤を包んだ。
「さっさと起きやがれ――みんな待ってるんだからよ」
アールが佐藤に呼びかけるように、そう言った。
女は、再びアールの胴体から手を引き抜こうと、力を込める――しかしやはり、どれだけ力を込めて引き抜こうとしても、抜けそうになかった。そしてそれは――アールの手では無く、胴体から発生している、謎の力のように思えた。
(こいつの体の構造……マジでどうなってるんだ。筋肉とか、そう言う感じでもない。血のような物は流れているけど――それにしたって、何かおかしい。根本的に私達と何かが違うんだ。こいつは)
女がそんな事を考えていた時だった。
「アールさん!」
目を覚ました佐藤が、アールに向かって叫んだ。そうして、そのまま近寄ろうとする――その動きを、アールは大きな手を向けて制した。
「やめろ!来るんじゃない!――今すぐここから逃げろ!誰の思いも無駄にするな!」
鎧の男は、佐藤が聞いたことも無いような声量で――強く叫んだ。いつものおどけたり、陽気な感じは微塵も無かった。余裕なく叫ぶ男の声だった。
「ですが!」
「――俺の事はいい。必ず帰ってくる。約束だ」
そう言って、アールは手を握って、親指だけ立てた。
客観的な情報だけ見れば、アールが帰ってくる保証など、何処にもない――それどころか、傍から見れば暫くすれば死んでしまうような状況だ。しかしそれでも、佐藤は何故だか、その約束が絶対のモノのような気がしていた。それにはどこか、安心感すら覚えていた。
「分かったら早く逃げろ!」
アールのその言葉で、ようやく佐藤は、鞭を入れられた馬のように全力で走り出した。とにかく目の前の女から逃げる――わき目も振らずに、一心不乱に佐藤は走った。女達からはもう、彼の姿が米粒のようにしか見えなくなっても――佐藤は全力で走った。ペースは落ちていても、常に出せる力の全てを出し尽くして走った。
「……お前さ、案外優しいんだな。わざわざ逃げるまで待ってくれるなんてよ」
佐藤の体が地平線の向こう側へ沈んでから、アールが口を開いた。
「どうせ命令しようとした所で、邪魔をするのは目に見えているからな。無駄な労力を割きたくなかっただけだ。逃げられた事は残念には思うが――また見つければいい」
「それは――あいつをか?それとも他の奴をか?」
「……」
女は暫く黙った。
「さあな。どうなんだろうな」
「なぁ――俺達よ、いい友達になれそうだな」
と言って、アールは笑い声を兜の下から発した。釣られるように、女も奥ゆかしい声で笑う。
「そうね、私が妖精のままであったら――いい友達に、なれたかもしれないわね」
女が笑ったまま、アールが着ている兜を掴んで、力を込め、上に引っ張った。何かが砕ける音がして――アールは、首と胴体に分断された。
女がアールの胴体から、手を抜いた。何故かそれは、あっさりと抜けた。そのままアールは地面に崩れ落ちた。女は掴んでいた兜を暫く眺めてから、地面へ投げ捨てた。彼の目にあった光が消失した。
「あなたに来世があるのなら――その時は、お友達になりましょう」
そう言って、女は立ち去った。まるで夕立のような瓦礫の雨が、そこには降っていて、その瓦礫で、アールの体と頭は次第に見えなくなった。
佐藤は無我夢中で走った。女が佐藤を追いかけてはいない事など知らない彼は、背中に恐怖を背負って走った。走って走って走って――どれだけの時間が経ったであろうか、佐藤はいつの間にか近くの街の中に入っていた。彼はその事目では見てはいたが――頭では理解できていなかった。彼は自分の中の持てる力の全てを、逃走に使っていた。しかしそれにも、限界は来る。それを彼は何となく感じ取っていたのか、街の裏路地に入るや否や、頭から地面に突っ込んだ。
(もう……駄目だ……みんな、どうなったんだ……ろ……)
限界を迎えた体で、最後に考えたのはそんな事だった。その時だった――寝ている佐藤の目の前の曲がり角から、一人の少女が現れた。
「――だ、大丈夫ですか!?」
その声は、既に気を失っていた佐藤には聞こえていなかった。
* * *
いい匂いがして、佐藤は目が覚めた。この世界に来てから、初めての経験だった。――そして、それは彼の覚えている限りでも――初めての経験だった。
目が覚めると、背中にあったのは柔らかいマットの感覚だった。いつの間にか、誰かに助けられいたのだろうか、佐藤の体はベッドの上にあって、更にシーツが掛けられていた。彼は体を起こして、自分の顔を何度か触った。少し伸びた髭の感触だけがあって、傷の感覚や痛みは無かった。佐藤の体は、いつの間にかに完璧な治療を施されていた。
「あ、あの……リュウさん――ですよね。目が覚めて良かったです」
佐藤は声のした方を向いた。そこに立っていたのはまだあどけなさが残る少女で、手には調理用の大きい手袋を付けていた。佐藤はその少女に見覚えがあった――路地裏で佐藤が助けた、あの妖精の女の子だった。家の中でも、彼女の羽は普通には見えないように工夫されていた。
