第二章・B 『悠久の魔女』

今より遥か大昔――約千年前に、一人の魔法使いがいた。幼少期より天才と呼ばれていたその魔法使いは、成長するにつれ、その比類なき才能を発揮し、賢者(当時は単純に魔法の研究者に対する呼び方だった)の仲間入りをした。


しかし、その魔法使いは女であった。当時は後に時代が否定するまで、『女より男の方が魔法を使うのに優れている』と信じられていた時代で、彼女も例外では無かった。行く先々の研究機関で、性別を理由に彼女は雑用や書類整理などの仕事を押し付けられ、まともな研究を出来ないでいた。


その事に辟易した彼女は、賢者のグループを抜けて、自らの研究所を作る事に決めた。同僚や昔の関係者からは何を言っているんだと馬鹿にされたが、彼女は気にしなかった。持ち前の才能で新しい魔法を開発すると、その技術を貴族や商人に売り込み、彼らにパトロンとなってもらう事で、研究所を設立するための資金を確保した。


暫くして、研究所の設備が充実し始めると、その設備を使わせて欲しいと言う声が増え始めた。初めのうちは使用料を払う事で誰にでも貸し出すようにしていたが、設備を借りている者達の話を聞くと、彼らの多くが、自分と同じように、差別や偏見によって満足に研究を行えてない者達だった。彼らと意気投合した彼女は、地位や身分、性別や種族の隔たり無く、実力さえあれば誰でも入る事が出来る魔法研究者の組織を作る事に決めた。そうして数人のメンバーと共に、研究機関『アルバ』を設立した。


『アルバ』の理念はたった一つ『人類の魔法技術を先へ進める事』。それを実現するための障壁やしがらみを徹底的に排除しようとする姿勢は、多くの同じ悩みを抱える研究者達の間で話題になった。入会に関して、厳しい適性試験があったものの、三年と経たずに『アルバ』は飛ぶ鳥を落とす勢いで、大きな組織へと変化していった。


組織が大きくなるにつれ、次第にその存在は世間一般にも認知され始めた。それでもやはり、国から認められて研究者となった賢者たちにとっては、その存在は目の上のたんこぶのようなものだった。彼ら賢者達は『アルバ』の研究員を、組織のリーダーが女という事もあり、軽蔑の意味も込めて『魔女』と呼んだ。


しかし彼女らは、そんな声など一切気にせず、日夜研究を続けた。地域を代表する天才が集まり、それらが一切のしがらみを排除した環境で研鑽を積むのだ。当然と言えば当然なのかもしれないが、彼女たちは、当時の魔法技術や魔法学に、十年も二十年も先へ行くような変革を起こしていた。中でもとりわけ注目されていたのが、人間の体に何かしらの影響を与える魔法『人体魔法』だった。


この人体魔法――特に治療を行う事が出来る回復魔法が発表された時、人々は衝撃を受けた。痛みを伴ったり、一部有効でない病気があるなどの欠点はあるものの、どんなに大きな怪我や病気になろうと、死なない限り治療が出来ると言うのは、当時では考えられない事だった。この魔法は様々な所で使われ始めた。医療現場、鍛冶、大工――とりわけ、軍では、いち早くこの魔法を取り入れようとする動きがあった。


この人体魔法が広まっていくにつれて、彼女たちの名声も大きくなっていった。かつて虐げられていた惨めな姿などもう何処にもなかった。人々から称賛を受け、勲章を貰い、『女より男の方が魔法を使うのに優れている』などという話は、人々の間からすっかり消え去っていた。初めは難色を示していた他の賢者達も、彼女らの功績にはぐうの音も出なかった。『魔女』という差別的な呼び名も、いつしか自然な物として定着していた。


ここまでは良かった。しかし、光ある所には――必ず、影がある。


ある一人の賢者が、彼ら『アルバ』の研究内容を見て、一つの結論にたどり着いた。それは、外側の操作を行えるのなら、内側だって行えるのでは――だった。言い換えれば、人体魔法の技術を応用して、人間の精神を操る事が出来ると、その賢者は考え出した。そしてそれは正しかった。その後の調査で、『アルバ』はそのような魔法が実際に存在することを認めた。


当然ながらこれは、大問題になった。倫理や道徳の問題では無く、『アルバ』が人類を支配してしまうのではないか――という、純粋な恐怖心から来るものであった。加えてまずかったのが、彼らの研究は貴族や商人と言った、財力のある者達に技術を売る事によって成立している点だった。この頃にはかつてのような地位や権力を既に失っていた彼らだったが、彼らが再び息を吹き返す可能性もあった。


それだけならまだいいかもしれないが、人を自由に操れるというのは、国という枠組みそのものを揺るがす可能性を秘めていた。多くの人間や国家、王族からすれば、見過ごせない事態だった。国家と人民。その両方を敵に回した彼らに――最早慈悲など与えられなかった。


そうして行われたのが『魔女狩り』である。彼女達の研究施設、資料、トレードマークであった三角帽子とローブは全て焼き払われ、彼らの技術によって生み出された魔法は、一部を残して全て禁呪として指定され、闇へと葬り去られた。


『アルバ』に所属していた研究員は、ほとんどが捕らえられ、殺害された。生き残った一部の者達も散り散りになり、『魔女』の名前が表舞台に姿を現す事も無くなった。回復魔法を生み出した人間に関しても、現在は不明とされており、歴史上の記録から、その名前を特定する事は不可能であった。