「君は……あの時の……えっと、誰だっけ?いや!もちろん覚えてはいるけど、バタバタして聞きそびれちゃってさ……ごめんね?」
「ああ、いえ……。私もびっくりして逃げちゃったので……ごめんなさい」
少女と佐藤は、まるで鏡のように、互いに頭を何度か下げあった。
「えっと……名前聞いてもいいかな?」
「あ、私……ニアって言います」
「ニア……あー、あのさ、失礼でなかったら聞きたいんだけど――」
「あ、はい」
「年齢はいくつ?」
「百二十二歳です」
「……そうですか。ニアさん」
佐藤がそう言うと、ニアは自分の前で否定するかのような手を振った。
「や、やめてくださいよ……人間さんで言えば、十二歳位なんですから」
「いや……うん。やっぱり、そうだね。ニア……ちゃんの方がいいかな……。兎にも角にも、助けてくれてありがとう」
歯切れ悪く、佐藤が言った。当たり前の話ではあるが、目の前の少女が百を超えているなど考えられなかった。
「い、いえそんな、お礼を言われるほどじゃ……。あ、あの、そんな事より、良ければと思って、スープを作ったんですけど……飲みますか?」
「あー……」
――この展開、見た事があるぞ。
と、佐藤はそう思った。思い出したのはあの時味わった(本当の意味で)地獄だった。そのスープからは胃袋を誘う香りがしていたが、しかしそれでも、油断は出来なかった。
――まあ、良いか。あれより不味い事は無いだろうし。
と、失礼な結論を佐藤は出した。
「――そうだね。折角だしお言葉に甘えようか」
「はい!わかりました。すぐ持ってきます!」
ニアは元気よく返事をして、台所の方へと向かったのか、奥に姿を消した。それを確認してから、佐藤は部屋を見回した。
(……男部屋か?ここ。ニアちゃんが使うにしてはベッドは大きいし、小物とかは全く無いし、おいてある本も若い感じでもなさそうだし。だとすれば――父親の部屋なのかな。ここ)
とすれば、父親と母親の寝床が別の部屋という事になるのだが、その理由については、佐藤は深く考えないようにすることにした。
と、そんな事を考えていると、ニアが戻ってきた。手には湯気が立ち昇る、少し深めの皿を両手で持っていた。ニアはそれを佐藤に差し出した。
「少し、熱いかもしれないですけど」
佐藤はそれを、慎重に受け取った。スプーンを手にとってその中身を掬って、口へ運んだ。若干の覚悟をしたが、その液体が舌に触れた瞬間、それは杞憂に終わった。
「……美味しい」
自然と口から声が漏れていた。ニアは不安げな表情から、笑顔に変わった。
「良かったです……あの、たくさん作ったので、良かったらもっと食べてください」
「うん……そうだね。お言葉に甘えさせてもらうよ」
そう言って、佐藤は更に二口三口と、どんどんとスープを口に運んだ。あの時と比べると、その口と手の動きは実にスムーズだった。錆びついた自転車に、オイルでも差したかのようだった。
「いや美味しい……マジで美味いな……これ」
結局佐藤は、五分とかからない内に、そのスープを平らげてしまった。独り言のように、感慨に浸る佐藤に、ニアは思わず笑っていた。
「ふふ――そんなに美味しいですか?」
「……この頃、ちゃんとしたご飯を食べて無かったからかな。それ抜きでも全然美味しいけど。うん……酷かった……。いや本人にはホントに申し訳ないんだけど……。うん」
「よ、よく分からないですけど、大変だったんですね……。ここにいる間は、好きなだけ私が腕を振るいますから!」
と言って、ニアは息まいた。少し楽し気な様子でもあった。
「ありがとう。楽しみしてるよ――でも、ごめん。その事なんだけどさ、実はあんまり時間が無くて……出来る事なら、すぐにでも行かなくちゃならないんだ」
佐藤がそう言うと、ニアは表情を曇らせた。
「そう、ですか……」
「ごめんね。はっきりとは言えないんだけど、俺さ、結構今危険な状態でさ、だからニアちゃんの事もなるべく巻き込みたくないんだ」
「そ……そうですよね!私何を……す、すぐにその食器、片しますね!」
ニアが気丈に振る舞っている事など、すぐに分かった。佐藤はその様子に、何故だか親近感を覚えた。
「ちょっと待って!」
佐藤は食器を持っていこうとしたニアを呼び止めた。まるで後ろから突然引っ張られたかのように、ニアは急停止した。
「な、なんでしょう?」
「俺はすぐにここを出て行かなくちゃならない。だから今すぐとは行かないけど――俺の問題が全部綺麗に片付いたら、君の美味しい料理を、また食べに来てもいいかな?」
顔を下げて食器を眺めていたニアが、パッと顔を上げた。
「……っはい!もちろん!」
今までで一番元気のいい声で、ニアは返した。佐藤は、それを受けて柔らかく笑いながら、手を差し出した。
「だからさ――」
佐藤は、こうする方が良いと、知っている。勿論、ニアにそれが当てはまるかは確実な事は何一つ言えなかったが――彼女はきっとそうなんだろうと、何処か直感していた。
「俺と、友達になって欲しいんだ」
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