そうして、『魔女』という二文字の言葉が、人々の記憶から、教科書の上へと移った頃に――ある一人の人間が世間を賑わせていた。その人物とはマギサだった。紫色の三角帽子に、ぶかぶかのローブを着ている彼女は、まさに教科書通りで伝承通りだった。サイズがまるで合っていないので酷く不格好ではあったが――まるで絵本から飛び出してきたかのような人間が、大通りを何の曇りも無い表情で歩いているのだ。注目を引かないわけが無い。そして彼女は、すぐに衛兵に捕らえられた。彼女は特に抵抗もしなかった。


その後、マギサは死刑になることが決まった。罪状は国家転覆罪。彼女がただの頭のおかしい奴なのか、あるいは本物の『魔女』の末裔なのか――結論は出なかった。それでも、彼女が紛れも無い不安因子である以上、国としてはそれを認めるわけには行かなかった。ただ誰も、本気で彼女が『魔女』であるとは信じていなかった。念には念を入れているだけであって、心の中で誰もが、そんな訳が無いと思っていた。だから、彼女の処刑は公の場では無く、手っ取り早く済ませようという話になった。彼女がもし頭のおかしい愉快犯なら、公の場で殺してしまえば、それは逆に彼女の目的を達成してしまうからだ。


日程と殺す手段が決まって、その事がマギサの耳に入ると、彼女は不満そうな表情を浮かべたという。まるで処刑内容に納得がいっていないようだったと、その時彼女に日程と方法を伝えた兵士は、そう思った。


そして、死刑執行の日――取り決め通り、死刑台に彼女を乗せて、執行人がその首を切り落とそうと、手に持っている剣を振るった。そして――その首を確実に切り落とした。切り落とした頭は重力に従って、床に落ち、暫く転がった。執行人はその様子を見ていた。


「ねえ――やっぱりさ、ギャラリーってのは必要だと思うんだけど。結構盛り上がると思うよ?手品みたいで」


そんな声が、執行人の下の方から聞こえた。執行人は、反射的に自分が切り落とした筈の女の方を見た。彼は自分の目を疑った――切り落とした筈の彼女の頭が、復活していたからである。彼はまた反射的に、転がった方の頭に視線を向けた。切り落とされた方の頭は辛うじて形を保っていたが、まるで氷細工のように、端の方から溶け始めていた。


「まあ、種も仕掛けも、無いんだけどね」


そう言って、マギサは苦笑した。


それから、執行人達とマギサの戦いは続いた。何とか彼女を殺そうと、執行人達はあらゆる可能性を試した。絞首、斬首、水没、磔、火、電気、圧死、四つ裂き――更に加えて、精神的に彼女を殺す事も考えられたが――しかしその全てが、無意味に終わった。次第に、彼女の死刑執行失敗は当たり前の景色に変わっていき――誰もが『今日もどうせ駄目なんだろうな』と、そんな気持ちで彼女の死刑を執行していた。


数える事、二百三十四度。ついに殺す事が不可能だと判断した国は、彼女はただの愉快犯で、国家転覆といった大袈裟な内容を語るまでもないと結論付けた。それは事実上のギブアップ宣言だった。軽度の罰則金を払って、無罪放免となった彼女が次に要求したのは――


「ねえ、私を賢者にしてよ」


だった。その時、その場に居合わせた何人かの兵士は顔を見合わせて、大きな声で笑いだした。いくら死なないからと言って――それを脅威と思うかどうかは別の話だった。


「馬鹿言え。賢者ってのは国を滅ぼす力があって初めてなれるんだ。確かに死なない能力ってのは凄いが、だからと言って賢者になれるわけじゃない。実力が無きゃな。その点あのお方は――」


そう言ったのは、その兵士達の中で、一番年寄りの男だった。かと言ってただ衰えているわけではない。しっかりと鍛えこまれた体を持った、所謂老練と呼ばれるような男だった。


「じゃあさ」


マギサは、その言葉を遮って言った。その瞬間――その老兵は、全く動けなくなってしまった。


「こういうのはどう?私の事、認めてくれないかな?」

「あ……あ……」


老兵は、ただうわ言のように、言葉を繰り返していた。――別に、マギサが何かしたわけではなかった。老兵を縛り付けたのは、たった一つの恐怖心だった。


――じゃあさ、こういうのはどう?私の事、認めてくれないかな?――そう言ったのは、が、同じように口をそろえて、そう言ったのである。


マギサは動かなかった。代わりに動いたのは、老兵以外の兵士全員だった。何処か遠い目をした彼らは、老練から老人へと変わってしまった男に近づいて――落ち着かせるように、肩に手をやり、頭に手を置き、たっぷりと蓄えた髭を撫で、額に流れる汗を拭った。


「「「「大丈夫ですよ、――さん。落ち着いてください。我々は何もしませんから」」」」


兵士達は、優しい声で、彼女は知らない筈の老兵の名前を口にして、そう言ったのだった。


瞬間――老兵は悟った。この目の前にいる、背が低くて、白髪で、ぶかぶかで紫色のローブと、これまた紫色の三角帽子を着た不格好な女が、約千年の時を超え舞台を彩る魔女――『悠久の魔女』なのだと。

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